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第4章 緊急の知らせ

ニオイの記憶

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  ユーチアのヨメ宣言とレオンハルトの雑な説明により、ただでさえ混沌としていた診察室に、さらなる混乱が生じかけたが。
 フランツが飛んできて上手くフォローしてくれた結果、皆はユーチアのことを、こう考えることにしたようだ。
『嫁いでくる予定のユーシア・クリプシナがなんらかの事情で遅れており、代わりに親類のユーチアを送ってきた』と。

「解せぬ。なぜ代わりに幼児を送ってくるのだ」

 不満顔のレオンハルトに、ユーチアも同意した。

「『おヨメ入りが遅れるので、代わりに幼児を送りまちゅ!』なんていう人、いるのでちょうか」
「いたら小一時間ほど説教したくなるな」

 うなずき合う二人に、フランツは呆れ顔だ。

「レオンハルト様が適当に説明するから面倒くさいことになるんじゃないですか。ほら、彼らがユーチア様を『親戚の男の子』で納得しているあいだに、話を聞いてください」

 フランツはそう言って、「ほらほら」と、少し離れたところで困惑を隠せず待機している医師たちへと、レオンハルトを急き立てた。
 レオンハルトも気持ちを切り替えたようで、大股で彼らの前に立つと――うしろからついていったユーチアは、ちょこまかと小股で辿り着いたが――皆より優に頭ひとつぶん高い位置から、医師たちを見下ろした。

「何か報告があるのか?」

 粗悪な薬の流通を取り締まることができない歯がゆさゆえか、目つきの鋭さに拍車がかかっている。ゴゴゴゴゴと地響きの効果音でも聞こえてきそうなド迫力だ。
 そんな飢えたヒグマのような猛々しい眼力に、ユーチアはうっとりと短い指を組んで、「ちゅてき♡」と惚れ惚れ見上げてしまったが……
 医師たちにとっては正視できない恐ろしさだったらしく、声も出せずに固まってしまった。
 それを見ていたフランツが、久々に「レオンハルト様、目! 迫力をヒグマからメガネグマくらいに抑えて!」と注意して、レオンハルトが顔をしかめた。

「なぜ熊であることが前提なのだ」
「ちょうでちゅよ。レオちゃまは人間でちゅ。イケメンでイケメンでどうちまちょう! というほどかっこいぃ、イケメンの神でちゅ」
「そらみろ。ユーチアはよくわかっている」
「わかりまくり!」

 そうして二人でキッ! とフランツに抗議の視線を向けたが、「あなたたち以外には、わからないので」とスナギツネのような目で見られてしまった。
 それでも、幼児と話が合うレオンハルトを見て、医師たちもいくらか緊張が解けたらしい。医師に同行してきた騎士の口からは、「レオンハルト様を見て泣かない子供を初めて見た」という呟きが洩れた。

「で、では、わたしからお話させていただきます」

 先ほど最初に話しかけてきた医師が、皿に乗せた何かを手に進み出てくる。
 何が乗っているのだろうと、ユーチアが背伸びをすると、レオンハルトが気づいて抱っこしてくれた。
 皿には白い布が広げられ、そこに焦げ茶色の枯れ葉のようなものが乗っている。 

「前回の患者が使用していた薬はペースト状で、歯茎に擦りつけて使っていました。しかし今回はこのように、茶葉として売られていたようです」
「別の薬ということか?」
「いえ、この独特なにおいや患者の症状から、同種のものと思われます。厳しい取り締まりをすり抜けようと、こうして形状を変えているのではないでしょうか」

