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第11話「学校生活について(2)」
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始業終了のチャイムが鳴ると同時に、クラスの大半は榊原の周りを囲みだし、質問攻めを開始した。
「ねぇねぇ!榊原さんはどこから来たの?」
「可愛い~!彼氏とかいるの?」
「趣味は?」
「好きな歌手とかいる?」
「榊原さん、俺と友達になってよ!」
榊原はそれらの質問に嫌な顔一つせず、丁寧に答えていく。
榊原の前世は聖徳太子なのでは?
そんなことを思っていると、前の席にいる秀一が嬉々とした表情をして話しかけてきた。
「なぁなぁ!俺たちも話しかけに行こうぜ!」
「いや、俺は遠慮しておく」
「えぇーッ!?何でだよ!行こうぜ~。お前、榊原さんに興味ねぇのかよー」
「別に興味ないわけじゃないが……」
「じゃあ、俺だけでも話しかけに行く!お前はそこで見とけ!」
秀一はそう言うと、「榊原さーん!」と頬を緩めた表情をして、榊原の周りを囲む人壁に向かって走って行った。
予想はしていたが、やっぱり凄いな。
榊原の人気もだが、あんなにも周りから注目を浴びて嫌な顔一つせず、慣れた様子で周りとコミュニケーションを取っていることに、俺は驚くと同時に感心した。
もし、仮に俺が榊原のように周りから注目され、質問攻めにでもあったら、混乱してコミュニケーションを取るどころではなくなるだろう。
俺から見れば、ああやって嫌な顔一つせずに周りとコミュニケーションを取ることも立派な才能だと思うのだが、榊原にとってはそうではないらしい。
そんなことを思っていると予鈴が鳴り、それと同時に1限数学担当の岩倉先生が教室に入ってきた。
「もう予鈴鳴ってるぞ。早く準備しろー」
ネイビーのスーツをビシッと着こなし、ダンディーな髭を蓄えた口で注意すると、榊原の周りを囲んでいた奴らはそそくさと自分の席に戻っていった。
全員が席に着き、授業の準備ができたのを確認すると岩倉先生は教卓の後ろに立ち、本日最初の授業を開始した。
***
「——では、今日はここまで。次回までにしっかり予習・復習しておくように」
午前中最後の授業が終了したことを知らせるチャイムが鳴り、4限英語担当の町田先生が授業を切り上げた。
「起立。礼。ありがとうございました」
クラス委員の号令で授業が終わると、町田先生はベージュのロングスカートを翻し、教室から出て行った。
1限から4限までの間、10分間休憩を挟むたびに榊原の周りには人集りが出来ていた。
せっかくの休憩時間も周りからの質問に答えるのに忙しく、榊原は全く休憩できていないように見えた。
大変そうだと気の毒に思う反面、あの様子ならクラスに馴染むのも問題はなさそうだ、という安心感もあった。
「悠。購買に昼飯買いに行こうぜ」
前の席に座っている秀一が振り向く。
「あぁ、そうだな」
秀一の提案に軽く相槌を打つと、俺たちは購買へと向かい、焼きそばパンを購入して教室へと戻った。
「それにしても榊原さん、すげぇ美人だよなぁ。モデルでもやってんのかもな!」
「さぁ……、どうだろうな」
教室へ続く廊下を歩きながら、興奮気味に秀一が話し出した。
「スタイルもいいし、あれは告白する奴が出てくるのも時間の問題だな。」
秀一は悪戯っぽく笑うと、天井を見上げ、
「あーあ。俺もあんな美人な子と仲良くなりてぇなぁ……」
と、羨望の眼差しをしてみせた。
「同じクラスなんだし、そのうち仲良くなれるさ」
秀一に励みの言葉を送ると、「それもそうだな!」と期待に満ち溢れた顔をした。
俺たちが教室に着くと、榊原を含んだ女子数名が輪になって昼食を食べていた。
榊原は周りに女神のような微笑みを振りまきながら、女子たちの会話に混ざっている。
俺は楽しそうに話をしている榊原を見て、親鳥が雛を見守るような気分になった。
すると俺の視線に気がついたのか、榊原がこちらを向いた。
俺と目が合った榊原は、一緒にいる女子たちに何かボソボソと声をかけたのち立ち上がると、こちらに向かってくる。
こちらに向かってくる榊原を見て、俺は直感的にまずいと感じた。
榊原は迷いのない足取りで、一直線に俺に向かってくる。
そして、榊原は俺の眼の前で足を止めた。
今まで榊原に集まっていたクラスの視線が俺に移る。
「羽島君。ちょっといいかしら?」
榊原が俺の名前を呼んだ瞬間、クラス……特に男子から向けられる視線が一層鋭くなった。
鋭い視線に紛れて、殺気のようなものも感じ取ることができた。
超絶美少女の榊原麗がクラスに転校してきて、初めて口にした名前が、クラスの中でも目立たない部類にいるこの俺、「羽島悠」の名前だったのだから。
「あ、あぁ……」
俺は視線という名の無数の鋭い槍で体中を貫かれながら答える。
俺の隣では秀一がまるで何か信じられないものを見たかのように、目と口を大きく開け、完全にフリーズしてしまっている。
榊原はそんな放心状態の秀一と俺の間を通り、教室を出た。
クラスからの視線に耐えきれなくなった俺も、榊原の後ろについて教室を出た。
俺たちがいなくなった教室からは、
「とりあえず羽島は後で殺す」
などという物騒極まりない言葉が聞こえてきた。
これは午後の授業をサボってでも、家に帰った方がいいかもしれない……
そんなことを考えながら、俺は榊原に尋ねた。
「な、なぁ……榊原。俺に何か用でもあるのか?」
「いいえ。ただ、羽島君とお話がしたかっただけよ」
榊原はフフッと軽く微笑むと、俺の顔を横目で捉える。
もし、今の会話がクラスの男子に聞かれていたら冗談ではなく、本当に殺されていたかもしれない。
俺は恐怖で手足の血の気が引き、冷たくなっていくのを感じた。
「ところで、どこに向かっているんだ?」
榊原に尋ねると、突然足を止めこちらを振り向いた。
「特には決めていなかったわ。とりあえず、ゆっくり話ができる場所に行きましょう」
「決めてなかったのか……。それじゃあ、俺が決めてもいいか?」
「えぇ、もちろん」
榊原の許可を得た俺は、外の体育館に続く通路へ榊原を案内した。
通路には自動販売機と休憩用のベンチが設置されている。
俺たちはそのベンチに腰掛けると、先ほどの話の続きをした。
「突然声をかけられたから驚いたよ。それに、男子からの視線も痛かった」
「フフッ、ごめんなさいね」
「それで?俺と話がしたいなんて、どうしたんだ?」
俺は素朴な疑問を榊原に投げかける。
すると、榊原は少し考える素振りをして口を開いた。
「……そうね。強いて言うなら、知らない人に囲まれてばかりで少し疲れてしまったから……かしらね」
俺はそれを聞いて、自分がとんでもない思い違いをしていたことに気がついた。
嫌な顔一つせず、みんなの問いかけに丁寧に答えていたし、先ほども女子たちと楽しそうに会話をしていた。
俺はてっきり、榊原がこういう扱いに慣れているのだと思っていた。
しかし、実際は違った。
榊原は周りから注目されることに慣れていたのではなく、「嫌な顔一つせず、周りとコミュニケーションを取ること」に慣れていたのだ。
自分の本心を心の内に隠し、一切他人に見せないようにする——。
榊原は、今までそうして周りとコミュニケーションを上手く取ってきたのだろう。
榊原は覇気の無い笑顔を俺に向けると、こう続けた。
「だから、羽島君とお話しして気持ちをリセットしたかったのよ」
たった2日、他の奴らより早く榊原と知り合えたからと、俺は無意識的にいい気になっていたのだ。
榊原のことを何でも知っていると、勝手にそう思い込んでしまっていた。
俺は自分の傲慢さに嫌気が差した。
