42 / 46
3 夏の終わり
13
しおりを挟む
九月に入っても相変わらず暑い。
悠斗君は夏休みが終わったので、リーフで顔を合わせる機会も減った。「暇なんで」と言って手伝っていたバイトもできなくなったし、わたしが早くバイトを終えた日には、晩御飯を食べに来る彼と会うこともない。わたしの大学の夏休みはもうしばらく続くけれど、うれしいというよりは、なんとなく取り残されたような感じがしていた。
マスターの口からリーフの今後についてはっきりと聞かされたのは、九月も中旬になろうという日の午後、気だるさで大きなあくびをした後だった。
「咲和ちゃん、リーフ、今年いっぱいでたたむことにしたよ」
一気に目が覚める。
「たたむって、やめるってことですか?」
マスターは黙ってうなずいた。奥さんに顔を向けると、奥さんも同じようにうなずいた。
「どこか別の場所を探したりはしないんですか?」
「それも考えたんだけどねえ。なかなか難しいもんでね。どこでもいいってわけにはいかないし」
何と言っていいかわからなかった。わたしが嫌だと言ったところでどうなるものでもない。
「マスターたちはこれからどうするんですか?」
「千葉に帰ろうかと思ってるんだ」
「えっ!?」
「今住んでるマンションも賃貸だし、実を言うとそろそろマイホームを、って考えてたとこだったんだけど、こうなっちゃったらねえ……」
「そんな……」
「いつも一生懸命やってくれる咲和ちゃんたちにも申し訳ないんだけどね……」
リーフでアルバイトを始めてまだ一年ちょっとだけれど、ここは自分の居場所になっていた気がする。最初にリーフがなくなるかもしれないと聞いた時には、まだかすかな望みを持っていた。最悪、場所は変わってもリーフは続いてくれるとも思っていた。それなのに、お店をたたむだけでなく、マスターたちまでも尾道からいなくなってしまうなんて。
その日の夜、東京に帰ってしまってから初めて、清風さんに電話をした。でも忙しいのか、出てはもらえなかった。しばらく折り返しを待ってみたものの、かかってくることはなかった。落ち込んでいた気分が、さらに落ち込んだ。電話なんかかけるんじゃなかった。また会えると言ったけれど、清風さんにとってはもう、尾道での日々は過去でしかないのかもしれない。毎日能天気なふりをしてお茶を飲んでいたけれど、東京に帰れば現実と向き合うことになる。日本有数の名家の御曹司ともなれば、背負う重圧もきっとわたしなんかには想像できないほどなのだろう。
翌日の夕方、居間の扇風機の前でゴロゴロしていると、祖母から郵便局の用事を頼まれた。のっそりと起き上がって、洗面所の鏡の前で癖づいた髪を撫でつける。
ふと、清風さんと最後に会った日のことを思い出した。海外に住んでいたこともある清風さんにとっては、抱き寄せて髪に軽くキスするくらいほんの挨拶のつもりかもしれないけれど、こっちとしては全く意識しないではいられない。おネエだけど、友達だけど、それだけでは割り切れない複雑な何かが今もある。
自転車に乗って郵便局へ行き、用事を済ませたあと、西久保町の方へ向かった。
自転車で行けるところまで行き、自転車を置いて細い路地を歩いて上る。清風さんの別荘に向かう石畳の坂道だ。もちろん、用などない。誰もいないこともわかっている。でもなぜか、行ってみたかった。
門の前に立つ。お屋敷は静まり返っている。
門扉の取っ手に手をかけてみたけれど、鍵がかかっていて動かなかった。わかり切っていたことなのに、なんだか切ない。
蝉しぐれに背を向けて、お屋敷をあとにした。
悠斗君は夏休みが終わったので、リーフで顔を合わせる機会も減った。「暇なんで」と言って手伝っていたバイトもできなくなったし、わたしが早くバイトを終えた日には、晩御飯を食べに来る彼と会うこともない。わたしの大学の夏休みはもうしばらく続くけれど、うれしいというよりは、なんとなく取り残されたような感じがしていた。
マスターの口からリーフの今後についてはっきりと聞かされたのは、九月も中旬になろうという日の午後、気だるさで大きなあくびをした後だった。
「咲和ちゃん、リーフ、今年いっぱいでたたむことにしたよ」
一気に目が覚める。
「たたむって、やめるってことですか?」
マスターは黙ってうなずいた。奥さんに顔を向けると、奥さんも同じようにうなずいた。
「どこか別の場所を探したりはしないんですか?」
「それも考えたんだけどねえ。なかなか難しいもんでね。どこでもいいってわけにはいかないし」
何と言っていいかわからなかった。わたしが嫌だと言ったところでどうなるものでもない。
「マスターたちはこれからどうするんですか?」
「千葉に帰ろうかと思ってるんだ」
「えっ!?」
「今住んでるマンションも賃貸だし、実を言うとそろそろマイホームを、って考えてたとこだったんだけど、こうなっちゃったらねえ……」
「そんな……」
「いつも一生懸命やってくれる咲和ちゃんたちにも申し訳ないんだけどね……」
リーフでアルバイトを始めてまだ一年ちょっとだけれど、ここは自分の居場所になっていた気がする。最初にリーフがなくなるかもしれないと聞いた時には、まだかすかな望みを持っていた。最悪、場所は変わってもリーフは続いてくれるとも思っていた。それなのに、お店をたたむだけでなく、マスターたちまでも尾道からいなくなってしまうなんて。
その日の夜、東京に帰ってしまってから初めて、清風さんに電話をした。でも忙しいのか、出てはもらえなかった。しばらく折り返しを待ってみたものの、かかってくることはなかった。落ち込んでいた気分が、さらに落ち込んだ。電話なんかかけるんじゃなかった。また会えると言ったけれど、清風さんにとってはもう、尾道での日々は過去でしかないのかもしれない。毎日能天気なふりをしてお茶を飲んでいたけれど、東京に帰れば現実と向き合うことになる。日本有数の名家の御曹司ともなれば、背負う重圧もきっとわたしなんかには想像できないほどなのだろう。
翌日の夕方、居間の扇風機の前でゴロゴロしていると、祖母から郵便局の用事を頼まれた。のっそりと起き上がって、洗面所の鏡の前で癖づいた髪を撫でつける。
