ドラゴン☆マドリガーレ

月齢

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第1唱 変転する世界とラピスの日常

竜のいる世界

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「今日も会えるといいなぁ」

 外に出て、空を見上げた。
 冷えた風を吹き下ろす曇天に、ところどころ、水たまりのような青空。
 石畳の上を、赤や黄色の枯れ葉がカサコソ音をたてて転がる。
 軽快に走っていくと、通りに面して並ぶ商店のあちらこちらから声がかかった。

「こんにちは、ラピス! 今日も森に行くのかい?」
「帰りはうちに寄ってって! 美味しいスープであったまってお行き」
「いいや、ぜひうちで! 自慢のパイをご馳走するからっ」

 宿屋に酒場に仕立て屋、帽子屋、パン工房に肉屋に鍛冶組合。
 みんな母の生前からの付き合いで、いつも優しく心配りをしてくれる。

「ありがとう、またあとでね!」

 笑顔で手を振ると、神経質な代筆屋も強面の大工の親方も、みんなそろって相好を崩し見送ってくれた。
 ついでに口々に「ああ、可愛い……」と漏らしていたことや、

「けど、手も脚も細くて心配だよ。きっとろくに食わせてもらえてないんだ」
「あんな天の御使いのような子を苛めるなんて、憎たらしいったらありゃしないぜ、あの後妻連中め」

 などと噂していたことまでは、知らなかったけれど。
 
 今や継母はカーレウム家の女主人だ。
 だから彼女のご機嫌を優先する使用人や、商売人たちも少なくない。
 ラピスはそういう人たちからは決まって、無視をされたり馬鹿にされたり、厳しい対応をされるのだけれど。
 でも、優しい人たちだって、たくさんいる。
 
「『ナイフのような言葉は、すぐに捨てなさい。長く持つほど深くお前を傷つける。善き言葉を抱きなさい。大事に持つほどお前を守る』」

 いつものように、独りちる。
 これも以前、から教わった言葉だ。

 ――正確には、歌ってもらった。

 商店街を抜け、街はずれから森の入り口へ。
 ラピスは昔から、森という奥深く神秘的な場所が大好きだ。
 だから継母たちから森での仕事を言いつけられるようになっても、皆が心配してくれるほど苦痛ではなかった。少なくとも精神的には。

「来ないかな……」

 森に分け入りながら、葉を落とした梢越しに空を見上げる。
 茸も探す。空を見上げる。下を見る、上を見る、繰り返し。

「あっ!」

 何十回目か空を仰いだ先、雲の切れ間に、きらりと光るものがあった。
 光はみるみる大きくなる。
 悠々と灰色の雲を割き、空を渡ってくる。

「こっちに来て、こっちに来て……!」

 急いで茸入りのバスケットを枯草の上に置き、夢中で祈った。
 その声が、遥か上空に届くはずはないのだが。
 悠然と空を往く巨体――竜が、ゆったりと旋回して向きを変えた。
 こちらに向かって、近づいてくる。
 
 今日の竜は、鮮やかな黄色だ。
 ぎょろりと動いてラピスを捉えた巨大な眼は琥珀色。腹の鱗が虹色に煌めく。

 竜は大きく分けて、蛇のように長い胴体の『蛇型じゃけい』と、四肢と尾が特徴的な『獣型じゅうけい』があるが、いま目にしている竜は蛇型。

 巨躯が頭上に達すると、ラピスの視界は竜で埋まった。
 馬を十頭並べたよりも遥かに長い胴体なのに、この大きさでもまだ、若い竜の体長だ。古竜はさらに、途方もなく大きい。
 ざあっと、風が吹き下ろされてきた。
 冷たいが、果実を思わせる甘さを含んだ清々しい風。
 木々が踊るように揺れる。

「来てくれて、ありがとう! ねぇ、歌って!」

 ラピスは跳びあがって、声を張り上げた。

 ――でも、これは秘密。
 生前の母と、交わした秘密。

 この森に来ると、頻繁に竜に遭遇することも。
 一心に祈れば、近くまで来てくれることも。
 そして、歌ってくれることも。
 この世界において最も重要なものとされる、『竜の歌』を。
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