 ユーチアはレオンハルトの腕の中から身を乗り出し、スンスンと立ち昇ってくる、反射的に顔をしかめてしまうほどきついニオイを嗅いだ。

「どうした? ユーチア」
「……僕、このニオイを、ちっていまちゅ」
「なに?」

 ピクリと片眉を上げたレオンハルトのみならず、皆の視線がユーチアに集中した。
「どこかで嗅いだことがあるのか?」と問うてきたレオンハルトに、「はい」とうなずく。

「クリプチナ家でちゅ」
「「クリプシナ家!?」」

 ユーチアは「えっと」と未だ騒々しい室内を目に映しながら、記憶を正しく思い出すべく集中した。

「……ん。間違いありまちぇん。モートン侯ちゃくでちゅ」
「モートン? レブルス・モートン侯爵か? ……前にユーチアが教えてくれたクリプシナ伯爵の取引仲間とおぼしき者の中に、彼の名もあったな?」
「はい。モートン侯ちゃくは父上と仲良ちで、よくクリプチナ家にあちょびに来ていまちた。彼のむちゅこのアルバートは、僕の異母妹ケイトリンの、婚約ちゃでちゅ」
「モートン侯爵も、クリプシナ伯爵と並んで貴族派の筆頭格ですからね」

 フランツの言葉に、レオンハルトも「そうだな」と真剣な顔でうなずく。

「それで? 詳しく教えてくれ、ユーチア」
「はい!」

 ユーチアはビシッ! と手を上げて答えた。

 父マティスと継母キーラは、親交のある貴族を招いてよく晩餐会をひらいていた。実質は晩餐はおまけで、深夜まで飲み、踊り、賭け事をし、大騒ぎをしているかと思えば、声をひそめて会談する――といったことが重要だったようだ。

 なぜユーチアがそうしたことを細かに知っていたかといえば、やはり侍女長のレーネや乳母のハンナのおかげである。使用人は当然、当主たちの行動を把握しているのだ。
 だが、教わらずともユーチアが知っていたこともある。
 それが、モートン侯爵のニオイだ。

 彼は常に独特のニオイをまとっていた。彼が通っただけで、残り香がしばらく消えないほど強いニオイだ。
 ユーチアは人前に出ぬよう厳しく言われていたから、モートン侯爵と直接、顔を合わせたことはない。
 しかし離れた部屋にいても、あちらこちらに残った強いニオイが立ち昇ってくるものだから、また来ているのだなとニオイでわかっていた。

「嫌なニオイですよ。気分が悪くなる!」
「料理も台無しですからね。料理長ハイドもあの方がいらっしゃるときは、いつも以上に無口ですよ」

 ハンナとレーネにも不評だったが、ユーシアも同意だった。香水と煙草を合わせたような、ねっとりとしつこいニオイのせいで、頭痛を起こすことがよくあったからだ。
 また、逆にマティスとキーラが、モートン侯爵邸でのサロンに招かれていくことも度々あった。その際も、帰ってきた二人からは同様のニオイが漂っていて、使用人たちを閉口させていた。

「――と、いうわけで、このニオイはよくおぼえているのでちゅ」

 ユーチアが話し終えると、一同は驚愕の表情で視線を交わしていたが。
 やがてレオンハルトは、「……そうか、そうか」と呟き、またもゴゴゴゴゴと聞こえてきそうな眼光を湛えて、腕の中のユーチアを見た。

「お手柄だ、ユーチア」
「う? ニオイのはなちだけでちゅのに?」
「いや、クリプシナ伯爵の裏取引の件と併せて考えれば、とても重要な情報だよ。ですよね、レオンハルト様?」
「ああ、その通りだ。粗悪な品物の流通という点で共通しているから、もしやと思ってはいたが……これで具体的な策を練るための情報が増えた。ありがとう、ユーチア」

 礼を言うレオンハルトの顔に浮かんだ微笑は、獲物を前に舌なめずりする猛獣を思わせた。その顔に、ユーチアはまたもすっかり見惚れていたものだから、うっとりしたまま「いえいえ」と返した。

「どういたちまちてでちゅ、イケメン」
「ん?」
「はっ! 間違えまちた!」

 ユーチアは真っ赤になって口を覆った。

「ごめんなちゃい! レオちゃまがあまりにイケメンなので、ちゅい!」
「ユーチアは本当に見る目がある」
「きゃっ。恥じゅかちいっ」

 キャッキャと笑い合う二人に、医師たちが驚愕と恐れの入り混じる目を向けていた。
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