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第34話「陸上大会について(9)」
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朝霧のレースが終わった後も競技は続き、気がつけばもう17時。
陸上大会1日目の閉会式が始まろうとしていた。
それまで一緒に競技を応援・観戦していた秀一と朝霧は、閉会式に参加するため他の陸上部員と共にトラックの方へ移動を開始した。
俺と榊原は観客席から閉会式の様子を見ることにした。
今日大会に出場した全ての選手が学校ごとに列になって並んでおり、その顔には達成感や喜び、悔しさや覚悟が現れている。
どれもいい表情だ。
その後、『陸上競技会副会長』と名乗る初老の男性から本日の総評が述べられ、初老の男性は壇上から選手たちの顔を見渡し、2日目に向けての激励の言葉を送った。
こうして無事に閉会式は終わり、大会1日目は幕を閉じた。
***
閉会式が終わった後、秀一たちは片付けがあるということだったため、俺と榊原は一足先に運動場を後にした。
夏になったことで日はさらに長くなり、空にはまだ太陽が顔を出している。
俺たちは、今日1日その輝きを絶やさなかった太陽に見送られながら蝶谷駅に向かって歩き出す。
運動競技場から10分ほどで蝶谷駅に着くと、ちょうど駅に電車が到着したところだった。
俺たちは急いで券売機で切符を購入し、改札を抜けて電車に乗り込んだ。
車内は今朝と同様に空いていて、俺と榊原は4人掛けの席に向かい合って座る。
「いいタイミングで電車が来たな」
「そうね。これを逃してしまうと1時間待っていないといけなかったものね」
榊原はそう言って苦笑する。
ここでまた1時間も待たされたら、せっかく早めに運動競技場を出てきた意味がなくなってしまう。
「そうだな」
俺も同じように苦笑した。
窓からは西日が差し込み、俺と榊原を照らす。
榊原の艶やかな黒髪が、長い睫毛が、大きな瞳が、光に当たって茜色に輝いている。
うっとりとした表情で窓の外を眺める榊原に目を奪われていると、彼女の花のように愛らしい口が小さく開く。
「輝いていたわね……」
「えっ?」
「あそこにいた人たちはみんなが輝いていたわ。選手、観客関係なく」
榊原はゆっくりと言葉を続ける。
「私、中学生の時は部活動に入っていなかったから、大会の雰囲気というのがあまりよくイメージ出来ていなかったの。ましてや、声を出して誰かの応援をするなんて昔の私では考えられなかったわ。……でも、今日初めて大会の雰囲気や誰かを精一杯応援することを知って、私の中で数え切れないくらいの感情が激しく動き回ったのを感じたわ」
そういう榊原の表情はどこか楽しそうで、言葉からは榊原の感情がひしひしと伝わって来る。
「榎本君や莉緒さん、それ以外の選手全員が本気で真剣にレースに臨んでいるところは本当に感動したわ。観客席で応援するチームメイトもまるで自分のことのように喜び、そして涙し、自分の感情を全身で表現していて、とても素敵だった。美しいとすら思ったわ。私も彼らのように誰かのために喜んだり、泣いたりできる人間になりたい。……羽島君、今日は私を誘ってくれてありがとう。あなたのおかげで私の知らなかった世界、今まで知ろうとしてこなかった世界について知ることができたわ。……羽島君、私の世界を広げてくれて、ありがとう」
榊原はそう言うと俺の目を見て優しく、そして温かく微笑んだ。
窓から差し込む夕日のせいか、頬がほんのり赤く染まっている。
——綺麗だと思った。
榊原の表情もだが何より彼女の口から紡がれる言葉が、想いが、とても綺麗だと思った。
もっと彼女の言葉を聞きたい。
もっと彼女の想いを聞きたい。
榊原が思ったこと、感じたことがしっかりと形を帯びて俺の中に入ってくる。
頭の中には大会の風景や煩いほどの声援、蒸せ返るような暑さ、レースの緊張感などがイメージとして浮かび上がる。
榊原は「私も誰かのために喜んだり、泣いたりできる人間になりたい」と言ったが、自分では気づいていないだけで既になれている。
でないと、朝霧に対してあんな言葉は出てこない。
誰かを思う気持ちはもうとっくに榊原には備わっているのだ。
榊原のこの表情を、声を、そして想いを見て、聞いて、感じることができるなら、何度でも彼女を誘おう。彼女の世界を広げよう。今よりもっと彼女が笑えるように。
俺は自分の胸が高鳴るのを抑えて言葉を返す。
