烏と狐

真夜中の抹茶ラテ

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第一章:薄暮の月白

1-4.紅き空に銀の羽

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 鐘の音が響いている。3枚の絵札が揃ったことを祝福する、鐘の音が。この国の全てに行き渡るように。貧民窟にも、王都にも。全てに平等に、どこまでも澄んだ鐘の音が、響いている。
 国は祝福に湧いていた。長く続いた暗闇の時代が、ようやく終わろうとしているのだから。

  王位の象徴であるたか
  勝利への翼のとんび
  太陽を呼ぶからす

 この国の、長く続いた夜が明ける……



------------

Fra poco sorgerà il sole.もうすぐ夜が明ける



 「……で、ここが図書室で、こっちが書庫。音楽ホールはここで、あ、ここは僕の部屋ね。祭典場はここで、謁見の間がここ。で、ここが君の部屋」
穏やかな光の降り注ぐ午後三時十五分。純白と黄金に飾られた美しい王宮の応接室で、JACK OF DIAMONDとQUEEN OF DIAMONDは向かい合って地図を睨んでいた。
 出会って僅か2週間程度の二人は、まだその間の溝を埋めれていないようだ。……気まずい。できれば絵札仕事仲間と言えど、顔を合わせたくはない。けれど、こんな調子では仕事がやりにくいと、KING直々のご命令で、今こうして二人は向き合っている。
 地図を指し示し、部屋の場所や用途だけを口頭で述べた桃髪のJACKマローネ・ニービオは、
「覚えた?」
と、どことなく刺々しい口調で尋ねる。一度の説明でで覚えろとでも言いたげだ。
 それに対して、どこまでも冷徹で無表情な仮面を貼り付けた銀髪のQUEENクローネ・アルギスは、
「えぇ、お陰様で。感謝申し上げます」
同じく刺々しい口調で返した。二人の溝が埋まるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
 そんな殺伐とした応接室に、コンコンコン、と三つノックが響いた。
「入っていいよ~」
JACKが表用の笑顔を貼り付けて、軽く許可を出すと、一人のメイドが入室し、綺麗なフォームで頭を下げる。
「失礼致します。QUEEN OF DIAMOND、JACK OF DIAMOND。KING OF DIAMONDがお呼びでございます」
「……」
「わかった、行くって伝えておいて?」
「かしこまりました。失礼致します」
手短に要件を伝えると、再度綺麗に頭を下げてメイドは部屋を出ていった。
 窓の外を吹きすさぶ冬風は、室内に一切漏れていないはずなのに、なぜか部屋の空気は凍りついている。
「……」
「……」
「……呼んでるってさ」
「……そのようですね」
二人の会話が弾むはずもなく……どちらがともなく席を立った。ただ上司君主からの呼び出しに応えるために。できることならば、相対する人物と共になど呼んで欲しくないのだけれど……。
 微妙な距離を保ったまま、部屋を出て廊下を歩く。その間、一度たりとも二人の視線が交わることはなかった。




