白の無才

ユウキ ヨルカ

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第41話「夏休みについて(7)」

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数年ぶりに童心に帰り、深いことは考えずただひたすらに遊びにふけっていると、プールサイドに設置されたスピーカーから正午になったことを伝えるアナウンスが施設内に鳴り響いた。

これから30分間はプール内の清掃と点検が行われるため、プールには入れなくなる。

それまで楽しそうにはしゃいでいた子供達もアナウンスを聞くなり、一斉にプールからプールサイドに上がりだす。


「俺たちも一旦上がるか」

「そうね。私たちもお昼休憩にしましょうか」

榊原の提案に対し、頷いて賛成した俺たちは施設内にある売店で昼食を買い、外にあるテラス席で昼食休憩を挟むことにした。


「それじゃあ、私と麗ちゃんは一旦更衣室に戻って上着着てくるね」

「わかった。俺たちも一度更衣室に戻って上着を取ってくる。終わったら更衣室前で待ち合わせしよう」

「わかった!」


そう言って一度男女に分かれて更衣室に戻り、俺と秀一は濡れた体をバスタオルで拭くとその上に半袖のワイシャツを羽織った。

そして昼食を買うために鞄から財布を取り出し、俺たちは更衣室を出る。

榊原たちの姿がないところを見るに、どうやらまだ更衣室の中らしい。


「それにしても、2人とも水着姿可愛かったよなぁ~。俺たちが一緒にプールに来てるところをクラスの男子に見つかったらやばいことになるな!」

「怖いこと言うなよ……」


秀一は「にしし」と笑いながら話すが、実際割とシャレにならないので勘弁してほしい。

榊原の転校初日のトラウマが蘇ってしまう。


これだけの利用客がいれば、もしかすると本当にクラスの奴らがいるかもしれない。

俺は周囲を見回し、知っている顔がないかを確認する。


キョロキョロと落ち着きなく周りを警戒していると、「おまたせー、待った?」という声と共に女子更衣室から水色のパーカーを着た朝霧と、桜色のパーカーを着た榊原が出てきた。


「……羽島、どうしたの?そんなにキョロキョロして」

朝霧が怪訝な顔をして尋ねてくる。


「いや……何でもない。それより早く売店に行った方が良さそうだ」

朝霧の声で俺はハッと我に返り、慌てて話題を逸らす。

万が一、クラスの男子がいるとすれば向こうから声をかけてくるだろう。

未だに誰からも声をかけられていないところから考えると、いないと考えた方が自然である。


「この人の数じゃ、あっという間に商品なくなりそうだもんな。それじゃあ、早く行こうぜー」

そう言って進む秀一に続いて、俺たちも売店へと向かった。


受付の真向かいにある売店は、思ったよりも混んではいなかった。

おそらく、プール内の清掃点検が入ると同時に帰宅した者が何人かいたのだろう。

何はともあれ、無事に昼食にありつけそうで良かった。


久しぶりにはしゃぎすぎたせいか、先ほどから腹の虫が煩く鳴いている。

俺は売店でおにぎり2つとペットボトルのお茶1本を購入し、秀一たちが買い物を終えるまで店の外で待つことにした。


しばらくして昼食の購入を済ませた朝霧・榊原と合流した。

「秀一は?」

「まだ何買うか悩んでる」

俺が尋ねると朝霧はそう言って売店の方を指差す。

朝霧が指差す方に目を向けると、「うーん」だの「ぐぬー」だのと言いながら商品を吟味する秀一の姿が見えた。

いつまで悩んでるんだあいつは……

早くしないとテラス席が埋まってしまう。


「おい、秀一。さっさと決めろ。早くしないとテラス席埋まるぞ」

急かすようにそういうと、秀一は「ちょ、ちょっと待って!」と買い物カゴに片っ端から商品を入れてレジへと向かう。

レジに商品の入った買い物カゴを乗せると、店員の慣れた手つきによって流れるように商品のバーコードがスキャンされていく。

ピッという電子音が5、6回鳴り響いた後、秀一は表示された小計を確認し、財布から千円札を2枚出して釣りを受け取ると、両手に持ったレジ袋を揺らしながらこちらに向かって走ってきた。