俺は胸に溜まった重苦しいものを吐き出そうと、口を開いた。
「……すまん。勝手に、『楽しんでいるみたいで安心した』なんて思っていた。榊原のことを何でも知っていると、勝手にそう思っていた。榊原がそんなことを思っているとは知らずに……俺は……」
俺がそれに続ける言葉を探していると、今度は榊原が口を開いた。
「羽島君が謝ることではないわ。それに楽しんでいたのは事実よ?でも、久しぶりにあんなにたくさんの人に囲まれて、少し疲れてしまっただけ。だから、自分を責めないで。羽島君」
心の中でもう一人の俺が叫ぶ。
「どうしてお前が励まされているんだ!お前が榊原を励ましてあげるべきだろ!お前は何をやってんだ!」
その通りだ。言われなくてもわかっている。
俺は重苦しい気持ちを払いのけ、榊原の顔をじっと見つめて口を開く。
「榊原、もう我慢しないでくれ。俺は榊原のことをまだ何も知らない。今まで知った気でいただけだった。だから、これからは溜め込まずにしっかりと言葉で俺に伝えてくれ。俺たちはただの友人じゃない。同じ目的、同じ悩みを持つ唯一の友人だろ?これからはもっとお互いのことを知っていこう。そして……もっと話をしよう」
榊原の目を見つめながら、今の俺がかけられる精一杯の言葉を送る。
そんな俺の言葉を最後まで聞き終えた榊原は、目を伏せ、小さく口を開いた。
「……そんなことを言ってもらえたの……私、初めて……」
榊原は少し震えた声で、途切れ途切れにそう呟いた。
それから、榊原ゆっくりと顔を上げ……
「この学校、この街で、羽島君に出逢えて本当に良かった……。こんなにも、嬉しい気持ちになるなんて」
顔を上げた榊原を見て、俺は心臓が焼けるように熱くなったのを感じた。
榊原の大きな瞳は涙で濡れ、まるで瞳の中に虹がかかっているかのように見えた。
この、心臓が焼けるように熱くなる感情を、なんというのだっただろう。
確か、この感情の名は——
その時、昼休み終了の鐘が鳴った。
鐘の音を聞いて俺はハッと我に返った。
「あっ、もうお昼休み終わってしまったわね。ごめんなさい、羽島君。せっかくのお昼休みを無駄にさせてしまって……」
榊原は涙を拭うと、申し訳なさそうに頭を下げる。
「い、いや……、大丈夫だ。気にしないでくれ」
「それじゃあ、教室に戻りましょうか」
「あぁ、そうだな」
榊原は先ほどまでの表情が嘘だったかのように微笑むと、俺の隣を歩き始めた。
教室に着くまで、なぜか俺は榊原の顔を見ることができなかった。
教室に着くなりギロリとした鋭い視線が、またもや俺に突き刺さった。
俺は蛇に睨まれるカエルの如く、身体を縮こませて席に着く。
席に着くと、机の中にノートの切れ端のようなものが入っているのに気がついた。
俺はそれを手に取り、そこに書かれている文章を読む。
「お前は殺す 男子一同より」
とうとう殺害予告までされてしまった……
これは然るべき機関に身の安全を確保してもらった方が良さそうだ。
俺はその殺害予告を机にしまうと、前の席に座っている秀一に声をかける。
「悪かったな、秀一。昼飯一緒に食えなくて……」
そう言うと秀一は俺の方をチラリを見て、
「……裏切り者には天誅を……」
確かにそう呟いた。
たった一度、榊原に呼ばれただけでこの仕打ち。
これは早いうちに誤解を解かなくては……
そんなことを考えていると、教室前の入り口から5限現代文担当で俺たちの担任である佐倉先生が入ってきた。
「あら?なんかみんな静かね。何かあったの?……まぁ、いいわ。それじゃあ、授業を始めます」
そうして不穏な空気が漂う中、午後の授業が始まった——。
「ねぇねぇ!榊原さんはどこから来たの?」
「可愛い~!彼氏とかいるの?」
「趣味は?」
「好きな歌手とかいる?」
「榊原さん、俺と友達になってよ!」
榊原はそれらの質問に嫌な顔一つせず、丁寧に答えていく。
榊原の前世は聖徳太子なのでは?
