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第25章 『あの日』と、これから
モテ王妃と非モテ妖精
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『妖精伯爵』と謳われるそのままに、儚く消え入りそうな美貌でありながら、泉果に見据えられても、まったく動じない。
こちらを侮っているようでもなく、ただただ不思議そうに、「あれ? 違いますか?」と見つめ返してくるものだから、正妃としてと言うより虎獣人として、自信を失いそうになった。
泉果はがっくりと脱力して答えた。
「違わないわ。……って、いえ、ちがっ、」
あまりにあけすけな物言いにつられて、否定するつもりだったのに本音が漏れた。あわてて訂正しかけたが、急に、もういいか、と思い直した。
この青年に、上辺だけ取り繕っても無意味だろうと感じたからだ。
思えば彼は、初対面のときから率直で、この藤色の瞳でまっすぐ見つめてきた。
その怖いほど澄んだ瞳で、すべて見透かされている気がする。
けれど不思議と悪い気はしない。
それどころか泉果もまた、これまで心の奥底に沈めて鍵をかけてきた記憶を、明かしたくなった。
「わたくしは本当に、琴彌のことが憎かった」
唐突な述懐にも、妖精伯爵はゆっくりと瞬きを返すだけ。
「彼女は冷徹で、でも胸の内には炎が燃え盛っている……そういう女性だったわ。王となる男の妃になるからには、私を捨てて公に尽くさねばならない。もしも庶民のような親密な家族関係を望めないとしても、虎の女として、最強の虎の男との子供を持てるなら本望。そういう覚悟ができていた。……その点では、わたくしなどよりずっと、正妃にふさわしかったのかもしれないわね」
「そういう見方もあるかもですねえ」
「そういうときは普通、『そんなことはありません』と言うものだと、以前話したときに教えたじゃないの」
呆れた声で言うほどには、本音は気分を害していない。
焼き菓子をもうひとつ勧めながら、「わかっているの」と話を続けた。
「客観的に見れば、彼女に非は無い。わたくしが甘かったの。愛の無い婚姻だと盈月から宣言されて腹は立ったけれど、結婚してしまいさえすれば、あの人も変わると思っていた。……そう自惚れるくらいにはモテたのよ?」
「すごいです」
伯爵は、本心から感心しているとしか思えない眼差しを向けてくる。
「僕はまったくモテませんでした」
「嘘おっしゃい!」
「そんな悲しい嘘などつきませんよ」
実際、嘘をついているようには見えない。
……おそらく、高嶺の花すぎたとか、そういうことだろう。
「わたくしはモテたことしかない人生だった。そのわたくしに、盈月はまったく振り向いてくれなかったのよ。本当に傷ついたわ」
「モテない人生も経験しておいたらよかったですね。傷が浅く済んだかも」
「嫌よ。そんな経験は一度で充分よ」
「でも初めてのモテない体験が強烈すぎたから、その後に拗らせたのですよ、きっと」
「……そう、なのかしら……? ……そうかもしれないわね。それでね」
「はい」
話し込むうちに冷めていたお茶を淹れ直させて、再度人払いしてから、泉果は話を再開した。
「それでも、自分に言い聞かせたのよ。政略結婚の実情くらい、心得ていたはずじゃないのと。正妃の座を得て、家門にさらに栄光をもたらせられるなら、それでいいと思った。
でも……琴彌は、次々子に恵まれた。臣下たちや、使用人たちすら、正妃より第二妃のほうが寵愛されていると噂していた。その屈辱があなたにわかる?」
「いえ。モテない人間は、まず誰かと寵愛を競うという位置に立てません」
「……なんてこと……本当だわ」
「人生いろいろです」
泉果は「そうね」とうなずいて、苦渋の色に染まった自身の人生を思った。
「あの頃のわたくしは、正妃の立場と誇りを守ろうと必死だった。琴彌に嫉妬して、焦って、ひどい嫌がらせもしたし、害そうともした。でも決定的な殺意を抱いたのは、『子ができないからって、八つ当たりしないで』と言われたときだった」
泉果はこれまで、琴彌のその言葉を思い出すたび、怒りと羞恥で心をぐしゃぐしゃに乱されていた。
