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「萌香、大学どこに行くか決めた?」
高2の冬。そろそろ志望校を絞る時期。
創くんは本人が希望すれば、ハーバードでもスタンフォードでもどこでも合格できる気がする。
わたしも創くんが勉強をみてくれたから、なんとか日本の最高峰の大学の医学部がA判定とれてる。
医学部に進学する事は物心がついた頃から決めてた。
医者でなく、最新医療の開発をしたいという想いもある。
どちらにしても医学部に進学し、医師免許を取得しないといけない。
最新医療の開発で成果をだしているK大を第1希望に現時点では考えてる。
でも、創くんには言わない。言いたくない。
「医学部に進むつもりだけど、どこの大学かまでは決めてない。創くんは?」
「俺も同じ。学校からはハーバードとかスタンフォードを狙えって言われたけど、日本から出る気は無いんだよな」
一緒に勉強ができるよう、部屋の真ん中に小さめのちゃぶ台を置き、座って、一緒にT大の赤本を解いてた。
創くんはもちろん、全問正解で、わたしは7割よくて8割正解。
以前は週末は会わなかったけど、高2の夏以降の受験勉強が本格化してからはお願いして来てもらってる。
創くんの勉強の妨げにならないよう、午前中だけ。
医者をしている両親は、休日も朝一に病院に顔を出し、特に重症患者がいなければ直ぐに帰ってくる。
だから、来た早々、報酬に彼を満足させ、勉強にとりかかる。
そこに、愛という言葉はない。
わたしがK大を志望校にしてることが、親同士が同じ職場で仲が良いのもあり、口止めしてたにも関わらず、創くんに伝わり、同じ大学に通うようになった。
わたしと創くんは、好き合って交際してる恋人同士ではないけど、うちのママとパパも、創くんの両親も、わたしと創くんが心底好き合ってると思ってる。
そのせいで、創くんが大学のそばで一人暮らしを始めたら、彼の世話をするよう言われ、わたしが家に帰る事を不審がり、彼の家に寝泊りする羽目になった。
大学の進学後の2年間は教養教科の単位修得で、レポート提出に理解に苦しむ難関な内容に、創くんに泣きついて教えて貰ってる残念なわたし。
中高一貫校の時と違い、大学の学部が同じだから、受ける講義も同じ。
彼の友達の彼女達が仲良くしてくれて、キャンバス内で彼にべったり一緒にいたりはしないけど、気がつけば、創くんが隣にいた。
わたしの両親も創くんのご両親も、K大の医学部を卒業して、医師免許を取得して医師として働いてる。
だから、わたしもそのレールに乗って、日々を卒なく熟せば、医師になれると思ってた。
そんな安直な考えは浅はかで、毎日百科事典並みの医学書を、しかも英語やドイツ語で書かれてるのを各自読みレポートにまとめなくてはならず、自力では歯が立たず、わたしは完全に勉強面で創くんに依存してしまった。
創くんが選択する履修教科が難易度が高いから、こうも死ぬ物狂いで勉強に明け暮れる訳で、楽な道を選択しようと思えばできるのに、創くんと違う選択して、理解出来なかったらどうしようと不安になり、同じ教科を選んでしまう。
いつのまにか、大学までJRとバスで45分の所にある大学なのに、実家にも帰らず、大学から徒歩15分の彼の部屋で過ごしてた。
なんとか履修教科の単位を落とさないでいる自分にホッとする。
全ての履修教科を涼しい顔して首席で修得する創くんのお陰だけど、彼との頭の出来の違いに、自分が情けなくなり、彼のいいなりになっている自分がいた。
まっ、いいなりといっても、創くんの意見に賛同しているから反対や反抗するような事自体がなく、リードして貰って流されるだけ。
意見の違いがある時は、『なにを食べたいか?』で、その時は創くんがわたしに合わせてくれるから喧嘩にならない。
