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「蒼子ちゃん、遅いね……」

朱い夕陽が射し込む天文部室に、葉原の声が小さく響く。その声からは、僅かばかりの不安が読み取れる。


「……そうだな」

壁に掛けられているアナログ時計は16時半を指し示していて、部員が1人いないだけの部室にカチカチと正確に時を刻む秒針の音が煩いほどによく響く。

***

HRホームルームが終わってからすでに30分が経過した。

いつもなら真っ先に部室に来ているはずの白月が今日に限って未だに来ていない。HRが終わった後、教室を出たところまでは確認しているから、部室へ向かうつもりなら俺よりも早くここに着いているはず。

……ひょっとすると、もう家に帰って学校にはいないのかもしれない。

もし、そうだとするなら、原因は十中八九先週の一件だろう。

しかし、それでも疑問が残る。
どうして、今日になって突然部に顔を出さなくなったのか。

あの日は意外なことに柏城と話をした後、まるで今までのやりとりが何かの冗談だったかのように白月は部室へと足を運び、何事もなかったかのように久しぶりの再会となる葉原といつも通りの放課後を過ごしていた。そして、その次の日も、また次の日も、白月は何食わぬ顔で学校に登校し、部室に足を運び続けた。

俺はそんな、明らかに無理をしている白月に声をかけることが出来なかった。


理由は二つある。
一つは、単純に掛ける言葉が見つからなかったから。

そしてもう一つは、押し潰されそうな罪悪感に苛まれたから。


俺は柏城から最後に囁かれた一言によって、すでに消滅したと思っていたはずの感情を再び呼び起こされてしまった。

もう終わったと、解決したと思っていたはずの感情。


『天才』に対する “嫌悪” の感情を——。


柏城から囁かれた言葉を思い返すたびに、初めて白月蒼子の天才的一面を目にした時の光景が、まるで泡のように脳裏に浮かんでくるのだ。


努力に努力を重ねて、これまでひたすら練習に励んできたはずのクラスメイトが、彼女の持つ圧倒的な “才能” に打ち拉がれ、嗚咽と共に悔し涙を流し、彼女の才能に嫉妬すると同時に己の才能の無さに絶望する、あの光景が脳裏に焼き付いて離れない。


『誰よりも努力を続けて来たはずなのに』

『己の全てを賭けて取り組んで来たのに』

『わたしにはもう、これしか残っていないのに』


いくら努力しても追い抜けない。
いくら手を伸ばしても届かない。
いくら願っても叶うことはない。

そんな凡人たちの声が、まるで呪詛のように脳内を駆け巡る。


俺は白月が抱える苦悩をよく知っているはずなのに……。

あいつがどんな思いで、『天才』を主張しているのかよく理解しているはずなのに……。


——俺は白月蒼子に “嫌悪感” を抱いている。
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