そんなことを思っていると、前の席にいる秀一が嬉々とした表情をして話しかけてきた。
「なぁなぁ!俺たちも話しかけに行こうぜ!」
「いや、俺は遠慮しておく」
「えぇーッ!?何でだよ!行こうぜ~。お前、榊原さんに興味ねぇのかよー」
「別に興味ないわけじゃないが……」
「じゃあ、俺だけでも話しかけに行く!お前はそこで見とけ!」
秀一はそう言うと、「榊原さーん!」と頬を緩めた表情をして、榊原の周りを囲む人壁に向かって走って行った。
予想はしていたが、やっぱり凄いな。
榊原の人気もだが、あんなにも周りから注目を浴びて嫌な顔一つせず、慣れた様子で周りとコミュニケーションを取っていることに、俺は驚くと同時に感心した。
もし、仮に俺が榊原のように周りから注目され、質問攻めにでもあったら、混乱してコミュニケーションを取るどころではなくなるだろう。
俺から見れば、ああやって嫌な顔一つせずに周りとコミュニケーションを取ることも立派な才能だと思うのだが、榊原にとってはそうではないらしい。
そんなことを思っていると予鈴が鳴り、それと同時に1限数学担当の岩倉先生が教室に入ってきた。
「もう予鈴鳴ってるぞ。早く準備しろー」
ネイビーのスーツをビシッと着こなし、ダンディーな髭を蓄えた口で注意すると、榊原の周りを囲んでいた奴らはそそくさと自分の席に戻っていった。
全員が席に着き、授業の準備ができたのを確認すると岩倉先生は教卓の後ろに立ち、本日最初の授業を開始した。
***
「——では、今日はここまで。次回までにしっかり予習・復習しておくように」
午前中最後の授業が終了したことを知らせるチャイムが鳴り、4限英語担当の町田先生が授業を切り上げた。
「起立。礼。ありがとうございました」
クラス委員の号令で授業が終わると、町田先生はベージュのロングスカートを翻し、教室から出て行った。
1限から4限までの間、10分間休憩を挟むたびに榊原の周りには人集りが出来ていた。
せっかくの休憩時間も周りからの質問に答えるのに忙しく、榊原は全く休憩できていないように見えた。
大変そうだと気の毒に思う反面、あの様子ならクラスに馴染むのも問題はなさそうだ、という安心感もあった。
「悠。購買に昼飯買いに行こうぜ」
前の席に座っている秀一が振り向く。
「あぁ、そうだな」
秀一の提案に軽く相槌を打つと、俺たちは購買へと向かい、焼きそばパンを購入して教室へと戻った。
「それにしても榊原さん、すげぇ美人だよなぁ。モデルでもやってんのかもな!」
「さぁ……、どうだろうな」
教室へ続く廊下を歩きながら、興奮気味に秀一が話し出した。
「スタイルもいいし、あれは告白する奴が出てくるのも時間の問題だな。」
秀一は悪戯っぽく笑うと、天井を見上げ、
「あーあ。俺もあんな美人な子と仲良くなりてぇなぁ……」
と、羨望の眼差しをしてみせた。
「同じクラスなんだし、そのうち仲良くなれるさ」
秀一に励みの言葉を送ると、「それもそうだな!」と期待に満ち溢れた顔をした。
俺たちが教室に着くと、榊原を含んだ女子数名が輪になって昼食を食べていた。
榊原は周りに女神のような微笑みを振りまきながら、女子たちの会話に混ざっている。
俺は楽しそうに話をしている榊原を見て、親鳥が雛を見守るような気分になった。
すると俺の視線に気がついたのか、榊原がこちらを向いた。
俺と目が合った榊原は、一緒にいる女子たちに何かボソボソと声をかけたのち立ち上がると、こちらに向かってくる。
こちらに向かってくる榊原を見て、俺は直感的にまずいと感じた。
