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空いた席に並んで座る。公園のベンチに座っていたときよりも距離が近い。肩が触れそうで触れない、何となくくすぐったいような心地いい感覚のままずっと座っていたかったのに、一つ目の駅を過ぎるとすぐに小田君は席を立った。
「ここ、どうぞ」
妊婦さんに声をかけたのだった。妊婦さんは、「すみません。ありがとう」と言ってわたしの隣に腰を下ろした。そんなことが咄嗟にできるなんてすごい。わたしは妊婦さんが近づいて来ていたことさえ気が付いていなかった。まだよく知りもしない小田君といきなりこんな風に出かけることになって、気持ちが浮ついていたのかもしれない。けれどもし気づいていたとしても、ちゃんと声をかけられたかどうかは自信がない。
しばらくして目的の駅で降りると小田君は言った。
「ちょっと歩くけど大丈夫?」
「ちょっとってどれくらい?」
「んー……まあ、大丈夫でしょ。行こう」
長い距離を歩くとしても、不思議と嫌じゃない。
「この辺詳しいの?」
「昔住んでたんだ。小学校の四年まで。川口さんは、来たことある?」
「海水浴場あるよね? もうちょっと行ったところに。あそこには子供の頃何度か連れて来てもらった。でもいつも車だったから電車で来たのは初めて」
「そう言えば俺さあ、そこの海水浴場で溺れかけたことあるんだよね。ガキの頃」
「そうなの!?」
他愛のない会話を重ねるうち、だんだんと普段の自分らしく話せるようになっていった。小田君はどう思っているかわからなかったけれど、わたしは話していて楽しかった。
「川口さん部活は?」
本当は「藍子でいいよ」と軽い感じで言いたいのに、言えない。
「今はやってない。中学の頃はバスケ部だったけど」
「バスケやってたの? じゃあ大丈夫だな。こっから近道するよ」
小田君はそう言うと、高台へと続く長い階段を一段飛ばしで駆け上がり始めた。
「えっ。ちょっと待ってよ!」
慌てて追いかけたものの、すぐに息を切らして足を止めてしまった。
「ほら早く早く」
上の方で小田君がわざとらしくと急かす。
「無理だって。ついて行けるわけないじゃない」
小田君はわたしのいる所まで下りて来てくれ、それからはゆっくりと、わたしのペースに合わせて一緒に上ってくれた。
「もうすぐだよ」
階段を上りつめた先は、高台の住宅地へと続く道路だった。下からぐるっと回って続いている道を、階段でショートカットした格好だ。
「ほら見て」
振り向くと、眼下に広がる街や、その向こうの海までも見渡せた。
「俺、ここからの眺めが大好きだったんだ」
「わかる。気持ちいいね」
「ここから景色見てると、飛べるんじゃないかって気になったりしてさ」
「そうできたら最高だね。階段登らなくていいし。絶対明日筋肉痛だよ」
「弱っちいな」
十月の風が、火照った頬をやさしく撫でる。
「せっかくだから、もうちょっと行ってみる?」
小田君は言った。
今度はどこに連れて行ってくれるんだろう。なだらかな上り坂をさらに登って行く。
しばらく歩いて、和風の立派な門をくぐった。
お寺?
門の中には広々とした境内が広がっていた。
「ここで小さい頃よく遊んでた」
「ここで?」
「隣にこのお寺がやってる幼稚園があるんだけど、俺そこに通っててさ。小学生になってからも、ここの境内によく遊びに来てたんだ。あっ、先生!」
視線の先に現れたのは年配のお坊さんだった。お坊さんは一拍遅れて誰だか気づいたようだった。
「翔太君かあ。久しぶりだね」
小田君は「幼稚園の園長先生なんだ。俺が通ってたときからの」と教えてくれた。
「こんにちは」と言いながら近づいて行く彼のあとを、わたしもついて行った。
園長先生はわたしにもニコニコと会釈をしてくれた。
「背が伸びたね。なんだか逞しくなって一瞬誰だかわからなかったよ。今日はガールフレンドと一緒か。羨ましいね」
聞き流したのか、小田君は否定しなかった。
「前に訪ねて来たのは……もう一年以上前だよね?」
「はい。中三のときです」
「だったよねえ。進路に悩んでいたんだったな。それで、結局十和崎に行ったんだったね?」
「はい」
「じゃあ今もサッカーを頑張ってるんだ?」
「まあ」
「そうかそうか。でもサッカーだけじゃなくて勉強も頑張らなくちゃダメだぞ」
小田君はごまかすようにへらっと笑った。
「せっかく来たんだから、中でお茶でも飲んで行きなさい」
「あ、いえ、今日は」
「何か愚痴を言いに来たんじゃないのかい」
園長先生はからかうように言って笑っている。
「今日はやめときます」
「まあガールフレンドの前だからね。弱音を吐いて、あんまりかっこ悪いところも見せられないか」