でも、レポート提出もなく羽が伸ばせるからと実家に帰ろうとしたら、創くんに許して貰えない。
『レポートを手伝わない』と言われたらいいなりになるしかなく、彼のそばに金魚の糞のようにいつもついてる。
3年次に進むと、今までのレポート地獄と、医学の知識に関する知識の蓄積地獄から解放され、今度はゼミに入って研究や技術修得に学ぶ内容が変わる。
4年次が済むまでは、研究自体は大変でも単位修得のためのレポートや試験はないから、医学部の学生の中で計画的に結婚して子供を産み育てる学生もいる。
女医として医師を続けるために、子育てでキャリアを留めない為とかで、わたしの両親と彼のご両親もそうしたらしい。
だから、わたしも彼も一人っ子で誕生日も2ヶ月しか違わない。
だからか、両親が自分達と同じように、創くんと結婚して今の時期に子供を産むよう言ってきた。
たぶん、創くんも同じようにご両親から言われてると思う。
彼の親友の医学部専攻の彼女のうち、2人が妊娠し、結婚するらしい。
意図的に計画的にどちらかが企てた気がしてならない。
同じチームで研究をしてる中で悪阻とかの体調不良で休まれたら、本当に困る。
現在、1人、悪阻で休みがちなチームメンバーがいる。
孕ませた本人がいたら責任を持たせて、実験の分担を多目に引き受けさせる事ができても、その子の相手は現在研修医らしく、責任をとらせられない。
ウイルスの培養と、増えたウイルスを取り除くもしくは殺菌する方法を研究していく。
創くんは小学校の頃からその手の自由研究で取り組み、医学学会でも取り上げられるぐらいの高度な研究をしたから手慣れたもんで、一緒の班になれて良かったと切に思う。
2年間はこの手の研究を履修単位毎に行わないといけない。
でも、チームメイトに恵まれれば、多少は欠席しても単位修得はでる。学んだ事は知識としてレポートを読んで勉強すればいい。
3年次に上がるタイミングで計画的に出産をする子が多くて、チームメイトから結婚と出産の話を振られ、機嫌を損ねるわたしと裏腹に聞き流してるだけな創くん。
確かに、キャリアプランを立てる中で、今のこの時期に子を産み育てるのがベストだと思う。
でも、その相手が創くんなのは違う気がする。
なんだかんだで、側から見たら仲のいい恋人同士にしか見えない。
でも、お互い、『好き』とか『愛してる』という言葉を発した事はない。
ま、やる事はわたしが出血多量の日以外はほぼ毎日致してる。
レポートをちらつかされ、疲れて拒みたい日も受け入れてる。
なにか違う気しかしない、愛情表現の行為。
これで、創くんの子を宿すとする。
でも、愛情表現でなく、性的欲求の放出の子を作る為の営みでできた子を愛し育てる事ができるか不安になる。
わたしの両親も、創くんの両親も、医師という仕事を子供よりも優先し働いてる。
ママは子を産んだ本人だから、多少なりは可愛がってくれた気がする。
でも、小児科医という職業柄か、わたしが風邪や熱を出しても、
『重病患者と比べたら問題ない』
と薬を飲まされるだけで、放置された。
そして、小学校卒業するまではベビーシッターに育てられ、親じゃない人に育てられる違和感で家事や料理を練習し、1人でお留守番をするようになった。
この生活が当たり前に思えてたけど、今思うと、とても寂しかった。
小学校低学年の頃は創くんがうちに来て、一緒にベビーシッターさんに育てて貰ったっけ…。
当たり前のように、創くんはわたしの側にいた。
前期があとわずかで終わる7月の初め。
学期末テストとレポートに追われ、忙しい日々が続く。
しかも今年は暑くて、疲労が蓄積して、気だるさで食欲も失せる。
夏バテ予防に、夕飯は旬のゴーヤでチャンプルを作り、少しでも食べる量を増やそうと、冷たい素麺と、トマトのサラダを作った。
「最近、痩せたんじゃない?」
夕食を食べてる時に創くんに心配された。