榊原は迷いのない足取りで、一直線に俺に向かってくる。
そして、榊原は俺の眼の前で足を止めた。
今まで榊原に集まっていたクラスの視線が俺に移る。
「羽島君。ちょっといいかしら?」
榊原が俺の名前を呼んだ瞬間、クラス……特に男子から向けられる視線が一層鋭くなった。
鋭い視線に紛れて、殺気のようなものも感じ取ることができた。
超絶美少女の榊原麗がクラスに転校してきて、初めて口にした名前が、クラスの中でも目立たない部類にいるこの俺、「羽島悠」の名前だったのだから。
「あ、あぁ……」
俺は視線という名の無数の鋭い槍で体中を貫かれながら答える。
俺の隣では秀一がまるで何か信じられないものを見たかのように、目と口を大きく開け、完全にフリーズしてしまっている。
榊原はそんな放心状態の秀一と俺の間を通り、教室を出た。
クラスからの視線に耐えきれなくなった俺も、榊原の後ろについて教室を出た。
俺たちがいなくなった教室からは、
「とりあえず羽島は後で殺す」
などという物騒極まりない言葉が聞こえてきた。
これは午後の授業をサボってでも、家に帰った方がいいかもしれない……
そんなことを考えながら、俺は榊原に尋ねた。
「な、なぁ……榊原。俺に何か用でもあるのか?」
「いいえ。ただ、羽島君とお話がしたかっただけよ」
榊原はフフッと軽く微笑むと、俺の顔を横目で捉える。
もし、今の会話がクラスの男子に聞かれていたら冗談ではなく、本当に殺されていたかもしれない。
俺は恐怖で手足の血の気が引き、冷たくなっていくのを感じた。
「ところで、どこに向かっているんだ?」
榊原に尋ねると、突然足を止めこちらを振り向いた。
「特には決めていなかったわ。とりあえず、ゆっくり話ができる場所に行きましょう」
「決めてなかったのか……。それじゃあ、俺が決めてもいいか?」
「えぇ、もちろん」
榊原の許可を得た俺は、外の体育館に続く通路へ榊原を案内した。
通路には自動販売機と休憩用のベンチが設置されている。
俺たちはそのベンチに腰掛けると、先ほどの話の続きをした。
「突然声をかけられたから驚いたよ。それに、男子からの視線も痛かった」
「フフッ、ごめんなさいね」
「それで?俺と話がしたいなんて、どうしたんだ?」
俺は素朴な疑問を榊原に投げかける。
すると、榊原は少し考える素振りをして口を開いた。
「……そうね。強いて言うなら、知らない人に囲まれてばかりで少し疲れてしまったから……かしらね」
俺はそれを聞いて、自分がとんでもない思い違いをしていたことに気がついた。
嫌な顔一つせず、みんなの問いかけに丁寧に答えていたし、先ほども女子たちと楽しそうに会話をしていた。
俺はてっきり、榊原がこういう扱いに慣れているのだと思っていた。
しかし、実際は違った。
榊原は周りから注目されることに慣れていたのではなく、「嫌な顔一つせず、周りとコミュニケーションを取ること」に慣れていたのだ。
自分の本心を心の内に隠し、一切他人に見せないようにする——。
榊原は、今までそうして周りとコミュニケーションを上手く取ってきたのだろう。
榊原は覇気の無い笑顔を俺に向けると、こう続けた。
「だから、羽島君とお話しして気持ちをリセットしたかったのよ」
たった2日、他の奴らより早く榊原と知り合えたからと、俺は無意識的にいい気になっていたのだ。
榊原のことを何でも知っていると、勝手にそう思い込んでしまっていた。
俺は自分の傲慢さに嫌気が差した。
俺は胸に溜まった重苦しいものを吐き出そうと、口を開いた。
