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第3章 Distance of Mind
第45話 トドカヌオモイ
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「ハル、あんた妥協したでしょ?」
放たれた言葉が刃となって、胸に突き刺さった心地がした。指摘が的を射すぎている。
「シュウの申し出を、利用したわね?」
ホノカの視線に耐えかねて、ハルはわずかに目を泳がせた。
「スペラーレの契約は、一度結ばれたら解除不可。途中でやめます、ってわけにはいかないの。つまり妥協は許されない」
いつになく真剣なホノカの声色が、まるで責めているように聞こえてならない。
本心を隠して契約を受け入れたのは、力を得るためだ。そこに特別な感情などあるはずもなく。
――だって、受け入れるしか、ほかに方法が……。
ハルは小さく唇を噛むと、ホノカから逃げるように視線を落とした。
沈黙が、痛い。
「ハル、あんたはさ、誰になら自分の運命を預けられる?」
「え……?」
「本当は、誰のそばにいたいの?」
「……そ、れは……」
ホノカの問いに、ハルはすぐに答えることができなかった。
「これは僕たち二人の見解なんだけどね」穏やかな口調でアキトが続ける。
「スペランツァとスペラーレ。双方が本当に心から求めている相手でないと、キューブは認めてくれない気がするんだ。二人が同じ気持ちで、同じ未来を見ていること。それが重要なんだと思う。もちろん、科学的な根拠なんてどこにもないけどね」
「だってスペランツァが死んだら、スペラーレも道連れなのよ? そんなの簡単に受け入れられる?」
ハルはハッ、と息を飲んだ。
スペラーレとなり、スペランツァと運命をともにする。それは『死』すらも受け入れることと等しい。
魂をつなぐということは、つまりはそういうことなのだ。
――シュウは、「一緒に生きよう」って言った。けどわたしは……。
「だからこそ、お互いが本当に一緒にいたい人じゃないとダメなのよ。今回は、それがシュウじゃなかったってだけのこと」
小さく肩をすくめたホノカは、「まぁ当然よね」といった様子で息をついた。
そうして再び、ハルとまっすぐに視線を合わせる。
「ハルは、誰を一番守りたい? 誰となら、命をかけられる?」
アキトもホノカも、やわらかいまなざしをハルに向けていた。
きっとこの二人だからこそ導き出せた結論なのだろう。
「いい? ハル。妥協なんかしちゃダメ。あんたのこと、命がけで愛してくれる人が、きっとそばにいるから」
いつしかぽろぽろと涙をこぼすハルの手を、ホノカが優しく握っていた。
だがハルは、弱々しく首を横に振るばかり。
「無理だよ……。もう、いまさら言えないよっ……!」
先に手を離したのは自分だ。
気持ちをごまかしつづけてきた代償は、きっともとには戻らない。
「ハル……」
背中を丸めてうつむくハルに、ホノカはそれ以上なにも言えなかった。
◇◇◇◇◇
「話ってなぁにー?」
エリカは甘えた声で、隣に座るシュウにそう言った。健康診断だかなんだか知らないが、数日ぶりにシュウに会えたのだ。うれしくないはずがない。
だがエリカの気持ちとは裏腹に、彼女の部屋を訪れた彼は開口一番に告げたのだ。
「話がある」と。
シュウの表情に笑みはない。それが意味することを、エリカは極力考えないようにしていた。こういうとき、相手のまとう雰囲気でだいたいの予想がついてしまう。
「シュウってば、最近ぜーんぜんかまってくれないんだもん。エリカ寂しかったぁ」
「……」
「ねぇ、今日はお休みなんでしょ? だったらぁ、ずっとエリカの部屋でイチャイチャしよ?」
シュウから告げられるであろう言葉を拒否するように、エリカは極めていつもどおりに、否、いつも以上に高い声色で話しかける。
しかしどうしてか、彼の目を見ることができなかった。
「エリカ」
「…………なぁに?」
必死に普段どおりを装う。なるべく彼の意識を自分につなぎ止めておきたくて、エリカはいつも以上に甘い香りを漂わせながらシュウの腕に手を伸ばす。
しかし絡め取ろうとした腕をするりとかわされ、たったひと言がエリカの動きを封じてしまった。
愛する人の口から紡がれた自身の名が、ひどく冷たく、無機質に鼓膜を揺らす。
「もう、終わりにしよう」