だがなぜだか今、自分たちを破滅に追い込んだ、いくら憎んでも足りないはずのウォルドグレイブ伯爵に対して、さらりと打ち明けてしまった。長く隠し続けてきた、己の罪と劣等感を。
途端、涙が出そうになって、ぐっとこらえた。
伯爵は静かに、罪の告白を始めた泉果を見つめている。
そよ風に揺れる花のように、誰も責めず、何も気負わず。
この青年は本当に不思議だと、改めて泉果は思った。
ずけずけと言いたいことを言うけれど、相手の気持ちを慮ってもいる。たとえそれが、自分を陥れようとした女の気持ちであろうと。
片田舎とはいえ領地を運営し、老若男女、立場の異なる領民たちの訴えを拾い上げてきたであろう習慣が、今もしっかり根付いているのかもしれない。
……それに比べて、我が子は。
皓月の顔が浮かんだ途端、それまで奇妙な浮遊感につつまれていた泉果の心が、ドスンと重くなった。
皓月が王都ではなく領地で育ったのは、自分のせいだ。
父親と過ごす機会を持てなかったのも。
その負い目は、常に泉果にのしかかっている。
「……どんなに出来が悪くても、我が子は可愛いわ」
「はい」
「だから……皓月を授かって、弱々しい子虎だったあの子を毎日ハラハラしながら育てるうち、ようやく琴彌の気持ちを考えることができたの。三人もの子を守るのに、どれほど必死だったかと。
だって、わたくしが……弓庭後家を後ろ盾とする正妃が、彼女を憎んでいたのだもの。そして彼女が産んだ子供たちなんて、わたくしの人生をつまずかせる障害物程度にしか、思っていなかったのだもの」
『子ができないからって、八つ当たりしないで』そう言った琴彌に、激怒したけれど。
その後、泉果がしたこと――弓庭後の息のかかった主治医レンデルに命じて、琴彌が体調を崩すよう仕向け、その上で治療薬として、母乳に悪影響のある丸薬を飲ませたことを思えば。
その上、何の罪もない小さな双子を、それがどんな意味を持つのか、どんな目に遭うのかを知りながら、奴隷商人に売り払ったことを思えば。
あの言葉が、自分の仕打ちに見合うものだとは、到底思えない。
「……わたくしは、どうして、今の今まで、琴彌を憎悪し続けてきたのかしら……あんな言葉ひとつで」
どす黒い憎しみの霧が晴れたら、頭の中が真っ白になった。
こちらを侮っているようでもなく、ただただ不思議そうに、「あれ? 違いますか?」と見つめ返してくるものだから、正妃としてと言うより虎獣人として、自信を失いそうになった。
泉果はがっくりと脱力して答えた。
「違わないわ。……って、いえ、ちがっ、」
あまりにあけすけな物言いにつられて、否定するつもりだったのに本音が漏れた。あわてて訂正しかけたが、急に、もういいか、と思い直した。
この青年に、上辺だけ取り繕っても無意味だろうと感じたからだ。
思えば彼は、初対面のときから率直で、この藤色の瞳でまっすぐ見つめてきた。
その怖いほど澄んだ瞳で、すべて見透かされている気がする。
けれど不思議と悪い気はしない。
それどころか泉果もまた、これまで心の奥底に沈めて鍵をかけてきた記憶を、明かしたくなった。
「わたくしは本当に、琴彌のことが憎かった」
唐突な述懐にも、妖精伯爵はゆっくりと瞬きを返すだけ。
「彼女は冷徹で、でも胸の内には炎が燃え盛っている……そういう女性だったわ。王となる男の妃になるからには、私を捨てて公に尽くさねばならない。もしも庶民のような親密な家族関係を望めないとしても、虎の女として、最強の虎の男との子供を持てるなら本望。そういう覚悟ができていた。……その点では、わたくしなどよりずっと、正妃にふさわしかったのかもしれないわね」
「そういう見方もあるかもですねえ」
「そういうときは普通、『そんなことはありません』と言うものだと、以前話したときに教えたじゃないの」
呆れた声で言うほどには、本音は気分を害していない。
焼き菓子をもうひとつ勧めながら、「わかっているの」と話を続けた。
「客観的に見れば、彼女に非は無い。わたくしが甘かったの。愛の無い婚姻だと盈月から宣言されて腹は立ったけれど、結婚してしまいさえすれば、あの人も変わると思っていた。……そう自惚れるくらいにはモテたのよ?」
「すごいです」