「……すまん。勝手に、『楽しんでいるみたいで安心した』なんて思っていた。榊原のことを何でも知っていると、勝手にそう思っていた。榊原がそんなことを思っているとは知らずに……俺は……」
俺がそれに続ける言葉を探していると、今度は榊原が口を開いた。
「羽島君が謝ることではないわ。それに楽しんでいたのは事実よ?でも、久しぶりにあんなにたくさんの人に囲まれて、少し疲れてしまっただけ。だから、自分を責めないで。羽島君」
心の中でもう一人の俺が叫ぶ。
「どうしてお前が励まされているんだ!お前が榊原を励ましてあげるべきだろ!お前は何をやってんだ!」
その通りだ。言われなくてもわかっている。
俺は重苦しい気持ちを払いのけ、榊原の顔をじっと見つめて口を開く。
「榊原、もう我慢しないでくれ。俺は榊原のことをまだ何も知らない。今まで知った気でいただけだった。だから、これからは溜め込まずにしっかりと言葉で俺に伝えてくれ。俺たちはただの友人じゃない。同じ目的、同じ悩みを持つ唯一の友人だろ?これからはもっとお互いのことを知っていこう。そして……もっと話をしよう」
榊原の目を見つめながら、今の俺がかけられる精一杯の言葉を送る。
そんな俺の言葉を最後まで聞き終えた榊原は、目を伏せ、小さく口を開いた。
「……そんなことを言ってもらえたの……私、初めて……」
榊原は少し震えた声で、途切れ途切れにそう呟いた。
それから、榊原ゆっくりと顔を上げ……
「この学校、この街で、羽島君に出逢えて本当に良かった……。こんなにも、嬉しい気持ちになるなんて」
顔を上げた榊原を見て、俺は心臓が焼けるように熱くなったのを感じた。
榊原の大きな瞳は涙で濡れ、まるで瞳の中に虹がかかっているかのように見えた。
この、心臓が焼けるように熱くなる感情を、なんというのだっただろう。
確か、この感情の名は——
その時、昼休み終了の鐘が鳴った。
鐘の音を聞いて俺はハッと我に返った。
「あっ、もうお昼休み終わってしまったわね。ごめんなさい、羽島君。せっかくのお昼休みを無駄にさせてしまって……」
榊原は涙を拭うと、申し訳なさそうに頭を下げる。
「い、いや……、大丈夫だ。気にしないでくれ」
「それじゃあ、教室に戻りましょうか」
「あぁ、そうだな」
榊原は先ほどまでの表情が嘘だったかのように微笑むと、俺の隣を歩き始めた。
教室に着くまで、なぜか俺は榊原の顔を見ることができなかった。
教室に着くなりギロリとした鋭い視線が、またもや俺に突き刺さった。
俺は蛇に睨まれるカエルの如く、身体を縮こませて席に着く。
席に着くと、机の中にノートの切れ端のようなものが入っているのに気がついた。
俺はそれを手に取り、そこに書かれている文章を読む。
「お前は殺す 男子一同より」
とうとう殺害予告までされてしまった……
これは然るべき機関に身の安全を確保してもらった方が良さそうだ。
俺はその殺害予告を机にしまうと、前の席に座っている秀一に声をかける。
「悪かったな、秀一。昼飯一緒に食えなくて……」
そう言うと秀一は俺の方をチラリを見て、
「……裏切り者には天誅を……」
確かにそう呟いた。
たった一度、榊原に呼ばれただけでこの仕打ち。
これは早いうちに誤解を解かなくては……
そんなことを考えていると、教室前の入り口から5限現代文担当で俺たちの担任である佐倉先生が入ってきた。
「あら?なんかみんな静かね。何かあったの?……まぁ、いいわ。それじゃあ、授業を始めます」
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