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禁断の箱庭と融合する前の世界(111)

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―――ビュッ!ビュビュビュッ!―――

 茂みから苦無や手裏剣がカロリーヌを目掛けて飛んでくる。

 カロリーヌはタスネを消滅させんと巨大な【光玉】を形成をしていたが、集中を乱されて詠唱を止めると周囲を窺う。

「結構な数の裏側が集まってきたのね。バールお願い出来るかしら?」

「御意」

 カルト団体である星の棺桶の教祖バールが四方八方へと触手を伸ばすと、裏側の隊員達は姿を見せる事なく回避行動を取った。茂みや木の上がガサガサと揺れている。

 元恋人の気が裏側に気を取られているうちに、ダンティラスは丸まった姿勢のまま触手を伸ばして妻を掴むと自分の近くまで引き寄せた。

 意識を裏側に向けていたカロリーヌのうねる黒い体から目玉がにゅっと飛び出して、元恋人を見る。

「あら?死ぬ時は一緒って事?」

「カロリーヌ・・・。お主はそれほどまでに攻撃的な性格であっただろうか?」

「さぁて。貴方が私を放置した時間がこうさせたんじゃないの?」

「それを差し引いたとしてもおかしいのである。昔のお主は優しくて好奇心旺盛で前向きだった。記憶を失くし、瀕死の状態で森で倒れていたお主を見た時、どこか普通の吸魔鬼ではないとは薄々気付いておったが・・・。もしやお主、同族殺しの吸魔鬼なのではないか?」

「記憶が無いから知らないわよ」

「本来の習性がお主をそうさせているのかもしれんのである」

「だったら何だって言うの?」

「本能のままに戦うのであれば、吾輩はお主と戦わねばならないのである」

「あら?素敵。でも敵は私だけじゃないわよ?私に勝ったところで、この世界の住人は常に吸魔鬼を殺そうとしてくるわ。彼らだって恐怖という本能からくる感情に突き動かされてそうするのよ?それらとも戦うの?」

「それは違う。世界には・・・少なくとも樹族国には吸魔鬼との共存を考えてくれる人々がいるのだ。ヒジリ聖下のように、吾輩のために神学庁や騎士修道会を説得してくれた者もいた。そして、こちらから歩み寄れば心を開いてくれる者もな。それらの者と一緒に茶を飲み、談笑し同じ時間を共有することがどれだけ素晴らしい事か。カロリーヌよ、お主は我らを殺す存在として生まれたかもしれないが、今一度心を穏やかにして考え直してみてくれぬか?吸魔鬼と他種族が仲良くできるのだ。吸魔鬼同士ならば・・・」

 そこまで言ってダンティラスはカロリーヌの表情が変わらない事に気が付いた。

 カロリーヌは冷たい顔のままなにも言わず、前触れもなく再び詠唱して小さな【光玉】をタスネに飛ばした。

 直ぐにダンティラスは妻を触手で覆って庇った。

 幾つかの触手が弾け飛び、苦痛で始祖の吸魔鬼は呻く。

 その行動が更に元恋人を怒らせたのか、カロリーヌの声は氷のように冷たかった。

「あのね、ダンティラス。私は時々吸魔鬼を殺したいって衝動に駆られていたのよ。でもそれを貴女の愛が押しとどめてくくれていたから私はその衝動を抑える事ができたの。でも残念な事に今はそれがない。貴方はそこのちんちくりんの地走り族を選んだからね。さぁ!お喋りもそろそろ飽きてきたわ。夫婦揃って死んで頂戴。ね?」

 恍惚とした表情で【光玉】を無数に浮かべるカロリーヌを見て、ダンティラスは覚悟を決める。

(カロリーヌの核を壊すか・・・?いや残念だが吾輩はそこまで冷酷になれないのである・・・。やはりこれをするしか無いのか・・・。融合・・・。カロリーヌを無理やり取り込めばこの戦いを終わらせることが出来る。しかし・・・果たして・・・吾輩は吾輩のままでいられるのであろうか・・・)

 ダンティラスは人型に戻ると怯えるタスネを優しく撫でた。

「大丈夫である、誰も死ぬことはない」

 そう言うと安心させ、触手で膜を作り弾幕張った。いくつかの触手は地面に潜らせて、いつでもカロリーヌに触手を当てる事ができるようにした。

(準備は出来たのである。我らが星のオーガであるヒジリ聖下、どうか吾輩が融合後も自我を保っていられますように)

 次の攻撃で戦いの決着が今決まろうとしていたその時、この戦いの場に続く道を悲鳴を上げながら走ってくる地走り族がいた。

「ふぁぁぁぁ!眠い!だけど洞窟はあと少しですよぉぉ!!ニョホホホ!」

「逃がすか!ワロはどこだ!」

 その地走り族の後を帝国の鉄騎士が鎧をガチャガチャと音をさせながら凄まじいスピードで追いかけている。

「行け!インプ共!」

 更に空飛ぶインプを従えた召喚師と吸魔鬼の子供がよく判らない生き物に乗ってこちらに向かって来るのが見える。

「キャーーーオーーー!」
 
 インプたちの騒がしい声に、今まさにダンティラスを殺そうとしていたカロリーヌの顔は恍惚から怒りに変わる。

「私の楽しい時間を邪魔するなんて無粋だわ。余程死にたいらしいわね!」

 怒れる吸魔鬼の触手がシディマとヤイバを捕らえた。

 カロリーヌは二人を引き寄せて脅し文句の一つでも投げかけてからエナジードレインをしようと思ったが、召喚師が操るムカデの様な魔物から吸魔鬼の子供が飛び降りて自分に抱きついてきた。

「カロリーヌお姉ちゃん!カロリーヌお姉ちゃんだ!」

「はぁ?私は貴方なんて知らないのだけど?纏わりつかないでくれる?」

「そんな・・!お姉ちゃん、僕のこと覚えてないの?外で一緒に暮らそうって約束しただろ!」

「知らないわ!煩い子供ね!」

 ムチのようにしなる触手をイワンコフに叩きつけて弾き飛ばしたが、直ぐにマサヨが畳みムカデを操ってイワンコフをキャッチする。

「おい!そこの地走り族を僕に渡してもらおうか。吸魔鬼」

 ヤイバが今にも爆発しそうな顔で鼻から蒸気のような息を出し、目を白黒させて何とか感情を制御しながらカロリーヌに命令した。

「貴方・・・兜の下でとても怒っているようだけども・・・。今の状況が解っているのかしら?貴方もこうなりたいの?」

「ズギャァァァ!」

 シディマは吸魔鬼のエナジードレインで容赦なくマナと能力を吸われている。

「いいから・・・ハァハァ!グギギギギ!その男を僕に寄越せ!早くするんだ。怒りの精霊をいつまで抑えられるか・・・」

「あら、貴方馬鹿なの?立場が解ってないようね。じゃあ貴方からも遠慮なく吸わせ・・・」

「もういい!邪魔だ!」

 ヤイバはフン!と気合を入れて、少し身をよじると自分を縛るカロリーヌの触手を千切る。それから自分の拳に虚無の力を纏わせた始めた。ブラックドラゴンを倒した時のように周囲が暗くなってヤイバの拳に灰色の光が集まる。

