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第8章 それぞれの思惑

某国から伝わりし

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  扉を開けたレオンハルトがこちらを見た瞬間、ズルッと膝から崩れ落ちたのを見ながら、ユーチアは「うあぁぁぁ」と涙をダバダバ流した。
 するとレオンハルトはハッとしたように立ち上がり、すごい勢いで駆け寄ってきて、ベッドの上で大泣きするユーチアの隣に、これまたすごい勢いで座った。ユーチアがベッドの上で、ボフンと揺れたほどに。
 そうして傾いたユーチアの小さな肩を抱き、「どうしたんだ!?」と訊いてくる。

「またユーチアになったのか! いったい何があったんだ!?」
「わ、わからない、でちゅ……ううっ、うええぇぇん」

 ユーチアは混乱していた。初めて目がさめているときに変身したからだ。
 ほんのちょっと前まで、初夜について考え、羞恥で転げ回っていたのに……。
 ふと、なんだか全身がぽかぽかするような、ふわっとした違和感があると思ったあと、ちょっとだけ意識を飛ばしていたかもしれない。だがほんのわずかの時間だと思う。なのに気づくと、ユーチアに変わっていたのだ。
 ぶかぶかになった寝衣の中で呆然としていたところへレオンハルトが戻ってきて、彼の顔を見た途端に、ぶわっと涙が溢れてしまった。

「怖い思いをしたとか、ショックを受けたとかでは、ないんだな?」

 気遣わしげに眉根を寄せるレオンハルトに、コクコクうなずく。
 レオンハルトはひとまず安堵したようで、ほっと息を吐き出したが。

「では……今回は、何をきっかけに変身したのだろう」

 と首をかしげている。
 その間も、優しくユーチアの頭を撫でてくれたり、涙を拭ってくれたり、衣装箱からユーチア用の寝衣を取り出してくれたりと、申しわけないほど甲斐甲斐しい。
 それに……

「びっくりして泣いてしまったのか? 可哀相に。大丈夫だから、そんなに泣くんじゃない」

 ようやく元に戻ったかと思えば、落ち着きなく幼児に逆戻りした妻なのに。レオンハルトは嫌な顔ひとつせず、思いやってくれる。
 そんな彼を見ていると……
 実はユーチアはひとつだけ、この変身に心当たりがあるものだから……
 
「こ、こんなにやちゃちいレオちゃまに、かくちごと、ちたらダメ」

 えぐえぐしながら思ったことがダダ洩れた。
 レオンハルトが「隠しごと?」とユーチアを覗き込んでくる。 
 仕方ない。こうなったら、すべて正直に話そうとユーチアは決心した。

「うっく。どうちぇ、恥多きじんちぇい」
「どうせ恥多き人生? なんの話だ」
「うぅ。じちゅは……」

 実は、レオンハルトと初夜を迎えるときのことを考えて、そんなことを考える自分が恥ずかしすぎて、ひとりで大騒ぎしているうちに、気づけば……

「ダンゴムチ魔法が、はちゅどうちて、ちまったようなのでちゅ……うあぁぁん!」
「ダンゴムシ……。いや、名称はともかく、発動してしまったのだな?」
「はひ」
「俺との初夜を想像して……怖く、なったのか?」

 そう呟いたレオンハルトは、表情も声も変わらず優しいが、気のせいか、ショックを受けているように見える。
 ユーチアは「はっ!」と目をみひらき、ごしごしと涙を拭いて、「レオちゃまっ!」とその腹に抱きついた。

「違いまちゅ、怖くなったのじゃなくて、恥じゅかちくて、でちゅ!」
「恥ずかしい……と言っても……そんなことで変身するか……?」
「うぅ。だ、だって、クリプチナ家の本で読んだのでちゅ……」
「本で? なんの本だ?」
「読んだけども、よくわからないことも、多くて、でもでも、ちょんなの無理でちょー!? っていう……」

