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1 謎の美青年、海に落ちる

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 バイトが終わると、café leafの人気メニューの一つであるオムライスにサラダを添えて、テイクアウトの容器に入れてもらった。

「お疲れさま。気をつけて」

「変なことされそうになったらすぐ逃げるのよ」

 自転車で来ていたので、荷物を前のかごに入れ、オムライスが崩れないようにできるだけ段差を避けてゆっくりと進む。夜風が気持ちいい。

 自転車で行けるところまで行き、あとは自転車を置いて、細い石畳の坂道や階段を登る。途中で見上げても二階しか見えないので、電気が点いているのかどうかわからない。でもきっと他に行くところもないだろうから家にいるだろう。

 門の外から窺うと、一階に灯りが点いている。一つ深呼吸をしてインターホンを押した。

 応答はない。

 もう一度押す。

 出ない。

 応答があったのは、三度目のピンポンを押したあと、もしかしたらお風呂にでも入っているのかもしれないとあきらめかけた時だった。

(はい)

「あっ、こんばんは。こんな時間に突然すみません。夏井咲和です」

 清風さんは小さくため息を吐いたあと「どうぞ」と言った。小さなため息が心境を物語っている。でも負けない。本当にちゃんと食べているかどうかだけでも確認しないと。

「電話しようと思ったんですけど、いきなり押しかけちゃいました。すみません」

 わざと明るく言ってみる。清風さんは黙ったままだ。

 昨日の応接間に通された。

「今夜は何か食べました?」

「…………」

「ちゃんと食べました? ごはん」

 清風さんはずっと黙っている。

「やっぱり」

 そんなことじゃないかと思っていた。わたしはソファに座り、前のテーブルに持ってきたオムライスとサラダを並べた。デミグラスソースがフタについてしまっている。

「これ、またマスターが作ってくれたんです。うちのお店の人気メニュー。美味しいんで食べてください。食べないと本当に死にますよ。わたし葵さんにあなたのこと頼まれてるんで、葵さんが来るまでは死んでもらったら困るんです」

 清風さんはおとなしくわたしの正面に座った。そして言った。

「崩れてる」

「崩れてない! 自転車で来たからちょっとソースが飛んじゃっただけです。味は変わらないんだから文句言わずに食べてください」

 スプーンを袋から取り出して渡すと、清風さんはそれを受け取り、黙々と食べ始めた。あいかわらず変な人だけれど、昨日よりは素直だ。オムライスを食べる姿は、ちょっとかわいい。

 しばらくすると手を止め、顔を上げてわたしを見た。ドキッとする。

「そんなに見られてると、食べにくい」

 そんなにまじまじ見ていたんだろうか。逆に恥ずかしくなってちょっとうつむいた。

「そう言えば、病院、行ったんですか? お金払いに」

 清風さんは口を動かしながら横に首を振った。

「へ? だって今日電話で行くって」

 清風さんは黙ったまま立ち上がって部屋を出て行った。そして昨日わたしがコンビニで買って来た水のボトルを持って戻ってきた。元の位置に座り、フタを開けて水を飲む。そして言った。

「行こうと思ったんだけど、面倒くさくて」

「は? 何それダメでしょ」

 もしかしてお坊ちゃま育ちだから、今までそういう雑事はみんな周りの人がしてくれていたのだろうか。

「ちゃんと行かないと警察に捕まりますよ? だって、そういうの何ていうか知らないけど、飲食店で言うところの食い逃げと同じでしょ? 病院から連絡とか来てないんですか? わたし手続きのとき、清風さんの携帯番号書きましたよ?」

 清風さんはまた一口水を飲んでから言った。

「知らない番号から何度か電話はあった」

「それでしょ! 出てないんですか?」

「出てない」

 何なんだこの人は。二十八歳にもなって。わたしの方がよっぽど常識があると思う。

「明日。ちゃんと行ってくださいね。葵さんに言いつけますよ」

 清風さんはちらっと上目遣いでまたわたしを見た。そしてオムライスに視線を戻して言った。

「君、何者なの?」

 そう言えば清風さんは名前以外、わたしのことを知らない。話すタイミングも無かったのだからしょうがないけれど。

「見ず知らずの人間が救急車で運ばれるのに一緒に乗って行くなんて、そうとうお節介な人だなあと思って」

「知らなかったんです! 一緒に行かなきゃいけないのかと思っちゃって。わたしだって後悔してますよ。同乗しなかったら、あなたなんかと関わらなくて済んだのに」

「訛りないんだね」

「わたし、実家は東京だから。こっちには祖父母の家があって、今はそこから市内の大学に通ってるんです」

「へえ」

 まるで興味無いといった感じだ。自分から聞いたくせに。

「ここの別荘にはよく来てたんですか?」

腹立ち紛れに適当に質問を返した。

「初めて」

「初めて?」

「来ないよ。こんなとこ」

「こんなとこ!?」

「別荘は世界中にいくつもあるから。ここは祖父が気に入って買ったらしいけど、その祖父ももういないし」

 言い返す言葉もない。住む世界が違い過ぎるのだ。

「じゃあわたし、そろそろ帰りますね」

「タクシーを呼ぶよ。もう暗い」

 まさか、わたしのことを気遣ってくれているのだろうか。清風さんが?

「大丈夫です。いつものことだから。危ない道は通らないし。それより明日、ちゃんと病院行ってくださいね」

「あのさ」

「はい?」

「きちんと、お礼をしなくちゃいけない。君にも、マスターや、ほかの人にも」

 どうしたというんだろう。急にまともなことを言い出して。気味が悪い。

「僕はもう大丈夫だから。もうこういうこと、してもらわなくていいから。葵には僕から話す。だから最後に、きちんとお礼をしなくちゃと思ってる」

 この人本当は、意外とちゃんとした人なのかもしれないと思った。と同時に、わたしたちを遠ざけようとしているのがわかった。きっと人と関わりたくないのだろう。どんな事情があるのか知らないけれど、一人になって、何をするつもりだろう。

「じゃあ、コーヒー。コーヒー飲みに来てください。うちのお店、コーヒー美味しいって評判なんですよ。ごはんも、一人で用意するのが面倒くさかったらうちのお店で食べてください。一回じゃダメですよ? マスターはあなたを助けるために海に飛び込んで風邪ひいたんだから、何度も来てもらわないと割が合わない」

「それは……」

「来ないんだったらわたしが来ます。毎日ごはん持って押しかけます。夜でも朝でもかまわず押しかけますよ。それが嫌なら来てください」

 けっこう間があったけれど、清風さんは「わかった」と言ってくれた。

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