「いたっ!な、なんなの?」

 体をよじっただけで難なく触手を千切ったヤイバの身体能力の高さに恐怖し、薄暗くなった周囲の異様さに驚く。

 視線を目の前に戻すとカタカタと鎧を震わせた鉄騎士が灰色に光る拳骨を振り上げていた。

 何とか攻撃を止めようと触手に力を籠めたが恐怖で体自体が動かない。しかし生存本能が彼女を剥き身から人型に戻して防御行動をとらせようとする。

「なに、こいつ・・・」

 キュイィィィン!と音をさせるヤイバの拳は、動けなくなったカロリーヌの目を釘付けにした。

「やだ・・・!やめて・・!それ、何だか怖いわ・・・!動きなさいよ!私の体!」

 殴られる本人には振り下ろされる拳がゆっくりと見えたが、実際はほんの刹那の出来事である。

「ドォォォォーーーーン!」

 灰色に光る以外はただの拳骨である。派手さも何も無い雷親父のようなその拳骨が、容赦なくカロリーヌの脳天を叩き砕いた。

「へぎょっ!」

 殴られて人型を維持できなくなったカロリーヌは再び剥き身となった後、フラフラとよろめいて人型に戻ろうとしたが、黒い柱のような形になるとそのまま動かなくなった。

「カロリーヌお姉ちゃん!」

「カロリーヌ!」

 ダンティラスとイワンコフは動かなくなったカロリーヌを心配し近づいてきた。

 ヤイバはそんな二人を気にせず、シディマから触手を引きちぎり片手でネック・ハンギング・ツリーのようにして吊し上げた。

「ワロはどこだ!さっさと言え!」

 ドゴォ!とシディマの腹を殴ると地走り族の顔の皮で出来た面が取れて、下からノームのような顔が現れた。

「あ!その顔知ってる!エロノームモドキだよ!脱獄したとは聞いていたけど、まだ捕まってなかったんだ?」

 十数年前、戦争中の混乱に乗じて野営地に忍び込み、イグナの胸を揉みしだいた変態シディマの顔をタスネはっきりと覚えていたのだ。

 自分の胸をスルーして妹の胸を揉みしだいた偽オバップは捕まって投獄されると、今度はマギン・シンベルシンという殺人狂を逃がして脱獄してしまった。それ以来消息を絶っていたのだ。

「あのエロノームモドキ、遠くに逃げたと思わせて実はずっとアルケディアに潜伏してたってわけ?灯台下暗しとはこの事ね・・・。時々顔の皮を剥がれた血走り族の遺体が見つかっていたのはこういう事だったんだ・・・。ゾーーー」

 タスネは残忍なシディマに寒気を覚えた。

 ヤイバにとってこのノームモドキとタスネにどんな因縁があろうが今は関係なかった。愛しい妹が無事である事が何よりも一番大事なのだ。
 
「ワロはどこだと聞いている!」

「ち、地下下水道の牢屋に閉じ込めましたぁ~」

「あ~地下かいな・・・」

 やっと追いついてきたクロスケは申し訳なさそうに呟いた。

「地上しかスキャニングしてなかったわ。ごめんな、ヤイバ君。え~っと・・・場所は解ったで。大丈夫、ワロちゃんは生きとる。ほな行こか」

 ヤイバはシディマをフルヘルムの下からぎろりと睨みつけると、ビターンと地面に叩きつけてクロスケの後を追った。

 あまり顔を合わせたくないタスネを見て「ゲッ!」と呻くとマサヨも踵を返し、二人の後を追う。

 地面に張り付くシディマは直ぐに裏側の一人に縄で拘束されてしまった。

 主の敗北を見て戦意を失ったバールがジュウゾとその部下が取り囲まれて、【捕縛】で拘束されている。

「お姉ちゃん!死んじゃったの?ねぇ!」

 イワンコフは泣きながらカロリーヌを揺さぶるも、黒い石のようになった彼女は動かない。

「死んではおらぬと思うぞ、子供。あの攻撃は・・・恐らくはまだ魔法の中では新しい部類の虚無の魔法である。どうやってあれを習得したのかは知らんが、あの虚無の魔法を付与した拳で繰り出す攻撃は吸魔鬼でも相当なダメージを受けるであろう。しかし不幸中の幸いか、カロリーヌが絶命するまでには至っていない。それからあの帝国の騎士は装備に隠れて顔は見えないが、恐らくヤイバ君だろう。ヒジリ聖下の子ならば無闇に他人の命を奪うような事はしまいて。安心するのだ、子供」

「あの鉄騎士は確かに声がヤイバだったよ。相当怒ってたみたいだけど」

 タスネは自分を常に守ろうとしてくれた優しい夫の腕にぴったりと寄り添って言う。

 イワンコフもタスネの言葉に頷く。

「うん、そう。あのオーガはヤイバって人だよ。妹をそこの地走り族・・・じゃないや、ノームモドキに誘拐されて怒り狂ってた」

「馬鹿だな~。ヤイバはいつもワロちゃんの事を気にかけてる心配性のお兄ちゃんなんだから、そんな事したら怒り狂うに決まっているじゃないの。あはは!」

 タスネがそう言って笑っていると、黒い柱となったカロリーヌから声が聞こえてきた。

「う・・うーん」

 石のようだったカロリーヌはゆっくりと人型に戻っていく。

「彼女また暴れたりしないかな?危なくないかな?」

 怯えてしがみ付く妻をダンティラスは撫でた。

「大丈夫だタスネ。流石にあの虚無の攻撃を喰らえば暫くはまともには動けまい」

 完全に人の姿に戻ったカロリーヌにイワンコフは困惑しながらも近づく。また触手で叩き飛ばされるかもしれないからだ。

「お姉・・・ちゃん・・・?」

「あら?イワンコフ。ここはどこ?私、確か遺跡守りと戦って外に弾き飛ばされて・・・」

「記憶が戻ったんだ!」

「何言っているのかしら?イワンコフ。それにしてもここには同族がこんなに沢山!初めまして!皆さん!」

 イワンコフを抱きかかえて「初めまして」と自分や妻に爽やかに言うカロリーヌを見て、ダンティラスは少し寂しい顔をした。

(初めまして・・・であるか・・・。あの虚無の力は命こそ奪わなかったが、彼女の記憶を奪ってしまったのであろうか?・・・いや、これで良かったのかもしれない)

