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第7章 再会

麗しき花

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「辺境伯が来られないなら、よかったじゃないの。なぜそんなに不機嫌そうなの?」

 キーラに問われたマティスは、「平然としているお前のほうが不思議だ」と眉をひそめた。

「向こうからすれば、莫大な支度金の渡し損だ。社交界ではその件で奴を嘲笑する者も少なくないが、それも耳に入っているはずだ。だから当然、抗議してくるだろうと待ちかまえていたのに、何も言ってこない」
「何も言われないのなら、面倒がなくていいでしょう?」

 今度はケイトリンが訊くと、「まったくお前たちはお気楽だな」と、マティスはますます顔をしかめる。

「何か言われたほうがよかったんだ。それでこそ、『辺境伯は花嫁の安否も、無残に我が子を襲われた父親の心情も二の次で、支度金の行方しか眼中にない』と、貴族派で一斉に非難してやれたのに」
「そんなことをしたら、余計に向こうを怒らせるじゃないの」
「怒ったほうが、こちらには都合がよかったんだ! 要は、王侯派筆頭でカリスマ性のある奴の評判を、叩き潰したかったんだからな。金を惜しんで花嫁とその家族の不幸を脇に置いたり、それを責められてキレたりするようなら、『軍神とは名ばかり、なんと小者なのか』と貶めることもできたじゃないか。なのに……」

 ようやくケイトリンも、父の言いたいことがわかった。

「何も言ってこないから、かえって不気味ということね?」
「そういうことだ」

 そこへ、両手に飲み物を持ったアルバートが戻ってきたので、三人はコロリと表情を変え、笑顔で彼を迎えた。

「伯爵とキーラ様ももどられていたのですね。じゃあ、もう一度飲み物を取ってきましょう」

 にこやかに言うアルバートに、グラスを渡されたマティスとキーラも、親しげな笑顔で答えた。

「飲み物より、ケイトリンのそばにいてやってくれないか。きみをこき使うなと娘に怒られてしまう」
「そうよ。それに家族になるのに水くさいわ。キーラと呼んでちょうだいな」
「ありがとうございます。では遠慮なく、キーラ」

 明るい笑い声を上げる四人に、周囲の貴族たちが目を向けてくる。
 今、王都で最も権勢のある家門同士の婚姻。両家の結びつきは、他家にとっての脅威だろう。

 モートン侯爵は明らかに病気だ。それも相当悪い。ゆえにアルバートが爵位を継ぐ日もそう遠くないと、ケイトリンは見ている。
 そうなれば自分は晴れて侯爵夫人となり、この国の制度ではアルバートがクリプシナ伯爵位も継ぐことができるから、そちらの後継も心配はない。いずれ子が生まれたら、その子らが受け継いでゆくだろう。
 社交界で、女王のように尊重される日が来ることを、ケイトリンは信じて疑わなかった。もう二度と、脇役になどなるものか。
 
 ざわめく大ホールの段上に、王宮の侍従長が上がった。
 来臨を告げる声と共に、ヨハネス国王とアンネリース王妃が登場する。長身の国王夫妻は颯爽として、どちらも四十そこそこという年齢よりずっと若く見える。
 国民からの人気も高い二人は、お辞儀で迎えた臣下たちに応えながら席に着く――と思いきや、嬉しげに皆を見渡し、「皆の者!」と王がよく通る声を上げた。

「まことによき夜である! 我らの国を守るため、命を賭して戦う勇者たちを称えんとするこの夜に、まことに相応しき者が、久方ぶりに来てくれた! さらに喜ばしいことに、じき花嫁となる美しい伴侶を連れて!」

 集まった者たちは、いったい誰のことかと視線を交わしつつも、とりあえず喜ばしい話題ではあるようだと、拍手を送って続きを待った。
 ケイトリンもチラリと父を見たが、怪訝そうに眉根を寄せているところを見ると、王から何も聞かされていなかったらしい。

 王は一同の反応に満足した様子でうなずき、たった今自分たちが降りてきた大階段を示しながら、高らかにその名を呼んだ。

「我が従弟にして勇猛果敢な国境の守護者、レオンハルト・イシュトファン辺境伯! そして麗しき花、ユーシア・クリプシナ!」 

 皆が息を呑むのがわかった。
 イシュトファン辺境伯はともかく、花嫁となるはずだったユーシア・クリプシナは、野盗に襲われ行方不明のはず。それを知らぬ者はいない。

 ケイトリンもその名を聞いた瞬間、思考が麻痺した。すぐには頭が働かず、(ユーシア?)と、周囲の者たちと同じように、その名が示す意味を鈍った頭で考えた。
 が、思考よりも先に目は、王が手で示した先を追う。
 そうして――踊り場に立つ人物を見て、カッ! と目を剥き我に返った。

 そこにいるのは――まるで王族のように、他の貴族たちを見下ろしているのは――ユーシア・クリプシナ。
 イシュトファン辺境伯と思われる、際立って長身の男性に手を取られ、見るからにたいせつに気遣われながら、こちらへと降りてくる。そうしてユーシアが近づくほどに、誰もが感嘆の声を洩らし、うっとりと吐息をこぼした。

 貴族の男性は黒の礼装か、もしくはイシュトファン辺境伯のように、指揮官として騎士服の礼装を着用するのが一般的だ。
 しかしユーシアは、花嫁という立場だからだろう。目を瞠るほど優雅で華やかな、白を基調とした装いだ。

 うなじの長さの薄茶色の髪には、白いレースのヘッドドレス。繊細なレースと大輪の白薔薇がエレガントで、真珠と、ピンクともオレンジともつかぬ宝石を数粒ずつ連ねた飾りがいくつか垂れ下がっている。
 隣でアルバートが「パパラチアサファイアだ」と呟いたのを聞いて、ケイトリンはギリッと歯ぎしりをした。それがとても稀少で大変高価だということはケイトリンも知っている。そんな石がいくつも、惜しげもなくヘッドドレスの飾りになっている。

 肩を覆う真っ白なケープは、毛皮とも毛糸ともつかず、見たこともないふわふわとした生地で、動きに合わせて真珠色に艶めいていた。
 ケープの下には一見、細身のドレスを着ているように見えるが、膝辺りからスリットが入って、裾は左右にふんわりとたなびく。その下には白いズボンが見えていて、ユーシアの中性的な美しさを知り尽くしたデザイナーがついているのも明らかだった。

 さらに腰に巻いた飾り帯や、ふんわりとした袖に結ばれたリボンにも、さりげなく宝石が散りばめられている。そのどれもが、普通ならそのひと粒でも、指輪や首飾りにして金庫にしまっておくクラスの石だと、ケイトリンはわかってしまった。
 同時に、あれほど誇らしかった大粒のルビーとダイヤの首飾りが、やぼったく思えてきてしまった。

 それにもましてケイトリンに衝撃を与えたのは、昔も今も変わらない、人々がユーシアに魅了されていく目、溢れ出す称賛の声だった。

「まあ……なんて、なんて、お美しい……!」
「ユーシア様とは、こんなにも美しい方だったのか」

 まさに――忌々しいことに、ケイトリンもそう思ってしまった。
 ユーシアはクリプシナ家にいた頃よりさらに、美しさと可憐さを増している。その身に真珠を抱く、大輪の白い花のように。
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