 純白の鷹が刻まれた装飾美しい扉の一室。KINGの執務室の前にたどり着いたJACKは、ノックもせずにドアを押し開け、
「KING、呼んだ~?」
と、友達を訪ねるような軽さで先陣を切った。時と場に応じて、互いの呼び方を変えるのは、彼らの暗黙のルールだ。
「……失礼致します」
QUEENは軽く頭を下げてから後に続く。
 煌びやかな午後の光、冬空が見せる青の快晴を背に、純白の髪を輝かせるこの国の王者KING OF DIAMONDは庶務机に向かい合っていた。
「あぁ、急に呼び出してすまない。王宮内の案内中だったのだろう?」
数刻前、王宮の内部を知らないQUEENのために、JACKに案内を頼んだのは彼だ。その令に従っていたであろう最中の呼びつけとは、随分無粋なことをしてしまった。
 「えぇ。ご丁寧にも地図を示してくださいました」
JACKが返す隙を与えず頷いたQUEENは事実を述べる。そう、JACKは案内を任されていたはずだった。しかし、案内と称して彼がやったことと言えば、地図を渡し、部屋の名称を教えただけ……。実際に王宮内を歩いた訳では無い。
(……まあ、その方が効率的であることは否定致しませんが…………)
否定はしない。が、納得している訳でもない。これでは、結局自分で迷いながら、歩いて覚える他無い。
 「……ほう?」
その発言にKINGは片方の眉を上げ、首を傾げる。
「……JACK OF DIAMOND? 私は貴方に王宮のを頼んだはずだが」
「う、うん……」
「その案内という意味が、一体いつから説明に変わったのだ?」
「えっと……ほら、そっちの方が効率的じゃん? それに女の子に、こんな広い王宮中を歩かせるのは可哀想だよ!」
確かにそれは一理ある。やっとの思いで王宮へ連れ帰ったQUEEN OFN DIAMONDは、あまりにみすぼらしく、頼りない身なりをしていた。
 細い腕、血色の悪い皮膚。目の下には深い隈が刻まれており、伏し目がちな瞳も相まって、どことなく憂いたような表情を作っていた。その御髪も、珍しい色には目が引かれるが、実際にが酷くいたんでいる。
 そんな彼女に、長距離を歩かせるのは酷かもしれない。まあ、彼女は、カジノからカジノへ、王都から貧民窟へ、全て歩いて移動していたのだから、杞憂でしかないのだが……。
 それを知らないKINGは
「……ふむ。……まあ、その配慮には納得する。……今回は何も言わないが、仕事はあまりサボるなよ」
と、不真面目なJACKへのお咎めは無しになってしまった。
 「はぁい。で、用事って何?」
説教を免れてほっとしながら、本題へと先を促す。また面倒な仕事を押し付けられなければ良いのだけれど……。
「あぁ、そうだったな」
そこで一度言葉を切り、この国の君主は居住まいを正すと、真っ直ぐに新たな仕事仲間QUEENへ視線を向けた。
 「王宮へ来てまださほど経っていないわかっている。しかし、QUEENにはQUEENとしての職務がある。そして、我ら絵札には、絵札として学ばねばならない事がある。差し当って貴方に、QUEENとしての教育を受けていただきたい」
絵札は国を治めるために存在している。もちろん、その責任は重い。無知なる者が国を導けば、その先にあるのは破滅だけだ。故に、彼らは常に学を必要としていた。
 (……なんだ、そんなことでしたか…………)
まだろくに会話もしていない上司からの呼びつけに、多少なりとも緊張していた彼女は肩の力を抜く。そして、二枚のカードを机に置いた。
 そのカードに描かれていたのは、隣国♤王家の紋様と、それぞれ、JACK・QUEENの教育課程を終了したことを証明するという記述だ。♤王家が発行している認証状だ。
 「これは……」
「……」
KINGは驚いたように声を漏らし、一方でJACK僅かに目を細めた。
「……他国の物ではございますが、必要とされる教育は終了しております。再度♢での教育が必要なら、拒否は致しませんが……」
 まだ彼女が祖国へいた頃、なんの間違いか、あるいは運命か……偶然か、必然か、彼女は絵札としての教育を受ける機会に恵まれた。これはその時に発行された物だ。
 KINGは、認証状が偽物ではないことを確認するように、軽く目を通してから、
「いや、問題ない。むしろ、歴史ある♤の教育ならば、水準も♢より良いだろう。残念なことに、我々の使う資料の大半は、焼失してしまっているからな……」
手短に返答した。
 QUEENとして必要とされる知識は、主に外交と財政についてだ。どちらも一長一短で身につくような代物ではないし、他国のQUEENを渡り歩く話術や交渉術も必要となる。故に、既に必要な知識と技術を身につけているのなら、それに超したことはない。
 しかし、一方のJACKは、少しだけ不満そうな表情を浮かべていた。JACKの教育としては、国防や軍備の知識があれば良い。代わりに、純粋な戦闘能力が求められる役職だ。
 そして、武勇を重んじる剣の国で、JACKとしての教育を終えているということは……
(……彼女、もしかして実力者?)
その細い腕で、一体どうやって剣を振るうのだろう? この国で唯一JACKである彼は、疑念の目を向けた。
 そんな視線を気にせず、
「焼失……あぁ、642年の?」
引っかかった言葉、Verschwinden消失ではなく、niedergebrannt焼失と言われれば、その事件しか思いつかなかった。
「!」
「! はは、本当に博識なのだな。あぁ、そうだ」
驚いた。本当に。こればかりは、KINGもJACKも、変わりなかった。
 今から約60年前、当時は今以上にこの国は貧しく、不満を爆発させた過激派が王宮に火を放つ事件が起こった。この国の歴史について触れた者なら必ず目にしているだろう、この国の歴史に大きな傷を残した有名な事件だ。
 「その件については記憶に新しいですから。春の篝火かがりびにしては、随分派手で、随分陰鬱で、そして随分悲惨でしたけれど……」
被害者数も当時の状況も……まさに地獄絵図だった。
「……あぁ、だからJACKも共に呼んだのですか? 焼失前を知る人物であるから。……そうですよね、生き残りのJACK?」
不敵に赤い瞳が弧を描き、桃髪のJACKを見上げる。8cmの身長差など気にもならないほどに高圧的で、不気味な雰囲気を纏って。
 「……それ、どの歴史書に載ってたの」
低い声で威嚇する。どれだけ詳しく学ぼうと、知れるはずがない。
「いいえ、どこにも? けれど、あなたが着任したのはその事件の直後でしょう?」
今から60年も昔のことだ。どこからどう見ても、このJACKは20代にしか見えない。しかしその彼が、既に60年は生きているという事実を、彼女はまるで当然であるかのように語る。
「全焼した王宮を、たった一晩で甦らせるなど、秘宝王冠を用いなければ不可能です。しかし、あの当時、絵札はいなかった……。となれば答えは一つ。災禍の中で、あなたはJACKになったのでしょう?」
「……」
ただの推理のように語られる、ほとんど現実と差異の無い回答に、彼は押し黙るほか無かった。あまり、思い出したい事件ではない。
 ……悲鳴が飛び交い、火の海に飲まれ、人が死んでいく音がする。地獄、という言葉でなんて到底足りない。そんな中で、JACK OF DIAMONDは、誰一人、守ることが出来なかった。その災日に、JACKの証を与えられたと言うのに……。彼には、静まり返った焼け跡で、秘宝に願うことしかできなかった。
 「……」
「……すまない、彼にとってもあまり良い思い出ではないのだ。あまり言及しないでやってくれ」
普段饒舌な友人が、息もできないほど苦しそうに言葉を詰まらせている。その姿はあまりにも憐れで……見かねたKINGは助け舟を出した。
 「……おっと、これは失礼。配慮が足りませんでしたね」
同じく、火には良い思い出のない彼女は、素直に謝罪を述べた。険悪な仲だからと言って、わざわざトラウマを抉るほど、感性は廃れていない。
 「……まあ、貴方の考える通りだ。彼はQUEENの教育を受けていないが、それでも多少の理解はあるだろうと思って呼びつけた。貴方に教育の必要が無いのならば、この話はこれで終わりにしよう」
「お心遣い、痛み入ります」
 「……マローネも、すまなかったな。思い出すようなことをさせてしまって」
「……いいよ、ヴァイス。気にしないで」
「……」
寒い。芯から凍えそうなほど。何となく居心地の悪い執務室を、QUEENとJACKは別々に退室し、視線を交えることも、言葉をかけることも無く、逃げるようにその場を後にした。



