上 下
74 / 96
第8章 それぞれの思惑

ひそかな冒険の始まり

しおりを挟む

「ようこそ、イシュトファン閣下。お待ちしておりましたよ」
「本当に、よくいらしてくださいました! どうぞ、我が家と思ってお寛ぎくださいませ。閣下と我がクリプシナ家は、もう家族なのですから」

 声音にぎこちなさが表れているマティスと、やけに嬉しそうなキーラが、レオンハルトを出迎えた。
『お茶をご一緒しましょう』と招待されたのを受け、レオンハルトとフランツが、クリプシナ邸を訪れたところである。出入り口にも三名の騎士が待機している。
 
「お招きいただき感謝する。クリプシナ伯爵、キーラ夫人、それから……」

 礼儀正しく応じたレオンハルトの声に、弾んだ声が被さった。

「わたくし、ケイトリンですわ。ケイトリンとお呼びください、レオンハルト様!」
「これ、ケイトリン。はしたないぞ」
「だってお父様。憧れのレオンハルト様がいらしてくださったのよ? 嬉しさのあまり、つい……」
「そうよ、あなた。ケイトリンは昔から、閣下に憧れていたんですもの」

 離れてその様子を見ていたフランツが、「いつのまに憧れの存在になったんだろうね。そのわりに失礼な距離の詰めっぷりだけど」と、外套の襟元をパタパタさせながら呟いたが、もちろんクリプシナ親娘の耳にはとどかない。
 マティスがわざとらしく咳払いをして、「まあ、その」と話をつないだ。

「腹を割って話そうではありませんか。これまで我々は、お世辞にも良好な関係とは言えなかった。しかし婚姻を機に協力関係を築ければ、互いの、そして国の利益となるはずですからな。ゆえに本日は、偽りなく、打ち解けて話せたらと願っているのですよ」
「その前に」

 レオンハルトが口を挟んだ。

「婚姻相手である、肝心のユーシアがいない理由を訊かないのだな。気にならないのだろうか?」
「えっ。あ……」
「そ、そうですわね、もちろん気になっていました。ここはあの子の実家ですもの。なぜ来なかったのでしょう?」

 取ってつけたような質問だ。
 フランツがまた小声で「招待しなかったじゃんねぇ」と呟いた。
 レオンハルトが何やら伝えると、「あの子は昔から躰が弱いんです」とキーラが納得したように返す。
 と、そこでようやくマティスが、フランツに声をかけてきた。

「アーベライン子爵。きみも一緒にどうかね?」
「ありがとうございます、クリプシナ伯爵。しかし本日は、レオンハルト様直属の騎士として参りましたので、こちらで待機させていただきたく存じます」
「わかった。では、別室に茶を用意させよう。……ところで、その……きみは、前からそんなに、ふくよかだったかな……?」

 遠慮と戸惑いが滲む声に、フランツが爽やかに答えた。

「実は現在、バイルシュミットで新開発中の制服を試用中なのです。衝撃吸収の素材が入った制服と外套でして、開発担当班から、北とは気候の違う王都での着用の感想も求められております」
「なるほど、衝撃吸収素材……それで体形が膨らんで見えるのか。顔は太っていないのに、躰ばかりふくよかなので気になっていたのだよ」
「大変ですわねぇ。さすがお国のため最前線で躰を張られる皆様は違いますわ。ねえ、あなた?」
「そうだな」
「そんなことより、レオンハルト様をこんなところでお待たせしては失礼よ、お父様!」

 ケイトリンが割って入った。
 この流れで『そんなことより』とは、フランツに対して失礼ではないか……という発想は、ケイトリンにはないらしい。
 そしてマティスとキーラも、それをいさめることなく同意して、「では、行きましょうか」と移動し始めた。

「とっておきの茶葉をご用意いたしましたの。閣下にもきっと気に入っていただけますわ。さあ、ケイトリン。サロンにご案内してさしあげて」
「ええ、お母様。こちらです、レオンハルト様!」

