上 下
30 / 97
三章 異世界からの脱出を目指すにあたり、男になります

8.極寒アウトドア生活も、慣れれば快適です

しおりを挟む
 人生初の”トナカイそり”は、思いのほか快適だった。

 トナカイは小走りくらいの、ゆったりとした速さで進んでいく。なだらかな丘陵なので、衝撃はほとんどない。
 乗せてもらっているそりは、広さで言うとファミリーカーの内側よりひとまわり狭いくらい。
 長方形の舟型で、前方も舟っぽく上向いている。そこに人ひとりようやく座れるくらいの操縦席がある。車の運転席が助手席との間についているような感じだ。

 その後ろ、車でいうと真ん中の座席のあたりには、そりに打ち付けた板が野ざらしになっている。私はだいだいそこにへばりついている。そりの縁(ふち)には欄干(らんかん)のようなものもないので、気をつけないとすぐにそりから振り落とされてしまうから乗っているだけでもけっこう体力をつかう。

 最後尾、まあトランクのあたりにはテントの布みたいなものがはためいている。夜や吹雪のときには、それを広げて中で休むことができる。ふだんは風の抵抗をなくすためか張っていないけどね。

 それよりもさらに後ろ、そりのお尻部分には木箱がいくつも備え付けてあって、食料や油、予備の防寒具に薬などの備品が入っている。

 昼も夜もひたすらに進み続け、短い睡眠を取るときだけ、彼はトナカイを止める。
 ランプはなくても忌々しい三つの月のせいで、雪原は光を反射して銀板のように鈍く光る。夜であろうと好きなだけ進むことができるのだ。
 ちなみにあれだけ腹立たしかった三つの月をこの場所でも見たとき。私は悔しいけど、ちょっとだけほっとした。ここは間違いなくククルージャのある、四人と過ごした世界なのだと確認できたからだ。このうえまた言葉もわからない世界に放り込まれることだけは避けたいものである。

 食事は基本的に私が作った。いちいち火を熾すのはとても骨が折れるし、薪も限られているので、一度焚いたらその日の二食分、まとめて作る。ギィは基本的に一日二食だ。
 水には苦労しない。そのへんの雪を溶かし、それで白湯さゆを飲んだりスープを作る。
 あとは豆のペーストでサンドイッチもどきを作るのがだいたいだ。
 ちなみに私が転移してきたときに手に持っていたレタスと鶏肉とパンは、きちんとサンドイッチにしていただいた。ギィにはめちゃくちゃ怪しんで食べてくれなかったけどね。
 生肉なんてそれ以来食べてないよ。たんぱく質は豆くらいのものだ。果物……ビタミンがほしい。肌荒れがとどまるところを知らないのです。

 寝るときはテントみたいなものに付いている紐を板に引っ掛けて張る。せまい板の上に毛皮を敷いて、ふたりで寝転がる。
 見知らぬ男とせまい空間に二人きり! という普通であれば危機的な展開に最初は緊張した。ただ私は男に見えているわけで、すぐに安心して爆睡したけどね。

 寒さは基本的にすごくつらい。けどギィと同じように全身毛皮に包まれて、目のところだけ出すような格好に身を包むと、案外暖かい。それに感動していると、呆れたようにこの土地の格言を教えてくれた。いわく”十枚の服より、一枚のとっておきの毛皮が勝る”とのことらしい。きっと発汗する自分の体温が保たれているからだろう。元祖ヒートテックといったところか。

 総評。これはつまり中型のキャンピングカーのようなものだ。トイレや風呂は、もちろんないが。 



 ギィがなぜこんな見捨てられた荒野を横切ったかというと、彼の主人からの命令を達成するには、こうするしかなかったからだ。
 察するに、いつもひどく無茶な内容の仕事を押し付けられているに違いなかった。

 ちなみに彼は口数が少ないどころではない。なので、土地の情報や彼の話を聞き出すことは至難の技。
 ギィの様子を探りながら、どのタイミングで、どういう話しかけ方をすれば好感触か、時間をかけて試行を重ねた。黙殺され続けたけど、辛抱強く会話の糸口を見つけようと努力したよ。

 結果わかったことはいろいろ。

 その一。このあたりはククルージャからもスヌキシュからも、馬(っぽい家畜)で数ヶ月はかかる場所だということ。
 その二。ギィはこの雪原地帯でもっとも規模の大きな街、ビエチアマンを目指しているということ。ちなみにビエチアマンまでですら、まだ一週間以上かかるようだ。どうやら彼の主人がそこにいるっぽい。
 その三。これが大事。どうやら彼はその街に着いたら――運賃の対価として、私に何かをさせようとしている、ということだ。

 その何かってのを聞いても、貝のように口を閉ざされるだけ。
 本当にね、落ち込む暇もないですよ、この異世界!