たぶん、ウェストや太もも辺りの肉が削げ落ちてる気がする。
元々肉付きが良くて気にしてた所だから、細くなったのは不幸中の幸いだった。
毎日レポートに追われ、暗記モノを黙々と覚える作業に、心底ぐったりしてた。
理解してないと意味がないからと、創くんのレポートを写すんじゃなく、初めは自分で医学書読んで書き進めるも、難し過ぎて手が止まる。
結局は創くんに教えて貰ってなんとか仕上げた。
初めからレポートを写させて貰う方が創くんにも迷惑をかけずに済んだのにと思って、申し訳なく思う。
なんとか3年次の単位を1つも落とさずに済みホッとするわたし。
「津田くん、ハーバード大学の留学の件だが、先方のワトソン教授は来て欲しいと何度もメールを送ってきてる」
「ありがたいとお話ですが、何度もお伝えしてますがお断りします」
「栗栖さんが反対してるのか?なら、彼女も一緒に連れて行けばいい。彼女の成績なら推薦できる」
「彼女にはこの件については話してないです。僕自身、行く気がないので」
ゼミ室に入ろうとしたら、創くんと教授の会話が聞こえ、入るに入れない。
立ち聞きして良い内容ではないけど、聞き耳を立ててしまう。
話の続きを気にしていたら、創くんがゼミ室のドアを開けて出てきたから気まずい。
「萌香…、帰ろっか」
わたしが居た事に戸惑いながらも、わたしが何も言わないから何も言わず、一緒に帰る事にした。
創くんのマンションについた。
さっきの教授との話が気になりつつも、聞けないわたし。
明日から夏休みで、大学入学してからはお世話になった塾への奉公で、個別指導のアルバイトを創くんとしてる。
今年も予定しているけれど、体調が悪くて実家で養生しようと週3回で1日5時間で承諾した。
前期末がハード過ぎ、今だに体調が戻らないでいる。
創くんがカバンから薬局で買ってきた茶色い紙袋を出した。
「萌香、あのさ、申し訳ないんだけど、ちょっと検査して貰えないかな?」
紙袋を開けると…、妊娠検査薬。
「4ヶ月前ぐらいに、魔がさして、半月ぐらいわざとゴムに穴開けてやってた。だから、もしかしたら妊娠してるかも知れん」
申し訳なさそうな創くん…。
さっきの教授との話がぶっ飛ぶぐらい動転し、慌てて妊娠検査薬の中身を取り出して、トイレに駆け込む。
検査薬は…、
一瞬で2本線になる。
…陽性。
トイレの中で固まるわたし。
お腹の中に創くんの子がいて育ってるんだと思うと、不思議な感じがする。
創くんが魔がさしたとか言ってたけど、たぶん、うちと同じで、創くんもご両親から圧がかかってたんだよね。
医師としてのライフプランのアドバイスかも知れないけど、ありがた迷惑。
ちゃんと親から愛情をかけて育てて貰ってない。
わたしも、自分の親と同じような子育てをするのかな…と思うと、どうしたら良いかわからなくなる。
ただ、わたしのお腹の中で命が育っててる。
それが、嬉しく思う自分がいる。
トイレから出て、不安そうな表情をしている創くんに、検査薬を渡した。
創くんは、検査薬を見て、かなり嬉しそうな表情を浮かべた。
それを怪訝そうな顔をして見るわたしに気づき、申し訳なさそうにしゅんとした。
「萌香、言い訳にしかならないけど、俺さ、物心がついた頃からずっと萌香の事が好きだった。好き過ぎて萌香が側にいないとおかしくなる。前期始まってすぐに、田邊教授から留学の話を貰って、俺自身、新しい医療技術の開発の仕事をしたくて受けたいと思ってた。でもさ、萌香と離れるのが不安になって、既成事実作れば萌香を繋いでられると思った。最低だよな。で、実際に萌香が悪阻みたいな症状が出始めて、俺のせいで体調不良になるわ、妊娠したという事は10ヶ月後に子供が産まれてくるだろ。留学なんてできるわけないと思って、留学の件は断わった。萌香、ごめん。お願いだから、産んで、一緒に子供を育ててくれないか。それと、死ぬまで俺のそばにいて欲しい」
