召し使い様の分際で

月齢

文字の大きさ
上 下
258 / 259
第30章 その頃、元皇族たちは……

罪と笑顔

しおりを挟む
 今日もランドルは、苦いため息をこぼし続けている。
 気づけば頭が落ちそうなほど項垂れて、亀のように背中も丸まり、無限に続くのではというほどため息を吐きながら仕事をしていたものだから、怪訝な面持ちの使用人たちから「こっちまで不景気になりそうだからやめろ」と嫌がられ、強引に休憩を取らされてしまった。

 けれど……きつい物言いをする彼らだが、ランドルがこの屋敷に来たばかりの頃と比べれば、ずいぶん態度が軟化して、ぽつぽつと様子を見に来てくれる。
「あんま食ってなかったろ。だからそんな不景気なツラになるんだ」と焼き菓子を持ってきてくれたり、「熱はないのかい?」と温まり効果のある薬湯を淹れてくれたり。
 義弟アーネストの薬舗の品だというその薬湯は、いつのまにか冷え切っていたランドルの手足を、冬のひだまりのように優しく温めてくれた。

 アーネストの薬は『妖精の薬』と謳われているらしい。
 ぼんやりと聞いていた義弟への称賛も、こうして自分が弱っているとき口にしてみれば、実感を伴って納得できた。なにやら躰だけでなく、心にまで効くような。
 なぜだか無性に泣きたくなって、あわててグッとこらえた。

 そうしてランドルは思い返す。
 講和会議で初めてアーネストを見たときに甦った、ローズマリーの顔を。
 そう、あんな顔だった。髪の色は違うが瓜二つだ。
 十にも満たぬ頃、初めて会った彼女と。 

 父に紹介された『第二妃』の美貌は、子供ごころに衝撃的だった。
 彼女だけ、別世界の住人のように異質で、周囲とは別の空気につつまれているみたいに見えた。
 エルバータの社交界には美女が大勢いたけれど、ローズマリーという人間は、周囲の者をすべて――皇妃である母すら圧倒して、有象無象のぼやけた存在にしてしまった。どんなに控えめに振る舞っていても、みなの視線を奪わずにいられなかった。
 だからいっそう、母の怒りはすさまじかった。

 母を嘆かせ傷つける、悪い女だと思っていた。
 母が嫌う女だから、自分も嫌った。
 ……いや、違う。嫌っていたわけではない。母の機嫌を窺っていただけだ。

 自分が嫌なことをされたことなどなく、むしろ初対面で優しく話しかけられたときは、胸がときめいたのに。
 そんなふうに思った恥ずかしさが悔しさになり、兄と一緒になって酷い言葉を投げつけた。その後も彼女を見つけては石を投げつけたり、ドレスを汚したりした。
 そうすると母が喜ぶから。
『あなたたちは本当に、母親思いの優しい子ね』と褒めてくれたから。

 それでいて、本当にローズマリーが王宮から出て行くと、心にぽっかりと穴があいたようになった。
 あんな人はほかにいない。
 もう二度と、『別世界の住人』を目にすることはできない。
 失って初めて気がついた。

 彼女が消えた大宮殿は急激に色褪せて、社交界は光が消えたようになった。
 貴族たちは母に遠慮しつつ陰ではローズマリーを恋しがり、吟遊詩人たちは創造力の源泉たる『妖精王の愛し子』を追いやった母を恨んで、『世界一怖いうちの嫁』という歌を大ヒットさせた。
 
 空虚さも後悔もあと味の悪さもすべて、『母が望んだのだから仕方ない』という理屈で、なかったことにした。
 ――あの頃から自分は思考停止していたのだなと、ランドルは暗澹たる気持ちになる。
 なにひとつ自分で判断せず、損をしないという基準で動き、重大な判断はいつも母の言いなりだった。
 
 そのツケが、今になって重くのしかかる。
 現在ランドルを悩ませている原因は、二つ。
 ひとつは先日、使用人を装って秘密裏に接触してきた、兄テオドアの使いから渡された手紙。
 その内容は、いよいよ隠し財産を手にする機会が巡ってきたゆえ、行動せよという指令だった。

 待ちに待った連絡のはずなのに……なぜかランドルはためらった。
 なにに迷っているのかもわからず、一歩を踏み出すこともできず、使いには理由をつくって『後日また来てほしい』と頼んだ。すると、のんびりしている余裕はない、次は必ずと、怖い顔で念を押された。

 その後は混乱と焦燥を隠せず、忠宗に理由を問われてしまったけれど……
 忠宗は公平で寛容な男だと感じている。
 しかし、さすがに家族を裏切るようなことは言えなかった。

 そしてもうひとつの原因は、昨日いきなり自分を訪ねてきた、歓宜だ。
 もちろん、元夫への未練や同情から訪ねてきたのではない。
 突然の訪問に驚くランドルに、ただひと言だけ――

「お前は一度でも、本気で、心から、己の罪について考えたことがあるか?」

 ――そう言い置いて、去って行った。
 万の言葉で罵倒されるより、その短い言葉は、抜けない棘のように深く鋭くランドルの胸に突き刺さり、今もジクジクと苛み続けている。

 罪とは。自分の罪とは。法で裁かれぬ罪の基準とは。
 少なくとも……歓宜には、取り返しのつかないことをした。
 その件を思うたび混乱に自己嫌悪が加わって、気持ちがぐちゃぐちゃになる。
 そんなところへ執事がやって来て、今度はアーネストの来訪を告げた。

 なぜいきなり。義弟は王都にいるはずではなかったのか。
 仰天したのはランドルだけで、いつものように事務的に対応する執事を見れば、事前に連絡は来ていたのだと知れた。ランドルには知らされなかっただけで。
 皇子時代には考えられなかった扱いだが……
 不思議ともう、腹も立たない。屈辱とも感じない。

 それよりも、このタイミングで、しかも歓宜に続いてアーネストの来訪となると……思考停止を自嘲するランドルといえども、ピンとくる。

 これはもう、隠し財産に関する情報が漏れているのだ。
 兄が協力者を得て秘密裏にジオドロス・パレスから財産を引き出そうとしている計画は、このまま突き進んでも、きっと失敗に終わる。であれば、早々に兄に応じる返事をしなくて正解だった。

 情報が漏れているとしても、資産を動かせるのは自分たち親子だけ。
 別名義で預けたと証明されない限りは、戦勝国の王であっても引き出すことはできない。ならばこのまま知らぬ存ぜぬを通していれば、財産は接収されず済む。
 一刻も早い使用人の立場からの解放を望む母たちにとっては、今回の機会を逃すのは耐え難いことであろうが……

 とにかく。
 双子王子に気に入られているアーネストが、たとえ必死の形相で脅してこようとも、泣き落としで説得を試みようとも、無駄なこと。
 ローズマリーに負い目は感じているが、それとこれとは別の話だ。
 自分たちの財産なのだから、自分たちが使いたいように使う権利がある。

 そう自分に言い聞かせて、いざ、アーネストと対面してみれば……

 忠宗の書斎の長椅子に、ひとり座ってカップを口に運んでいた義弟は、ランドルを見るや「あ」と言ってへらりと笑い、立ち上がって綺麗なお辞儀をしたかと思うと、改めてニパッと笑った。

「こんにちは~ランドル義兄上あにうえ。ご機嫌うるわしゅう」

 必死の形相どころか、拍子抜けするほど呑気な笑顔だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。