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第66話「夏休みについて(32)」
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真柳教授の講義を受け、凪波大学の正門を出た俺がバス停へ向かうと、ちょうど凪波駅に向かうバスがやってきたところだった。
俺は急いでバスに乗り込み、入り口に1番近い1人席に腰を下ろす。
凪波大学から乗車してきた客は俺だけで、バスのドアは俺が乗り込むとすぐに閉まった。
エンジン音を轟かせ、次のバス停へ向かおうとする車内から、凪波大学とそこに出入りする大学生たちを見つめる。
次、ここに来るときはおそらく受験生としてだろう。
それまではしっかりと学業に専念することにしよう。
バスはそんなことを考える俺を乗せて、次のバス停へ向かって走り出した。
***
駅の人混みは、最初に訪れた時よりも少しばかり数が少なくなっているように感じたが、それでもまだ十分すぎるほどに人が多い。
現在の時刻はもうすぐ16時30分に差し掛かるというところ。
ほたる市へ向かう新幹線は17時ちょうどに発車するため、少し早い気もするがもう乗り込んでいても良さそうだ。
俺は人波をかき分け、新幹線の待つホームへと向かう。
駅内は無数の人々の足音や駅員のアナウンスなどでとても騒がしい。
前方からやってくる人とぶつからないように間を縫って進む様子は、まるでインベーダーゲームをしているかのようだ。
ホームへ向かう途中、辺りから漂ってくる胃袋を刺激する匂いが俺の行く手を幾度も阻んだ。
駅弁の売店が所狭しと並び、牛肉弁当、鷄めし、蟹めし、イカめしなど、様々な種類の駅弁が陳列されている様子は圧巻の一言に尽きた。
陳列された駅弁を眺めると、唾液腺が刺激され、腹の虫が音を立てて鳴り出す。
俺は鞄から財布を取り出し、中身を確認すると、駅弁1つくらいならなんとか購入出来る額が入っていた。
しかし、コンビニやスーパーで売っている弁当とは違い、駅弁はどれもそれなりの値段がする。
我慢してこのまま立ち去るか、欲望に正直になって購入するか。
己の中で葛藤を繰り広げていると、真柳教授に教えてもらったあの言葉が脳裏をよぎった。
『大抵の人は本当に何が欲しいのか、心の中でわかっています。人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです』
自分が本当に欲しているもの……
それに、こうも言っていた。
『理性で物事を考えるのはもちろん大切だよ。でも、時には自分の心に正直にならないと』
自分の心に正直に……
気付いた時には、手元に鶏めし弁当が抱えられていた。
自分の心に正直にならないといけない。
だから、これはきっと正しい判断だ。
俺は自分にそう言い聞かせて、再びホームへと足を進めた。
***
帰りの新幹線は自由席だったので、俺は空いている窓側の席に腰を下ろした。
車内には簡易テーブルの上に缶ビールと駅弁を乗せ、スポーツ新聞を開きながらくつろぐサラリーマンや、キャリーバッグを持った旅行帰りらしい家族の姿が見受けられる。
俺は購入した駅弁を簡易テーブルの上に置き、ポケットから取り出したスマホで母さん宛にメールを送る。
今からそちらに帰るという旨のメールに、駅弁の写真を添付して送った。
メールを済ませた俺は、早速駅弁を食べ進めることにした。
高級感あふれる木箱の蓋を開けると、醤油で炊かれた香ばしい香りのする米の上に、甘いタレでコーティングされた鶏そぼろが姿を現した。
「おぉ……流石、都会の駅弁……」
都会だろうが田舎だろうが同じ駅弁には変わりないのだが、普段とは違うロケーションというのもあり、今の俺は何でもかんでも執拗に美化しようとしてしまっている。
俺は駅弁に付いてきた割り箸を手に取ると、乾いた音を響かせそれをパキリと割る。
