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第1唱 変転する世界とラピスの日常
クロヴィス・グレゴワール 1
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「お湯沸かしますか!? お茶淹れましょうか! 薪は足りますかっ!?」
環境が変わった興奮のせいか、休めと何度言ってもせかせか動き回っていたラピスをようやく湯浴みさせたクロヴィスは、ふう、と大きく息を吐き出した。
クロヴィスは普段、日常生活にあまり魔法を使わない。
だが風邪をひかせたくないので、ラピスの濡れた巻毛に温風を送って、手早く乾かしてやった。その頃にはラピスも、こっくりこっくり舟をこいで、魔法を使われていることに気づいていなかったが。
清潔に整えて暖炉のそばに置いた寝椅子に落ち着かせると、あっという間に眠りに落ちた。疲れていないはずがないのだ。
しかし、子供の体力の凄まじさを目の当たりにした日でもあった。
自分にもこんな時期があったろうかと記憶を辿っても……
(俺は昔からひねくれてたな)
そんなことしか思い浮かばない。
――森でラピスが手をつないできたとき、内心、ものすごく驚いた。
彼の手が見た目以上に荒れていることに、ドキリとしたせいもあるが……もうひとつ、理由がある。
クロヴィスには子供のときですら、誰かと手をつないだ記憶がない。
隙あらば脱走を試みる子供だったので、悪態をつく乳母や家庭教師などに、引っ張って連れ戻されることは多々あったけれど。
クロヴィスの曾祖父は、優秀な聴き手だったという。
当時の国王を狙った暗殺組織を、古竜の歌を解いたことをきっかけに摘発した曾祖父は、王と国を救ったとして伯爵位を授けられた。
一族で『大』魔法使いの称号を得ているのは、クロヴィスと曾祖父だけである。
その曾祖父の息子である祖父は、魔法の才には恵まれなかったが、領地の運営手腕で高く評価された。そうして成した財産で、慈善事業にも貢献した。
(問題はあいつだ)
父、スティーヴン。
曾祖父のような魔力も、祖父のような実務能力も、努力する気もない男。
偉大な肉親と比較されることを嫌忌し、賭けごとや怪しい事業への投資で成果を出そうとした。
資金はすべて親の財産頼り。問題を起こしても彼らの虎の威を借る。その繰り返し。
父の最大にして唯一の功績は、大金持ちの娘を嫁にしたことだろう。
クロヴィスの母ジーンとの結婚がなければ、財産を食い潰し、とうに破産していた。
父にも同情の余地はあるのかもしれない。
だが憐れんでやる気はまったくない。
なぜなら父は、満たされぬ承認欲求と傷ついた自尊心を、子供で晴らそうとしたからだ。
愚鈍なくせに見栄っ張りで、己を高く見せたがる彼は、優秀な跡継ぎが生まれることを熱望した。
子供の栄誉が、親の格を上げると妄信して。
しかしいざ現実に、幼少のみぎりから古竜の歌を解き、何をやらせても優秀な、クロヴィスという息子が生まれると――
父は、息子を虐待した。
周囲の評価は「さすが、あの曾祖父と祖父の血を引く子」であって、当然だが父親の評価が上がるわけではない。
むしろ「十やそこらの息子と比べてすら劣る」と嘲笑したのが現実だ。
それでも父は悪あがきして、
「自分が一流の教育を施したからこそ、息子は優秀なのだ」
そう主張し始めた。
一般教養、魔法学、剣術、馬術、舞踏に楽器演奏。朝から晩まで、各分野の教師たちを息子に張りつかせて。
そんなことをせずともクロヴィスは、とうに各分野に秀でていたというのに。
クロヴィスは早々に、父の病的な他者評価への妄執に嫌気がさしていた。
彼自身は父の真逆で、他人の思惑より自分自身が求めることに――竜と、竜の歌に関する研究に、すべての時間を費やしたかった。
子供とはいえ納得いかないことは拒否したし、説教してきた教師と口論したことも数知れない。
すると彼らは幼い生徒にやり込められた悔しさから、「ご子息は人間性に大変問題がある」と父に告げ口するのだ。
父からは幾度も体罰を受けた。
ものごころつく前からずっと。
「親に恥をかかせる、出来損ないの不孝者」
そう声を荒らげて、気がふれたように打擲を始めると、母が泣いて止めようと決して止めない。
――母は泣くだけで、身を挺してまで息子を庇う気はないことを、父もわかっていたのだろう。
クロヴィスの躰には未だ鞭の痕が残る。
さらには食事抜きで監禁されるのも、いつものことだった。
クロヴィスは、自分の性格に難があることは自覚していた。大人たちの目にはさぞ、反抗的で生意気と映ったろう。
だがそれを暴力の理由にするのは許せない。
だから、自分の身は自分で守ると決めた。
独学で竜や魔法について研究し、躰を鍛え。
浅い教養で威張り散らす教師が来ようものなら、より高い教養で追い払い。
理不尽な武術訓練を強いる教師は、魔法で吹っ飛ばした。
その頃には身長もぐんぐん伸びて、十二のときには――そう、今のラピスの年には、父の身長を超えていた。
閉じ込められても扉を破壊する腕力がついたし、食事を抜かれれば両親の食卓もクロスごと引っ繰り返して、彼らの食事も抜いてやった。
