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力と節制
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しおりを挟む陛下との晩餐後、公爵にはまとまった休暇が与えられた。働き詰めだった公爵に、婚約者との時間を過ごすための休暇を与えるという、それらしい理由で。きっと早急に能力を伸ばしてほしいのだろう。葡萄酒を手に不適に笑う陛下の姿が脳内にちらついた。
休暇に入った初日の朝食後、怪我の様子を念入りに確かめてから、公爵は私を温室に誘った。最近、恋人とうまくいっているらしいメアリは、その誘いを甘酸っぱいものだと信じて、うきうきと私の装いを整え始めた。何のために落ち合うか聞いたら、きっと仰天してしまうだろう。
「どうしたの? 変な顔して」
「ううん、なんでもない」
「そう? よし、これで髪型は完璧!」
鏡越しにメアリがにっこりとほほ笑む。なんだか料理人の彼と会うようになってからメアリはさらに可愛くなったような気がする。支度が済むと温室へ向かった。
少し鉢植えを動かしたらしく、食事をした空間は昨日よりも広がっていた。温室内を見渡していると、背後で足音と鳥のさえずりが聞こえた。振り返ると鳥かごを手に用意した公爵がいた。
「おはよう、待たせたかな」
「いや、ちょうど来たところです。その鳥は?」
「陛下の手配した鳥だよ、始めようか」
公爵の言葉に頷いたものの、何をどう始めていいか、見当もつかなかった。鳥籠の中にいる黄色い小鳥を黙って見つめていると、公爵がそっと声を掛けた。
「ひとまず、君の方向に飛ぶか試してみたらどうだろう」
「そうですね」
少し距離をとって、私が合図を出したら籠を開けてもらうことにした。深呼吸して小鳥に意識を集中させる。こっちに飛んでくる様子を思い浮かべていると、自由気ままに籠の中を飛んでいた小鳥が、私の方へ向いてはばたくような仕草を見せ始めた。
目配せした公爵に頷くと、開け放たれた籠から鳥がまっすぐ私の掌に飛んできた。手に乗った小鳥に安堵する。動物への恐怖感も過去のことを思い出してからはかなり薄れていて、かわいらしくさえずる小鳥をなでる余裕もできた。
「すごいな、成功だ」
「えぇ、よかった……」
「リンジー!」
喜びも束の間、めまいがした私はその場にしゃがみこんだ。急な動きに驚いたのか、小鳥はまた空へ飛び立った。焦った公爵が椅子を持ってきて座らせてくれる。
「大丈夫か?」
「えぇ、少しふらっとしただけです」
めまいだけで身体はそんなに辛くなかった。陛下が言ったように、使う時間が短かったから、反動も少ないのかもしれない。
それよりも力が伸ばせるかどうかが不安だった。これでは何の力にもならない。
「このままじゃ駄目だわ……体力が足りないのかしら」
ぼそりと本音を言うと、膝の上にだらりと置いた手がそっと握られた。
「いいんだ、ゆっくりやろう」
顔を上げると跪く公爵と目が合った。急に触れられたことには驚いたが、彼の言葉はどこか私を落ち着かせてくれた。
「同じですね、舞踏会のときと」
何気なく言うと、公爵は目をそらして手を離して立ち上がった。
その日は飛ばせる距離を徐々に伸ばす練習を重ねた。昼食を挟んだ後も温室にこもり、夕刻には温室の天井を円を描くように飛ばせることに成功した。しかし、小鳥の方も飽きが来るらしく、段々と私の集中力も途切れていった。疲れ切った私と小鳥を見かねた公爵の一言で、その日はそれで終いとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
泥のように眠った翌朝、窓を開けると見慣れない馬車が屋敷に止まっているのが見えた。訪問客の正体は、部屋を訪れた公爵によってすぐに判明した。
「交代を頼んでいた護衛の件だが、やっと一人確保できてな」
そう言う公爵に続いて部屋に入ってきたのは、軍の制服を着た女性だった。
「ありがとうございます」
わざわざ動いてくれていたことがうれしくて、笑顔で公爵にお礼を言った。
「いや……彼女がリンジーだ。護衛を頼みたい」
公爵が紹介するとその背後から女性が歩み寄ってきた。
「リンジー様、ロザリンドと申します」
そう言って騎士の礼をする彼女は凛とした雰囲気の人だった。まっすぐのブルネットの髪を一つに束ねていて、背筋がしゃんとのびている。
「リンジー・ダールトンです。よろしくお願いします。その……できれば運動というか、体力づくりにも付き合って頂きたいんですけれど」
「それは、私の独断では……」
唐突な申し出に、ロザリンド様は困った様子で公爵の様子をうかがった。