***

Think rich, look poor.考えは豊かに、見た目は貧しく



 (……本当に、広いですね…………)
QUEEN OF DIAMONDは王宮を歩いていた。手にはJACKから受け取ったばかりの地図。部屋の用途は説明されたものの、結局は歩いて、見て覚えなければ意味が無い。歩くことは苦ではないが、油断すると迷子になりそうな点は問題だ。
 (……焼けた、なんて信じられません……)
それは、先程口にした事実だ。確かにこの城は焼け、そして蘇った。おそらく、他でもないJACK OF DIAMONDの手によって。

 この世界には四つのと呼ばれるものがある。
  世界の時を戻す♤の大時計。
  万病万傷を癒す♡の泉。
  死者を呼び戻す♧の大樹。
  そして、願いを叶える♢の王冠……。

 大きな対価を支払うことで、絵札だけが使用を許されている、最後の切り札だ。きっとあの日、彼は、焼けた王宮と……守れなかった民を前に、自らの命を差し出す覚悟で秘宝を用いたのだろう。
(……その覚悟は、賞賛に値します)
 コツリ、コツリと靴音が響く。すれ違う従者から目は冷たい。彼女の様相は、この国のQUEENには相応しくない。王宮へ連れてこられてからまだ一日。彼女自身も、そしてその周囲も、まだ新たなQUEENを受け入れるには、時間が足りていない。
 (……着任式は……明日、でしたか…………)
この、嫌悪の視線の中で、これから生きていかなくてはならない。自由気ままに貧民窟へ赴き、無意味な偽善を続けるだけの生活には、なんの責任も着いて回らなかったというのに……。
(……やはり、嫌いですよ。……王宮なんて)
考えているうちに、気がつけば、自分の部屋と示された場所へとやってきていた。
 (……考えるのは明日にしましょう。……何も知らず、何も考えぬ、ただ傀儡となれれば楽なのに)
渡されている鍵を開け、室内へ踏み込む。そして、全ての思考をドブへ捨てて、彼女はベッドへ身を投げた。



***



 明るい日差しの降り注ぐ窓辺。隙間風の漏れぬよう打ち付けられた窓枠からは、外の冷気など感じられない。そんな穏やかな午後の陽気に、桃色の髪の青年は、ただ何をするでもなく窓辺の椅子に腰を下ろして、ぼんやりと庭園を見下ろしていた。
 手入れの行き届いた庭園には、冬空の下でも緑が絶えず、降り注ぐ光の雨を全霊で浴びて、とても美しかった。……けれど、それに反して、彼の心は鉛のように、深く沈みこんだまま浮上していない。
 今もまだ、血肉の焦げる臭いが、鼻の奥へ張り付いているような錯覚がある……。思い出せば震えが止まらない。……自分は、きっと、弱いのだろう。
 ……60年も、あぁ、もう半世紀以上経った今でさえ、強く根付いている記憶なのだ。誰も助けられなかった。その重責は、20代にしか見えない青年一人で背負うには、あまりにも重すぎる。
 けれど、頼れる相手などいない。自分よりも若いKINGに言えば、無用な心配をかけてしまう。あのいけ好かないQUEENなど言語道断だし、その他の慕ってくれている部下だって、守るべき対象だから……。弱みを、見せてはいけない。それが、♢王宮の最古参のできる唯一だ。
 不意にドレッサーに目をやれば、桃色の髪に赤茶色の目、醜く情けない表情かおをした自分が、こちらを見つめていた。
(…………笑わなきゃ、なぁ……)
泣きそうな頬に手を当てて、無理矢理に口角を釣り上げる。もう60年、苦しみを隠して笑い続けてきた。とっくに慣れてしまったけれど……見れば見るほど醜い笑顔だ。
 誰か、頼れる人が欲しい。誰か、この悲痛を聞いて欲しい。……でも、きっとそれは許されない。
(……)
 そんな苦しみに苛まれる時、決まって一人、脳裏を掠める人物が居る。顔も名前も髪の色も……全て何も覚えていないけれど、その人が兄だということだけはわかる。苦しい時に、つい思い出してしまうその人は、きっと、強い人だったんだと思う。
 消えた記憶の向こうでは、血縁の兄すら思い出せないことに嘆きながら、意味もなく目を閉じ、現実から意識を手放した。



