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第60話「夏休みについて(26)」
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静かな運転音と共に窓の外に見える街が、山が、田園がとてつもない速度で過ぎ去っていく。
まるで風になっているようだ。
これほど速度が出ているにもかかわらず、こんなにも揺れが少ないというのは驚くべきことだ。
産業革命に伴い、ここまで技術が進歩したのは技術者たちの努力が功を奏したおかげだろう。
これから益々、技術は発展し、想像もつかないような夢のマシンが登場してくると考えると、胸に秘めた少年心が激しく揺さぶられる。
そんなことを考えながら窓の外をぼんやりと眺めていると、通路の真ん中を食品や飲み物、雑誌なんかを詰め込んだカートを押しながら若い女性乗務員がゆっくり歩いてくるのが見えた。
俺は横を通る乗務員に右手上げて声をかける。
「すいません。烏龍茶1本いただけますか?それとおにぎり2つ」
そう言うと若い女性乗務員は「かしこまりました」と言って、カートから烏龍茶の入った500mlのペットボトルと鮭のおにぎり2つを取り出す。
俺は財布から小銭を取り出し、商品を受け取ると同時にそれを乗務員に渡した。
そして購入を済ませると、乗務員の女性は再びカートを押しながらゆっくり通路を歩き出した。
ここまで言えば大方予想はつくだろうが、俺は現在新幹線に乗って、とある地方へ向かっているところだ。
何故俺が1人で新幹線に乗っているのか。
事は2日前に遡る——
秀一たちと時雨町のキャンプ場でキャンプをし、そこから帰ってきた日の夜。
俺は財布から一枚の名刺を取り出し、スマホに登録しておいた連絡先に電話をかけた。
3回発信音がなったところで、相手との通話が繋がった。
「あっ、もしもし。先日お世話になった羽島ですけれど……」
「あぁ! 羽島君! どうしたんだい? もしかして……来てくれる気になった?」
スピーカー越しに聞こえるその声の主は、相変わらず人を落ち着かせるような優しい声で尋ねてきた。
「はい。ぜひ、講義を見学させていただこうと思って……明後日、そちらにお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
俺は先日行われた講演会でお世話になった真柳教授に、「自分が担当する授業の見学に来てみないか」と誘われていた。
その話を受けた時には、「はい。わかりました」とすぐに答えることができず、曖昧な返事を返してしまった。
そうして秀一たちとキャンプをしている間にいろいろと考えた結果、俺は真柳教授の講義を見学させてもらうことに決めたのだった。
俺がそう考えるのに至ったのにも様々な理由があったが、やはり『せっかくのチャンスを無駄にはしたくない』というのが一番大きかっただろう。
『才能』に悩み、好きなことも見つけられないでいた俺に、可能性と希望を与えてくれた真柳教授の講義を是非見学してみたい。
ひょっとすると、その講義を見学したことによって『才能』に関する新たな気づきがあるかもしれない。
そんな期待を持って、俺は真柳教授に連絡を試みたのだ。
「もちろんだよ! せっかく来てもらうんだ。交通費はすべてこちらで払わせてもらうよ」
「い、いえ! そんな、悪いですよ! お邪魔するのは俺の方なんですから、自分で払います!」
真柳教授からの急な提案に驚き、俺はとっさにそう答える。
行きの新幹線代だけで1万円。往復ともなるとその倍はかかる。
ただの高校生からしてみればその金額は決して安いものではなく、ましてや知り合って間もない人に交通費を出してもらうなどさすがに気が引けたため、俺はその申し出に対し、丁重にお断りした。
しかし、真柳教授の押しは強く、俺の言葉はあっさりと受け流されてしまった。
「はははっ! 遠慮なんてしなくていいんだよ。こちらから誘っておいて、高校生にお金を払わせるなんて僕のゼミの学生たちに知られたら、なんて言われるかわかったもんじゃないよ」