小田君はまた少し笑った。やっぱり「ガールフレンド」を否定はしなかった。わざわざ説明するのが面倒くさいのだろうが、悪い気はしなかった。もしかしたら、わざと否定しなかったんじゃないかなんて思ったりもしていた。
「ここ、どうぞ」
妊婦さんに声をかけたのだった。妊婦さんは、「すみません。ありがとう」と言ってわたしの隣に腰を下ろした。そんなことが咄嗟にできるなんてすごい。わたしは妊婦さんが近づいて来ていたことさえ気が付いていなかった。まだよく知りもしない小田君といきなりこんな風に出かけることになって、気持ちが浮ついていたのかもしれない。けれどもし気づいていたとしても、ちゃんと声をかけられたかどうかは自信がない。
しばらくして目的の駅で降りると小田君は言った。
「ちょっと歩くけど大丈夫?」
「ちょっとってどれくらい?」
「んー……まあ、大丈夫でしょ。行こう」
長い距離を歩くとしても、不思議と嫌じゃない。
「この辺詳しいの?」
「昔住んでたんだ。小学校の四年まで。川口さんは、来たことある?」
「海水浴場あるよね? もうちょっと行ったところに。あそこには子供の頃何度か連れて来てもらった。でもいつも車だったから電車で来たのは初めて」
「そう言えば俺さあ、そこの海水浴場で溺れかけたことあるんだよね。ガキの頃」
「そうなの!?」
他愛のない会話を重ねるうち、だんだんと普段の自分らしく話せるようになっていった。小田君はどう思っているかわからなかったけれど、わたしは話していて楽しかった。
「川口さん部活は?」
本当は「藍子でいいよ」と軽い感じで言いたいのに、言えない。
「今はやってない。中学の頃はバスケ部だったけど」
「バスケやってたの? じゃあ大丈夫だな。こっから近道するよ」
小田君はそう言うと、高台へと続く長い階段を一段飛ばしで駆け上がり始めた。
「えっ。ちょっと待ってよ!」
慌てて追いかけたものの、すぐに息を切らして足を止めてしまった。
「ほら早く早く」
上の方で小田君がわざとらしくと急かす。
「無理だって。ついて行けるわけないじゃない」
小田君はわたしのいる所まで下りて来てくれ、それからはゆっくりと、わたしのペースに合わせて一緒に上ってくれた。
「もうすぐだよ」
階段を上りつめた先は、高台の住宅地へと続く道路だった。下からぐるっと回って続いている道を、階段でショートカットした格好だ。
「ほら見て」
振り向くと、眼下に広がる街や、その向こうの海までも見渡せた。
「俺、ここからの眺めが大好きだったんだ」
「わかる。気持ちいいね」
「ここから景色見てると、飛べるんじゃないかって気になったりしてさ」
「そうできたら最高だね。階段登らなくていいし。絶対明日筋肉痛だよ」
「弱っちいな」
十月の風が、火照った頬をやさしく撫でる。
「せっかくだから、もうちょっと行ってみる?」
小田君は言った。
今度はどこに連れて行ってくれるんだろう。なだらかな上り坂をさらに登って行く。
しばらく歩いて、和風の立派な門をくぐった。
お寺?
門の中には広々とした境内が広がっていた。
「ここで小さい頃よく遊んでた」
「ここで?」
「隣にこのお寺がやってる幼稚園があるんだけど、俺そこに通っててさ。小学生になってからも、ここの境内によく遊びに来てたんだ。あっ、先生!」
視線の先に現れたのは年配のお坊さんだった。お坊さんは一拍遅れて誰だか気づいたようだった。
「翔太君かあ。久しぶりだね」
小田君は「幼稚園の園長先生なんだ。俺が通ってたときからの」と教えてくれた。
「こんにちは」と言いながら近づいて行く彼のあとを、わたしもついて行った。
園長先生はわたしにもニコニコと会釈をしてくれた。
「背が伸びたね。なんだか逞しくなって一瞬誰だかわからなかったよ。今日はガールフレンドと一緒か。羨ましいね」
聞き流したのか、小田君は否定しなかった。
「前に訪ねて来たのは……もう一年以上前だよね?」
「はい。中三のときです」
「だったよねえ。進路に悩んでいたんだったな。それで、結局十和崎に行ったんだったね?」
「はい」
「じゃあ今もサッカーを頑張ってるんだ?」
「まあ」
「そうかそうか。でもサッカーだけじゃなくて勉強も頑張らなくちゃダメだぞ」
小田君はごまかすようにへらっと笑った。
「せっかく来たんだから、中でお茶でも飲んで行きなさい」
「あ、いえ、今日は」
「何か愚痴を言いに来たんじゃないのかい」
園長先生はからかうように言って笑っている。
「今日はやめときます」
「まあガールフレンドの前だからね。弱音を吐いて、あんまりかっこ悪いところも見せられないか」
小田君はまた少し笑った。やっぱり「ガールフレンド」を否定はしなかった。わざわざ説明するのが面倒くさいのだろうが、悪い気はしなかった。もしかしたら、わざと否定しなかったんじゃないかなんて思ったりもしていた。
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