自宅トイレの前で土下座する創くん。
たぶん、プロポーズだけど、なんて答えたら良いか言葉に悩む。
女医を目指すなら大学3年の今の時期に出産するのが今後のキャリアを考えると最善。
医師をしているご両親からのアドバイスという圧力もあると思う。
でも、創くんはそういうライフプランが理由でなく、医学技術や開発の仕事に就くために留学の話を受けようとして、でも、わたしと離れるのが不安で繋いでおこうと既成事実を作り、結果、子供ができてしまった責任から留学を断り、一緒に育てる事を選択した。
これで、留学の話を受けていたら最低だけど、わたしと産まれてくる子を育てようとしてる。
「うん。一緒にこの子を育てよう。創くん」
わたしがそうこたえると、創くんは土下座から立ち上がり、わたしを抱きしめた。
その後、女医さんが産婦人科医をしている医院にわたしを連れて行き、診察をしたら創くんの予想通りの3ヶ月半で、わたしは悪阻で体調がかなり悪い中、前期の単位を取得するためにレポートと勉強をしていたとわかった。
血液検査の数値の悪さと、胎児の大きさがやや小さめで入院を余儀なくされた。
塾のアルバイトは断り、迷惑をかける分、創くんが週5回、みっちり8時間働かされた。
わたしの両親も彼の両親も、わたしの妊娠を喜び、善は急げで、即入籍させられた。
ただ、創くんの留学に関しては、チャンスだからと双方の両親からの圧力という意向で決行になった。
でも、教授の御厚意でわたしも推薦を頂き、一緒に留学できる事になったから、アメリカで出産し、子育てをしながら医師免許を取得する事になる。
アメリカは日本よりも、子育てをしながら大学で学びことや医師として働く事に理解があり、サポートも手厚くて助かった。
医者になるには大学に6年通い、その後医師免許を取得後、研修医として6~7年勤めないといけない。
研修医の後期は日本では夜勤や長時間労働が当たり前だけど、アメリカはそんな事は無かった。
創くんは循環器外科を専門にし、オペなどの技術修得のための勉強で多忙だったけど、わたしは循環器内科専門で、子育てをしながらだから研修医期間を長めに計画し、1日5~6時間勤務で8年かけて医師として独り立ちした。
大学3年生の1月に、創くんそっくりな男の子の蓮翔が産まれ、大学5年生の時にもう1人、女の子の愛理を産んだ。
アメリカだったから、子をもう1人産めたんだと思う。
わたしが医師として独り立ちした後、日本に帰国した。
蓮翔が11歳で、愛理が9歳の時だった。
創くんとの夫婦関係は、良好。
創くんから物心がついた頃からかなり愛されてた事を知った。
そして、彼がわたしに好かれるために死にものぐるいに勉強をし涼しい顔して余裕にみせてた事とか、わたしに対し異常なほどに束縛していた事とか、愛されてるが故の行動で嬉しかった。
日本に帰国し、両親が勤めてる府立総合病院で夫婦で勤めるようになった。
お互い、父親が医局長だから、いい歳してから仕事の話で衝突してる。
アメリカで技能と知識を入れて医師となったけれど、長年医師として患者の命を救ってきた経験と勘には敵わず、両親から医師としてのノウハウを教えて貰う。
そして、循環器内科と循環器外科という立場から、『薬で治療をして様子見をするか』『直ぐにオペするか』で言い争いが起こる。患者の命を救う為だから、お互い納得するまで議論する。
子供ができて産むまでは、勉強面では創くんには勝てなかった。
いつも泣きついて教えて貰ってた。
今は、お互い、循環器外科医師と循環器内科医師として、自分の知と感に自信を持ち、対等でいられてる。
家では完全にわたしが強い。
創くんは、わたしの思い関係なしに子を孕ませ産ませた申し訳なさから、わたしに優しくかなり甘い。
子育ても家事も手伝ってくれる。
創ちゃんと夫婦になれて、