 キャンピングカー生活も一週間も経つころには、私はギィにけっこうなれなれしくなっていた。
 なぜなら彼はご主人さまではなく、友人でもなく、言ってしまえば奴隷仲間。
 同期と接するような。クラスでそう話したこともない男子と、同じ係になったときのような。年齢も近そうというのが、拍車をかける。

 ギィはギィで、私に対して一種の諦めのようなものを抱いている気がする。
 服をねだったときも、無言で彼の予備の服を出してくれた。帽子も手袋も靴下も。まあ凍傷になってわめかれるよりはいいと思ったのかもしれないが。

 頃合いを見て私はどうしても聞きたかった、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「ねえ、ギィ。このあたりでいうモテる男ってどういう人かな」

 そりの操縦席に座るギィは、正面を見たまま手綱を握っている。後ろから声をかけた私は、完全に黙殺された状態。
 でもこれは怒っているわけではない。彼は発言が少ないが、話しかけられることに苛立つわけではない。
 なのでこの場合、私の質問の仕方が悪かったということになる。基本的には彼は答える気になったときにしか答えない。
 扱いづらい上司みたいだ。こちらがまともな質問をしない限り、答えてくれないんだよね。的を得ていないとんちんかんなことを聞くと、無言で見つめ返される。あの冷や汗の出る感覚は、なかなか忘れられない。あれって会社に入ってから最初の洗礼だったなあ。

「つまり、ええと。ギィみたいな人は、人気があるんじゃないかって」

 そう。美醜感覚が異なるこの世界だが、ここはククルージャから遠く遠く離れている。それでもその感覚は同じなのかどうか知りたかったのだ。
 そこまで言って初めて、ギィはちらりと横目を投げてくる。そのさまも、そこらの女子は悶絶するほどセクシーな流し目だ。

「あんた、よほどの田舎から売られたらしい。残念だが、俺のようななりの男はどの女郎めろうにも袖にされる」

 ここでも、イケメンはブサイクだったか。
 ということはこの世界の特定の地域で美醜が逆転してるわけでなく、もう全世界的な話なのだろうか。
 しかしそうだとすると、ちょっと気になることがある。それはギィの口調だ。
 彼の言葉にはまったく卑屈さがないのだ。あの四人には――阿止里あとりさんでさえ――自分の容姿に対する負い目が滲んでいたのに。
 そう訝しんだのが伝わったのか、彼は鼻を鳴らす。じっさい彼の感覚はすごく鋭くて、私はちょっと困っている。裏の仕事をすることで身についたのか、あるいは生まれながらに勘が鋭いかだ。

「他人にどう思われようとどうでもいい。どん底にいようとも、俺は俺をそこそこ気に入っている」

 竹を割ったような意見である。
 たしかに学年に一人くらいはいたなあ。誰に何を言われても我関せず、自分の道だけを見ていた人。
 私は誘われれば一緒にトイレについていくような、特に主体性のない人間だった。良くも悪くも拒まない。
 だからこういう、きっかりと自分が何をすべきか、何に意識を向けて行動すべきかを理解している人へはちょっとした憧れもあった。

「そういえばあんたはいやに俺をまっすぐ見るな。ふつう目が滑り落ちると言って避けるものだが」

 そんなことを言われて平然としているのか。
 あの四人も同じようなことを言ってはいたが、ギィの言い方は淡々と事実を述べる温度そのものだ。
 それが逆にとても痛々しい。

「あのですね。私にとってはギィはとても格好いい。ずっと見ていたいくらい」

 だから世界にひとりくらいからは、こんなふうに思われてもいいのだと知ってほしかった。
 腕輪のたまに、たしなめられるように呼ばれたが、今の私は男なのだ。変に下心があるようにも思われないはずだ。
 もしもですよ、と続けてみる。

「もし私が女だったら、恥ずかしくて目もあわせられないくらいに素敵」

 普通なら絶望するような人生に身を落とされても、仕方ないという一言できちんと歩いているギィ。
 きっと今のように割り切るには、いろいろな葛藤や紆余曲折があったに違いない。なのに鬱屈したところはない。
 中身だってすこぶるいい男ではないか。友だちにほしいタイプだ。
 可能なら会社の婚活している女性社員に引き合わせたいくらいだ。きっとみんなバーゲンワゴンに群がるようになるに違いない。うむ。

 そんなことを考えていたら視線を感じた。
 ギィはスケート靴を履いたシマウマを見るような目で私を見ていた。

「変わってるんだな」

 この世界では、そういうことになりますかね。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ドMで淫乱な王太子に買われた平民ご主人様

ミクリ21
BL
親の借金に頭を悩ませていたイリアは、ある日王太子のラファエルに買われた。 ラファエルの個人財産から借金を代わりに支払うので、イリアにはラファエルの奴隷になってもらったのだ。 奴隷ということで、どんな目にあうのか恐怖していたイリアは、ラファエルのご主人様になることを強制されてしまった。