真柳教授はそう言っておどけるように笑う。
「その代わりと言ってはなんだけど……講義を見学した後にひとつ感想をくれるかな?」
「は、はい。でも……そんなことでいいんですか?」
交通費と俺なんかの感想がどう考えても釣り合わないように思えたため、俺は教授に確認した。
「うん。羽島君の感想が僕の授業をより良くさせてくれると確信しているからね」
その言葉から、スピーカーの向こう側で真柳教授が優しく微笑んでいる姿が容易に想像できた。
「では、ありがたくお言葉に甘えさせていただきます。……明後日の講義楽しみにしていますね」
「はい。是非、甘えてください。羽島君の期待に応えられるような授業を展開できるように僕も頑張ります。それでは、また後日」
そうして、真柳教授との通話は終わった。
交通費を払っていただけるのはありがたい限りだが、それでもやはり僅かばかり罪悪感は残ってしまう。
せめて真柳教授の講義を見学して、自分が何を感じ、何を思ったのかくらいはしっかり言えるようにしておこうと、俺は決意した。
そして現在。
俺は真柳教授が務める凪波大学へ赴くため、こうして1人で新幹線に揺られているというわけだ。
俺の住むほたる市から大学のある凪波までは新幹線で約3時間。
8時発の新幹線に乗ったため、凪波に着くのは大体11時頃だろうか。
俺は座席に設置されている簡易テーブルを開いてその上に購入したお茶と2つのおにぎりを置き、そのうち1つを手にとっておにぎりを包んでいるフィルムを剥がす。
そして香ばしい香りのする海苔が巻かれたおにぎりにかぶりつく。
するとパリッという海苔が破れる快音が響き、口の中にはおにぎりの程よい塩気が広がる。
今朝は家を出たのが早かったため、朝食を食べる時間がなかった。
そのため、今こうして車内でおにぎりを買って頬張っているというわけだ。
慣れない1人旅で緊張していたのか、かなり腹が減っていて、あっという間に1つ目のおにぎりを胃の腑に収めてしまった。
俺はペットボトルのキャップを外し、口の中に残った塩気を烏龍茶で流す。
そして、2つ目のおにぎりに手をかけようとした時、窓の外の景色が一変した。
小さな街や山々、広い田園風景ばかりだったものが、いきなり真新しいビルやマンションなどの近代的な都市の風景に移り変わり、その光景に圧倒されてしまった。
「おぉ……!」
ほたる市にはここまで高い建造物はあまり存在しない。あるのはせいぜい電波塔くらいだ。
俺は普段見慣れない『街』の風景に感動すら覚えた。
同じ日本でここまで違いがあるのは何というか不思議で、面白い。
それから、都会の街を走ること数分。
車内にアナウンスが鳴り響いた。
「次は凪波、凪波に停まります」
そのアナウンスを聞いた俺は、手に持った2つ目のおにぎりを口の中に詰め込み、お茶で胃に流し込むと、ゴミを持参したビニール袋の中に入れ、下車の準備に移った。
そして、新幹線は減速しながら駅のホームと思しき場所へ入っていき、ゆっくりと静かに停車した。
窓の外の景色がようやく止まったところで俺は席を立ちあがり、新幹線を出る。
「うおぉ……」
駅のホームに降り立って最初に思ったのは、『人が多すぎる』ということだった。
見渡す限り、人、人、人。
俺はあまりの人の多さにうめき声に近い声をあげた。
ひょっとしたら、このホームにいる人だけでほたる市の人口の4分の1くらいはいるんじゃないだろうか。
そう思うほどに駅のホームは人で溢れ返っていた。
俺はなんとか人と人の間を通ってホームを抜け、開けた場所へと出た。
しかし人口は減るどころかさらにその数を増やし、多くの人々が急ぎ足で駅内を行ったり来たりしている光景が目に映った。
駅内を歩く人々の足音が何重にも重なって聞こえ、ただ立っているだけで鼓動が早くなっていく。
俺は駅の上部に設置されている案内板を見ながら、出口へ向かって歩いた。
しかし案内板の指示通りに歩いていたにもかかわらず、何度も道に迷い、最終的に駅員に出口まで案内してもらいことになった。