 賑やかなケイトリンの声が遠ざかっていく。
 代わりに執事が寄ってきて、フランツを待機用の別室へと案内してくれた。
 茶を運ばせるとも言ってくれたが、フランツは「任務中なので」と礼を言って断った。

「書類仕事に集中したいので、人払いをしてもらえるとありがたい」

 それだけ頼むと、執事は「承知いたしました」と部屋を出て行った。
 ひとりになったフランツは、扉を開けて人の気配がないことを確認し、きっちりと扉を閉め直した。
 そうして大きく息を吐き出すと、「よし」と、きっちり着込んでいた外套の釦を外す。すると、そこには――

「ぷはーっ! やっと出られまちたー!」

 セミのようにフランツにしがみつき、抱っこ紐で固定されたユーチアが現われた。マティスたちに隠れて潜入すべく、こんな手段に出たのである。

「お疲れ、ユーチア様! よく我慢したね」
「フランチュちゃんこちょ、重くてあちゅくて大変だったでちょ」
「俺よりユーチア様のほうが大変だったよ」

 確かに……フランツは外套の襟元を可能な限りくつろげて、中にいるユーチアにパタパタと空気を送ってくれていたけれど、さすがに暑く息苦しかった。
 抱っこ紐を外すと二人してぐったり脱力し、「やれやれ」「やれやれでちゅ」と椅子に倒れ込んで、汗が引くまで躰を休めた。

「……まちゃか、上手くいくとは思いまちぇんでちた」
「俺の提案、大正解だったろう?」

 フランツが笑顔満面になる。
 そう、こんな大胆な潜入方法を考えたのは、彼なのだ。

 絵本を入手するにはユーチアがクリプシナ邸へ赴く必要があるが、ユーチアがユーシアであることを知られるのはまずい。
 ゆえにユーチアが行くのは諦めて、フランツに代わりに探してもらおうかという案も出たのだけれど、結局、この方法が採用された。
 ……レオンハルトももしかすると、面白がっていたのかもしれない。

「あのレオンハルト様がニコリともせず自宅にやって来たら、内心ビビって、接待するだけで手いっぱいだろうし。あの顔で、部下にこんな冗談みたいな真似をさせてるなんて、普通思わないだろう?」
「フランチュちゃん、ちゃくちでちゅー! ちゅごい!」
「策士? そう、俺はすごい策士! ……って、レオンハルト様はいつもこういう気分なのか。ユーチア様に褒められると、気分上がるなー」 

 クスクス笑い合ううち、かなり体力も回復した。
 フランツに「ゆっくりしていられないし、そろそろ行こうか。大丈夫かい?」と訊かれて、ユーチアは「はい!」と勇ましく答える。
 これから二人で邸内を移動し、お茶会が終わるまでに絵本を入手するという作戦だ。

「フランチュちゃん、のどが渇いていまちぇんか? 途中で中庭の横を通りまちゅから、ちょこにある井戸で、おいちいおみじゅを飲めまちゅよ」
「おお、さすが勝手知ったる生家だね!」
「えへへー。伊達に引きこもってまちぇんよー」

 二十の歳までこの屋敷だけで過ごしてきたのだから、間取りはもちろん、家族や使用人の習慣や動きも把握している。この時間ならどこをどう通れば、使用人と出くわす危険性を減らせるかも。
 ただ、使用人を避けるということは、ハンナやレーネと会える確率も下がるということだけれど……。

「……とにかく、やるちかない!」

 ユーチアは、ぐっと小さなこぶしを握った。
 フランツも「おう!」と同じくこぶしを握ってうなずく。

「じゃあ、案内をお願いします、ユーチア様!」
「おまかちぇくだちゃい!」

 なんだか、物語で見た冒険のよう。
 ユーチアはワクワクしながら、そっと扉を開けたフランツのあとに続いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました。 おまけのお話を更新したりします。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

成長を見守っていた王子様が結婚するので大人になったなとしみじみしていたら結婚相手が自分だった

みたこ
BL
年の離れた友人として接していた王子様となぜか結婚することになったおじさんの話です。

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...