46 / 46
3 夏の終わり
17
しおりを挟む
「実は、リーフを続けられることになったんだよ」
「えっ!? 本当ですか?」
マスターは微笑みながらうなずいた。
「この場所でですか?」
またうなずく。身構えていた肩の力が抜けると同時にうれしさが込み上げた。清風さんが戻って来て、リーフもなくならないなんて、こんなにいいことばっかり続いていいのだろうか。
「でもどうして急にそうなったんですか? オーナーの気が変わったとか?」
「その通り」
マスターと清風さんと奥さん、三人でにこやかに顔を合わせる。なんだかわたしだけ蚊帳の外状態だ。
「何があったんですか? 教えてくださいよ」
「実は、土地を買う人が変わったんだ」
マスターは言った。
「どういうことですか?」
いまいちよくわからない。すると突然清風さんが言った。
「あたしがここのオーナーになるの」
「え?」
マスターと奥さんの顔を見る。二人とも黙ってうなずいた。
「オーナーにね、今この土地を買おうとしている人の二倍出すからあたしに売ってって頼んだの。驚いてたわよ。もう手続きも途中まで進んでるし、先に売るって言った人にも悪いしって悩んでたみたいだけど、そんなんで引き下がってたら何にもできないわよね」
「じゃあ、強引に押し通したんですか?」
「なんか言い方に悪意があるわね。交渉よ。交渉」
「でもすごい……。元の値段の二倍なんて。だって元々だって、相場より高い値段がついてたんでしょう? やっぱり雅楽川家ってすごいんですね……」
相場、なんて口にしたものの本当はよくわからないけれど、とにかく“土地は高い”ということだけはわたしにもわかる。
「そりゃあ正直雅楽川家にはけっこう財産があるわよ。でもあたしがそれを自由にできるわけじゃないから」
「じゃあどうやってそんなお金用意したんですか?」
「東京の自分のマンションを売ったの」
「売った? じゃあ帰るとこなくなっちゃうじゃないですか。もしかして、これから尾道の別荘に住むんですか?」
「家なんて一つじゃないもの。売ったマンションは元々あんまり使ってなかったから別にいいのよ。それにここの土地を買ったってたくさんおつりがくるしね」
この人は本当に住む世界が違う。
何はともあれ、おめでたい。悠斗君にも早く知らせたいと思った。
【なんと清風さん戻って来たよ! しばらくいるんだって】というメッセージと、勝手に撮った清風さんの横顔の写真を悠斗君に送る。するとすぐに返信が来た。目がハートになっているウサギのスタンプだった。なんで? 清風さんも笑っていた。
夜、お風呂上りの火照った体に麦茶を流し込む。もうすぐ、今年も冷蔵庫から麦茶は消えるだろう。昼間はまだ暑い日もあるけれど、朝晩はひんやりすることも多くなった。
麦茶のポットを冷蔵庫にしまい、パタンと扉を閉めると同時に、テーブルの上のスマホの着信音が鳴った。
《兄貴がまたしばらくお世話になります》
葵さんからだった。律儀な人だ。
【こちらこそ。また清風さんに会えてうれしいです】
《すっかり仲良しですね。うらやましい》
うらやましいとか、なんかうれしい。これが悠斗君なら、続けて「冗談です」と続くのかもしれない。
【そういえば、お見合い、正式に断ったそうですね】
《正式にっていうか、会ってもいませんから。写真の交換もまだしてなかったようだし。でも母から聞いたんですが、向こうからメッセージが届いたそうなんです》
メッセージ? もしかしたら相手方は会う気満々だったのかもしれない。まあたしかに、雅楽川家の御曹司とのお見合いなら、普通は会ってみようと思うだろう。
【どんなメッセージだったんでしょうね】
《それが、「お好み焼きパーティー、楽しかったです」って》
しばらく文面を見てからピンと来て、思わず息を呑んだ。すぐに葵さんに電話をかける。
(もしもし。どうかしたんですか?)
「あの、清風さんのお見合い相手の人って、何ていう名前の人ですか?」
(僕は名前はわからないなあ。でも、横浜の桜木貿易って会社のお嬢さんだそうです)
横浜の、桜木貿易……。やっぱりそうだ。絶対そうだ。あの桜木加奈さんだ。
「清風さんは、何て言ってるんですか? そのメッセージのこと」
(兄貴にはまだ伝えてないみたいですよ。意味がわからないし、かと言ってこちらから色々聞くのもどうかってことで……。でも先方は全然怒ってる感じじゃなかったみたいなんです。むしろ好意的というか……。それにしても、兄貴とその相手の方には共通の知り合いもいないようですし、だいたい兄貴がお好み焼きパーティーなんて……。先方が、メッセージを送る相手を間違えてるんじゃないかと思ってるんですけどね……)
加奈さんは清風さんとわかって会いに来たというのだろうか。いや、でもそれは考えられない。もし清風さんが尾道にいることを知っていたとしても、あんな出会い方をするのは不可能だ。加奈さんが清風さんの素性を知った途端にたじろいだように見えたのは、清風さんがまさかの自分のお見合い相手だとわかったからだったのかもしれない。あまりに偶然だけれど、神様のいたずらとしか言いようがない。それとも、運命の赤い糸だとでも?