そうしてなんとか無事に出口に着くことができた俺は、ホッと胸を撫で下ろし、雑踏する駅から外へと出たのだった——。
まるで風になっているようだ。
これほど速度が出ているにもかかわらず、こんなにも揺れが少ないというのは驚くべきことだ。
産業革命に伴い、ここまで技術が進歩したのは技術者たちの努力が功を奏したおかげだろう。
これから益々、技術は発展し、想像もつかないような夢のマシンが登場してくると考えると、胸に秘めた少年心が激しく揺さぶられる。
そんなことを考えながら窓の外をぼんやりと眺めていると、通路の真ん中を食品や飲み物、雑誌なんかを詰め込んだカートを押しながら若い女性乗務員がゆっくり歩いてくるのが見えた。
俺は横を通る乗務員に右手上げて声をかける。
「すいません。烏龍茶1本いただけますか?それとおにぎり2つ」
そう言うと若い女性乗務員は「かしこまりました」と言って、カートから烏龍茶の入った500mlのペットボトルと鮭のおにぎり2つを取り出す。
俺は財布から小銭を取り出し、商品を受け取ると同時にそれを乗務員に渡した。
そして購入を済ませると、乗務員の女性は再びカートを押しながらゆっくり通路を歩き出した。
ここまで言えば大方予想はつくだろうが、俺は現在新幹線に乗って、とある地方へ向かっているところだ。
何故俺が1人で新幹線に乗っているのか。
事は2日前に遡る——
秀一たちと時雨町のキャンプ場でキャンプをし、そこから帰ってきた日の夜。
俺は財布から一枚の名刺を取り出し、スマホに登録しておいた連絡先に電話をかけた。
3回発信音がなったところで、相手との通話が繋がった。
「あっ、もしもし。先日お世話になった羽島ですけれど……」
「あぁ! 羽島君! どうしたんだい? もしかして……来てくれる気になった?」
スピーカー越しに聞こえるその声の主は、相変わらず人を落ち着かせるような優しい声で尋ねてきた。
「はい。ぜひ、講義を見学させていただこうと思って……明後日、そちらにお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
俺は先日行われた講演会でお世話になった真柳教授に、「自分が担当する授業の見学に来てみないか」と誘われていた。
その話を受けた時には、「はい。わかりました」とすぐに答えることができず、曖昧な返事を返してしまった。
そうして秀一たちとキャンプをしている間にいろいろと考えた結果、俺は真柳教授の講義を見学させてもらうことに決めたのだった。
俺がそう考えるのに至ったのにも様々な理由があったが、やはり『せっかくのチャンスを無駄にはしたくない』というのが一番大きかっただろう。
『才能』に悩み、好きなことも見つけられないでいた俺に、可能性と希望を与えてくれた真柳教授の講義を是非見学してみたい。
ひょっとすると、その講義を見学したことによって『才能』に関する新たな気づきがあるかもしれない。
そんな期待を持って、俺は真柳教授に連絡を試みたのだ。
「もちろんだよ! せっかく来てもらうんだ。交通費はすべてこちらで払わせてもらうよ」
「い、いえ! そんな、悪いですよ! お邪魔するのは俺の方なんですから、自分で払います!」
真柳教授からの急な提案に驚き、俺はとっさにそう答える。
行きの新幹線代だけで1万円。往復ともなるとその倍はかかる。
ただの高校生からしてみればその金額は決して安いものではなく、ましてや知り合って間もない人に交通費を出してもらうなどさすがに気が引けたため、俺はその申し出に対し、丁重にお断りした。
しかし、真柳教授の押しは強く、俺の言葉はあっさりと受け流されてしまった。
「はははっ! 遠慮なんてしなくていいんだよ。こちらから誘っておいて、高校生にお金を払わせるなんて僕のゼミの学生たちに知られたら、なんて言われるかわかったもんじゃないよ」
真柳教授はそう言っておどけるように笑う。
「その代わりと言ってはなんだけど……講義を見学した後にひとつ感想をくれるかな?」
「は、はい。でも……そんなことでいいんですか?」