「それは俺の台詞だ。ありがとう、榊原。応援に駆けつけたのが俺だけだったら、朝霧の笑顔を取り戻すことはできなかっただろう。榊原がいてくれたからこそ、秀一も朝霧もああやっていつもの元気を取り戻すことができたんだと思う。それに、榊原の応援には間違いなく相手を思う気持ちがこもっていた。俺が保証する」
「羽島くん……」
榊原は少し驚いたような表情で呟く。
すると、車内にアナウンスが流れた。
『 まもなく、ほたる駅に到着します 』
アナウンスが流れると同時に電車は走行スピードを弱める。
そして、ほたる駅のホームに停車するとドアが開き、俺たちは荷物を持って電車からホームへと降りる。
時刻は17時半を少し回ったところ。
俺たちはほたる駅の改札口を通ると、そのまま駅の外へ出た。
先ほどよりも日が傾いている。
秀一たちもそろそろ片付けが終了して、帰り支度をしているところだろう。
そんなことを考えながら俺は榊原と一緒に家路に着いた。
夕日を背に受けながら、俺たちは今日の感想を語り合った。
人が大勢いて驚いたこと。コンクリートの壁が冷たくて心地よかったこと。沸き立つ歓声や声援に圧倒されたこと。スタート前の張り詰めた緊張感に息を呑んだこと。降り注ぐ夏の日差しが暑かったこと。選手の全力の走りが美しく、力強かったこと——。
嬉々とした表情で語る榊原を見て、俺の頬はすっかり緩みきってしまった。
山吹の一件で傷ついた心が榊原の微笑みで癒されていく。
秀一も朝霧もこの微笑みに救われたのだろう。
榊原はよく俺に感謝をしてくるが、感謝をしなくてはいけないのはむしろ俺の方だ。
いつか、しっかりと礼をしなくてはいけないだろう。
そんなことを思いながら、夕日に染まっていく街を歩いた。
しばらくして俺たちは交差点に着き、足を止める。
「榊原、今日はいろいろとありがとう。榊原がいてくれて本当に助かった」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。もうすぐ夏休みだし、またみんなで何かできればいいわね」
「そうだな。そういうイベント事は秀一が得意そうだ」
榊原はクスクスと笑って答える。
「楽しみにしておくわ。それじゃあ羽島君、さようなら。次は学校で」
「あぁ。またな」
そういうと榊原は俺とは反対方向の道に進んでいった。
榊原の後姿が小さくなっていくのを見てから、俺も家に向かって歩き出した。
肌にまとわりつくような生暖かい風と草木の青い香り、そして傾いた日の光によってどこまでも長く伸びる影が、本格的に夏が到来したことを教えてくれているような気がした——。
陸上大会1日目の閉会式が始まろうとしていた。
それまで一緒に競技を応援・観戦していた秀一と朝霧は、閉会式に参加するため他の陸上部員と共にトラックの方へ移動を開始した。
俺と榊原は観客席から閉会式の様子を見ることにした。
今日大会に出場した全ての選手が学校ごとに列になって並んでおり、その顔には達成感や喜び、悔しさや覚悟が現れている。
どれもいい表情だ。
その後、『陸上競技会副会長』と名乗る初老の男性から本日の総評が述べられ、初老の男性は壇上から選手たちの顔を見渡し、2日目に向けての激励の言葉を送った。
こうして無事に閉会式は終わり、大会1日目は幕を閉じた。
***
閉会式が終わった後、秀一たちは片付けがあるということだったため、俺と榊原は一足先に運動場を後にした。
夏になったことで日はさらに長くなり、空にはまだ太陽が顔を出している。
俺たちは、今日1日その輝きを絶やさなかった太陽に見送られながら蝶谷駅に向かって歩き出す。
運動競技場から10分ほどで蝶谷駅に着くと、ちょうど駅に電車が到着したところだった。
俺たちは急いで券売機で切符を購入し、改札を抜けて電車に乗り込んだ。
車内は今朝と同様に空いていて、俺と榊原は4人掛けの席に向かい合って座る。
「いいタイミングで電車が来たな」
「そうね。これを逃してしまうと1時間待っていないといけなかったものね」
榊原はそう言って苦笑する。
ここでまた1時間も待たされたら、せっかく早めに運動競技場を出てきた意味がなくなってしまう。
「そうだな」
俺も同じように苦笑した。
窓からは西日が差し込み、俺と榊原を照らす。
榊原の艶やかな黒髪が、長い睫毛が、大きな瞳が、光に当たって茜色に輝いている。
うっとりとした表情で窓の外を眺める榊原に目を奪われていると、彼女の花のように愛らしい口が小さく開く。
「輝いていたわね……」
「えっ?」
「あそこにいた人たちはみんなが輝いていたわ。選手、観客関係なく」
榊原はゆっくりと言葉を続ける。
「私、中学生の時は部活動に入っていなかったから、大会の雰囲気というのがあまりよくイメージ出来ていなかったの。ましてや、声を出して誰かの応援をするなんて昔の私では考えられなかったわ。……でも、今日初めて大会の雰囲気や誰かを精一杯応援することを知って、私の中で数え切れないくらいの感情が激しく動き回ったのを感じたわ」