悪役令嬢の選んだ末路〜嫌われ妻は愛する夫に復讐を果たします〜

ノルジャン
恋愛
モアーナは夫のオセローに嫌われていた。夫には白い結婚を続け、お互いに愛人をつくろうと言われたのだった。それでも彼女はオセローを愛していた。だが自尊心の強いモアーナはやはり結婚生活に耐えられず、愛してくれない夫に復讐を果たす。その復讐とは……? ※残酷な描写あり ⭐︎6話からマリー、9話目からオセロー視点で完結。 ムーンライトノベルズ からの転載です。

どうせ結末は変わらないのだと開き直ってみましたら

風見ゆうみ
恋愛
「もう、無理です!」 伯爵令嬢である私、アンナ・ディストリーは屋根裏部屋で叫びました。 男の子がほしかったのに生まれたのが私だったという理由で家族から嫌われていた私は、密かに好きな人だった伯爵令息であるエイン様の元に嫁いだその日に、エイン様と実の姉のミルーナに殺されてしまいます。 それからはなぜか、殺されては子どもの頃に巻き戻るを繰り返し、今回で11回目の人生です。 何をやっても同じ結末なら抗うことはやめて、開き直って生きていきましょう。 そう考えた私は、姉の機嫌を損ねないように目立たずに生きていくことをやめ、学園生活を楽しむことに。 学期末のテストで1位になったことで、姉の怒りを買ってしまい、なんと婚約を解消させられることに! これで死なずにすむのでは!? ウキウキしていた私の前に元婚約者のエイン様が現れ―― あなたへの愛情なんてとっくに消え去っているんですが?

兄の恋人(♂)が淫乱ビッチすぎる

すりこぎ
BL
受験生の直志の悩みは、自室での勉強に集中できないこと。原因は、隣室から聞こえてくる兄とその交際相手(男)のセックスが気になって仕方ないからだ。今日も今日とて勉強そっちのけで、彼らをオカズにせっせと自慰に励んでいたのだが―― ※過去にpixivに掲載した作品です。タイトル、本文は一部変更、修正しています。

短編まとめ

あるのーる
BL
大体10000字前後で完結する話のまとめです。こちらは比較的明るめな話をまとめています。 基本的には1タイトル(題名付き傾向~(完)の付いた話まで)で区切られていますが、同じ系統で別の話があったり続きがあったりもします。その為更新順と並び順が違う場合やあまりに話数が増えたら別作品にまとめなおす可能性があります。よろしくお願いします。

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!

水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。 正確には、夫とその愛人である私の親友に。 夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。 もう二度とあんな目に遭いたくない。 今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。 あなたの人生なんて知ったことではないけれど、 破滅するまで見守ってさしあげますわ!

巻き戻り令息の脱・悪役計画

日村透
BL
※本編完結済。現在は番外後日談を連載中。 日本人男性だった『俺』は、目覚めたら赤い髪の美少年になっていた。 記憶を辿り、どうやらこれは乙女ゲームのキャラクターの子供時代だと気付く。 それも、自分が仕事で製作に関わっていたゲームの、個人的な不憫ランキングナンバー1に輝いていた悪役令息オルフェオ=ロッソだ。  しかしこの悪役、本当に悪だったのか? なんか違わない?  巻き戻って明らかになる真実に『俺』は激怒する。 表に出なかった裏設定の記憶を駆使し、ヒロインと元凶から何もかもを奪うべく、生まれ変わったオルフェオの脱・悪役計画が始まった。

【R18・完結】あなたの猫になる、いたずら猫は皇帝陛下の膝の上

poppp
恋愛
※ タイトル変更…(二回目‥すみません…)  旧題【R18】お任せ下さい、三度の飯より好きなので! 三度の飯より同衾が好きだと豪語する玲蘭(レイラン・源氏名)。 ある日突然、美醜の価値観の異なる異世界で目覚めるが、異世界といえど彼女の趣味嗜好は変わらない。 レイランから見たら超がつくイケメン達が、何故かそこではゲテモノ扱い。 ゲテモノ(イケメン)専用の遊女になると決めてお客様を待つ日々だったが、ある日彼女の噂を聞きつけ現れた男に騙され、(よく話しを聞いてなかっただけ)、なんと、帝の妃達の住まう後宮へと連れて行かれてしまう。 そこで遊女としての自分の人生を揺るがす男と再会する…。 ※ タグをご理解の上お読み下さいませ。 ※ 不定期更新。 ※ 世界観はふんわり。 ※ 妄想ごちゃ混ぜ世界。 ※ 誤字脱字ご了承願います。 ※ ゆる!ふわ!設定!ご理解願います。 ※ 主人公はお馬鹿、正論は通じません。 ※ たまにAI画像あり。

処理中です...