(もしもし? 夏井さん?)
「え? あ、すいません」
(とにかく、僕も母に聞いた話なのであんまりよくわからないんですけどね)
「葵さん……」
(はい)
清風さんって、本当は…………。
「いえ、何でもないです」
やっぱりいい。清風さんは清風さんだ。実は律儀で、緑茶が好きで、お酒を飲んだらちょっと饒舌になって、強引で、口が悪くて、そしてやさしい。
そう言えば今度、しまなみ海道を一緒にドライブしようと言っていた。
まあ、つき合ってやってもいい。
海を渡る風は、きっと爽快だ。
〈3 夏の終わり おわり〉
「えっ!? 本当ですか?」
マスターは微笑みながらうなずいた。
「この場所でですか?」
またうなずく。身構えていた肩の力が抜けると同時にうれしさが込み上げた。清風さんが戻って来て、リーフもなくならないなんて、こんなにいいことばっかり続いていいのだろうか。
「でもどうして急にそうなったんですか? オーナーの気が変わったとか?」
「その通り」
マスターと清風さんと奥さん、三人でにこやかに顔を合わせる。なんだかわたしだけ蚊帳の外状態だ。
「何があったんですか? 教えてくださいよ」
「実は、土地を買う人が変わったんだ」
マスターは言った。
「どういうことですか?」
いまいちよくわからない。すると突然清風さんが言った。
「あたしがここのオーナーになるの」
「え?」
マスターと奥さんの顔を見る。二人とも黙ってうなずいた。
「オーナーにね、今この土地を買おうとしている人の二倍出すからあたしに売ってって頼んだの。驚いてたわよ。もう手続きも途中まで進んでるし、先に売るって言った人にも悪いしって悩んでたみたいだけど、そんなんで引き下がってたら何にもできないわよね」
「じゃあ、強引に押し通したんですか?」
「なんか言い方に悪意があるわね。交渉よ。交渉」
「でもすごい……。元の値段の二倍なんて。だって元々だって、相場より高い値段がついてたんでしょう? やっぱり雅楽川家ってすごいんですね……」
相場、なんて口にしたものの本当はよくわからないけれど、とにかく“土地は高い”ということだけはわたしにもわかる。
「そりゃあ正直雅楽川家にはけっこう財産があるわよ。でもあたしがそれを自由にできるわけじゃないから」
「じゃあどうやってそんなお金用意したんですか?」
「東京の自分のマンションを売ったの」
「売った? じゃあ帰るとこなくなっちゃうじゃないですか。もしかして、これから尾道の別荘に住むんですか?」
「家なんて一つじゃないもの。売ったマンションは元々あんまり使ってなかったから別にいいのよ。それにここの土地を買ったってたくさんおつりがくるしね」
この人は本当に住む世界が違う。
何はともあれ、おめでたい。悠斗君にも早く知らせたいと思った。
【なんと清風さん戻って来たよ! しばらくいるんだって】というメッセージと、勝手に撮った清風さんの横顔の写真を悠斗君に送る。するとすぐに返信が来た。目がハートになっているウサギのスタンプだった。なんで? 清風さんも笑っていた。
夜、お風呂上りの火照った体に麦茶を流し込む。もうすぐ、今年も冷蔵庫から麦茶は消えるだろう。昼間はまだ暑い日もあるけれど、朝晩はひんやりすることも多くなった。
麦茶のポットを冷蔵庫にしまい、パタンと扉を閉めると同時に、テーブルの上のスマホの着信音が鳴った。
《兄貴がまたしばらくお世話になります》
葵さんからだった。律儀な人だ。
【こちらこそ。また清風さんに会えてうれしいです】
《すっかり仲良しですね。うらやましい》
うらやましいとか、なんかうれしい。これが悠斗君なら、続けて「冗談です」と続くのかもしれない。
【そういえば、お見合い、正式に断ったそうですね】
《正式にっていうか、会ってもいませんから。写真の交換もまだしてなかったようだし。でも母から聞いたんですが、向こうからメッセージが届いたそうなんです》
メッセージ? もしかしたら相手方は会う気満々だったのかもしれない。まあたしかに、雅楽川家の御曹司とのお見合いなら、普通は会ってみようと思うだろう。
【どんなメッセージだったんでしょうね】
《それが、「お好み焼きパーティー、楽しかったです」って》
しばらく文面を見てからピンと来て、思わず息を呑んだ。すぐに葵さんに電話をかける。
(もしもし。どうかしたんですか?)