そういう榊原の表情はどこか楽しそうで、言葉からは榊原の感情がひしひしと伝わって来る。
「榎本君や莉緒さん、それ以外の選手全員が本気で真剣にレースに臨んでいるところは本当に感動したわ。観客席で応援するチームメイトもまるで自分のことのように喜び、そして涙し、自分の感情を全身で表現していて、とても素敵だった。美しいとすら思ったわ。私も彼らのように誰かのために喜んだり、泣いたりできる人間になりたい。……羽島君、今日は私を誘ってくれてありがとう。あなたのおかげで私の知らなかった世界、今まで知ろうとしてこなかった世界について知ることができたわ。……羽島君、私の世界を広げてくれて、ありがとう」
榊原はそう言うと俺の目を見て優しく、そして温かく微笑んだ。
窓から差し込む夕日のせいか、頬がほんのり赤く染まっている。
——綺麗だと思った。
榊原の表情もだが何より彼女の口から紡がれる言葉が、想いが、とても綺麗だと思った。
もっと彼女の言葉を聞きたい。
もっと彼女の想いを聞きたい。
榊原が思ったこと、感じたことがしっかりと形を帯びて俺の中に入ってくる。
頭の中には大会の風景や煩いほどの声援、蒸せ返るような暑さ、レースの緊張感などがイメージとして浮かび上がる。
榊原は「私も誰かのために喜んだり、泣いたりできる人間になりたい」と言ったが、自分では気づいていないだけで既になれている。
でないと、朝霧に対してあんな言葉は出てこない。
誰かを思う気持ちはもうとっくに榊原には備わっているのだ。
榊原のこの表情を、声を、そして想いを見て、聞いて、感じることができるなら、何度でも彼女を誘おう。彼女の世界を広げよう。今よりもっと彼女が笑えるように。
俺は自分の胸が高鳴るのを抑えて言葉を返す。
「それは俺の台詞だ。ありがとう、榊原。応援に駆けつけたのが俺だけだったら、朝霧の笑顔を取り戻すことはできなかっただろう。榊原がいてくれたからこそ、秀一も朝霧もああやっていつもの元気を取り戻すことができたんだと思う。それに、榊原の応援には間違いなく相手を思う気持ちがこもっていた。俺が保証する」
「羽島くん……」
榊原は少し驚いたような表情で呟く。
すると、車内にアナウンスが流れた。
『 まもなく、ほたる駅に到着します 』
アナウンスが流れると同時に電車は走行スピードを弱める。
そして、ほたる駅のホームに停車するとドアが開き、俺たちは荷物を持って電車からホームへと降りる。
時刻は17時半を少し回ったところ。
俺たちはほたる駅の改札口を通ると、そのまま駅の外へ出た。
先ほどよりも日が傾いている。
秀一たちもそろそろ片付けが終了して、帰り支度をしているところだろう。
そんなことを考えながら俺は榊原と一緒に家路に着いた。
夕日を背に受けながら、俺たちは今日の感想を語り合った。
人が大勢いて驚いたこと。コンクリートの壁が冷たくて心地よかったこと。沸き立つ歓声や声援に圧倒されたこと。スタート前の張り詰めた緊張感に息を呑んだこと。降り注ぐ夏の日差しが暑かったこと。選手の全力の走りが美しく、力強かったこと——。
嬉々とした表情で語る榊原を見て、俺の頬はすっかり緩みきってしまった。
山吹の一件で傷ついた心が榊原の微笑みで癒されていく。
秀一も朝霧もこの微笑みに救われたのだろう。
榊原はよく俺に感謝をしてくるが、感謝をしなくてはいけないのはむしろ俺の方だ。
いつか、しっかりと礼をしなくてはいけないだろう。
そんなことを思いながら、夕日に染まっていく街を歩いた。
しばらくして俺たちは交差点に着き、足を止める。
「榊原、今日はいろいろとありがとう。榊原がいてくれて本当に助かった」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。もうすぐ夏休みだし、またみんなで何かできればいいわね」
「そうだな。そういうイベント事は秀一が得意そうだ」
榊原はクスクスと笑って答える。
「楽しみにしておくわ。それじゃあ羽島君、さようなら。次は学校で」
「あぁ。またな」
そういうと榊原は俺とは反対方向の道に進んでいった。
榊原の後姿が小さくなっていくのを見てから、俺も家に向かって歩き出した。
肌にまとわりつくような生暖かい風と草木の青い香り、そして傾いた日の光によってどこまでも長く伸びる影が、本格的に夏が到来したことを教えてくれているような気がした——。
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