 ……目を開けば、気付かぬままに日差しは月光へと変わっていた。静かな冬空を、薄雲が月光を靡かせていく。
「……あれ、もう夜だ…………」
夕食は口にしていないのに、不思議とそこまで空腹でもなく、椅子に腰かけたままだったせいで肩や首がバキバキと音を立てる。
 (……今日の仕事、何もやってないや…………。またオジロに怒らえちゃうかな…………)
机の上に積まれた書類は、目を閉じる前と一寸足りとも変わっていないし、結局QUEENの案内もろくにしていない。……まあ、あんな生意気なQUEENに、案内したいとは微塵も思わないけど。
 部屋の空気は少し澱んでいる。そういえば、今日は一日換気していない気がする。少しだけ……と鍵を外して、外開きのフレンチ窓を空け放っと、冷たい空気がなだれ込んできた。
 「うわっ…………寒……」
咄嗟に手近なケープを手に取って、ぼんやりと空を見上げる。済んだ冬の夜空に浮かんだ月。いつ見ても、この国の夜空はとても美しい……。
 そんな風景に、ふと、
「…………歌?」
澄んだ音がした。時計を見るのも面倒くさいため、月光からの概算すると、今の時刻は凡そ午前1時か2時だろう。安眠を妨害しない、むしろ、心地良い眠りを誘っている誰かの声。
 しかし、こんな時間に一体誰が? こんな冬空の下で歌を歌っているだなんて、正気とは思えないけれど……彼はまるで歌に惹き付けられるように、そのまま部屋を出た。

 外は部屋から感じたものよりより一層の冷えた空気が張り詰めていた。もっと防寒してくれば良かったと後悔しながら、歩き慣れた庭園で音源を辿っていく。
 歌は近づけばいその歌詞が聞こえてくるけれど、使われている言葉は耳に馴染みがない。その歌詞の意味を読み解くのは、あまりにも難しい。
 (どこの歌だろう……? 公用語圏じゃなさそう……)
空へと響く澄んだ音。その音源にあったのは、月光を反射する噴水だ。その縁に腰をかけて歌声を紡ぐ人がいた。
 やがて静かなロングトーンを最後に、歌は終わりを迎えて、閉ざしていたその瞳が開かれる。歌声の主が言葉を発するより早く、
「……綺麗だね」
マローネの口から、純粋な感想が突いてでた。
 「……あなたに褒められるとは思いませんでした」
白い月光で銀の髪を煌めかせ、歌声の持ち主もまた純粋な感想を返した。この国の新たなQUEENはどうやら、新居でなかなか寝付けずに居たらしい。
 「隣、失礼しても?」
「えぇ、どうぞ」
一応、地位的には上司にあたるので、マローネは許可を取ってから隣に腰を下ろす。冷えきった石が太ももも裏に触れ、思わず身を強ばらせた。
 隣を見れば、QUEENは薄着のままだ。なぜそんな格好でここにいるのか、理解に苦しむが……このままにしておくのも良心が痛むので、マローネは引っ掛けてきたケープを、隣の人物の肩へとかける。
 「……夜中の見回りですか?」
寒かったのは事実なのか、彼女はかけられたケープの前を閉じ、かじかむ手を内側にねじ込んだ。
「違うよ? 目が覚めたら、誰かさんが歌ってたから来てみただけ」
「……正装のまま寝ていたんですか?」
 彼が纏っているのは茶色の軍服に似た、JACK OF DIAMONDの正装のままで、寝巻きに着替えた様子は無い。
「うたた寝してたら夜だったんだよね。君は? 随分寒そうだけど……」
一方の彼女は、借用されている薄着のままで、コートも何も身につけていない。明らかに、真冬に外に来る格好ではない。
「……眠れなかったので」
 「せめて厚着してくれば? 部屋にコートとか支給されてたでしょ」
「……何となく、ですかねぇ……。長くローブとシャツだけで生きてきましたから、我慢できない程でもありません。……寒いですが」
「やっぱり寒いんじゃん」
思わず苦笑いが漏れた。普通なら、間違いなく風邪をひいてしまうだろう。
 「……えーっと…………名前、んー…………アルギス? だっけ?」
無言は居心地が悪いので、とりあえず話題を探して口を開く。
「えぇ。ニービオさんとお呼びすれば良いでしょうか、JACK?」
「なんか……苗字で呼ばれ慣れてないから違和感が……。マローネでいいよ」
なぜ、嫌いな彼女に、今、案外普通に話ができているのか……些か疑問でしかない。けれどなぜだか、今なら、何も気負わずに話せるような気がした。美しい夜空の影響だろうか?
 「では、マローネさんと」
それは彼女も同じようだ。常に発されているどことなく刺々しい雰囲気は、今だけはなりを潜めている。
 「さっきの曲、どこの歌? 聞いたことない言葉だった」
言語が、歌詞が、一片たりとも理解できなかったとしても、純粋に美しい歌だった。それは彼女の歌が上手いという単純な理由ではなくて、きっとその言語も美しいからだ。
 「故郷の歌ですよ」
「♤の?」
「えぇ。公用語圏ではなかったのですがね……。今では名を知っている者の方が少ないかもしれません」
「ふぅん……♤のことは詳しくないからなぁ……」
♤の南西に位置した小さな部落。おそらく、名を言っても伝わらないだろう。
「マローネさんはどこの出身なのですか? 私の聞き間違いならば申し訳ないのですが……なんだか少し、あなたの言葉は訛っているように感じます」
ずっと引っかかっていたことを口にしてみる。こういう機会でもなければ、おそらくまともに会話しないだろうから。
 「……」
「……あの?」
しかし、ここまですんなりと運んできた会話が、唐突に止まる。噴水の音がやけに煩く響いている。
 夜のせいか、歌のせいか、ただの同僚のように話せていたと感じたのは、やはりただの気のせいだったか……。まあ、当たり前か。二週間の最悪の印象は、数分で拭い去れるほど甘くはない。
 返って来ない答えを見かね、彼女がため息混じりに立ち上がろうとした時、
「……誰にも言わない?」
俯いて、絞り出すような低い声で、彼は回答する意思を示した。その声は、どことなく、日中に見た、似た苦しそうな様子に似ている気がした。
「……えぇ。言いませんよ」
彼女は二つ返事で頷いて、催促するでもなく、静かに答えを待つ。
 揺らめく雲が流れていって、噴水の跳ねた水で僅かに背が濡れ始めるころ、ようやく重い口を開いて、一言。

