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第8章 それぞれの思惑
ひそかな冒険の始まり
しおりを挟む「ようこそ、イシュトファン閣下。お待ちしておりましたよ」
「本当に、よくいらしてくださいました! どうぞ、我が家と思ってお寛ぎくださいませ。閣下と我がクリプシナ家は、もう家族なのですから」
声音にぎこちなさが表れているマティスと、やけに嬉しそうなキーラが、レオンハルトを出迎えた。
『お茶をご一緒しましょう』と招待されたのを受け、レオンハルトとフランツが、クリプシナ邸を訪れたところである。出入り口にも三名の騎士が待機している。
「お招きいただき感謝する。クリプシナ伯爵、キーラ夫人、それから……」
礼儀正しく応じたレオンハルトの声に、弾んだ声が被さった。
「わたくし、ケイトリンですわ。ケイトリンとお呼びください、レオンハルト様!」
「これ、ケイトリン。はしたないぞ」
「だってお父様。憧れのレオンハルト様がいらしてくださったのよ? 嬉しさのあまり、つい……」
「そうよ、あなた。ケイトリンは昔から、閣下に憧れていたんですもの」
離れてその様子を見ていたフランツが、「いつのまに憧れの存在になったんだろうね。そのわりに失礼な距離の詰めっぷりだけど」と、外套の襟元をパタパタさせながら呟いたが、もちろんクリプシナ親娘の耳にはとどかない。
マティスがわざとらしく咳払いをして、「まあ、その」と話をつないだ。
「腹を割って話そうではありませんか。これまで我々は、お世辞にも良好な関係とは言えなかった。しかし婚姻を機に協力関係を築ければ、互いの、そして国の利益となるはずですからな。ゆえに本日は、偽りなく、打ち解けて話せたらと願っているのですよ」
「その前に」
レオンハルトが口を挟んだ。
「婚姻相手である、肝心のユーシアがいない理由を訊かないのだな。気にならないのだろうか?」
「えっ。あ……」
「そ、そうですわね、もちろん気になっていました。ここはあの子の実家ですもの。なぜ来なかったのでしょう?」
取ってつけたような質問だ。
フランツがまた小声で「招待しなかったじゃんねぇ」と呟いた。
レオンハルトが何やら伝えると、「あの子は昔から躰が弱いんです」とキーラが納得したように返す。
と、そこでようやくマティスが、フランツに声をかけてきた。
「アーベライン子爵。きみも一緒にどうかね?」
「ありがとうございます、クリプシナ伯爵。しかし本日は、レオンハルト様直属の騎士として参りましたので、こちらで待機させていただきたく存じます」
「わかった。では、別室に茶を用意させよう。……ところで、その……きみは、前からそんなに、ふくよかだったかな……?」
遠慮と戸惑いが滲む声に、フランツが爽やかに答えた。
「実は現在、バイルシュミットで新開発中の制服を試用中なのです。衝撃吸収の素材が入った制服と外套でして、開発担当班から、北とは気候の違う王都での着用の感想も求められております」
「なるほど、衝撃吸収素材……それで体形が膨らんで見えるのか。顔は太っていないのに、躰ばかりふくよかなので気になっていたのだよ」
「大変ですわねぇ。さすがお国のため最前線で躰を張られる皆様は違いますわ。ねえ、あなた?」
「そうだな」
「そんなことより、レオンハルト様をこんなところでお待たせしては失礼よ、お父様!」
ケイトリンが割って入った。
この流れで『そんなことより』とは、フランツに対して失礼ではないか……という発想は、ケイトリンにはないらしい。
そしてマティスとキーラも、それをいさめることなく同意して、「では、行きましょうか」と移動し始めた。
「とっておきの茶葉をご用意いたしましたの。閣下にもきっと気に入っていただけますわ。さあ、ケイトリン。サロンにご案内してさしあげて」
「ええ、お母様。こちらです、レオンハルト様!」
賑やかなケイトリンの声が遠ざかっていく。
代わりに執事が寄ってきて、フランツを待機用の別室へと案内してくれた。
茶を運ばせるとも言ってくれたが、フランツは「任務中なので」と礼を言って断った。
「書類仕事に集中したいので、人払いをしてもらえるとありがたい」
それだけ頼むと、執事は「承知いたしました」と部屋を出て行った。
ひとりになったフランツは、扉を開けて人の気配がないことを確認し、きっちりと扉を閉め直した。
そうして大きく息を吐き出すと、「よし」と、きっちり着込んでいた外套の釦を外す。すると、そこには――
「ぷはーっ! やっと出られまちたー!」
セミのようにフランツにしがみつき、抱っこ紐で固定されたユーチアが現われた。マティスたちに隠れて潜入すべく、こんな手段に出たのである。
「お疲れ、ユーチア様! よく我慢したね」
「フランチュちゃんこちょ、重くてあちゅくて大変だったでちょ」
「俺よりユーチア様のほうが大変だったよ」
確かに……フランツは外套の襟元を可能な限りくつろげて、中にいるユーチアにパタパタと空気を送ってくれていたけれど、さすがに暑く息苦しかった。
抱っこ紐を外すと二人してぐったり脱力し、「やれやれ」「やれやれでちゅ」と椅子に倒れ込んで、汗が引くまで躰を休めた。
「……まちゃか、上手くいくとは思いまちぇんでちた」
「俺の提案、大正解だったろう?」
フランツが笑顔満面になる。
そう、こんな大胆な潜入方法を考えたのは、彼なのだ。
絵本を入手するにはユーチアがクリプシナ邸へ赴く必要があるが、ユーチアがユーシアであることを知られるのはまずい。
ゆえにユーチアが行くのは諦めて、フランツに代わりに探してもらおうかという案も出たのだけれど、結局、この方法が採用された。
……レオンハルトももしかすると、面白がっていたのかもしれない。
「あのレオンハルト様がニコリともせず自宅にやって来たら、内心ビビって、接待するだけで手いっぱいだろうし。あの顔で、部下にこんな冗談みたいな真似をさせてるなんて、普通思わないだろう?」
「フランチュちゃん、ちゃくちでちゅー! ちゅごい!」
「策士? そう、俺はすごい策士! ……って、レオンハルト様はいつもこういう気分なのか。ユーチア様に褒められると、気分上がるなー」
クスクス笑い合ううち、かなり体力も回復した。
フランツに「ゆっくりしていられないし、そろそろ行こうか。大丈夫かい?」と訊かれて、ユーチアは「はい!」と勇ましく答える。
これから二人で邸内を移動し、お茶会が終わるまでに絵本を入手するという作戦だ。
「フランチュちゃん、のどが渇いていまちぇんか? 途中で中庭の横を通りまちゅから、ちょこにある井戸で、おいちいおみじゅを飲めまちゅよ」
「おお、さすが勝手知ったる生家だね!」
「えへへー。伊達に引きこもってまちぇんよー」
二十の歳までこの屋敷だけで過ごしてきたのだから、間取りはもちろん、家族や使用人の習慣や動きも把握している。この時間ならどこをどう通れば、使用人と出くわす危険性を減らせるかも。
ただ、使用人を避けるということは、ハンナやレーネと会える確率も下がるということだけれど……。
「……とにかく、やるちかない!」
ユーチアは、ぐっと小さなこぶしを握った。
フランツも「おう!」と同じくこぶしを握ってうなずく。
「じゃあ、案内をお願いします、ユーチア様!」
「おまかちぇくだちゃい!」
なんだか、物語で見た冒険のよう。
ユーチアはワクワクしながら、そっと扉を開けたフランツのあとに続いた。
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