白の無才

ユウキ ヨルカ

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第33話「陸上大会について(8)」

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ゲートから選手が続々と姿を現し始めたことにより、競技場内の熱気は最高潮に達した。

トラック上にいる選手たちは響き渡る声援をその身に受けながら軽いストレッチを済ませる。

朝霧も膝や腕を伸ばしウォーミングアップに入っている。


「莉緒ーー!! 頑張れぇぇぇ!!!」

隣で秀一が朝霧に向かって大きな声援を送るのを見て、俺と榊原も声を上げる。


「朝霧ーー!! 応援してるぞぉぉぉ!!!」

「莉緒さーーーん! 頑張ってーー!!」

他の陸上部員たちもしっかりと朝霧に届くような声で次々と声援を送っていく。

すると、蛍山高校の陣地以外からも負けじと声が上がった。


「頑張ってーー!!」

「負けんなぁぁぁ!!」

「気持ちしっかりーー!!」


いくつもの声援が夏の青空に吸い込まれていく。

燦々と輝く太陽は、まるで選手たちを応援しているかのように一層輝きを強めた。


そしてアナウンスが鳴る。


「 On your marks 」


選手は各自のレーンに入り、スタートラインに設置されたスターティング・ブロックに足をかける。

クラウチングスタートの姿勢を取った選手たちは真下に見える自分の影だけをジッと見つめ、合図が鳴るのを待つ。

競技場内に響き渡っていた声援は勢いを弱め、観客は勝負の時を静かに見守る。


「 Set 」


選手は指を白線につけた状態で一斉に腰を高く上げる。


緊張が高まる。


急に喉が渇きだし、俺は唾を飲み込む。


ゴクリと動く喉元を汗が伝う。



そして——



パンッ!!!



その合図が鳴ると共に選手は走り出す。

奥から2つ目にのレーンを走る朝霧は、顔をまっすぐ上げゴールラインに向かって一直線に走る。

朝霧のバネのような脚は地面を蹴るたびに遠くへ、さらに遠くへと伸びていく。


「いっけぇぇぇぇぇ!!! 莉緒ぉぉぉぉ!!!」


秀一は枯れた声で叫ぶ。

声は掠れ、裏返っていたが、秀一の想いは間違いなく朝霧に届いた。


朝霧は秀一が声援を送ると同時に前に出る。


「そのまま突っ切れ! 朝霧ーーー!!!」

「莉緒さーーーん!! 頑張ってーーー!!!」


俺と榊原も朝霧の背中を押すように声援を送る。

すると、向かい側からも同じような声援が聞こえてきた。


「抜かせ抜かせぇ!!!」

「追い越せぇぇぇ!!!」

「そのままいけぇ!!!」


その声援で朝霧のすぐ隣、右側を走っている選手が一気に加速した。

そして、朝霧の隣に並び互いにラストスパートを駆ける。

朝霧は顔を歪ませ、とても苦しそうな表情をしている。朝霧の速く短い呼吸がここまで聞こえてきそうだ。


残り20メートルというところで、朝霧と並んで走っていた選手がさらに1歩前に出た。


「朝霧ぃぃぃぃ!! 最後まで食らい付けぇぇぇぇ!!!」


陸上部員たちからも声が上がる。

朝霧は必死にその選手の後を追う。



そして——



朝霧は最後の力を振り絞りゴールラインを通過した。



しかし、朝霧の顔に笑顔は無かった。

あったのは疲労感と悔しさ。



朝霧はほんの数センチの差で隣を走っていた選手に負けた。


向かいの観客席からは溢れんばかりの歓声が聞こえる。


「あと少しだったのにっ……!」

「……くそっ!!」


結果を見た陸上部員たちはまるで自分のことのように悔しがり、歯を噛み締める。


1位でゴールラインを通過した選手が観客に向けて手を振っているのに対し、朝霧は膝に手をついて息を整えると、腰に手を当てて静かに空を見上げた。


「莉緒さん……」

榊原が不安そうな顔で呟く。


朝霧はしばらく空を見上げた後、力が抜けたように腕をダラっと下げて俯くと、ゆっくりゲートに向かって歩き出した。


「莉緒……最後の方、なんかいつもと走りが違ったような気がする」

秀一が眉を寄せ、首を傾げる。

「いつもと違ったってどういうことだ?俺には最高の走りに見えたんだが……」

「いや、はっきりとは分からないんだけどさ。なんか、遠慮?……してるみたいな走りに見えたんだよね」

「遠慮……?」


そんな話をしていると、レースを終えた朝霧が観客席に戻ってきた。

「あっ……莉緒さん、レースお疲れ様。惜しかったわね……」

俯いている朝霧に向かって榊原が声をかける。

すると朝霧はゆっくり顔を上げ、無理矢理笑顔を作って口を開いた。


「あははは、ごめんね麗ちゃん。せっかく応援来てもらったのに負けちゃって……」


朝霧の髪の先が汗で頬に張り付き、顔には悔しさがはっきりと表れている。

しかし、悔しさの裏に隠れてもう1つ別の感情があるように見えた。


俺は朝霧に対し、率直な感想を述べる。

「朝霧。望んだ結果ではなかったかもしれないが、それでもお前の走りは凄かったぞ。見ていて感心した。それに、レースが始まる前に大会のパンフレットを確認したが、1位でゴールしたあの選手は3年生なんだろ?それなら、十分にいい結果じゃないか。少なくても同年代でお前より速いやつはいなかった。自信を持て、朝霧」