 レオンハルトはユーチアを腹で抱きとめたまま、困ったように人差し指でこめかみを掻いた。

「えーと、つまり……性教育の本でも読んだのか?」
「エロチュを究めんとちゅる某国から、ちゅたわりち」
「あー……エロスを究めんとする某国から伝わりし、かな?」
「でちゅ。『ちじゅうはって』に挑む、伯ちゃく夫人の物語のご本でちゅ。題名は『ある伯ちゃく夫人の、ち十八夜』というのでちゅ」
「ち……しじゅうはって……四十八手? で合ってるか?」
「でちゅでちゅ」
「四十八手ってなんだ?」

 ユーチアは、今さらだが顔から火を噴くかと思った。
 しかしレオンハルトとの初夜を怖がっているなどという悲しい誤解はさせたくないので、致し方ない。覚悟を決めて真実を告げた。

「ちぇ、ちぇい行為の」
「性行為の?」
「ちじゅーはっちゅるいの体位のこと……でちゅ……」
「四十八種類の体位のこと。……四十八種類の体位ーっ!?」

 常に動じないレオンハルトが、たまげる姿を見る日が来ようとは、ユーチアは夢にも思わなかった。しかも自分が、四十八手というものがあると教えたばかりに。

「そんなにあるのか!? ていうか、なんでまたそんな本がクリプシナ家に」
「エロチュを究めんとちゅる某国の記録を、物語にちたようでちゅ。ご夫人たちのあいだで、ひちょかなブームになっていたみたいで……継母と異母妹が、ズラッと隠ち持ってまちた」
「ズラッとって。まさか四十八冊あるわけじゃないよな?」
「僕が見たときは、十巻まで出てまちた」
「十巻!」

 だんだん楽しくなってきたのか、プッと吹き出したレオンハルトを見て、ちょっと安心したユーチアは、レオンハルトの隣に座り直してから改めてピタッとくっついた。
 すかさず長い腕を回してきたレオンハルトに、ほっぺをムニムニされながら、「それで?」と訊かれる。

「その物語は、面白かったか?」
「んー……。伯ちゃく夫人が関係を持ちゅお相手にちゅいて、長ーく書かれているところとか、けっこう飛ばち読みちてまちた」
「俺はその手の本を読んだことがないのだが……相手の男の描写が、しつこく書かれているものなのか?」
「胸毛の量と長ちゃとか、『ふんどち』という、ちたぎが、おちりに食い込んでる、とか」
「ふんどち……ふんどし?」
「でちゅ!」
「と、いう下着が、尻に食い込んでる? ……よくわからんが、確かに、そんな情報どうでもいいな。しかし聞く限りでは、変身するほど恥ずかしい内容とも思えんのだが」

 ユーチアはプルプルと首を横に振った。

「だって、だって! あ、アレをちゅるときは、『かもんダーリン!』て言うのでちょ!?」
「へ?」
「あと『おう、いえーちゅ』とか、『おっふ、おっふ』とか、あと、あと……とても口にできないことを、いっぱい言ってまちた!」
「四十八手を試みる伯爵夫人が?」
「伯ちゃく夫人が!」

 こぶしを握ってうなずくと、レオンハルトの肩が揺れ出した。
 彼に寄りかかっていたユーチアは、躰を離してきょとんと見上げる。
 レオンハルトは笑いをこらえて口元を押さえながら、ちょっと震える声で「ユーチア」と目を細めた。

「そういうときに何を言うかは個人差があるから、必ずその伯爵夫人と同じことを言わなければいけないわけではない」
「ちょうなのでちゅか!?」

 ユーチアは「がーん」と呟いた。
 閨房について書かれた本はほかにもあったが、性行為について学ぶための内容で、ナニをナニしてナニに挿入するといったことが、淡々と説明されているだけだった。
 だから今の今まで、『ある伯爵夫人の四十八夜』こそが、最もリアルに性行為を描写した本なのだと信じ込んでいたのだ。

「じゃ、じゃあ、ちょんなの無理でちょー! っていうアレも、かならじゅ、ちなきゃいけないわけでは、ないのでちゅね……?」
「何を見たのかわからんが、必ずしなきゃいけない体位なんてないし、必ず言わなきゃいけない台詞もないから、安心していい」
「……よかったあぁぁ……!」
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