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第12章 マルム茸とは
涙
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もうとっくに本題に入っているものとばかり思っていたら、ここからなのか。
『ここからは、「妖精の書」についてのお話になります。「妖精の書」のことは、もちろんおぼえていらっしゃいますね?』
もちろんだよ!
便箋を持つ手に、にわかに力が入った。
代々のウォルドグレイブ家当主が書き記してきた、妖精に関する知識や伝承や体験談などが、豊富な挿絵と共に載っている本。
昔よくジェームズが読み聞かせしてくれたけれど、後半部分は決して見せてもらえなかった。
――ここから先は、アーネスト殿下のお祖父様とのお約束で、今はまだひらけないのですよ。殿下が成人されて、ある条件がそろったときのみ、まことに僭越ながら、わたくしの判断で殿下にお見せするようにとのご遺言だったのです――
そう言っていたけど……
『アーネスト様からいただいたお便りを拝読し、そして藍剛将軍からも、醍牙の双子殿下のお人柄について、よくよくお話を伺いました。
その結果、わたくしジェームズは、今こそアーネスト様に、「妖精の書」のすべてをお伝えしようと決意いたしました』
「おおおー……!」
床に座り込んだまま歓喜の声を上げたところで躰が冷えてきたことに気づき、いそいそと椅子に座り直した。
机の上には、大小のマルムたち。
「きみたち、本当に意思を持って動いているの?」
返事はない。ただのキノコのようだ。
まあいい。
それより手紙手紙。
「ん? でも……」
藍剛将軍に双子の人柄を訊くことと、『妖精の書』の秘された頁を明かすことに、何の関係があるのだろう。
『「妖精の書」の後半の頁をお見せできなかった理由は、それがとても繊細な内容だからです。つまり、お躰の弱いウォルドグレイブの皆様が、いかにして性交や出産を可能にしたかということです』
ドクンと心臓が跳ね上がった。
……なるほど。
それは確かに、子供の寝物語に聞かせる内容ではない。
ほかに誰もいないのに急に恥ずかしくなって、ほっぺが火照った。
ほっぺほかほかのまま、便箋をめくる。
『ウォルドグレイブの皆様には、妊娠出産はもちろんのこと、性行為すら大変なご負担となります。しかし、それを可能にしたものこそが「お恵み」です。
ある方にとっては野苺であり、ある方は湧き水であり、ある方は蜂蜜であり、そしてリンゴであり、花でもあり。それらのものの不思議な手助けにより、皆様は、命懸けの願いを叶えたのでございます』
ドキドキしていた鼓動が、ことん、ことんと静まっていった。
外は夜闇が落ちて、カタカタと窓を叩く風には雪が混じっている。
ああ、そうか……。
心の中でうなずいた。
ひどく平らかな気持ちで。
『命懸けの願い』
「お恵み」の助けがあっても、ウォルドグレイブの人間にとっての愛の営みは、命懸けであることに変わりはないんだ。
そうだよね。
妖精の血筋は短命。
その事実は変わらぬまま、僕が最後のひとりなのだもの。
マルムのおかげで双子を受け入れることができて、僕にとってそれは奇跡と同義で、マルムの効能を研究できれば、奇跡を日常にできるかもしれないなんて。
欲張りな希望を、持ってしまっていたのだけど。
「そうかあ……やっぱりダメかあ」
苦笑して、箱の中に鎮座する親マルムに話しかけた。
「そうだよねえ。きみたちにだって、できることと、できないことがあるよねえ」
うん。欲張りすぎた。
もう充分、恵まれているじゃないか。
ダースティンにいた頃は、まさか自分が恋をするなんて思わなかった。まして恋人ができるなんて。
けれど今は、心からたいせつに想う恋人がいる。しかも二人も。
そしてその二人から、信じられないほどたいせつにしてもらっている。
そんな二人を、もっと受け入れたくて。
我慢させたくなくて。
ひとりで照れたり恥ずかしがったりしながら、それを可能にする情報は無いものかと考えを巡らせるのも、本当に楽しくて嬉しくかった。