「わかんないんだ」

彼は回答した。たった一言。しかし、それが全てだ。
 「わからない……と言うと、詳細な地域が、という意味ですか?」
♢はいくつもの少数民族によって構成されている。その境は曖昧で、名もない地域も無数にある。故に、詳細に分からないというのは別に珍しいことでもないが……。
「……違う。…………多分この国じゃないってことしか、わかんない……」
「それは……」
咄嗟に自分の手で口を止める。零れかけた言葉、記憶喪失なのでは? と、言ってしまわないように……。
 自分の生まれた地域が分からない、そんなことが本当にあるのだろうか……。大まかな位置さえもわからないとなると、移動民族というわけでも無さそうだ。
 「…………気がついたらここ♢の王宮にいて、言葉はその時に教えてもらった。……訛ってるのは…………多分、元々の言語が、♢の言葉じゃないからだと思う」
「……」
驚いた。……本当に、彼は……覚えていないのか。
 ……思えば、JACK OF DIAMONDの出身地域についての言及は目にしたことがない。それは、厳重に秘匿していたという訳ではなく……本当に、分からなかったからなのか。
 「……言わないで。誰にも。……一番長くこの城にいるくせに身元不明だなんて……気持ち悪いでしょ?」
僅かに目を細めて笑った彼の表情は、今にも消えてしまいそうな程に儚くて……軽い言葉程度では、きっと、到底足りない。
 「…………ところで、君はなんで外に? 眠れなかったからって、わざわざ来なくても……」
気まずい空気を嫌うように、彼から話題転換を持ちかける。
「気晴らしですよ。歌でも歌うのが一番気が晴れる気がしたので……」
「……緊張してる?」
「……。……えぇ。不本意ながら」
正直に肯定した彼女の声は、弱々しくて、頼りなくて……。QUEENなど務まらなさそうに、震えていた。
 ……明日。気持ちの準備を整える間もなく、その生活に慣れるよりの早く、地位と責任を押し付けられる……。緊張しないほど、彼女は人間離れしていない。
 「……まあ、大丈夫だよ。大したことしないから」
気持ちは分かる。自分も昔はそうだったから……。彼女の姿に、過去の自分を重ね、僅かに目を細める。
「……えぇ。……わかっては、いるのですよ…………」
はぁ……と細いため息を吐き、彼女は立ち上がる。
 「もう夜も遅いですし、お先に失礼しますね。あなたも体が冷えないうちに」
これ以上弱い面は見せまいと冷たく呟いて、かけられたケープをJACKへかけ返す。
 「……うん、Buona notteおやすみ
「はい、Καληνυχταおやすみなさい
あの冷酷さしかないと思っていた彼女から、あるいは人間味のないと思っていた彼から、こうも弱い面を見つけてしまうだなんて……。
 彼らの溝はまだ埋まらない。けれど、またこうして話すだけなら……許しても良いかもしれない。