わたしは幸せです。
高2の冬。そろそろ志望校を絞る時期。
創くんは本人が希望すれば、ハーバードでもスタンフォードでもどこでも合格できる気がする。
わたしも創くんが勉強をみてくれたから、なんとか日本の最高峰の大学の医学部がA判定とれてる。
医学部に進学する事は物心がついた頃から決めてた。
医者でなく、最新医療の開発をしたいという想いもある。
どちらにしても医学部に進学し、医師免許を取得しないといけない。
最新医療の開発で成果をだしているK大を第1希望に現時点では考えてる。
でも、創くんには言わない。言いたくない。
「医学部に進むつもりだけど、どこの大学かまでは決めてない。創くんは?」
「俺も同じ。学校からはハーバードとかスタンフォードを狙えって言われたけど、日本から出る気は無いんだよな」
一緒に勉強ができるよう、部屋の真ん中に小さめのちゃぶ台を置き、座って、一緒にT大の赤本を解いてた。
創くんはもちろん、全問正解で、わたしは7割よくて8割正解。
以前は週末は会わなかったけど、高2の夏以降の受験勉強が本格化してからはお願いして来てもらってる。
創くんの勉強の妨げにならないよう、午前中だけ。
医者をしている両親は、休日も朝一に病院に顔を出し、特に重症患者がいなければ直ぐに帰ってくる。
だから、来た早々、報酬に彼を満足させ、勉強にとりかかる。
そこに、愛という言葉はない。
わたしがK大を志望校にしてることが、親同士が同じ職場で仲が良いのもあり、口止めしてたにも関わらず、創くんに伝わり、同じ大学に通うようになった。
わたしと創くんは、好き合って交際してる恋人同士ではないけど、うちのママとパパも、創くんの両親も、わたしと創くんが心底好き合ってると思ってる。
そのせいで、創くんが大学のそばで一人暮らしを始めたら、彼の世話をするよう言われ、わたしが家に帰る事を不審がり、彼の家に寝泊りする羽目になった。
大学の進学後の2年間は教養教科の単位修得で、レポート提出に理解に苦しむ難関な内容に、創くんに泣きついて教えて貰ってる残念なわたし。
中高一貫校の時と違い、大学の学部が同じだから、受ける講義も同じ。
彼の友達の彼女達が仲良くしてくれて、キャンバス内で彼にべったり一緒にいたりはしないけど、気がつけば、創くんが隣にいた。
わたしの両親も創くんのご両親も、K大の医学部を卒業して、医師免許を取得して医師として働いてる。
だから、わたしもそのレールに乗って、日々を卒なく熟せば、医師になれると思ってた。
そんな安直な考えは浅はかで、毎日百科事典並みの医学書を、しかも英語やドイツ語で書かれてるのを各自読みレポートにまとめなくてはならず、自力では歯が立たず、わたしは完全に勉強面で創くんに依存してしまった。
創くんが選択する履修教科が難易度が高いから、こうも死ぬ物狂いで勉強に明け暮れる訳で、楽な道を選択しようと思えばできるのに、創くんと違う選択して、理解出来なかったらどうしようと不安になり、同じ教科を選んでしまう。
いつのまにか、大学までJRとバスで45分の所にある大学なのに、実家にも帰らず、大学から徒歩15分の彼の部屋で過ごしてた。
なんとか履修教科の単位を落とさないでいる自分にホッとする。
全ての履修教科を涼しい顔して首席で修得する創くんのお陰だけど、彼との頭の出来の違いに、自分が情けなくなり、彼のいいなりになっている自分がいた。
まっ、いいなりといっても、創くんの意見に賛同しているから反対や反抗するような事自体がなく、リードして貰って流されるだけ。
意見の違いがある時は、『なにを食べたいか?』で、その時は創くんがわたしに合わせてくれるから喧嘩にならない。
でも、レポート提出もなく羽が伸ばせるからと実家に帰ろうとしたら、創くんに許して貰えない。
『レポートを手伝わない』と言われたらいいなりになるしかなく、彼のそばに金魚の糞のようにいつもついてる。