そして、そのまま割り箸の先を米の中に潜らせ、醤油の染みた米とその上に乗った上質な鶏そぼろを掬い上げ、口へと運ぶ。
「美味い……」
昼はおにぎりだけという質素なものだったため、駅弁が俄然美味く感じる。
香ばしい醤油味の米と甘いタレのかかった鶏そぼろが口の中でいい具合に絡み、鶏の旨味がジワッと広がる。
これは奮発して正解だったと、心の中でガッツポーズを決めた。
***
ものの数分で駅弁を平らげた俺は、車内から窓の外を眺め、真柳教授との会話を思い返していた。
俺が本当に欲しているものは、『才能』ではなく『才能の無い自分に価値を与えてくれる誰か』だということ。
そして、その『才能の無い自分に価値を与えてくれる誰か』が、俺と同じ悩みを持つ、榊原麗という1人の少女だということ。
このことは榊原にだけは伝えておかなければならない。
本当に欲するものは別にあったというだけで、俺は今でも変わらず『才能』を見つけ出したいと思っている。
そもそも、俺と榊原は互いに『才能』を見つけ出すために協力するという目的のもと、友人関係を築いたのだ。
このキッカケが無ければ、俺はきっと、榊原とこうして親しくなることも無かっただろう。
今日の出来事を全て榊原に伝えよう。
そう思って再びポケットからスマホを取り出し、榊原の連絡先を表示したところで思い留まり、俺はスマホをポケットにしまい込んだ。
こういう話は直接会って話した方がいい。
次に榊原と会った時、しっかりと伝えることにしよう。
そんなことを考えていると、新幹線発車のメロディーとアナウンスがホームに流れた。
そのアナウンスを聞きつけ、慌ただしく車内に客が乗り込んでくる。
俺の隣にも細身でメガネをかけたスーツ姿のサラリーマンがやってきて、椅子に腰かけた。
腕時計に目をやると、時刻はちょうど17時。
ホームに流れていたメロディーとアナウンスは鳴り止み、ガコンという機械音と共に新幹線の扉が閉まった。
そして、新幹線は空気を裂くような音を響かせながらゆっくりと動き出し、凪波駅のホームを出ると、田舎者には眩しすぎる都会の風景に別れを告げ、新幹線は俺の家族や友人の待つほたる市へ向かって静かに走り出した——。
俺は急いでバスに乗り込み、入り口に1番近い1人席に腰を下ろす。
凪波大学から乗車してきた客は俺だけで、バスのドアは俺が乗り込むとすぐに閉まった。
エンジン音を轟かせ、次のバス停へ向かおうとする車内から、凪波大学とそこに出入りする大学生たちを見つめる。
次、ここに来るときはおそらく受験生としてだろう。
それまではしっかりと学業に専念することにしよう。
バスはそんなことを考える俺を乗せて、次のバス停へ向かって走り出した。
***
駅の人混みは、最初に訪れた時よりも少しばかり数が少なくなっているように感じたが、それでもまだ十分すぎるほどに人が多い。
現在の時刻はもうすぐ16時30分に差し掛かるというところ。
ほたる市へ向かう新幹線は17時ちょうどに発車するため、少し早い気もするがもう乗り込んでいても良さそうだ。
俺は人波をかき分け、新幹線の待つホームへと向かう。
駅内は無数の人々の足音や駅員のアナウンスなどでとても騒がしい。
前方からやってくる人とぶつからないように間を縫って進む様子は、まるでインベーダーゲームをしているかのようだ。
ホームへ向かう途中、辺りから漂ってくる胃袋を刺激する匂いが俺の行く手を幾度も阻んだ。
駅弁の売店が所狭しと並び、牛肉弁当、鷄めし、蟹めし、イカめしなど、様々な種類の駅弁が陳列されている様子は圧巻の一言に尽きた。
陳列された駅弁を眺めると、唾液腺が刺激され、腹の虫が音を立てて鳴り出す。
俺は鞄から財布を取り出し、中身を確認すると、駅弁1つくらいならなんとか購入出来る額が入っていた。
しかし、コンビニやスーパーで売っている弁当とは違い、駅弁はどれもそれなりの値段がする。
我慢してこのまま立ち去るか、欲望に正直になって購入するか。
己の中で葛藤を繰り広げていると、真柳教授に教えてもらったあの言葉が脳裏をよぎった。