「そうか……では護身術を教えてやってもらえるだろうか?」
「承知しました」
「リンジーは肩を痛めている。くれぐれも傷に障らないようにしてほしい」
君も無理をしないように、公爵が私の方を向いてそう念を押す。頷いて二人にお礼を言った。
その後、屋敷を案内するといって公爵は彼女を連れ出した。二人が部屋を出た後、腕組みをしたメアリがぼそっと呟いた。
「女性の騎士の方って初めてお目にかかったけど……なんか男装の麗人って感じ」
「うーん、言い得て妙ね」
すらりと背も高く、きびきびとした身のこなしの彼女は、それこそ舞台に出てきそうな雰囲気があった。
ロザリンド様との訓練らしきものはすぐに始まった。庭に出て簡単に体を動かした後、危険な場面でのみの振り方を教わった。心配そうに公爵や執事が見守っていたが、あまり気にしないようにした。
騎士として活躍している彼女なら、相手と戦えるような術を教えてくれるかと密かに期待していたが、男と女では力の差は歴然なので、結局のところ逃げるのが一番というのが基本らしく少しがっかりしてしまった。それでも、腕など体の一部をつかまれた時の抜け出し方や、刃物を向けられた時の逃げる方法などは十分に役立った。
ロザリンド様は丁寧だったがその口調は義務的で、距離を置いているようだった。確かに公爵当主の婚約者なら、その態度も適切だろう。しかし偽りの婚約者で、侍女をするつもりでいた身としては、騎士号のあるロザリンド様の方が目上の感覚だった。
立場を明らかにする貴族社会での会話はしがらみだらけだ。一旦離れてみると増々そう感じる。そういう訳で休憩中も無言でいると、まだ公爵家に来て間もないころのことを思い出した。
女性騎士は母数が少なく、活躍する場面の多い貴重な人材だ。『君のわがままに付き合えと?』――公爵の冷たい視線と言葉を思い出してしまった。あの時の口調のきつさは、公爵が勘違いをしていたからだろうが、事実でもあったはずだ。今隣で汗をぬぐう騎士様も、本当は不服なのだろうか。そう思うとどんどん気が重くなった。
自分の罪悪感をなくすために私は口火を切った。
「あの、お忙しいのに申し訳ありません」
「え?」
唐突な謝罪にロザリンド様が首を傾げた。
「女性の騎士の方は重宝されているんでしょう? 他にもお仕事がたくさんあるとお聞きしました」
そう言うとロザリンド様は腑に落ちた表情を見せた。
「このお話が女性陣に打診された時、自分で志願したんです。ですからお気になさらず」
そう聞いて少し心が軽くなった。しかしなぜ志願してくれたんだろう。彼女とは面識はないはずだ。疑問に思っていると、ロザリンド様はそっと周囲をうかがうようなそぶりを見せた。いつの間にか見守っていた執事たちもいなくなり、もう一人の護衛も夏の日差しに耐えかねたのか、少し離れた日陰にいた。
彼女は声を落として言った。
「私は、カイルと同期なんです」
驚いて言葉もなく彼女を見つめると、ロザリンド様は微笑んで力強く頷いた。家族がまた裏で何かを画策しているんだろうかと不安にも思ったが、現金なもので兄の友人かと思うと急に親近感が湧いてくる。
「そうなんですか。兄もこのことを?」
そう聞くとロザリンド様は笑い出しながら答えた。
「えぇ。元々志願するつもりでいたんですが、彼はそれを知らなかったらしくて。『お前が行ってくれないなら、俺が女装してでも乗り込む』と脅されましたよ」
なんて無茶なことを言い出すのだろう。しかし悲しいかな、息巻くカイルが簡単に想像できて赤面してしまった。
「それはご迷惑を……。あの、カイルは軍で上手くやっていますか?」
「えぇ。飾らないというか、誰にでも分け隔てなく公平で、人望もありますよ」
褒めてはいるものの、少し言葉を選んでいるような気がした。
「そうですか。兄は、『いいやつ』なんですけど、無神経なところがあるから」
そう切り出すと、彼女のきりっとした雰囲気が少し緩んだ気がした。
「身内が言うのもおかしいけど、見た目だけは華やかでしょう? だけど中身はがさつだから、女の子には好かれても余計なこと言っては幻滅させてばっかりだったんですよ」
畳みかけるように言うと、彼女は陽気な笑い声を上げた。
「あぁ、それは今もあまり変わっていないかもしれません」
「やっぱり」
同じ話題で盛り上がったことが功を奏して、妙な距離感はいつの間にかなくなった。呼び捨てで構わないと言われたが、そういう訳にもいかず、友人から呼ばれるというあだ名のローズさんと呼ぶことで折り合いをつけた。
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