***

The die is cast.賽は投げられた



 良く晴れた朝。高く昇った太陽が、祝福の日を祝うように、冬の快晴を映し出す。今日、日の出を迎えるこの国には、とてもよく似合っている。
 「……緊張してる?」
昨夜の密会から僅か5時間余り。結局眠れなかったのだろうQUEENは、目の下の隈を隠すために暖かな濡れタオルを目元に当てていた。その様子を眺めるJACKは、哀れだと首を傾げる。
 「……えぇ。……今日を越えれば、もう後戻りはできませんから」
「戻るところなんて、最初からないでしょ」
5時間前とは打って変わって、やはりどこか殺伐とした雰囲気で言葉を交わす。あと数刻で、着任式が始まる。
 「ありません。戻るつもりもございません。……けれど、人生で一度の大舞台なのですよ。緊張くらいしますとも」
「まあ、気持ちはわかるけどね? 僕の時は大変だったし……」
「……あぁ、例の事件の直後でしたか」
「うん。だから、なんかこう……国民にね? 絵札っぽいこと言わなきゃでさ」
苦笑いが浮かぶ。もしも今、当時の言葉が残っていれば、確実に黒歴史だった。あぁいうクサいセリフは嫌いなんだ。
 「気負わずとも、ただ歩いて行って、バッチを受け取るだけ。もしかして君、そんなこともできないの?」
今度は対照的に、口角を釣りあげて挑発的に笑う。
「まさか。ご冗談を」
彼女もまた、冷たい笑みを返す。今は、これで良い。
 しかし、ふと、

「……似合ってるよ」

ぽつり、呟かれた言葉に邪の気は無く、ただ純粋な感想だった。
 「あ、僕そろそろ行かなきゃだから。時間になったら君も移動しなよ。場所わかってるよね?」
「……はい。問題ありません」
「Si、じゃあ後で」
そして、とたとたと足音を響かせてJACKが去っていった後……彼女は一人、目の前の鏡の中の自分と相対する。
 隈が消えても血色の悪い肌。昨日の今日では髪質もバサバサで、長く伸びきったまつ毛は陰鬱な印象しかない。身に纏う衣服も、酷く目立つ髪色も……どれをとってもきっと良くは映らないだろう。
(……似合っている、ですか…………。……ならば、少しだけ。……せめて似合って見えるように、務めるとしましょう)
左右反転した自分自身に笑いかけ、彼女もまた席を立った。                              



 鐘の音が、響いている。祝福を詠う、鐘の音が。遠く、遠く、響いている。
 この国の全てに行き渡るように。貧民窟にも、王都にも、いつかどこかのボロ家にも。全てに平等に、どこまでも澄んだ鐘の音が。
 国民は祝福に湧いていた。長く続いた暗闇の時代が、今、ようやく終わろうとしているのだから。来る祭日のために……。



 純白と黄金が彩る♢の王宮でも、それは変わらない。六枚のステンドガラスが光を映す祭典場。その日は多くの従者が参列し、赤いカーペットの引かれている。
 時計の針が正午を示し、響いていた鐘の音がよりいっそう強くこだまして、徐々に消えゆく残響に、華やかな楽器の音色が重なる。装飾の鳥たちが飛び交う大扉が、厳かに開かれ、その場にいる国民全員の瞳が、この国の王者へと降り注ぐ。
 光にも負けない純白の髪、白銀の瞳。光の化身と見紛う美しきKINGが前に進み出て、その後を、桃色の髪の茶色い軍服を身にまとったJACKが続く。
 彼らの帽子と胸元には、それぞれKINGとJACKのバッチが輝いている。JACKの携えた、身の丈以上の……それこそ2mを超えそうな槍には、宝石と同じ深紅のリボンが結ばれており、その足取りに合わせて空を踊っていた。
 KINGが王座へ腰を下ろし、その斜め後ろにJACKが控えれば、華やかなファンファーレはやがて落ち着きを見せ、広い祭典場は静寂に呑まれる。埃が地に落ちる音さえ、隣人の息遣いさえ煩く聞こえるほどの静寂……。その中で、KINGが口を開く。
「今日という日を、皆と共に祝えることに心から感謝する。待ちに待った、我らが日の出の時だ。今、その新しきQUEENを迎えようではないか」
音がこだまし、一度閉ざされた大扉が再度開かれる。
 コツリ、コツリ……。静かな足音が響く。息遣いさえ感じない白磁器のような白い肌。黒を基調とした軍服、黒い革手袋、黒い帽子。上から下までカラスの羽のような黒一色に反して、揺れる短い髪は一糸違わぬ銀色。長い銀のまつ毛の間からは、宝石のように見事な赤い眼が覗いている。
 純白と黄金の国に招かれたのは、漆黒と白銀の異色のQUEEN……。その姿を目に、僅かにざわめいた会場は、KINGの真っ直ぐな視線によってすぐに静寂へと戻った。

 やがて、QUEENはKINGの前へと膝を着く。全ての動作に至るまで洗練されていて人間味がない。美しい造形も相まって、まるで人形のようだ。
「これからよろしく頼む。QUEEN OF DIAMOND」
KINGが王座を下り、深紅の♢の宝石と黄金のQの印、黒い羽飾りが合わせられたバッチをQUEENへ与える。彼らの身につけるバッチは、ただの装飾にあらず、彼らの地位を保証する、いわば王冠だ。