「あの、清風さんのお見合い相手の人って、何ていう名前の人ですか?」
(僕は名前はわからないなあ。でも、横浜の桜木貿易って会社のお嬢さんだそうです)
横浜の、桜木貿易……。やっぱりそうだ。絶対そうだ。あの桜木加奈さんだ。
「清風さんは、何て言ってるんですか? そのメッセージのこと」
(兄貴にはまだ伝えてないみたいですよ。意味がわからないし、かと言ってこちらから色々聞くのもどうかってことで……。でも先方は全然怒ってる感じじゃなかったみたいなんです。むしろ好意的というか……。それにしても、兄貴とその相手の方には共通の知り合いもいないようですし、だいたい兄貴がお好み焼きパーティーなんて……。先方が、メッセージを送る相手を間違えてるんじゃないかと思ってるんですけどね……)
加奈さんは清風さんとわかって会いに来たというのだろうか。いや、でもそれは考えられない。もし清風さんが尾道にいることを知っていたとしても、あんな出会い方をするのは不可能だ。加奈さんが清風さんの素性を知った途端にたじろいだように見えたのは、清風さんがまさかの自分のお見合い相手だとわかったからだったのかもしれない。あまりに偶然だけれど、神様のいたずらとしか言いようがない。それとも、運命の赤い糸だとでも?
(もしもし? 夏井さん?)
「え? あ、すいません」
(とにかく、僕も母に聞いた話なのであんまりよくわからないんですけどね)
「葵さん……」
(はい)
清風さんって、本当は…………。
「いえ、何でもないです」
やっぱりいい。清風さんは清風さんだ。実は律儀で、緑茶が好きで、お酒を飲んだらちょっと饒舌になって、強引で、口が悪くて、そしてやさしい。
そう言えば今度、しまなみ海道を一緒にドライブしようと言っていた。
まあ、つき合ってやってもいい。
海を渡る風は、きっと爽快だ。
〈3 夏の終わり おわり〉
0
お気に入りに追加
26
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(3件)
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
お昼ごはんはすべての始まり
山いい奈
ライト文芸
大阪あびこに住まう紗奈は、新卒で天王寺のデザイン会社に就職する。
その職場には「お料理部」なるものがあり、交代でお昼ごはんを作っている。
そこに誘われる紗奈。だがお料理がほとんどできない紗奈は断る。だが先輩が教えてくれると言ってくれたので、甘えることにした。
このお話は、紗奈がお料理やお仕事、恋人の雪哉さんと関わり合うことで成長していく物語です。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
おしっこ我慢が趣味の彼女と、女子の尿意が見えるようになった僕。
赤髪命
青春
~ある日目が覚めると、なぜか周りの女子に黄色い尻尾のようなものが見えるようになっていた~
高校一年生の小林雄太は、ある日突然女子の尿意が見えるようになった。
(特にその尿意に干渉できるわけでもないし、そんなに意味を感じないな……)
そう考えていた雄太だったが、クラスのアイドル的存在の鈴木彩音が実はおしっこを我慢することが趣味だと知り……?
隠れ御曹司の愛に絡めとられて
海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた――
彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。
古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。
仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!?
チャラい男はお断り!
けれども彼の作る料理はどれも絶品で……
超大手商社 秘書課勤務
野村 亜矢(のむら あや)
29歳
特技:迷子
×
飲食店勤務(ホスト?)
名も知らぬ男
24歳
特技:家事?
「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて
もう逃げられない――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
あーーー良かった!
お返事ありがとうございます!
楽しみに待ってます❤
更新出来る時にお願いします。
もしかして完結ですか?
続きを楽しみにしてました!
もし、続きがあるのら、更新待ってます!!
楽しみにしてくれているのに申し訳ありません😣
続きを考えてはいるんですが、なかなか忙しくて取りかかれずにいます。
わたしも清風さんたちが好きなので、また会いたいと思っています。
全く予想ができません。どんな展開になるのか、、、楽しみで、楽しみで、、次を、次をお願いします🙇⤵️
咲和さんと清風さんは?
この財布をなくしたかなさんと、何か関わりがある?
更新を楽しみにしてます!
ありがとうございます😆
うれしいなあ…😚