「いや~、ごめんごめん。何買うか迷った結果、結局全部買っちまった。あっはっはっは!」

申し訳なさを微塵も感じさせずにゲラゲラと笑う秀一を見て、俺は呆れを通り越してむしろ笑みが溢れた。


「これで席が全部埋まってたら、全員にアイスクリーム奢りだからな」

そういうと秀一は表情を一変させ、「えぇーっ!?」と不満げに声を上げた。


***



全員が昼食を購入し終えた後、俺たちは屋外プールの横に設けられている休憩スペースへ移動した。

4人が座れる席を探していると、手前の4人掛けの席に座っていた子連れの家族が、ちょうど昼食を食べ終えたらしく席を離れた。


俺たちは入れ替わるようにしてそのテラス席に腰を下ろし、買ってきた昼食をテーブルの上に置く。

テーブルには日除けのパラソルが刺さっているため、日に当たることはない。


「あー、腹減った。早く食おうぜ~」

秀一はレジ袋からプラスチック容器に入ったカツ丼を取り出し、蓋を取って付いてきた割り箸をパキッと割ると、勢いよく口にかき込んだ。


俺もレジ袋から買ってきたおにぎりとペットボトルのお茶を取り出し、ついてきた手拭きで手の汚れを落としてから、鮭のおにぎりにかぶりつく。

海苔に歯を立ててそのまま噛みちぎるとパリッという心地いい食感と音が口の中に響き、程よい塩気の米と鮭が運動して空になった胃の中に溜まっていく。


朝霧はプラスチック容器に入ったうどん。
榊原はハムとレタスのサンドイッチを食べ進めている。

2人もそれなりに空腹だったようで、「おいしいねー!」などと言いながら顔に笑顔を浮かべている。


ふと他の席に目をやると、俺たちの周りでも小学生の男子グループや大学生らしきカップルたちが笑い声と共に昼食を摂っている様子が窺えた。

気温はすでに30度に達しているだろう。

しかし利用客の顔には総じて、暑さを微塵も感じさせない爽やかさが表れていた。


今、この場にいる者にとって夏の暑さは、夏を彩るスパイスでしかないのだ。


身を焦がすほどの太陽の光も、煩いほどの蝉の鳴き声も、辺りに漂う塩素の匂いも、彼らにとっては『夏の思い出』としてプラスに換算される。


そして、それは俺たちも同じ。

普段は嫌気が差すほどのこの天気や蝉の鳴き声も、今では全てがポジティブに感じられる。

場の雰囲気というのは、とてつもない力を秘めているのだなと実感した。


そんなことを思っていると、いつの間にか秀一はカツ丼を食べ終え、ミートスパゲティを口に運んでいた。
口の端にはミートソースが付着している。

食べるの早すぎだろ……

俺はそんな秀一を見ながら残りのおにぎりに手をつけた。


***



「あーーー美味かったぁ~~~!」

俺と女子2名が昼食を食べ終わるのとほぼ同時に、俺たちの倍以上の昼食を全て平らげた秀一が水風船のように膨らんだ腹を押さえ、声を上げた。


「榎本君、凄いわね……」

そう言って感心する榊原の顔が若干引きつっている。


「まぁ、一応運動部所属だからね。食べるのも練習の一環みたいなところあるからさ!」

秀一は笑顔でそう話すが、運動部でも秀一ほどの大食漢はなかなかいないだろう。


「さて、昼食も食べ終わったし、食後のデザートでも食べようかな」

「まだ食べるの!?」


秀一の発言に朝霧が驚嘆の声を上げる。


「入り口のところでアイスクリーム買ってくるけど、みんなもいる?」

「奢ってくれるのか?」

「ちげぇよ……」

奢りじゃないのか……

しかし、俺も少し甘いもの食べたいと思っていたところだったので秀一に頼んでソフトクリームを買ってきてもらうことにした。


「榊原さんと莉緒は?」

