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第8章 それぞれの思惑

第二関門クリア

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 下剤の話に衝撃を受けたユーチアが、驚きと混乱のあまりボーッとしているあいだに、フランツはすっかり、ハンナとレーネと打ち解けていた。

「へえ。じゃあ、お二人は、レオンハルト様に直談判するつもりだったんだ」
「そうなんですよお! だって坊ちゃまが王都に戻られたらしいのに、旦那様ときたら、坊ちゃまを実家に招こうとしないんですもの! そりゃそうですよね、奥様とケイトリン様は、イシュトファン様に色仕掛けをしようと張り切ってたんですから。ユーシア坊ちゃまがいては都合が悪いんです」

 顔をしかめるハンナに、レーネも続いた。

「ですから、このままでは、わたくしたちはいつまでたっても、坊ちゃまの無事を確認することができない、どうにかせねばと話していたのです。でもだからといって、ハンナがイシュトファン辺境伯に突撃するというのは、さすがに止めたんですよ?」
「何よ。レーネだって、イシュトファン様にお会いしたいと言ってたじゃない!」
「それはそうだけど、突撃とか……イノシシじゃないんだから。坊ちゃまの旦那様に、失礼があってはいけないでしょう!」

 わーわー言い合う二人を、フランツが笑いながら眺めている。
 そんな平和な光景をボーッと見ているうちに、ようやく「はっ!」と我に返った。

「ぼーっとちてる場合じゃなかった! ハンナ! レーネ! 早く早く! 『ち十八手』のご本を出ちて!」
「あらあら、そうでした」

 すっかり手を止めて話し込んでいたハンナが、再度、キーラとケイトリンの蔵書コーナーに向き合った。
 
「ユーシア坊ちゃま。そのご本は、どの辺にあるのでしょう」

 すでに背表紙に目を走らせていたレーネが、首をかしげて振り返る。一見、美容や服飾や、淑女の心得を説く本ばかりが並んでいるからだ。
 しかし有り余る時間を読書に費やし、目につく本を片っ端から手に取っていたユーシアは――そしてユーチアは、ちゃんとわかっている。

「ちょの上の段の、『らくらくコルチェット』から……」
「えっと……ああ、はい。『らくらくコルセット』ですね?」
「うん。ちょこから、『大盛り焼肉ダイエット』までの本を、じぇんぶ、引き抜いてみて?」

 フランツがレーネに「俺がやりましょう」と声をかけて、ユーチアが指示した十冊ほどの本を、次々取り出した。
 すると、本の奥に、さらに本が並んでいるのが見えてきて、三人が「あっ!」と驚きの声を上げる。

「まだ本がいっぱい!」
「こんなに奥行きのある本棚だったのですね!」

 残念ながらおちびのユーチアからは見えないので、「ちょこ! ちょこ!」と、ぴょんぴょん飛び跳ねた。

「ちょこに、『ある伯ちゃく夫人のち十八夜』があるでちょ? 十巻くらい」
「ある、ある!」

 フランツが長い腕を突っ込んで本を取り出すと、それを受け取ったハンナとレーネは、パラパラと拾い読みをして「まあ!」「んまあ!」と赤くなりながらガン見した。
 フランツまでもが、「これが噂の」と目を通すや、「すっげー!」と目を輝かせている。

「うわー。借りたいなあ、この本」
「ユーシア坊ちゃまったら、いつのまにこんな本を読まれていたのです?」
「教えてくださればいいのに」
「何言ってるの? ハンナ」

 すっかり読書態勢になっている三人に向かって、ユーチアは「読んでる場合じゃないでちょー!」と一喝した。だが悲しいことに、おちびの上に幼児の可愛い声なので、ちっとも迫力がない。
 
「十巻持ってる人ー!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら訊くと、フランツが「あ、俺のだ」と脇に挟んでいた本を手に持った。