人を好きになるって、愛するって、楽しいな。
こんなに次から次へと、幸せな気持ちになれるんだなって、初めて知った……。
親マルムの大きな傘に、人差し指でちょこんと触れた。
「こんな気持ちを知ることができて、ありがたいねえ。本当に……幸せ……」
便箋の上でポタッと音をたてて、雫が落ちた。
急に涙が込み上げて、抑える間も無くあふれ出る。
「あ……」
ジェームズの綺麗な字が滲んでしまう。
せっかく書き直して送ってくれたのに。
ブロッターで吸い取ろうと手をのばす端から、涙が頬を転がり落ちた。
「ああ」
乱暴に目を擦ったが、涙腺もひ弱になってしまったようで、余計に止まらなくなった。子供みたいにしゃくり上げてしまう。
「……うー」
わかっているんだ。
人と比べても意味が無いって。
僕は僕、人は人。
虚弱でも短命でも、持っていないものを嘆くより、与えられた幸せに感謝しないと。
でも……それでもどうにかしたくて。
頑張っても頑張っても、どんなに努力しても。
やっぱりダメだ、報われないのだと思い知らされるのは、どうしようもなくつらい。きつい。
自分のポンコツっぷりが嫌いだ。
どうしてこんなにダメダメなんだろう。
泣いたって何も変わらないことくらいわかっているくせに泣けてくる。情けない。
「はあ……」
大きく息を吐き出した。
泣いてるところなんて双子に見せられない。
二人が帰ってくる前に、冷水で顔を洗おう。
立ち上がり、ジェームズからの手紙も一旦片付けておこうとして、読んでいた便箋の次の一枚が、はらりと床に落ちた。
拾い上げ、読むでもなく視線を走らせ――
本当に、カッ! と音がしそうなほど、目を瞠った。
『アーネスト様。お泣きあそばしますな。ジェームズは誰よりたいせつなあなた様を嘆かせるために、この手紙を綴っているわけではありませぬよ。
たいせつなたいせつなアーネスト様。これだけは決して忘れないでください。
あなた様に与えられた「お恵み」がマルム茸であること。これは大変な幸運です。ウォルドグレイブ家の長い歴史の中で、マルム茸ほど強い守護を与えた「お恵み」は、ほかに無いからです。なぜなら――』
『ここからは、「妖精の書」についてのお話になります。「妖精の書」のことは、もちろんおぼえていらっしゃいますね?』
もちろんだよ!
便箋を持つ手に、にわかに力が入った。
代々のウォルドグレイブ家当主が書き記してきた、妖精に関する知識や伝承や体験談などが、豊富な挿絵と共に載っている本。
昔よくジェームズが読み聞かせしてくれたけれど、後半部分は決して見せてもらえなかった。
――ここから先は、アーネスト殿下のお祖父様とのお約束で、今はまだひらけないのですよ。殿下が成人されて、ある条件がそろったときのみ、まことに僭越ながら、わたくしの判断で殿下にお見せするようにとのご遺言だったのです――
そう言っていたけど……
『アーネスト様からいただいたお便りを拝読し、そして藍剛将軍からも、醍牙の双子殿下のお人柄について、よくよくお話を伺いました。
その結果、わたくしジェームズは、今こそアーネスト様に、「妖精の書」のすべてをお伝えしようと決意いたしました』
「おおおー……!」
床に座り込んだまま歓喜の声を上げたところで躰が冷えてきたことに気づき、いそいそと椅子に座り直した。
机の上には、大小のマルムたち。
「きみたち、本当に意思を持って動いているの?」
返事はない。ただのキノコのようだ。
まあいい。
それより手紙手紙。
「ん? でも……」
藍剛将軍に双子の人柄を訊くことと、『妖精の書』の秘された頁を明かすことに、何の関係があるのだろう。
『「妖精の書」の後半の頁をお見せできなかった理由は、それがとても繊細な内容だからです。つまり、お躰の弱いウォルドグレイブの皆様が、いかにして性交や出産を可能にしたかということです』
ドクンと心臓が跳ね上がった。
……なるほど。
それは確かに、子供の寝物語に聞かせる内容ではない。
ほかに誰もいないのに急に恥ずかしくなって、ほっぺが火照った。
ほっぺほかほかのまま、便箋をめくる。