「なんで?」
間髪入れずに聞き返した。「聞きたくない」と耳をふさいでしまえたら、どんなによかっただろう。予想どおりのひと言に、エリカの顔からも笑みが消える。
二人の間に漂う雰囲気が、一気に重たいものに変わる。
「スペラーレとかゆーのになったから? 関係ないじゃん。シュウの彼女はあたしなんだから、いままでどおりじゃなにがいけないの? シュウが好きなのはあたしでしょ! あたしはこんなに愛してるのに、なにがだめなの!?」
なにも答えようとしない彼にいらだち、エリカは一気にまくし立てた。しかしそれ以上の言葉を口にすることができない。
ふと合わさった彼の瞳が、見たこともないほどに冷たい色をしていたから。
こんな目をした彼なんて知らない。
なおもなにか言いたげにしているエリカに対して、シュウはあきれたようにため息をつく。
「悪いけど、オレはきみに対して恋愛感情はない。はじめからわかってただろ? こんな関係をいつまでも続けてても無意味なんだよ」
「……あたしたちは、体だけの関係だったってこと?」
「そうだと言ったら、おとなしく諦めてくれるのか?」
「…………わかった。さよなら」
まっすぐにシュウを見据えたまま、エリカは彼の言葉を受け入れる。
視線をはずさなかったのは女の意地だ。泣いてすがりつくような、醜い真似はしたくなかった。
一方で、淡々と部屋を出ていくシュウのうしろ姿を憎らしげににらみつけてやった。
最低な男だと罵るのは簡単だ。しかし彼に対する恋心は本当で、それはいまでも変わらない。
「全部、あの女のせいよ。あいつさえいなくなれば……」
組織に入ってシュウは変わってしまった。
否、それは組織に入ったからではなく、あの女が現れたからだ。シュウはあきらかにあの女に固執している。
こうなってしまった原因はすべてあの女にあるのだと、エリカは忌々しげに奥歯を噛みしめた。
ところが、ふいにエリカは表情を明るくする。そうして名案だとばかりに、うれしそうに口角をつり上げた。
「あぁそっか! あの女がスペランツァだから、みんなチヤホヤしてるんだ! シュウもだまされてるだけなんだよ、きっと! だったらぁ……」
エリカはふわりと体を弾ませると、再びシュウの去っていたドアを見遣った。
「あたしがスペランツァになったら、帰ってきてくれるよね、シュウ♡」
放たれた言葉が刃となって、胸に突き刺さった心地がした。指摘が的を射すぎている。
「シュウの申し出を、利用したわね?」
ホノカの視線に耐えかねて、ハルはわずかに目を泳がせた。
「スペラーレの契約は、一度結ばれたら解除不可。途中でやめます、ってわけにはいかないの。つまり妥協は許されない」
いつになく真剣なホノカの声色が、まるで責めているように聞こえてならない。
本心を隠して契約を受け入れたのは、力を得るためだ。そこに特別な感情などあるはずもなく。
――だって、受け入れるしか、ほかに方法が……。
ハルは小さく唇を噛むと、ホノカから逃げるように視線を落とした。
沈黙が、痛い。
「ハル、あんたはさ、誰になら自分の運命を預けられる?」
「え……?」
「本当は、誰のそばにいたいの?」
「……そ、れは……」
ホノカの問いに、ハルはすぐに答えることができなかった。
「これは僕たち二人の見解なんだけどね」穏やかな口調でアキトが続ける。
「スペランツァとスペラーレ。双方が本当に心から求めている相手でないと、キューブは認めてくれない気がするんだ。二人が同じ気持ちで、同じ未来を見ていること。それが重要なんだと思う。もちろん、科学的な根拠なんてどこにもないけどね」
「だってスペランツァが死んだら、スペラーレも道連れなのよ? そんなの簡単に受け入れられる?」
ハルはハッ、と息を飲んだ。
スペラーレとなり、スペランツァと運命をともにする。それは『死』すらも受け入れることと等しい。
魂をつなぐということは、つまりはそういうことなのだ。
――シュウは、「一緒に生きよう」って言った。けどわたしは……。
「だからこそ、お互いが本当に一緒にいたい人じゃないとダメなのよ。今回は、それがシュウじゃなかったってだけのこと」
小さく肩をすくめたホノカは、「まぁ当然よね」といった様子で息をついた。
そうして再び、ハルとまっすぐに視線を合わせる。
「ハルは、誰を一番守りたい? 誰となら、命をかけられる?」