交通費と俺なんかの感想がどう考えても釣り合わないように思えたため、俺は教授に確認した。
「うん。羽島君の感想が僕の授業をより良くさせてくれると確信しているからね」
その言葉から、スピーカーの向こう側で真柳教授が優しく微笑んでいる姿が容易に想像できた。
「では、ありがたくお言葉に甘えさせていただきます。……明後日の講義楽しみにしていますね」
「はい。是非、甘えてください。羽島君の期待に応えられるような授業を展開できるように僕も頑張ります。それでは、また後日」
そうして、真柳教授との通話は終わった。
交通費を払っていただけるのはありがたい限りだが、それでもやはり僅かばかり罪悪感は残ってしまう。
せめて真柳教授の講義を見学して、自分が何を感じ、何を思ったのかくらいはしっかり言えるようにしておこうと、俺は決意した。
そして現在。
俺は真柳教授が務める凪波大学へ赴くため、こうして1人で新幹線に揺られているというわけだ。
俺の住むほたる市から大学のある凪波までは新幹線で約3時間。
8時発の新幹線に乗ったため、凪波に着くのは大体11時頃だろうか。
俺は座席に設置されている簡易テーブルを開いてその上に購入したお茶と2つのおにぎりを置き、そのうち1つを手にとっておにぎりを包んでいるフィルムを剥がす。
そして香ばしい香りのする海苔が巻かれたおにぎりにかぶりつく。
するとパリッという海苔が破れる快音が響き、口の中にはおにぎりの程よい塩気が広がる。
今朝は家を出たのが早かったため、朝食を食べる時間がなかった。
そのため、今こうして車内でおにぎりを買って頬張っているというわけだ。
慣れない1人旅で緊張していたのか、かなり腹が減っていて、あっという間に1つ目のおにぎりを胃の腑に収めてしまった。
俺はペットボトルのキャップを外し、口の中に残った塩気を烏龍茶で流す。
そして、2つ目のおにぎりに手をかけようとした時、窓の外の景色が一変した。
小さな街や山々、広い田園風景ばかりだったものが、いきなり真新しいビルやマンションなどの近代的な都市の風景に移り変わり、その光景に圧倒されてしまった。
「おぉ……!」
ほたる市にはここまで高い建造物はあまり存在しない。あるのはせいぜい電波塔くらいだ。
俺は普段見慣れない『街』の風景に感動すら覚えた。
同じ日本でここまで違いがあるのは何というか不思議で、面白い。
それから、都会の街を走ること数分。
車内にアナウンスが鳴り響いた。
「次は凪波、凪波に停まります」
そのアナウンスを聞いた俺は、手に持った2つ目のおにぎりを口の中に詰め込み、お茶で胃に流し込むと、ゴミを持参したビニール袋の中に入れ、下車の準備に移った。
そして、新幹線は減速しながら駅のホームと思しき場所へ入っていき、ゆっくりと静かに停車した。
窓の外の景色がようやく止まったところで俺は席を立ちあがり、新幹線を出る。
「うおぉ……」
駅のホームに降り立って最初に思ったのは、『人が多すぎる』ということだった。
見渡す限り、人、人、人。
俺はあまりの人の多さにうめき声に近い声をあげた。
ひょっとしたら、このホームにいる人だけでほたる市の人口の4分の1くらいはいるんじゃないだろうか。
そう思うほどに駅のホームは人で溢れ返っていた。
俺はなんとか人と人の間を通ってホームを抜け、開けた場所へと出た。
しかし人口は減るどころかさらにその数を増やし、多くの人々が急ぎ足で駅内を行ったり来たりしている光景が目に映った。
駅内を歩く人々の足音が何重にも重なって聞こえ、ただ立っているだけで鼓動が早くなっていく。
俺は駅の上部に設置されている案内板を見ながら、出口へ向かって歩いた。
しかし案内板の指示通りに歩いていたにもかかわらず、何度も道に迷い、最終的に駅員に出口まで案内してもらいことになった。
そうしてなんとか無事に出口に着くことができた俺は、ホッと胸を撫で下ろし、雑踏する駅から外へと出たのだった——。
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