ふと、清風さんと最後に会った日のことを思い出した。海外に住んでいたこともある清風さんにとっては、抱き寄せて髪に軽くキスするくらいほんの挨拶のつもりかもしれないけれど、こっちとしては全く意識しないではいられない。おネエだけど、友達だけど、それだけでは割り切れない複雑な何かが今もある。
自転車に乗って郵便局へ行き、用事を済ませたあと、西久保町の方へ向かった。
自転車で行けるところまで行き、自転車を置いて細い路地を歩いて上る。清風さんの別荘に向かう石畳の坂道だ。もちろん、用などない。誰もいないこともわかっている。でもなぜか、行ってみたかった。
門の前に立つ。お屋敷は静まり返っている。
門扉の取っ手に手をかけてみたけれど、鍵がかかっていて動かなかった。わかり切っていたことなのに、なんだか切ない。
蝉しぐれに背を向けて、お屋敷をあとにした。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
お昼ごはんはすべての始まり
山いい奈
ライト文芸
大阪あびこに住まう紗奈は、新卒で天王寺のデザイン会社に就職する。
その職場には「お料理部」なるものがあり、交代でお昼ごはんを作っている。
そこに誘われる紗奈。だがお料理がほとんどできない紗奈は断る。だが先輩が教えてくれると言ってくれたので、甘えることにした。
このお話は、紗奈がお料理やお仕事、恋人の雪哉さんと関わり合うことで成長していく物語です。
失せ『者』探し、いたします~明知探偵事務所のイクメン調査員は超イケメン~
清見こうじ
ライト文芸
★令和4年〈メディアワークス文庫×3つのお題〉コンテスト◆ホラー×ミステリー部門 最終候補に選出されました🎵
★大事10回ネット小説大賞一次選考通過しました🎵
⭐エブリスタ令和3年3月後半期「新作セレクション」&ミステリー部門トレンドランキング1位作品に選ばれました!
【あらすじ】明知探偵事務所の調査員、土岐田瑛比古さんは街で噂の超イケメン! そして、男手ひとつで4人の子供を育てるスーパーイクメンでもあります。担当は謎が謎を呼ぶ不可思議案件。この度持ち込まれたのは「夕暮れの公園・父子消失事件」。ご先祖様のお力をちょっとお借りして解決に乗り出しますが、なぜか巻き込まれる長男・ハルこと晴比古くん、20歳。事件の影に隠された悲劇と向き合うことになりますが……。
※「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルデイズ」「エブリスタ」でも公開しています
隠れ御曹司の愛に絡めとられて
海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた――
彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。
古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。
仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!?
チャラい男はお断り!
けれども彼の作る料理はどれも絶品で……
超大手商社 秘書課勤務
野村 亜矢(のむら あや)
29歳
特技:迷子
×
飲食店勤務(ホスト?)
名も知らぬ男
24歳
特技:家事?
「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて
もう逃げられない――
おしっこ我慢が趣味の彼女と、女子の尿意が見えるようになった僕。
赤髪命
青春
~ある日目が覚めると、なぜか周りの女子に黄色い尻尾のようなものが見えるようになっていた~
高校一年生の小林雄太は、ある日突然女子の尿意が見えるようになった。
(特にその尿意に干渉できるわけでもないし、そんなに意味を感じないな……)
そう考えていた雄太だったが、クラスのアイドル的存在の鈴木彩音が実はおしっこを我慢することが趣味だと知り……?
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
いずれ最強の錬金術師?
小狐丸
ファンタジー
テンプレのごとく勇者召喚に巻き込まれたアラフォーサラリーマン入間 巧。何の因果か、女神様に勇者とは別口で異世界へと送られる事になる。
女神様の過保護なサポートで若返り、外見も日本人とはかけ離れたイケメンとなって異世界へと降り立つ。
けれど男の希望は生産職を営みながらのスローライフ。それを許さない女神特性の身体と能力。
はたして巧は異世界で平穏な生活を送れるのか。
**************
本編終了しました。
只今、暇つぶしに蛇足をツラツラ書き殴っています。
お暇でしたらどうぞ。
書籍版一巻〜七巻発売中です。
コミック版一巻〜二巻発売中です。
よろしくお願いします。
**************
私と継母の極めて平凡な日常
当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。
残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。
「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」
そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。
そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。
※他のサイトにも重複投稿しています。
伊緒さんのお嫁ご飯
三條すずしろ
ライト文芸
貴女がいるから、まっすぐ家に帰ります――。
伊緒さんが作ってくれる、おいしい「お嫁ご飯」が楽しみな僕。
子供のころから憧れていた小さな幸せに、ほっと心が癒されていきます。
ちょっぴり歴女な伊緒さんの、とっても温かい料理のお話。
「第1回ライト文芸大賞」大賞候補作品。
「エブリスタ」「カクヨム」「すずしろブログ」にも掲載中です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる