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第1唱 変転する世界とラピスの日常
売られていたラピス
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謎の男はクロヴィス・グレゴワールと名乗った。
そして結局ラピスは、彼に幼竜を預けて帰宅した。なぜって、当の幼竜が彼に懐いて、離れなくなったからだ。
「幼体といえど、竜は賢いからな。自分がお前を困らせてることも、お前の家では安らげないことも、ちゃんと理解してるのさ」
長い腕にぎゅっと抱きつく竜の子を、もう片方の手で優しく撫でながら、クロヴィスはそう言った。
本音を言うと、ラピスはかなり寂しく思った。
情を移さないよう気をつけていたつもりだけれど、やはりそばに誰かが……それが人でなくとも、いるといないとでは大違いなのだと。半日ほど一緒に過ごしただけなのに、身にしみて気づいてしまった。
幼竜の様子と、きつい口調に反して優しいクロヴィスの扱い方を見れば、彼に預かってもらうのが最善だと、信じられるけれど。
(また、母様のいない家に帰るんだな……)
当たり前のことなのに、改めて寂しさが込み上げてくる。
なんだか胸がきりきりして、苦しくなった。
自分の帰りを歓迎しない家族がいる家。
普段はあえて考えないようにしていたこと。
急に重苦しい思考ばかりに囚われて、鼻の奥がつんとした。
そんなラピスを見ていたクロヴィスが、にこりともせず提案してきた。
「明日またこの森に来られるか? ラピんこの都合に合わせてやる。こいつを連れてくるから、一緒に竜が来るのを待とう。頻繁に竜に遭遇するという、お前の強運を発揮してみせろ」
「あ、明日もまた会えるのですか!?」
その提案が、一瞬にしてラピスの頭の中の暗雲を吹き飛ばしてくれた。
「えっと、えっと。僕は大抵、お昼過ぎからのほうが、森での仕事が多いです! でもお望みでしたら、また真夜中でも抜け出せます! だからどうぞお好きに、煮るなり焼くなりしていただいてっ」
喜びのあまり何を言っているかわからなくなり、「俺は変質者じゃねえ」と、またも手刀をポフッとくらってしまった。
が、にやけてしまうのを抑えられないくらい、心の底から嬉しい。
訊きたいこと、話したいことは山ほどある。
だがそれも再会したときにと約束した。
クロヴィスは、ぶっきらぼうな態度を崩さぬまま家まで送ってくれた。
竜の子は彼の腕の中で、安心して眠っていた。
夢見心地で帰宅したラピスを、執事たちが安堵した様子で出迎えてくれた。
心配をかけたことを申しわけなく思い詫びたものの、今夜、森に行ったことは、まったく後悔していなかった。逆にこの幸運を、誰彼かまわず感謝したいくらいだ。
ただし。
継母たちはその夜、すでに就寝していたが――
ラピスが思う以上に厳しい罰を用意していたと知ったのは、翌朝のことだった。
その朝は、とても冷え込んだ。
いつも通り、各部屋の暖炉に薪をくべて回ったり、掃除をしたりしていたラピスは、談話室に来るよう、継母グウェンから命じられた。
昼過ぎには、森でクロヴィスと会う約束だ。
長引く用事を言いつけられないよう祈りつつ赴くと、義姉ディアナと義兄イーライも一緒に、三人で茶を飲んでいるところだった。
義姉兄はにやにやしながらラピスを見たが、グウェンは冷たく一瞥しただけで、前置きなく宣言した。
「ラピス。あなたを皮なめし職人に、弟子入りさせることにしたわ」
「ほえ? 皮なめし?」
「あなたは今まで甘やかされ過ぎた。だから自分勝手で傲慢で、強欲な人間になってしまったのよ」
「はあ……」
寝耳に水の話と展開についていけず、気の抜けた相槌を打ったラピスを、グウェンは苛立ちも露わに睨めつけてきた。
「今さらとぼけたって無駄よ! あの竜をどこから獲ってきたのか、白状なさい!」
答える間もなく、義姉と義兄も責め立ててくる。
「そうよ、アレがあれば王族や高位の魔法使いたちとの人脈もできるし、あたしはあのアシュクロフト騎士団長様とお近づきになれるのよ!」
「そんなことより、おれのアカデミー入学が先だ! 竜を捕まえたって言えば、きっと入学を認められる! なのにお前はおれを妬んで、阻止しようと隠したんだ! 全部わかってるんだからな!」
「……えっと」
ズレまくった認識の上に返答を求められても、なんとも言いようがない。
ラピスが困るのをどう受け取ったものか、継母は嵩にかかってまくしたてた。
「なんて強欲な子かしら。独り占めして自分だけ、王城に向かおうとでも思ってるんでしょう! 今なら許してあげるから言いなさい、どこに隠したの! 自分だけ美味い汁を吸おうと言うのなら、そんな子は根性を叩き直さなきゃね。知り合いの皮なめし職人はいつでも弟子を探してるから、鍛えてもらうといいわ。さあ、どうするの!?」
☆ ☆ ☆
「皮なめしだぁ!? なにほざいてんだ、そのくそアマはっ!」
澄んだ青空の下、落葉が黄色い絨毯のように輝く静かな森に、クロヴィスの怒声が響き渡った。
ラピスは目を丸くして、並んで歩く相手の、怒っても端整な横顔を見上げた。
ラピスの手に頭をすりつけていた竜の子も、ビクッと躰を揺らした。そのしっとりした頭を撫でると、細かな鱗と産毛の感触が楽しい。
「僕、この子はもう空に帰したと言ったんです。嘘はつきたくなかったけど、たぶんこの子は、お城だとかに行きたいわけじゃないでしょう?」
「そりゃあそうだ。あんなとこに居る奴らは、ろくなもんじゃない」
大きくうなずいたクロヴィスに呼応するように、幼竜も「キュッ」と首を縦に振る。
「そしたら継母上はすごく怒って、『なら契約通り、七日後に親方に引き渡す』って」
「なんだそれ。結局お前がどう答えようが、追っ払う気満々だったんじゃねえか。契約済みってことは、お前はもう売られてるな。すでに親方から金をもらってるんだよ、その継母は」
「そうなのですか? あの……僕でもなれるものなのでしょうか、皮なめし職人って」
くわっと目を剥いたクロヴィスの人差し指が、トトトトトッと高速でラピスのおでこを突いた。
「無理!」
「あたたたたた」
「嘘つけ、痛くない!」
「はい、痛くないです! あたたたた」
そして結局ラピスは、彼に幼竜を預けて帰宅した。なぜって、当の幼竜が彼に懐いて、離れなくなったからだ。
「幼体といえど、竜は賢いからな。自分がお前を困らせてることも、お前の家では安らげないことも、ちゃんと理解してるのさ」
長い腕にぎゅっと抱きつく竜の子を、もう片方の手で優しく撫でながら、クロヴィスはそう言った。
本音を言うと、ラピスはかなり寂しく思った。
情を移さないよう気をつけていたつもりだけれど、やはりそばに誰かが……それが人でなくとも、いるといないとでは大違いなのだと。半日ほど一緒に過ごしただけなのに、身にしみて気づいてしまった。
幼竜の様子と、きつい口調に反して優しいクロヴィスの扱い方を見れば、彼に預かってもらうのが最善だと、信じられるけれど。
(また、母様のいない家に帰るんだな……)
当たり前のことなのに、改めて寂しさが込み上げてくる。
なんだか胸がきりきりして、苦しくなった。
自分の帰りを歓迎しない家族がいる家。
普段はあえて考えないようにしていたこと。
急に重苦しい思考ばかりに囚われて、鼻の奥がつんとした。
そんなラピスを見ていたクロヴィスが、にこりともせず提案してきた。
「明日またこの森に来られるか? ラピんこの都合に合わせてやる。こいつを連れてくるから、一緒に竜が来るのを待とう。頻繁に竜に遭遇するという、お前の強運を発揮してみせろ」
「あ、明日もまた会えるのですか!?」
その提案が、一瞬にしてラピスの頭の中の暗雲を吹き飛ばしてくれた。
「えっと、えっと。僕は大抵、お昼過ぎからのほうが、森での仕事が多いです! でもお望みでしたら、また真夜中でも抜け出せます! だからどうぞお好きに、煮るなり焼くなりしていただいてっ」
喜びのあまり何を言っているかわからなくなり、「俺は変質者じゃねえ」と、またも手刀をポフッとくらってしまった。
が、にやけてしまうのを抑えられないくらい、心の底から嬉しい。