『ウォルドグレイブの皆様には、妊娠出産はもちろんのこと、性行為すら大変なご負担となります。しかし、それを可能にしたものこそが「お恵み」です。
ある方にとっては野苺であり、ある方は湧き水であり、ある方は蜂蜜であり、そしてリンゴであり、花でもあり。それらのものの不思議な手助けにより、皆様は、命懸けの願いを叶えたのでございます』
ドキドキしていた鼓動が、ことん、ことんと静まっていった。
外は夜闇が落ちて、カタカタと窓を叩く風には雪が混じっている。
ああ、そうか……。
心の中でうなずいた。
ひどく平らかな気持ちで。
『命懸けの願い』
「お恵み」の助けがあっても、ウォルドグレイブの人間にとっての愛の営みは、命懸けであることに変わりはないんだ。
そうだよね。
妖精の血筋は短命。
その事実は変わらぬまま、僕が最後のひとりなのだもの。
マルムのおかげで双子を受け入れることができて、僕にとってそれは奇跡と同義で、マルムの効能を研究できれば、奇跡を日常にできるかもしれないなんて。
欲張りな希望を、持ってしまっていたのだけど。
「そうかあ……やっぱりダメかあ」
苦笑して、箱の中に鎮座する親マルムに話しかけた。
「そうだよねえ。きみたちにだって、できることと、できないことがあるよねえ」
うん。欲張りすぎた。
もう充分、恵まれているじゃないか。
ダースティンにいた頃は、まさか自分が恋をするなんて思わなかった。まして恋人ができるなんて。
けれど今は、心からたいせつに想う恋人がいる。しかも二人も。
そしてその二人から、信じられないほどたいせつにしてもらっている。
そんな二人を、もっと受け入れたくて。
我慢させたくなくて。
ひとりで照れたり恥ずかしがったりしながら、それを可能にする情報は無いものかと考えを巡らせるのも、本当に楽しくて嬉しくかった。
人を好きになるって、愛するって、楽しいな。
こんなに次から次へと、幸せな気持ちになれるんだなって、初めて知った……。
親マルムの大きな傘に、人差し指でちょこんと触れた。
「こんな気持ちを知ることができて、ありがたいねえ。本当に……幸せ……」
便箋の上でポタッと音をたてて、雫が落ちた。
急に涙が込み上げて、抑える間も無くあふれ出る。
「あ……」
ジェームズの綺麗な字が滲んでしまう。
せっかく書き直して送ってくれたのに。
ブロッターで吸い取ろうと手をのばす端から、涙が頬を転がり落ちた。
「ああ」
乱暴に目を擦ったが、涙腺もひ弱になってしまったようで、余計に止まらなくなった。子供みたいにしゃくり上げてしまう。
「……うー」
わかっているんだ。
人と比べても意味が無いって。
僕は僕、人は人。
虚弱でも短命でも、持っていないものを嘆くより、与えられた幸せに感謝しないと。
でも……それでもどうにかしたくて。
頑張っても頑張っても、どんなに努力しても。
やっぱりダメだ、報われないのだと思い知らされるのは、どうしようもなくつらい。きつい。
自分のポンコツっぷりが嫌いだ。
どうしてこんなにダメダメなんだろう。
泣いたって何も変わらないことくらいわかっているくせに泣けてくる。情けない。
「はあ……」
大きく息を吐き出した。
泣いてるところなんて双子に見せられない。
二人が帰ってくる前に、冷水で顔を洗おう。
立ち上がり、ジェームズからの手紙も一旦片付けておこうとして、読んでいた便箋の次の一枚が、はらりと床に落ちた。
拾い上げ、読むでもなく視線を走らせ――
本当に、カッ! と音がしそうなほど、目を瞠った。
『アーネスト様。お泣きあそばしますな。ジェームズは誰よりたいせつなあなた様を嘆かせるために、この手紙を綴っているわけではありませぬよ。
たいせつなたいせつなアーネスト様。これだけは決して忘れないでください。
あなた様に与えられた「お恵み」がマルム茸であること。これは大変な幸運です。ウォルドグレイブ家の長い歴史の中で、マルム茸ほど強い守護を与えた「お恵み」は、ほかに無いからです。なぜなら――』
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