弟がいた時間(きせつ)

川本明青

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1 運命の(?)再会

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ベンチから動く気になれずボーっとしているところへ、三歳か四歳くらいの男の子が駆け寄って来た。

すぐ前まで来ると、奈留の傍の花束を指さした。

「おはな、きれいだねぇ」

「すみません」と言いながら追いかけて来たのはお祖母ちゃんだろうか。

「お花好きなの?」

 奈瑠は聞いた。男の子は「うん」と元気にうなずいた。

「男の子なのに、ヒーローなんかよりお花が大好きなんです」

 そう言ってお祖母ちゃんは目尻を下げた。

「じゃあこのお花あげよっか?」

「ほんとに!?」

 目を輝かせた男の子にお祖母ちゃんは言った。

「ダメよ。これはおばちゃんのでしょ」

「いいんです」

 奈瑠が花束を抱え「どうぞ」と差し出すと、男の子は抱き着くようにして受け取り、こっちがうれしくなるほどの笑顔を見せた。

「えっ、全部ですか!?」

 くれると言っても花束の中の一、二本だと思っていたのか、お祖母ちゃんは目を丸くした。

「いいんです。実は困ってたんです。こんな大きな花束が入る花瓶うちにはないし」

「でも……」

「本当に。貰っていただけたら却って助かります」

「でしたら何かお返しを……」

「いえ、そういったことは。こんなに喜んでくれて、お花もきっとうれしいと思います」

 お祖母ちゃんは何度も申し訳なさそうに頭を下げながら、体の半分以上もありそうな花束を抱えた男の子と一緒に去って行った。

捨てようと思っていたのでちょうどよかった。花に罪はないけれど、見ていろいろと思い出すのが嫌だったのだ。

それにしても、“おばちゃんのでしょ”か……。まあ、あの男の子からすればそうに違いないけれど。


一つため息を吐いて、ようやくベンチから腰を上げた。とそのとき、すぐ近くで携帯の着信音が鳴りだした。

今座っていたベンチの上で、見知らぬスマートホンのディスプレイが電話の着信を知らせている。花束の下敷きになっていたのか全く気が付かなかった。

突っ立ったまま、なかなか鳴り止まない電話を眺める。誰かが置き忘れて行ったのだろうが、辺りを見回しても探している様子の人はいない。

もう一度視線を戻した瞬間、音は途絶えた。なんだかやっかいなものに遭遇してしまった気がした。置き忘れた人はさぞや困っているだろう。今の電話も、もしかしたら持ち主からだったのかもしれない。

とは言え自分には関係のないことだ。今は知らない人のことを心配してあげられる気持ちの余裕はない。このままここに置いておけば、そのうち持ち主が捜しにやって来るか、誰か親切な人が交番に届けるかするだろう。

奈瑠はスマホに触れることもなく、その場を後にした。




 ガラスのドア越しに中を覗くと、年配の警察官が一人、カウンターの奥の机で何か書類を見ている。他に来客はない。奈瑠は少し緊張しながらドアを押した。

「こんにちは。どういったご用でしょうか?」

 そう言って立ち上がった警察官に、スマホを軽く掲げて見せる。

「これを、この近くの公園のベンチで拾ったんですけど」

 やっぱり変な人に拾われでもしたら大変と、結局置き去りにできずに届けに来たのだった。警察官はカウンターのところへ来てスマホを受け取った。

「ほう。iPhoneの一番新しいやつですね。わたしもちょうど買うかどうか迷っているところなんですよ」

 警察官は穏やかに笑った。機種のことはよくわからないけれど、定年前ぐらいと思われる年配の警察官の口からそんな言葉が出てくるのは意外な感じだった。

「まあそれはどうでもいいとして、それではですね、ほんのちょっとお時間をいただいてもよろしいですか。書類を作らないといけないもので。いくつかお聞きしますけど、すぐ済みますから。ごめんなさいね」

 書類とか面倒くさいなと思いながらも、人の良さそうな警察官の言うとおりに自分の名前と連絡先を告げ、拾った場所や時間など、聞かれた質問に答えた。

「さてと。一応説明をしておきますと、こういった個人情報が入ったものはですね、もし最終的に落とし主が現れなくても、拾った人のものにはならないって法律で決められているんです。まあ携帯電話はすぐに持ち主が見つかるでしょうからお返しできると思いますけども、その際にですね、沢井さんのお名前や連絡先を、持ち主さんにお伝えしてもよろしいですか? 報労金の関係がありますしね」

 大方書類を作り終えた警察官はそう言った。

「ホーローキンって何ですか?」

 耳慣れない言葉だ。

「報労金というのはお礼に払うお金のことです。遺失物法っていうのがありましてね、拾った人は、拾ったものの額の五パーセントから二十パーセントの範囲で、落とし主にお礼を請求できるんです。そして落とし主は、請求されたらそれは支払わないといけないと決まっているんです。と言っても、落とし物が現金ならわかりやすいですけども、それ以外だと現物の価値って話になりますからねえ。なかなかきっちりいくらっていうのも難しいんでしょうけど」

「わたし、そんなのいりません」

 端からそんなことなど頭にない。

「そうおっしゃる方もけっこういらっしゃるんですよね。でもまあ拾ってもらった側としては、失くしたものが戻ってきたらやっぱりうれしいですから、お礼をしたいというのはあるんでしょうね。実際は菓子折りなんかを贈られる方も多いみたいですよ」

 その気持ちは理解できるけれど、得体の知れない相手に自分の名前や連絡先を知られるのははっきり言って怖い。

「本当にただ持ち主さんに返していただければそれでいいんです。相手の方にわたしの情報を伝えないでもらうことはできますか?」

「もちろん可能です。警察が間に入っているとはいえ、見ず知らずの人に個人情報を教えるっていうのは確かに抵抗もありますよね。若い女性なんか特にね。落としものの返還が済んだら、もう報労金うんぬんには警察は介入しませんからね。落とし主と拾い主双方でやり取りしてもらうことになりますから」

 警察官の説明によると、落とし主に自分の名前や連絡先を知らせたくないのであれば、お礼をもらう権利を放棄する必要があるとのことだった。

「ではそれでよろしければ、こことここに署名してください」

 全て終わると、警察官は拾得物件預り書という書類を奈瑠に差し出した。いい意味でらしくない、物腰の柔らかな警察官だった。

交番を出るとき、ちょうど入って来ようとしていた背の高い若い男性が、ドアマンのように扉を開けて先を譲ってくれた。軽く会釈をして目が合った瞬間、男性の顔が微かにはっとしたように見えたけれど、その顔に見覚えはなかった。

 いいことをしたという気持ちと、交番での警察官の丁寧な対応、そして扉を開けてくれた若い男性の紳士的な態度。そんなちょっとしたことの連続に妙に心が和んで、さっきまでの鬱屈した気分がだいぶすっきりしていた。

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