おかげで虐待されることはなくなった。
卑怯者たちは弱者しか標的にしないのだ。
反撃できない相手を選んで暴力を振るう、そんな父や教師たちを、改めて軽蔑した。
環境が変わった興奮のせいか、休めと何度言ってもせかせか動き回っていたラピスをようやく湯浴みさせたクロヴィスは、ふう、と大きく息を吐き出した。
クロヴィスは普段、日常生活にあまり魔法を使わない。
だが風邪をひかせたくないので、ラピスの濡れた巻毛に温風を送って、手早く乾かしてやった。その頃にはラピスも、こっくりこっくり舟をこいで、魔法を使われていることに気づいていなかったが。
清潔に整えて暖炉のそばに置いた寝椅子に落ち着かせると、あっという間に眠りに落ちた。疲れていないはずがないのだ。
しかし、子供の体力の凄まじさを目の当たりにした日でもあった。
自分にもこんな時期があったろうかと記憶を辿っても……
(俺は昔からひねくれてたな)
そんなことしか思い浮かばない。
――森でラピスが手をつないできたとき、内心、ものすごく驚いた。
彼の手が見た目以上に荒れていることに、ドキリとしたせいもあるが……もうひとつ、理由がある。
クロヴィスには子供のときですら、誰かと手をつないだ記憶がない。
隙あらば脱走を試みる子供だったので、悪態をつく乳母や家庭教師などに、引っ張って連れ戻されることは多々あったけれど。
クロヴィスの曾祖父は、優秀な聴き手だったという。
当時の国王を狙った暗殺組織を、古竜の歌を解いたことをきっかけに摘発した曾祖父は、王と国を救ったとして伯爵位を授けられた。
一族で『大』魔法使いの称号を得ているのは、クロヴィスと曾祖父だけである。
その曾祖父の息子である祖父は、魔法の才には恵まれなかったが、領地の運営手腕で高く評価された。そうして成した財産で、慈善事業にも貢献した。
(問題はあいつだ)
父、スティーヴン。
曾祖父のような魔力も、祖父のような実務能力も、努力する気もない男。
偉大な肉親と比較されることを嫌忌し、賭けごとや怪しい事業への投資で成果を出そうとした。
資金はすべて親の財産頼り。問題を起こしても彼らの虎の威を借る。その繰り返し。
父の最大にして唯一の功績は、大金持ちの娘を嫁にしたことだろう。
クロヴィスの母ジーンとの結婚がなければ、財産を食い潰し、とうに破産していた。
父にも同情の余地はあるのかもしれない。
だが憐れんでやる気はまったくない。
なぜなら父は、満たされぬ承認欲求と傷ついた自尊心を、子供で晴らそうとしたからだ。
愚鈍なくせに見栄っ張りで、己を高く見せたがる彼は、優秀な跡継ぎが生まれることを熱望した。
子供の栄誉が、親の格を上げると妄信して。
しかしいざ現実に、幼少のみぎりから古竜の歌を解き、何をやらせても優秀な、クロヴィスという息子が生まれると――
父は、息子を虐待した。
周囲の評価は「さすが、あの曾祖父と祖父の血を引く子」であって、当然だが父親の評価が上がるわけではない。
むしろ「十やそこらの息子と比べてすら劣る」と嘲笑したのが現実だ。
それでも父は悪あがきして、
「自分が一流の教育を施したからこそ、息子は優秀なのだ」
そう主張し始めた。
一般教養、魔法学、剣術、馬術、舞踏に楽器演奏。朝から晩まで、各分野の教師たちを息子に張りつかせて。
そんなことをせずともクロヴィスは、とうに各分野に秀でていたというのに。
クロヴィスは早々に、父の病的な他者評価への妄執に嫌気がさしていた。
彼自身は父の真逆で、他人の思惑より自分自身が求めることに――竜と、竜の歌に関する研究に、すべての時間を費やしたかった。
子供とはいえ納得いかないことは拒否したし、説教してきた教師と口論したことも数知れない。
すると彼らは幼い生徒にやり込められた悔しさから、「ご子息は人間性に大変問題がある」と父に告げ口するのだ。
父からは幾度も体罰を受けた。
ものごころつく前からずっと。
「親に恥をかかせる、出来損ないの不孝者」
そう声を荒らげて、気がふれたように打擲を始めると、母が泣いて止めようと決して止めない。
――母は泣くだけで、身を挺してまで息子を庇う気はないことを、父もわかっていたのだろう。
クロヴィスの躰には未だ鞭の痕が残る。
さらには食事抜きで監禁されるのも、いつものことだった。
クロヴィスは、自分の性格に難があることは自覚していた。大人たちの目にはさぞ、反抗的で生意気と映ったろう。
だがそれを暴力の理由にするのは許せない。
だから、自分の身は自分で守ると決めた。
独学で竜や魔法について研究し、躰を鍛え。
浅い教養で威張り散らす教師が来ようものなら、より高い教養で追い払い。
理不尽な武術訓練を強いる教師は、魔法で吹っ飛ばした。
その頃には身長もぐんぐん伸びて、十二のときには――そう、今のラピスの年には、父の身長を超えていた。
閉じ込められても扉を破壊する腕力がついたし、食事を抜かれれば両親の食卓もクロスごと引っ繰り返して、彼らの食事も抜いてやった。
おかげで虐待されることはなくなった。
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