召し使い様の分際で

月齢

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第22章 ねちねち

虎女子と妖精

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 ……ん? 何の話だったかな。テレテレ喜んでる場合ではなかった。えーと。
 僕がもたもたしているあいだに、繻子那嬢が勝手に話を進めてくれた。

「それでわたくしはあの競い合いの席で、隣に座る苦労人らしき妖精を見ながら、初めて彼と会った日のことを思い出してみましたの。そうしたら、今まで気づかずにいたいろいろなことが見えてきたのですわ……!」

 お話し上手な繻子那嬢は、思い出してみたという当時のことを、ありありと情景が浮かぶように語り始めた。


⁂ ⁂ ⁂


『妖精の血筋』なんて噂は、享楽的なエルバータ人らしい、軽薄な作り話だと繻子那は思っていた。
『この世のものとも思えぬ美貌』なんて、現実には存在しない。どんな美形も実際にはどこかしら粗も難点もある。

 だから父親たちが、エルバータから召喚された元第五皇子を見て、「あれはまずい」とにわかに焦り出したときも、気にはなったが聞き流していた。
『規格外の麗人だ』という評判が、社交界でも瞬く間に広まっていたけれど、新参者は騒がれるものだし、どうせすぐに飽きられると高を括っていた。

 しかしその後すぐ、あの双子王子が二人して、元皇子に求婚したと聞かされた。
 寒月王子も青月王子も、求婚どころか、誰かに入れ込むことなど無かったのに。特定の相手に夢中になるなんて、軽い噂話にすらならなかった。 

 双子王子が自分たち『王子妃候補』に関心が無いことに気づいてはいたが、誰に対してもそうであるなら、自尊心を守ることもできた。
 自分たちが疎まれているわけではない、誰のことも本気で愛したりしない人たちなのだからと、言いわけもできた。
 寝所でも暗殺を警戒し、誰のことも受け入れず、どこか刹那的で投げやりで、刃のような視線に戦場の血と土のにおいを感じるような、そんな二人だから。
 なのに……。

「あの噂が真実だったら、どうしたらいいのかしら」

 あるとき、四家の令嬢が集うお茶会で、繻子那は不安を口にした。
 その気持ちはほかの三人も同様だったらしく、ひとしきり「まさか」「でも」と話すうち、繻子那の心はどんどん重く沈んだ。

 自分は、王子妃になるという道しか知らない。
 その選択肢しか与えられなかった。
 仲良しの壱香も「そうよね」と暗い表情になっていたけれど、常に思慮深い琅珠は、「でも」と遠慮がちに切り出した。

「敵国の元皇子でしょう? 後ろ盾も財も無い。もし本当に殿下方が望んだとしても、そんな人が王子妃になることを、民が納得するかしら」

 民の反対ごときで、あの双子王子が引き下がるものか。あの気性では『だったら王子なんぞやめてやる』などと言い出しかねない。
 そう指摘すれば、

「でもわたくしたちの役目は、殿下方をお支えし、お守りすることだと教えられてきたでしょう? 敵国の元皇子ならば、敗戦の逆恨みで、殿下方に刃を向ける機会を狙っているとも限らない。あの殿下方を籠絡できるほどの者なら、そのくらいやりかねないのではなくて?
 そんな危険な者が殿下方のおそばにいるかもしれないのに、黙って見ていてよいのかしら……」

 確かに、その可能性はある。そう考えると心配になるが……いや。あの無敵の双子王子が、病弱とも聞く元皇子ごときに、どうこうされるわけがない。
 その反論には、

「それもそうね。では結局、もしも噂が本当なら、わたくしたちは黙って諦めるしかありませんわね。
 相手は男性で、跡継ぎも望めないのに。あんなにも優れた方たちの血が受け継がれないとは、醍牙は無二の至宝を失うも同然ですわ……」

 跡継ぎ、という言葉に、心臓を掴まれたかと思った。
 繻子那たちはずっと、双子王子の子を身ごもりなさいと言い聞かされてきた。
 誰より強く美しく高貴な王子の隣に立ち、お似合いのご夫婦だと羨まれ、壮麗な王宮で華やかに着飾り来客を出迎え、乳母に抱かれた我が子にキスをする――それが理想の未来図。

 婚姻だけでも足りない。
 子を産まねば。
 父親たちが子を望むのは、家門のためだろう。繻子那たちとてその思いは共有しているが、何より……子を授かれば、あの双子王子の態度も変わるかもしれない。獣人は、特に虎の獣人は、子を溺愛するものだから。
 そう思っていたのに。

 この国で、いや、この世界で最も雄々しいに違いない二人が、その尊い血を遺せぬ者を妻に望むと?
 ――子を産めても、意味は無いと?

 動揺する繻子那たちに琅珠はうなずき、残念そうにため息を吐いた。

「王子妃になるため費やした時間は、すべて無駄になるのね……。わたくしたちに残るものは、社交界で笑いものにされる屈辱だけ。どれほど恥ずかしい思いをするかと考えたら、もう田舎の領地に移り住むよりほかないと思えますわ」

 その言葉が、初めての事態に縮こまっていた繻子那たちの激情を駆り立てた。
 自分たちは誇り高い虎の一族。醍牙を守る最強の獣人。惰弱な人間などに負けてたまるものか。
 皆がその決意を口にすると、

「そうですわね。殿下方に媚びを売り、歓心を買って命乞いをするようなエルバータ人の本性を暴き、殿下方をお守りするのは、わたくしたちの使命でしょう」

 琅珠のその言葉は、繻子那たちを大いに鼓舞した。
 そう、おとなしく諦めるなんて虎の女性ではない。
 これまでだって、双子王子の気を引こうとする女たちと戦ってきたではないか。
 話し合うほど闘志が湧いて、とうとう皆で王城へ『敵』を見に出かけたのだ。そして、

『この世のものとも思えぬ美貌』

 本当にその形容に値する者がいるのだと、繻子那はその日、初めて知った。
 何が『規格外の麗人』だ。それどころではない。
 あんなの……本物の妖精ではないか。

 陶然と見惚れていた自分に気づいて、悔しくて。
 琅珠の「召し使いになり果てたというのに、まだ従僕をつけるようねだっているのね」という言葉で、頭に血がのぼった。
 おかげで双子王子から冷たい目で見られる羽目になり、むしゃくしゃしながら屋敷に戻って。

 けれどその夜、寝床に入っても繻子那の頭を埋め尽くしていたのは、城で見た妖精の姿だった。
 雪花と化して、儚く溶け入りそうな美しさだった。
 そして……彼を見つめる双子王子の、愛おしくてならないという瞳ときたら。
 あんな目をするなんて。まるで知らない人たちのようだった。

 繻子那は、あの瞳を向けられる自分を想像してみた。
 幼い頃に憧れた、王子様に愛される『お姫様』になってみたい。綺麗なドレスを着て、幸せに微笑む自分に。

『でも寒月様と青月様は、別のお姫様を見つけてしまったのよ』

 小さな自分が告げる現実を、頭の隅に追いやって。
 諦めない。
 ずっとずっと夢見てきたのに、そんな簡単に諦められるわけがない。

 足掻いてやる。
 できることは何でもする。無様でもいいから。

 ――だからお願い。夢を叶えさせて。

 失望を受け入れたくなくて、心から願った。
 泣きたくない。
 自分は強い、虎の女だ。
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