伯爵は、本心から感心しているとしか思えない眼差しを向けてくる。
「僕はまったくモテませんでした」
「嘘おっしゃい!」
「そんな悲しい嘘などつきませんよ」
実際、嘘をついているようには見えない。
……おそらく、高嶺の花すぎたとか、そういうことだろう。
「わたくしはモテたことしかない人生だった。そのわたくしに、盈月はまったく振り向いてくれなかったのよ。本当に傷ついたわ」
「モテない人生も経験しておいたらよかったですね。傷が浅く済んだかも」
「嫌よ。そんな経験は一度で充分よ」
「でも初めてのモテない体験が強烈すぎたから、その後に拗らせたのですよ、きっと」
「……そう、なのかしら……? ……そうかもしれないわね。それでね」
「はい」
話し込むうちに冷めていたお茶を淹れ直させて、再度人払いしてから、泉果は話を再開した。
「それでも、自分に言い聞かせたのよ。政略結婚の実情くらい、心得ていたはずじゃないのと。正妃の座を得て、家門にさらに栄光をもたらせられるなら、それでいいと思った。
でも……琴彌は、次々子に恵まれた。臣下たちや、使用人たちすら、正妃より第二妃のほうが寵愛されていると噂していた。その屈辱があなたにわかる?」
「いえ。モテない人間は、まず誰かと寵愛を競うという位置に立てません」
「……なんてこと……本当だわ」
「人生いろいろです」
泉果は「そうね」とうなずいて、苦渋の色に染まった自身の人生を思った。
「あの頃のわたくしは、正妃の立場と誇りを守ろうと必死だった。琴彌に嫉妬して、焦って、ひどい嫌がらせもしたし、害そうともした。でも決定的な殺意を抱いたのは、『子ができないからって、八つ当たりしないで』と言われたときだった」
泉果はこれまで、琴彌のその言葉を思い出すたび、怒りと羞恥で心をぐしゃぐしゃに乱されていた。
だがなぜだか今、自分たちを破滅に追い込んだ、いくら憎んでも足りないはずのウォルドグレイブ伯爵に対して、さらりと打ち明けてしまった。長く隠し続けてきた、己の罪と劣等感を。
途端、涙が出そうになって、ぐっとこらえた。
伯爵は静かに、罪の告白を始めた泉果を見つめている。
そよ風に揺れる花のように、誰も責めず、何も気負わず。
この青年は本当に不思議だと、改めて泉果は思った。
ずけずけと言いたいことを言うけれど、相手の気持ちを慮ってもいる。たとえそれが、自分を陥れようとした女の気持ちであろうと。
片田舎とはいえ領地を運営し、老若男女、立場の異なる領民たちの訴えを拾い上げてきたであろう習慣が、今もしっかり根付いているのかもしれない。
……それに比べて、我が子は。
皓月の顔が浮かんだ途端、それまで奇妙な浮遊感につつまれていた泉果の心が、ドスンと重くなった。
皓月が王都ではなく領地で育ったのは、自分のせいだ。
父親と過ごす機会を持てなかったのも。
その負い目は、常に泉果にのしかかっている。
「……どんなに出来が悪くても、我が子は可愛いわ」
「はい」
「だから……皓月を授かって、弱々しい子虎だったあの子を毎日ハラハラしながら育てるうち、ようやく琴彌の気持ちを考えることができたの。三人もの子を守るのに、どれほど必死だったかと。
だって、わたくしが……弓庭後家を後ろ盾とする正妃が、彼女を憎んでいたのだもの。そして彼女が産んだ子供たちなんて、わたくしの人生をつまずかせる障害物程度にしか、思っていなかったのだもの」
『子ができないからって、八つ当たりしないで』そう言った琴彌に、激怒したけれど。
その後、泉果がしたこと――弓庭後の息のかかった主治医レンデルに命じて、琴彌が体調を崩すよう仕向け、その上で治療薬として、母乳に悪影響のある丸薬を飲ませたことを思えば。
その上、何の罪もない小さな双子を、それがどんな意味を持つのか、どんな目に遭うのかを知りながら、奴隷商人に売り払ったことを思えば。
あの言葉が、自分の仕打ちに見合うものだとは、到底思えない。
「……わたくしは、どうして、今の今まで、琴彌を憎悪し続けてきたのかしら……あんな言葉ひとつで」
どす黒い憎しみの霧が晴れたら、頭の中が真っ白になった。
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