3年次に進むと、今までのレポート地獄と、医学の知識に関する知識の蓄積地獄から解放され、今度はゼミに入って研究や技術修得に学ぶ内容が変わる。
4年次が済むまでは、研究自体は大変でも単位修得のためのレポートや試験はないから、医学部の学生の中で計画的に結婚して子供を産み育てる学生もいる。
女医として医師を続けるために、子育てでキャリアを留めない為とかで、わたしの両親と彼のご両親もそうしたらしい。
だから、わたしも彼も一人っ子で誕生日も2ヶ月しか違わない。
だからか、両親が自分達と同じように、創くんと結婚して今の時期に子供を産むよう言ってきた。
たぶん、創くんも同じようにご両親から言われてると思う。
彼の親友の医学部専攻の彼女のうち、2人が妊娠し、結婚するらしい。
意図的に計画的にどちらかが企てた気がしてならない。
同じチームで研究をしてる中で悪阻とかの体調不良で休まれたら、本当に困る。
現在、1人、悪阻で休みがちなチームメンバーがいる。
孕ませた本人がいたら責任を持たせて、実験の分担を多目に引き受けさせる事ができても、その子の相手は現在研修医らしく、責任をとらせられない。
ウイルスの培養と、増えたウイルスを取り除くもしくは殺菌する方法を研究していく。
創くんは小学校の頃からその手の自由研究で取り組み、医学学会でも取り上げられるぐらいの高度な研究をしたから手慣れたもんで、一緒の班になれて良かったと切に思う。
2年間はこの手の研究を履修単位毎に行わないといけない。
でも、チームメイトに恵まれれば、多少は欠席しても単位修得はでる。学んだ事は知識としてレポートを読んで勉強すればいい。
3年次に上がるタイミングで計画的に出産をする子が多くて、チームメイトから結婚と出産の話を振られ、機嫌を損ねるわたしと裏腹に聞き流してるだけな創くん。
確かに、キャリアプランを立てる中で、今のこの時期に子を産み育てるのがベストだと思う。
でも、その相手が創くんなのは違う気がする。
なんだかんだで、側から見たら仲のいい恋人同士にしか見えない。
でも、お互い、『好き』とか『愛してる』という言葉を発した事はない。
ま、やる事はわたしが出血多量の日以外はほぼ毎日致してる。
レポートをちらつかされ、疲れて拒みたい日も受け入れてる。
なにか違う気しかしない、愛情表現の行為。
これで、創くんの子を宿すとする。
でも、愛情表現でなく、性的欲求の放出の子を作る為の営みでできた子を愛し育てる事ができるか不安になる。
わたしの両親も、創くんの両親も、医師という仕事を子供よりも優先し働いてる。
ママは子を産んだ本人だから、多少なりは可愛がってくれた気がする。
でも、小児科医という職業柄か、わたしが風邪や熱を出しても、
『重病患者と比べたら問題ない』
と薬を飲まされるだけで、放置された。
そして、小学校卒業するまではベビーシッターに育てられ、親じゃない人に育てられる違和感で家事や料理を練習し、1人でお留守番をするようになった。
この生活が当たり前に思えてたけど、今思うと、とても寂しかった。
小学校低学年の頃は創くんがうちに来て、一緒にベビーシッターさんに育てて貰ったっけ…。
当たり前のように、創くんはわたしの側にいた。
前期があとわずかで終わる7月の初め。
学期末テストとレポートに追われ、忙しい日々が続く。
しかも今年は暑くて、疲労が蓄積して、気だるさで食欲も失せる。
夏バテ予防に、夕飯は旬のゴーヤでチャンプルを作り、少しでも食べる量を増やそうと、冷たい素麺と、トマトのサラダを作った。
「最近、痩せたんじゃない?」
夕食を食べてる時に創くんに心配された。
たぶん、ウェストや太もも辺りの肉が削げ落ちてる気がする。
元々肉付きが良くて気にしてた所だから、細くなったのは不幸中の幸いだった。