 数千年の時を共にした元恋人は、ヤイバの虚無の拳骨によって記憶というエネルギーを別宇宙に送られてしまい、ダンティラスとの記憶を失った。

 ダンティラスの脳裏に幻のように彼女との思い出が浮かぶ。

 晴れた日は山を駆け巡り、逃げ惑うブラックドラゴンをふざけて追いかけ、雨の日は一緒に編み物をし、寒い夜はお互いベッドで体を温め合い、時々喧嘩して・・・。

 ぼんやりと元恋人との思い出に身を浸すダンティラスの耳に自分の声によく似たバリトンの声が響く。

「彼女が記憶を失って敵対しなくなったのであれば、拘束はすまい。ダンティラス殿には【読心】でそれが解るのであろう?では一旦、この吸魔鬼達を連れて一度シルビィ様のもとへ向かい今後の指示を仰いでくれ。上手くいけば吸魔鬼部隊として樹族国の大きな戦力になるやもしれん」

 常に国益を優先させる覆面のジュウゾにダンティラスは苦笑いした。彼はこういう男なのだ。国滅ぼしの吸魔鬼を戦力に組みこむ事になんの躊躇いも無い。使えるなら使う。ただそれだけなのだ。

「・・・うむ。さぁ、行くぞ皆の者。聖下と親しかったシルビィ様は寛大なお方である。きっと皆の住む場所、生きる場所を見つけて下さるであろう。心配せずに城へ赴くのだ」

 吸魔鬼達は頷くとジュウゾの後をついて歩きだす。

 裏側に率いられて城を目指す吸魔鬼達の後ろから、ダンティラスもタスネの肩を抱いて歩きだした。

「ねぇ、ダンティラス。もしかして寂しいの?カロリーヌが貴方の事を忘れちゃったから」

「正直に言うと、吾輩の心にはぽっかりと大きな穴が空いたような気分ではある。タスネにはまだ判らんかもしれんが、悠久の時を生きる吸魔鬼は常に孤独と共にある。昨日知り合ったたゴブリンがたった数十年でこの世を去り、楽しかった思い出と、逝ってしまった悲しみだけを残して消えてしまう。なので同じ時間を永遠に生きることが出来る仲間の吸魔鬼との思い出は特別なのだ。故に彼女が記憶を失ったという事は何千年も掛けて作り上げてきた思い出が一瞬にして無くなり、ある意味、彼女が死んでしまったかのような虚しさに感じるのである」

「そっか・・・。アタシもいつか妹達を看取る日が来るのね・・・」

 その時を想像して、タスネの目にじわりと涙が浮かぶ。すぐに顔を振って嫌な未来を頭から追い出すと夫に更に寄り添った。

「あのさ・・・だったらさ・・・。つきなみなセリフだけど・・・。これからもずっとアタシと一緒にいて?何千年も何万年も二人で同じ時間を過ごして無限の思い出を作ろう?」

 愛しい妻の顔には、永遠の時間を歩むことが出来る伴侶がいる事への喜びと、待ち受ける未来への不安が浮かんでいた。

「ああ、そうであるな。そうするとも、愛しい我が君」

 そう言ってダンティラスは、戦いで乱れた妻の黒髪を手櫛で整えてから頬にキスをした。

 タスネはくすぐったそうに首を引っ込めて笑う。

「ウフフ!それにしてもヤイバがいなかったら、どうなっていたことやら・・・。よく考えると、これって国滅級の痴話喧嘩だったね!」

「おっと!それは確かに・・・。う~む、これはシルビィ殿と顔を合わせ辛いな!何と報告すればいいのやら!ハッハッハ!」

 ダンティラスの芯のある笑い声が、初夏の爽やかな風が吹く街道に響き渡る。

 その始祖の吸魔鬼の笑い声は、これからどうなるのだろうかという不安の中にあった吸魔鬼達に不思議と安心感をもたらした。
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