 やがて彼女は顔を上げ、ただ静かに。しかし、どこまでも凛と強く響くように……
「こちらこそ、よろしくお願い致します。KING OF DIAMOND」




 光が舞う。六枚のステンドガラスから降り注ぐ光が。白く、白く。遠く、清い鐘の音が響いている。全ては祝福だ。この国の日の出を祝うための。三枚の翼、鳥の名を冠する三枚の絵札が、今、揃ったのだ。
 神々しささえも感じるその空間で、KINGは高らかに告げる。
「皆の者、今日、我ら♢は日の出を迎える。長く苦しむ時代は終わった。これより先に広がるのは、光の満ちる未来だ。我らは鳥の民。その翼をもって、新たな国を築いていこうではないか!」
その声に応じるように、割れんばかりの拍手と歓声が上がる。
 光と威厳を称えるKINGが示す未来は、どこまでも真っ直ぐだ。人間は無意識に光を求める。光に群がる羽虫のように、盲目的にその後をついて行ってしまう。
 そんな様子を眺め、彼女は思う。あぁ、彼は清く、穢れを知らぬ白なのだと。そして、
(その盲目的な導きは、希望であり、同時に、強い光は濃い闇を生む……。……ならば、私が影となり、闇を統べましょう。この国がいつまでも光へ向かえるように……。その暗闇は、私が責任をもって担いましょう)
強く誓う。歪んだ忠誠を。眩しいほどに真っ黒な、盲信を。



***

Chi trova un amico trova un tesoro.友に巡り会えた人は、宝を手に入れたのと同じだ



 石畳を踵で蹴って、活気溢れる大通りを右へ。現在地・王都、現在時刻・午後2時15分。賛美歌と鐘の音の鳴り止まない♢の国を、目部下に被った帽子の下で、笑顔を作って、どこへともなく歩いていく。
 着任式は終わった。本当は、今日からでも公務に取り掛からなければいけないのだが……彼女はKINGに無理を言って、一時間だけ休憩時間を貰った。もう一度、王都を見に行きたいと。今度は偏見無く。
 存外彼らはすんなりと許可を出し、彼女はこうして王都を歩いている。ローブの代わりに新しく買った私服と帽子。自分のためにお金を使うだなんて贅沢だと思っていたけれど……今日ぐらいは許されるだろう。
 王都は普段以上に活気に湧いていて、市場でなくとも出店が立っている。この国の日の出を、皆祝福しているようだ。本当にありがたい……。
 胸中で微笑んで、今度は通りを左へ曲がる。……すると、なんだか騒がしい声が耳を突いてしまった。
(こんな日くらい、喧嘩など忘れてしまえば良いものを……)
少しだけ残念に思うけれど……治安維持も絵札の仕事の一つだ。渋々、この面倒くさそうな言い争いに首を突っ込むことを決め、足早に音源を探す。

 現場は薄暗い路地裏で、数m程度でまるで世界が変わったかのように、周囲は一気に暗くなる。そういうところでは、面倒な事件がよく起きる。
 そして残念ながら、彼女のその経験則は当たってしまったようで、発見してしまったのは揉め事ではなく、絶賛乱闘中の姿だった。
 一定の距離を置いて素早く様子を観察する。複数人に囲まれた、災禍の人物が一人……。集団リンチか……? いや、違う。
 一人が集団を相手にしている点では変わりないが、優勢なのは一人の方だ。死人はまだ出ていないようだが……放っておけば人命に関わる恐れがある。
 確かに治安維持は仕事のうちだが、こういう暴力事件はJACKの領分だ。……まあ、そのJACKがいないのならば、彼女がやる他ないのだが。
 「……それ以上はお控え願います」
口出ししない方が良いのは間違いない。しかし、目の前で国民を見殺しにできるほど、彼女は歪んでいない。
 例えJACKとしての教育を終了していても、男とまともにやり合えるとは思っていない。JACK OF DIAMONDを刺せたのも、一重に彼が油断していたから。本当に警戒されていれば、そもそも手も足も出なかったはずだ。
 故に……彼女の手には拳銃が握られており、その銃口は真っ直ぐに乱闘の最中に立つ一人の青年へ向けられている。
「あ? お前もこいつらの仲間か?」



「いいえ、偶然通り掛かっただけです」
安全装置は外れ、ハンマーの上がりきったオートマチック。青年との距離、約10m……。青年へ着弾までにかかる時間は概算0.04秒程度だ。人間の動体視力の限界は0.02秒だと聞く。……この状況で弾丸を回避できるような超人相手ならば、もはや打つ手はない。
 「……一先ず、この場を離れませんか? この状況を見つかると、私まで巻き込まれそうなので」
故に、自身の身の安全を第一に考える。周囲に倒れ伏せた集団は、意識を失ってようだが……命に別状はなさそうだ。……意識が戻れば、自力で病院へ行くなり、応急処置するなりできるだろう。
 「……ッチ、si」
渋々、あるいは面倒くさそうに、青年は了承を返す。青年はのびている男の1人から、財布を抜き取ってから路地を抜ける。
 「……強奪ですか? 感心できませんね」
「違ぇ、スられたから取り返しただけだ」
「……そこまでします?」
「旅費全部入ってんだよ、盗られたら帰れねぇだろ」
「……なるほど」
どこまで本当かは疑わしいが、とりあえずは正当防衛だったということにしよう。休憩時間に城下から面倒な案件を持ち帰ったとなれば、桃髪のJACKはきっと面倒なくらいの文句をぶつけてくるから。