毎日レポートに追われ、暗記モノを黙々と覚える作業に、心底ぐったりしてた。
理解してないと意味がないからと、創くんのレポートを写すんじゃなく、初めは自分で医学書読んで書き進めるも、難し過ぎて手が止まる。
結局は創くんに教えて貰ってなんとか仕上げた。
初めからレポートを写させて貰う方が創くんにも迷惑をかけずに済んだのにと思って、申し訳なく思う。
なんとか3年次の単位を1つも落とさずに済みホッとするわたし。
「津田くん、ハーバード大学の留学の件だが、先方のワトソン教授は来て欲しいと何度もメールを送ってきてる」
「ありがたいとお話ですが、何度もお伝えしてますがお断りします」
「栗栖さんが反対してるのか?なら、彼女も一緒に連れて行けばいい。彼女の成績なら推薦できる」
「彼女にはこの件については話してないです。僕自身、行く気がないので」
ゼミ室に入ろうとしたら、創くんと教授の会話が聞こえ、入るに入れない。
立ち聞きして良い内容ではないけど、聞き耳を立ててしまう。
話の続きを気にしていたら、創くんがゼミ室のドアを開けて出てきたから気まずい。
「萌香…、帰ろっか」
わたしが居た事に戸惑いながらも、わたしが何も言わないから何も言わず、一緒に帰る事にした。
創くんのマンションについた。
さっきの教授との話が気になりつつも、聞けないわたし。
明日から夏休みで、大学入学してからはお世話になった塾への奉公で、個別指導のアルバイトを創くんとしてる。
今年も予定しているけれど、体調が悪くて実家で養生しようと週3回で1日5時間で承諾した。
前期末がハード過ぎ、今だに体調が戻らないでいる。
創くんがカバンから薬局で買ってきた茶色い紙袋を出した。
「萌香、あのさ、申し訳ないんだけど、ちょっと検査して貰えないかな?」
紙袋を開けると…、妊娠検査薬。
「4ヶ月前ぐらいに、魔がさして、半月ぐらいわざとゴムに穴開けてやってた。だから、もしかしたら妊娠してるかも知れん」
申し訳なさそうな創くん…。
さっきの教授との話がぶっ飛ぶぐらい動転し、慌てて妊娠検査薬の中身を取り出して、トイレに駆け込む。
検査薬は…、
一瞬で2本線になる。
…陽性。
トイレの中で固まるわたし。
お腹の中に創くんの子がいて育ってるんだと思うと、不思議な感じがする。
創くんが魔がさしたとか言ってたけど、たぶん、うちと同じで、創くんもご両親から圧がかかってたんだよね。
医師としてのライフプランのアドバイスかも知れないけど、ありがた迷惑。
ちゃんと親から愛情をかけて育てて貰ってない。
わたしも、自分の親と同じような子育てをするのかな…と思うと、どうしたら良いかわからなくなる。
ただ、わたしのお腹の中で命が育っててる。
それが、嬉しく思う自分がいる。
トイレから出て、不安そうな表情をしている創くんに、検査薬を渡した。
創くんは、検査薬を見て、かなり嬉しそうな表情を浮かべた。
それを怪訝そうな顔をして見るわたしに気づき、申し訳なさそうにしゅんとした。
「萌香、言い訳にしかならないけど、俺さ、物心がついた頃からずっと萌香の事が好きだった。好き過ぎて萌香が側にいないとおかしくなる。前期始まってすぐに、田邊教授から留学の話を貰って、俺自身、新しい医療技術の開発の仕事をしたくて受けたいと思ってた。でもさ、萌香と離れるのが不安になって、既成事実作れば萌香を繋いでられると思った。最低だよな。で、実際に萌香が悪阻みたいな症状が出始めて、俺のせいで体調不良になるわ、妊娠したという事は10ヶ月後に子供が産まれてくるだろ。留学なんてできるわけないと思って、留学の件は断わった。萌香、ごめん。お願いだから、産んで、一緒に子供を育ててくれないか。それと、死ぬまで俺のそばにいて欲しい」
自宅トイレの前で土下座する創くん。
たぶん、プロポーズだけど、なんて答えたら良いか言葉に悩む。