『大抵の人は本当に何が欲しいのか、心の中でわかっています。人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです』
自分が本当に欲しているもの……
それに、こうも言っていた。
『理性で物事を考えるのはもちろん大切だよ。でも、時には自分の心に正直にならないと』
自分の心に正直に……
気付いた時には、手元に鶏めし弁当が抱えられていた。
自分の心に正直にならないといけない。
だから、これはきっと正しい判断だ。
俺は自分にそう言い聞かせて、再びホームへと足を進めた。
***
帰りの新幹線は自由席だったので、俺は空いている窓側の席に腰を下ろした。
車内には簡易テーブルの上に缶ビールと駅弁を乗せ、スポーツ新聞を開きながらくつろぐサラリーマンや、キャリーバッグを持った旅行帰りらしい家族の姿が見受けられる。
俺は購入した駅弁を簡易テーブルの上に置き、ポケットから取り出したスマホで母さん宛にメールを送る。
今からそちらに帰るという旨のメールに、駅弁の写真を添付して送った。
メールを済ませた俺は、早速駅弁を食べ進めることにした。
高級感あふれる木箱の蓋を開けると、醤油で炊かれた香ばしい香りのする米の上に、甘いタレでコーティングされた鶏そぼろが姿を現した。
「おぉ……流石、都会の駅弁……」
都会だろうが田舎だろうが同じ駅弁には変わりないのだが、普段とは違うロケーションというのもあり、今の俺は何でもかんでも執拗に美化しようとしてしまっている。
俺は駅弁に付いてきた割り箸を手に取ると、乾いた音を響かせそれをパキリと割る。
そして、そのまま割り箸の先を米の中に潜らせ、醤油の染みた米とその上に乗った上質な鶏そぼろを掬い上げ、口へと運ぶ。
「美味い……」
昼はおにぎりだけという質素なものだったため、駅弁が俄然美味く感じる。
香ばしい醤油味の米と甘いタレのかかった鶏そぼろが口の中でいい具合に絡み、鶏の旨味がジワッと広がる。
これは奮発して正解だったと、心の中でガッツポーズを決めた。
***
ものの数分で駅弁を平らげた俺は、車内から窓の外を眺め、真柳教授との会話を思い返していた。
俺が本当に欲しているものは、『才能』ではなく『才能の無い自分に価値を与えてくれる誰か』だということ。
そして、その『才能の無い自分に価値を与えてくれる誰か』が、俺と同じ悩みを持つ、榊原麗という1人の少女だということ。
このことは榊原にだけは伝えておかなければならない。
本当に欲するものは別にあったというだけで、俺は今でも変わらず『才能』を見つけ出したいと思っている。
そもそも、俺と榊原は互いに『才能』を見つけ出すために協力するという目的のもと、友人関係を築いたのだ。
このキッカケが無ければ、俺はきっと、榊原とこうして親しくなることも無かっただろう。
今日の出来事を全て榊原に伝えよう。
そう思って再びポケットからスマホを取り出し、榊原の連絡先を表示したところで思い留まり、俺はスマホをポケットにしまい込んだ。
こういう話は直接会って話した方がいい。
次に榊原と会った時、しっかりと伝えることにしよう。
そんなことを考えていると、新幹線発車のメロディーとアナウンスがホームに流れた。
そのアナウンスを聞きつけ、慌ただしく車内に客が乗り込んでくる。
俺の隣にも細身でメガネをかけたスーツ姿のサラリーマンがやってきて、椅子に腰かけた。
腕時計に目をやると、時刻はちょうど17時。
ホームに流れていたメロディーとアナウンスは鳴り止み、ガコンという機械音と共に新幹線の扉が閉まった。
そして、新幹線は空気を裂くような音を響かせながらゆっくりと動き出し、凪波駅のホームを出ると、田舎者には眩しすぎる都会の風景に別れを告げ、新幹線は俺の家族や友人の待つほたる市へ向かって静かに走り出した——。
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