アキトもホノカも、やわらかいまなざしをハルに向けていた。
きっとこの二人だからこそ導き出せた結論なのだろう。
「いい? ハル。妥協なんかしちゃダメ。あんたのこと、命がけで愛してくれる人が、きっとそばにいるから」
いつしかぽろぽろと涙をこぼすハルの手を、ホノカが優しく握っていた。
だがハルは、弱々しく首を横に振るばかり。
「無理だよ……。もう、いまさら言えないよっ……!」
先に手を離したのは自分だ。
気持ちをごまかしつづけてきた代償は、きっともとには戻らない。
「ハル……」
背中を丸めてうつむくハルに、ホノカはそれ以上なにも言えなかった。
◇◇◇◇◇
「話ってなぁにー?」
エリカは甘えた声で、隣に座るシュウにそう言った。健康診断だかなんだか知らないが、数日ぶりにシュウに会えたのだ。うれしくないはずがない。
だがエリカの気持ちとは裏腹に、彼女の部屋を訪れた彼は開口一番に告げたのだ。
「話がある」と。
シュウの表情に笑みはない。それが意味することを、エリカは極力考えないようにしていた。こういうとき、相手のまとう雰囲気でだいたいの予想がついてしまう。
「シュウってば、最近ぜーんぜんかまってくれないんだもん。エリカ寂しかったぁ」
「……」
「ねぇ、今日はお休みなんでしょ? だったらぁ、ずっとエリカの部屋でイチャイチャしよ?」
シュウから告げられるであろう言葉を拒否するように、エリカは極めていつもどおりに、否、いつも以上に高い声色で話しかける。
しかしどうしてか、彼の目を見ることができなかった。
「エリカ」
「…………なぁに?」
必死に普段どおりを装う。なるべく彼の意識を自分につなぎ止めておきたくて、エリカはいつも以上に甘い香りを漂わせながらシュウの腕に手を伸ばす。
しかし絡め取ろうとした腕をするりとかわされ、たったひと言がエリカの動きを封じてしまった。
愛する人の口から紡がれた自身の名が、ひどく冷たく、無機質に鼓膜を揺らす。
「もう、終わりにしよう」
「なんで?」
間髪入れずに聞き返した。「聞きたくない」と耳をふさいでしまえたら、どんなによかっただろう。予想どおりのひと言に、エリカの顔からも笑みが消える。
二人の間に漂う雰囲気が、一気に重たいものに変わる。
「スペラーレとかゆーのになったから? 関係ないじゃん。シュウの彼女はあたしなんだから、いままでどおりじゃなにがいけないの? シュウが好きなのはあたしでしょ! あたしはこんなに愛してるのに、なにがだめなの!?」
なにも答えようとしない彼にいらだち、エリカは一気にまくし立てた。しかしそれ以上の言葉を口にすることができない。
ふと合わさった彼の瞳が、見たこともないほどに冷たい色をしていたから。
こんな目をした彼なんて知らない。
なおもなにか言いたげにしているエリカに対して、シュウはあきれたようにため息をつく。
「悪いけど、オレはきみに対して恋愛感情はない。はじめからわかってただろ? こんな関係をいつまでも続けてても無意味なんだよ」
「……あたしたちは、体だけの関係だったってこと?」
「そうだと言ったら、おとなしく諦めてくれるのか?」
「…………わかった。さよなら」
まっすぐにシュウを見据えたまま、エリカは彼の言葉を受け入れる。
視線をはずさなかったのは女の意地だ。泣いてすがりつくような、醜い真似はしたくなかった。
一方で、淡々と部屋を出ていくシュウのうしろ姿を憎らしげににらみつけてやった。
最低な男だと罵るのは簡単だ。しかし彼に対する恋心は本当で、それはいまでも変わらない。
「全部、あの女のせいよ。あいつさえいなくなれば……」
組織に入ってシュウは変わってしまった。
否、それは組織に入ったからではなく、あの女が現れたからだ。シュウはあきらかにあの女に固執している。
こうなってしまった原因はすべてあの女にあるのだと、エリカは忌々しげに奥歯を噛みしめた。
ところが、ふいにエリカは表情を明るくする。そうして名案だとばかりに、うれしそうに口角をつり上げた。
「あぁそっか! あの女がスペランツァだから、みんなチヤホヤしてるんだ! シュウもだまされてるだけなんだよ、きっと! だったらぁ……」
エリカはふわりと体を弾ませると、再びシュウの去っていたドアを見遣った。
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