俺がそう言った途端、朝霧の顔に影が差した。

朝霧の表情が暗くなるのを見た秀一は何かに気づいたように「そうか……」と呟くと、続けて話し始めた。


「莉緒、もしかして最後の方で少し力抜いたんじゃないか?」

「「えっ……?」」

秀一の突然の発言に俺と榊原は同じタイミングで声を発した。


手を抜いた?どうしてそんなことを……


そう思い、朝霧の方に視線を移すと朝霧は俯き、前髪で顔を隠していた。


秀一は続けて言う。


「相手が3年生で大会に出られるのは今年が最後だから……そんなことを考えて、相手に遠慮したんじゃないのか?」

秀一に神妙な顔つきでそう言われた朝霧は、ずっと閉じていた口を小さく開けた。


「……最初はさ、何が何でも私が1位でゴールしてやる!って思ってたんだ。でも、隣の人が途中から追い上げていた時にその人の顔見たらさ、なんていうか……私には来年も再来年もあるじゃん……ってちょっと考えちゃったんだよね。そんなこと考えなければ私が1位だったのになぁ……私には、『本気で勝ちたい!』っていう気持ちがちょっと足りなかったみたい……」


そう言う朝霧からはいつもの明るさは一切感じられず、どこか悲しげな表情をしているように見えた。

俺はそんな朝霧に対し、なんて声をかけてやればいいのかわからず終始戸惑っていた。

すると、隣にいた榊原が口を開く。


「莉緒さん、あなたの考えはもしかすると彼女に対する『優しさ』なのかもしれない。けれど、真剣勝負の場でそれは必要ないと思うわ。だってみんな真剣に、本気でレースに臨んでいる。他人からの優しさで勝ち取った勝利なんて、私だったら素直に喜べないわ。余計な優しさは、莉緒さんだけではなく彼女をも傷つけるかもしれない……それは莉緒さんも分かっているでしょう?」


「…………」


榊原の言葉は今の朝霧にはとても重く響いたことだろう。

朝霧は変わらず黙りこくったまま、榊原の言葉に耳を傾ける。


「莉緒さんはとても優しい。それはみんなが思っていることよ。でも、その優しさで莉緒さんが暗い顔をしているのを見るのは、私が嫌なの。私が転校してきた日、真っ先に私に声をかけてくれた莉緒さんには、いつも笑っていてほしい
。……だから、次こそはレースに勝ってとびっきりの笑顔を見せてちょうだいね」


榊原は太陽よりも明るく、そして温かな微笑みを朝霧に向けた。


「……麗ちゃん」


朝霧は瞳に溜まった涙を掌で拭うと、「よしっ!」と再び両手で頬を叩いた。


「あーーー!!! もーーーー!!! 悔しいーーーーー!!!! 次こそは何が何でも絶対勝つ!!」


榊原からの言葉を受けて、朝霧はやっといつもの調子を取り戻したようだ。
顔にはしっかりと覇気が戻っている。

俺はそんな朝霧を見てホッと息を吐いた。

覇気を取り戻した朝霧は、「それじゃあ、私ちょっと先輩たちのところにも報告行ってくるね!」と言い残して蛍山高校の陣地へと駆けていった。


「榊原の言葉、よかったぞ。朝霧も喜んでたな」

隣で微笑む榊原にそう声をかける。

「そうかしら……なんだか、照れてしまうわね」

「榊原はさっき、俺と秀一のことを『いい信頼関係を築けている』と言ったが、2人もしっかり築けているじゃないか。……いい友達だ」

「いい友達……」

そう呟く榊原の頬はほんのりと赤色に染まっている。

それを見て俺は自分の頬が緩んでいくのを感じた。


***


こうして、2人のレースは終了した。

結果は満足いくものではなかったかもしれない。

今では2人共いつもの明るい表情に戻っているが、それでも心にはまだ悔しさがはっきりと残っているだろう。

それこそ、夢で自分が負ける光景を何度も繰り返し見ることになるかもしれない。

しかし、それこそが次への成長の糧になると、俺はそう考えている。


『負け』を知った者は強い。

山吹は「成果の伴わない努力は無駄だ」と言ったが、俺はそうは思わない。

勝負の世界において結果は確かに大切だ。

より良い結果を得るために、人は努力する。

しかし、『人生』という広い範囲で見てみれば、『結果』よりも努力したという『過程』の方が大切になってくると俺は思う。

『自分は確かに頑張った』という証を残すことができる。

人生で困難に直面した時、『努力した』という事実が自分の背中を押してくれるはずだと、俺は信じている。


秀一や朝霧、そしてそれ以外の『負け』を知った選手は今よりも格段に成長して、また次の大会に出場するだろう。

俺は来年も再来年も彼らの生き生きとした強い走りを見たいと、心からそう思った——。
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