「これが十巻だよ。これに栞が入ってるの?」
「えと、『第三十一夜 伯ちゃく夫人、ちめ子ママのちめ小股道場に入門ちて困った』の頁に、入っていまちぇんか?」
「あ、ほんとだ! 『しめ子ママのしめ小股道場に入門して困った』のとこに挟まってる!」

 フランツが「よく章タイトルまでおぼえてるねえ」と言いながらユーチアに手渡してくれたのは、間違いなく、モートン侯爵領で作られている生地で作られた、あの栞だった。

「や、やったー……!」

 絵本に続いて、栞までも手にできた。
 自分がこんなに大胆に行動して、目指した目標を達成できていることが信じられない。ユーチアは何度も、(これは夢じゃないよね?)と思った。
 これもすべて、レオンハルトとフランツと、ハンナとレーネのおかげだと思ったユーチアは、小さな両手で栞を胸に押し当て、感謝を込めて三人を見上げた。

「みんな、本当にありがとお!」
「「「どういたしまして」」」

 声をそろえて返された。
 が、直後にフランツが、興味津々で尋ねてきた。

「ユーチア様、しめ小股って何? もしや四十八手のひとつ?」
「ちょう書いてありまちゅよ。ちょんなことより、んーと……」

 ユーチアは上着のポケットの釦を開けて、割符を取り出した。
 栞を重ねてみると――期待通り、取引の日時とおぼしき数字が表れる。

「合ってたー! やっぱり解読の道具はこの、ちおりでちゅよ、フランチュちゃん!」
「ユーチア様。この本、借りて帰ったらバレる?」
「バレるでちょ。……もちや暗号より、伯ちゃく夫人が気になるのでちゅか? フランチュちゃん」
「まさか! 暗号のほうが大事に決まってるよ! でも貸し出しカードとかないのかな」
「カードがあったら、お名前書く気でちゅか。ちのび込んだ意味がありまちぇん」
 
 ユーチアは「もー!」とフランツの服の裾を引っ張った。

「ちおりも手に入れたので、早く戻りまちょー! バレたら大変でちゅ!」
「そうだね、戻ろう! このページだけ読んでから!」
「んもー!」

 困り顔のユーチアと、それを見て笑うフランツとを見つめていたハンナが、「ほんとに夢みたい」と微笑んだ。

「ご無事なユーシア坊ちゃまと再会できたことも。坊ちゃまが、なぜかこうして、お小さい頃の姿になっていることも。それに……」
「お屋敷の外に出て、わたくしたちの知らないいろんな方たちと知り合って、笑ったり、文句を言ったり、自由に生き生き行動されていることも」

 レーネがそう続けると、ハンナは「うん、うん」と笑いながら、涙を浮かべた。
 そんなハンナに、ユーチアまでじわっと涙目になる。

「ハンナぁ……泣かないで」
「そうですね。いやだわ、年を取ると涙もろくて!」
「坊ちゃまも泣かないでください。イシュトファン様が心配なさいますからね。そして……わたくしたちが、『やっぱり夢だったかも』と自分の頭を疑わないうちに、きっとまた、お顔を見せにいらしてくださいね」

 そう言うレーネも涙目だったけれど、ユーチアは素直に「うん」とうなずいた。

「かならじゅ。かならじゅ、また、会いにくるよ」


 ――その後、ユーチアたちは無事にレオンハルトと合流した。
 初めてレオンハルトと対面したハンナとレーネのテンションは最高潮に達し、滂沱の涙で感謝したり、感動しすぎて腰を抜かしかけたりと、ちょっとした騒ぎになったが。
 マティスたちはそろって手洗いにこもっていたため、屋敷を辞すのもスムーズで……それでも念のため、帰りもユーチアはフランツの外套の下に隠れて、馬車に乗り込んだ。



 そして――
 この日、この小さな栞で割符の暗号を解読したことが、王都を激震させる大騒動へと発展するのである。
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