女医を目指すなら大学3年の今の時期に出産するのが今後のキャリアを考えると最善。
医師をしているご両親からのアドバイスという圧力もあると思う。
でも、創くんはそういうライフプランが理由でなく、医学技術や開発の仕事に就くために留学の話を受けようとして、でも、わたしと離れるのが不安で繋いでおこうと既成事実を作り、結果、子供ができてしまった責任から留学を断り、一緒に育てる事を選択した。
これで、留学の話を受けていたら最低だけど、わたしと産まれてくる子を育てようとしてる。
「うん。一緒にこの子を育てよう。創くん」
わたしがそうこたえると、創くんは土下座から立ち上がり、わたしを抱きしめた。
その後、女医さんが産婦人科医をしている医院にわたしを連れて行き、診察をしたら創くんの予想通りの3ヶ月半で、わたしは悪阻で体調がかなり悪い中、前期の単位を取得するためにレポートと勉強をしていたとわかった。
血液検査の数値の悪さと、胎児の大きさがやや小さめで入院を余儀なくされた。
塾のアルバイトは断り、迷惑をかける分、創くんが週5回、みっちり8時間働かされた。
わたしの両親も彼の両親も、わたしの妊娠を喜び、善は急げで、即入籍させられた。
ただ、創くんの留学に関しては、チャンスだからと双方の両親からの圧力という意向で決行になった。
でも、教授の御厚意でわたしも推薦を頂き、一緒に留学できる事になったから、アメリカで出産し、子育てをしながら医師免許を取得する事になる。
アメリカは日本よりも、子育てをしながら大学で学びことや医師として働く事に理解があり、サポートも手厚くて助かった。
医者になるには大学に6年通い、その後医師免許を取得後、研修医として6~7年勤めないといけない。
研修医の後期は日本では夜勤や長時間労働が当たり前だけど、アメリカはそんな事は無かった。
創くんは循環器外科を専門にし、オペなどの技術修得のための勉強で多忙だったけど、わたしは循環器内科専門で、子育てをしながらだから研修医期間を長めに計画し、1日5~6時間勤務で8年かけて医師として独り立ちした。
大学3年生の1月に、創くんそっくりな男の子の蓮翔が産まれ、大学5年生の時にもう1人、女の子の愛理を産んだ。
アメリカだったから、子をもう1人産めたんだと思う。
わたしが医師として独り立ちした後、日本に帰国した。
蓮翔が11歳で、愛理が9歳の時だった。
創くんとの夫婦関係は、良好。
創くんから物心がついた頃からかなり愛されてた事を知った。
そして、彼がわたしに好かれるために死にものぐるいに勉強をし涼しい顔して余裕にみせてた事とか、わたしに対し異常なほどに束縛していた事とか、愛されてるが故の行動で嬉しかった。
日本に帰国し、両親が勤めてる府立総合病院で夫婦で勤めるようになった。
お互い、父親が医局長だから、いい歳してから仕事の話で衝突してる。
アメリカで技能と知識を入れて医師となったけれど、長年医師として患者の命を救ってきた経験と勘には敵わず、両親から医師としてのノウハウを教えて貰う。
そして、循環器内科と循環器外科という立場から、『薬で治療をして様子見をするか』『直ぐにオペするか』で言い争いが起こる。患者の命を救う為だから、お互い納得するまで議論する。
子供ができて産むまでは、勉強面では創くんには勝てなかった。
いつも泣きついて教えて貰ってた。
今は、お互い、循環器外科医師と循環器内科医師として、自分の知と感に自信を持ち、対等でいられてる。
家では完全にわたしが強い。
創くんは、わたしの思い関係なしに子を孕ませ産ませた申し訳なさから、わたしに優しくかなり甘い。
子育ても家事も手伝ってくれる。
創ちゃんと夫婦になれて、
わたしは幸せです。
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