訊きたいこと、話したいことは山ほどある。
だがそれも再会したときにと約束した。
クロヴィスは、ぶっきらぼうな態度を崩さぬまま家まで送ってくれた。
竜の子は彼の腕の中で、安心して眠っていた。
夢見心地で帰宅したラピスを、執事たちが安堵した様子で出迎えてくれた。
心配をかけたことを申しわけなく思い詫びたものの、今夜、森に行ったことは、まったく後悔していなかった。逆にこの幸運を、誰彼かまわず感謝したいくらいだ。
ただし。
継母たちはその夜、すでに就寝していたが――
ラピスが思う以上に厳しい罰を用意していたと知ったのは、翌朝のことだった。
その朝は、とても冷え込んだ。
いつも通り、各部屋の暖炉に薪をくべて回ったり、掃除をしたりしていたラピスは、談話室に来るよう、継母グウェンから命じられた。
昼過ぎには、森でクロヴィスと会う約束だ。
長引く用事を言いつけられないよう祈りつつ赴くと、義姉ディアナと義兄イーライも一緒に、三人で茶を飲んでいるところだった。
義姉兄はにやにやしながらラピスを見たが、グウェンは冷たく一瞥しただけで、前置きなく宣言した。
「ラピス。あなたを皮なめし職人に、弟子入りさせることにしたわ」
「ほえ? 皮なめし?」
「あなたは今まで甘やかされ過ぎた。だから自分勝手で傲慢で、強欲な人間になってしまったのよ」
「はあ……」
寝耳に水の話と展開についていけず、気の抜けた相槌を打ったラピスを、グウェンは苛立ちも露わに睨めつけてきた。
「今さらとぼけたって無駄よ! あの竜をどこから獲ってきたのか、白状なさい!」
答える間もなく、義姉と義兄も責め立ててくる。
「そうよ、アレがあれば王族や高位の魔法使いたちとの人脈もできるし、あたしはあのアシュクロフト騎士団長様とお近づきになれるのよ!」
「そんなことより、おれのアカデミー入学が先だ! 竜を捕まえたって言えば、きっと入学を認められる! なのにお前はおれを妬んで、阻止しようと隠したんだ! 全部わかってるんだからな!」
「……えっと」
ズレまくった認識の上に返答を求められても、なんとも言いようがない。
ラピスが困るのをどう受け取ったものか、継母は嵩にかかってまくしたてた。
「なんて強欲な子かしら。独り占めして自分だけ、王城に向かおうとでも思ってるんでしょう! 今なら許してあげるから言いなさい、どこに隠したの! 自分だけ美味い汁を吸おうと言うのなら、そんな子は根性を叩き直さなきゃね。知り合いの皮なめし職人はいつでも弟子を探してるから、鍛えてもらうといいわ。さあ、どうするの!?」
☆ ☆ ☆
「皮なめしだぁ!? なにほざいてんだ、そのくそアマはっ!」
澄んだ青空の下、落葉が黄色い絨毯のように輝く静かな森に、クロヴィスの怒声が響き渡った。
ラピスは目を丸くして、並んで歩く相手の、怒っても端整な横顔を見上げた。
ラピスの手に頭をすりつけていた竜の子も、ビクッと躰を揺らした。そのしっとりした頭を撫でると、細かな鱗と産毛の感触が楽しい。
「僕、この子はもう空に帰したと言ったんです。嘘はつきたくなかったけど、たぶんこの子は、お城だとかに行きたいわけじゃないでしょう?」
「そりゃあそうだ。あんなとこに居る奴らは、ろくなもんじゃない」
大きくうなずいたクロヴィスに呼応するように、幼竜も「キュッ」と首を縦に振る。
「そしたら継母上はすごく怒って、『なら契約通り、七日後に親方に引き渡す』って」
「なんだそれ。結局お前がどう答えようが、追っ払う気満々だったんじゃねえか。契約済みってことは、お前はもう売られてるな。すでに親方から金をもらってるんだよ、その継母は」
「そうなのですか? あの……僕でもなれるものなのでしょうか、皮なめし職人って」
くわっと目を剥いたクロヴィスの人差し指が、トトトトトッと高速でラピスのおでこを突いた。
「無理!」
「あたたたたた」
「嘘つけ、痛くない!」
「はい、痛くないです! あたたたた」
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