 大通りに戻れば、眩しいほどの光と活気が渦巻いていて、先程見た路地裏など夢だったとさえ思えてしまう。王宮と貧民窟、大通りと裏路地……この国の光と影は、常に隣り合わせだ。
 「……つか、んで今日はこんなに煩ぇんだ」
こんなに人が歩いていなければ、財布をスられるというそもそもの問題にもならなかった。
 「今日は祭日なのですよ」
自分のための……とは口が裂けても言えないが。わざわざ、自分が絵札であると言いふらすような馬鹿はしない。言いふらすだなんて、自ら危険に飛び込むのと同義だ。
「祭日? ……着任式か?」
「はい」
彼の言葉はかなり強く訛っている。先程という単語も出ていたし、おそらく♢の民では無いのだろう。ならば、昨日の今日で開かれた着任式のことなど、知らなくても当然だ。
 「今日は観光か何かで?」
「……まぁ……観光っつぅか…………人探しっつぅか……」
「……人探し?」
連れがいたのだろうか……。これだけ街が賑わっていれば、はぐれてしまっても仕方がない。
 「……これも何かのご縁でしょう、協力致しましょうか?」
「……いや、いい。別に、見つけたいわけじゃねぇから」
「それは……一体どう言う…………」
なんとも不思議な断り方をされて、腑に落ちず首を傾げる。見つけたくないのに探している? 人の行動は矛盾すると言うが……ここまで矛盾したことを聞くのは初めてだ。
 「まあ……気にするな」
「は、はい……」
気にするなと言われても気になるのが人の性。けれど、好奇心はなんとやら。
 話題を探して周囲を見渡すと、時計が目に入る。王宮を出発してから凡そ50分だ。
「……おや、もうそんなに経っていましたか」
「?」
隣で首を傾げる青年に、
「すみません、そろそろ時間ですので……。暴力沙汰は控えてくださいね?」
と言い残して、足早に帰路へ向かう。
 ……が、
「…………おい」
背後から不機嫌そうな声に呼び止められて、半ば面倒くさいとは思いつつも振り返る。
「はい、なんでしょうか」
傍から見れば、これ以上関わるのが面倒になって逃げたように見えたかもしれない。それが気に触ったのだろうか……。警戒半分で、続く言葉を待つ。
 「……また会えるか」
しかし、彼の口を突いて出たのは意外な言葉で、ただ純粋な好意だった。考えすぎだった自分と、なんだか居心地の悪そうな青年が妙に面白くて、
「ふふっ」
「……笑ってんじゃねぇよ」
「すみません」
つい笑みがこぼれてしまう。こ
 「はい、機会があれば。またこちらを訪れてくださるのならば、ですが……」
王宮に拠点が移された今、頻繁にでは無いが、王都は膝元。いつでもとは言えないけれど、それでも運が良ければまた会えるだろう。
「……そうか。……引き止めて悪かったな」
「いえ、お気になさらず」
青年も頻繁にこの国を訪れるわけではない。短く、しかし返答に満足したように頷き、それを確認して彼女も踵を返した。
 ……が、今度は彼女から振り返って、ふと、
「あぁ、そうでした。またお会いするおつもりなら、名前をお聞きしても?」
そう声をかけた。つい2週間前にJACKと出会った時は、名前も教えなかったと言うのに……それと比べれば随分と気前が良い。
 「……オルカ・ロッソ」
「……ふむ…………。Orca Rosso紅の鯱、ですか……」
おそらく偽名だろう……。そう気がついてしまうっても、わざわざ気分を害すような発言をするつもりは無い。
「……ロッソがファーストネームだ。そっちで呼びやがれ」
「ではロッソさんと……。私はアルギス。クローネ・アルギスと申します」
「ん」
互いに偽名を交換したところで、呼び名としての意味しかない。とはいえ、青年は彼女が偽名を名乗ったことに気づく様子はなかったけど……。
 「……じゃあな」
「はい、失礼します」
ぺこりと丁寧に頭を下げて、今度こそ彼女は立ち去った。駆け抜ける大通りは変わらず祭日に湧いているけれど、冬風はいつもと変わらず冷たいままだ。
 しかし、警戒心の強い彼女には不思議なことに、
(……ふふ、素敵な赤髪でしたねぇ…………。またお会い出来るでしょうか……)
なんだか友人ができたような、不思議な高揚感に満たされていた。彼女がこの感情の正体に気がつくには、まだしばらくの時間を要しそうだ。




【2-1.紅き空に銀の羽】
------------

ー登場人物ー (トランプ史700年現在)

名前:ーー
偽名:クローネ・アルギス
役職:QUEEN OF DIAMND
能力:ーー
外見:銀髪、赤眼
出身:♤
性別:女
象徴:烏 / 銀
備考:彼女の歌は、周囲の者をおびき寄せる


名前:トワ?
偽名:マローネ・ニービオ
役職:JACK OF DIAMOND
能力:ーー
外見:桃髪、赤茶色の目
出身:不明
性別:男
象徴:茶 / 鳶
備考:過去の記憶が無い


名前:オジロ?
仮名:ヴァイス・ファルケ
役職:KING OF DIAMOND
能力:ーー
外見:白髪、銀眼
出身:ーー
性別:男
象徴:白 / 鷹
備考:生真面目


名前:ーー
偽名:オルカ・ロッソ
外見:赤髪
性別:男
象徴:赤 / 鯱
備考:喧嘩っぱやい?

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