「それじゃあ私もソフトクリームを」

「おっけー!莉緒は?」

「私も一緒に行くよ。1人で4つも持てないでしょ?」

そう言って朝霧は秀一と共に席を立つ。


「それじゃあ私も一緒に……」

朝霧が席を立つのを見て、榊原も同じように席から立とうとする。


「いいよいいよ!麗ちゃんは座って待ってて。羽島、麗ちゃんのことよろしくね!」

「お、おう」

朝霧はそう言って榊原を席に戻す。
ついでに俺も榊原を見守っているように頼まれた。


「そんじゃ、ちょっと買ってくるからそこで待ってて」

秀一はそう言うとアイスクリーム屋の方に向かって歩き出し、朝霧はその後ろをぴったりとついていった。


「なんだか申し訳ないわね……」

2人の後ろ姿を見つめながら榊原が呟く。


「気にするな。ここは2人の善意に甘えておこう」

「うん……そうね」



そうして、2人きりになった俺と榊原の間に沈黙が流れる。


榊原の桜色のパーカーから覗く、白く細い首筋や鎖骨、扇情的な胸元に思わず目がいってしまう。

本人は気づいていないようだが、ビキニにパーカーというのもなかなかに破壊力がある。


頬にかかった長い髪を細い指で掬い上げ、そっと耳にかける仕草も非常に洗練されていて美しい。

またもや無意識に見惚れていると、榊原の小さな口が開いた。


「……私、こうして誰かと一緒にプールに来るなんて生まれて初めて。……今まで、こういうことを一緒にできるお友達っていなかったから……」

「榊原……」

「でも、今は凄く楽しいわ。莉緒さんも榎本君も……そして羽島君も。みんな優しくて、友達思いで、こんな人達と私が一緒にいられるなんて夢みたい……」


そう話す榊原の瞳にはとても温かく、優しい光が灯っていた。


「私ね、もっとみんなといろいろなことがしたい。『才能』を見つけるためじゃなくて、みんなともっと、もっと親密になるために——」


榊原は続ける。


「この夏休み、私が今まで経験してこなかったことをたくさん経験したい。もっといろんなことが知りたい。そして、もっと……羽島君たちに触れたい。人と出会って、話して、触れ合って。……そうすることで今、私が書こうとしている『物語』も厚みを増すと思うの」


紫陽花祭りの夜、榊原は『挑戦してみたいことがある』と言った。

それは、自分で『物語』を書くこと。

その物語作りのためにも、もっと多くのことを見て、触れて、感じたい。

榊原はそう言った。



俺の言葉が榊原にどんな影響を与えるかは分からない。

俺にはまだ、榊原のような何かに挑戦しようという強い気持ちが無い。

だから、必然的に俺の言葉は質量を持たない雲のように軽いものになってしまう。

それでも、未知の領域に足を踏み入れ、己の掲げた目標に挑戦しようとする榊原に何か言葉をかけてやりたい。

そう思い、俺は口を開いた。


「……まだ、夏休みは始まったばかりだ。榊原はこれからもっとたくさんのことを経験できる。その時はもちろん、俺や朝霧たちも一緒だ。……だから、焦らずゆっくり、自分の物語を書き進めていけばいい」


すると、榊原はゆっくりと視線を動かし、俺と目を合わせた。

そして、ゆっくりと口を開き、目が眩むほどのまばゆい笑顔を向けてこう言った。



「……ありがとう。羽島君」



その時、屋外プールの横にある競技用の50Mプールの方でピッ!という甲高いホイッスルの音が鳴り響いた。

俺にはそれが、新しい何かが勢いよくスタートを告げた音のように聴こえた——。
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