上 下
45 / 63
第3章 Distance of Mind

第45話 トドカヌオモイ

しおりを挟む
「ハル、あんた妥協したでしょ?」

 放たれた言葉が刃となって、胸に突き刺さった心地がした。指摘が的を射すぎている。

「シュウの申し出を、利用したわね?」

 ホノカの視線に耐えかねて、ハルはわずかに目を泳がせた。

「スペラーレの契約は、一度結ばれたら解除不可。途中でやめます、ってわけにはいかないの。つまり妥協は許されない」

 いつになく真剣なホノカの声色が、まるで責めているように聞こえてならない。
 本心を隠して契約を受け入れたのは、力を得るためだ。そこに特別な感情などあるはずもなく。

――だって、受け入れるしか、ほかに方法が……。

 ハルは小さく唇を噛むと、ホノカから逃げるように視線を落とした。

 沈黙が、痛い。

「ハル、あんたはさ、誰になら自分の運命を預けられる?」
「え……?」
「本当は、誰のそばにいたいの?」
「……そ、れは……」

 ホノカの問いに、ハルはすぐに答えることができなかった。

「これは僕たち二人の見解なんだけどね」穏やかな口調でアキトが続ける。

「スペランツァとスペラーレ。双方が本当に心から求めている相手でないと、キューブは認めてくれない気がするんだ。二人が同じ気持ちで、同じ未来を見ていること。それが重要なんだと思う。もちろん、科学的な根拠なんてどこにもないけどね」
「だってスペランツァが死んだら、スペラーレも道連れなのよ? そんなの簡単に受け入れられる?」

 ハルはハッ、と息を飲んだ。
 スペラーレとなり、スペランツァと運命をともにする。それは『死』すらも受け入れることと等しい。
 魂をつなぐということは、つまりはそういうことなのだ。

――シュウは、「一緒に生きよう」って言った。けどわたしは……。

「だからこそ、お互いが本当に一緒にいたい人じゃないとダメなのよ。今回は、それがシュウじゃなかったってだけのこと」

 小さく肩をすくめたホノカは、「まぁ当然よね」といった様子で息をついた。
 そうして再び、ハルとまっすぐに視線を合わせる。

「ハルは、誰を一番守りたい? 誰となら、命をかけられる?」

 アキトもホノカも、やわらかいまなざしをハルに向けていた。
 きっとこの二人だからこそ導き出せた結論なのだろう。

「いい? ハル。妥協なんかしちゃダメ。あんたのこと、命がけで愛してくれる人が、きっとそばにいるから」

 いつしかぽろぽろと涙をこぼすハルの手を、ホノカが優しく握っていた。
 だがハルは、弱々しく首を横に振るばかり。

「無理だよ……。もう、いまさら言えないよっ……!」

 先に手を離したのは自分だ。
 気持ちをごまかしつづけてきた代償は、きっともとには戻らない。

「ハル……」

 背中を丸めてうつむくハルに、ホノカはそれ以上なにも言えなかった。


◇◇◇◇◇


「話ってなぁにー?」

 エリカは甘えた声で、隣に座るシュウにそう言った。健康診断だかなんだか知らないが、数日ぶりにシュウに会えたのだ。うれしくないはずがない。
 だがエリカの気持ちとは裏腹に、彼女の部屋を訪れた彼は開口一番に告げたのだ。
「話がある」と。

 シュウの表情に笑みはない。それが意味することを、エリカは極力考えないようにしていた。こういうとき、相手のまとう雰囲気でだいたいの予想がついてしまう。

「シュウってば、最近ぜーんぜんかまってくれないんだもん。エリカ寂しかったぁ」
「……」
「ねぇ、今日はお休みなんでしょ? だったらぁ、ずっとエリカの部屋でイチャイチャしよ?」

 シュウから告げられるであろう言葉を拒否するように、エリカは極めていつもどおりに、否、いつも以上に高い声色で話しかける。
 しかしどうしてか、彼の目を見ることができなかった。

「エリカ」
「…………なぁに?」

 必死に普段どおりを装う。なるべく彼の意識を自分につなぎ止めておきたくて、エリカはいつも以上に甘い香りを漂わせながらシュウの腕に手を伸ばす。
 しかし絡め取ろうとした腕をするりとかわされ、たったひと言がエリカの動きを封じてしまった。
 愛する人の口から紡がれた自身の名が、ひどく冷たく、無機質に鼓膜を揺らす。

「もう、終わりにしよう」
「なんで?」

 間髪入れずに聞き返した。「聞きたくない」と耳をふさいでしまえたら、どんなによかっただろう。予想どおりのひと言に、エリカの顔からも笑みが消える。
 二人の間に漂う雰囲気が、一気に重たいものに変わる。

「スペラーレとかゆーのになったから? 関係ないじゃん。シュウの彼女はあたしなんだから、いままでどおりじゃなにがいけないの? シュウが好きなのはあたしでしょ! あたしはこんなに愛してるのに、なにがだめなの!?」

 なにも答えようとしない彼にいらだち、エリカは一気にまくし立てた。しかしそれ以上の言葉を口にすることができない。

 ふと合わさった彼の瞳が、見たこともないほどに冷たい色をしていたから。
 こんな目をした彼なんて知らない。

 なおもなにか言いたげにしているエリカに対して、シュウはあきれたようにため息をつく。

「悪いけど、オレはきみに対して恋愛感情はない。はじめからわかってただろ? こんな関係をいつまでも続けてても無意味なんだよ」
「……あたしたちは、体だけの関係だったってこと?」
「そうだと言ったら、おとなしく諦めてくれるのか?」
「…………わかった。さよなら」

 まっすぐにシュウを見据えたまま、エリカは彼の言葉を受け入れる。
 視線をはずさなかったのは女の意地だ。泣いてすがりつくような、醜い真似はしたくなかった。

 一方で、淡々と部屋を出ていくシュウのうしろ姿を憎らしげににらみつけてやった。
 最低な男だと罵るのは簡単だ。しかし彼に対する恋心は本当で、それはいまでも変わらない。

「全部、あの女のせいよ。あいつさえいなくなれば……」

 組織に入ってシュウは変わってしまった。
 否、それは組織に入ったからではなく、あの女が現れたからだ。シュウはあきらかにあの女に固執している。
 こうなってしまった原因はすべてあの女にあるのだと、エリカは忌々しげに奥歯を噛みしめた。

 ところが、ふいにエリカは表情を明るくする。そうして名案だとばかりに、うれしそうに口角をつり上げた。

「あぁそっか! あの女がスペランツァだから、みんなチヤホヤしてるんだ! シュウもだまされてるだけなんだよ、きっと! だったらぁ……」

 エリカはふわりと体を弾ませると、再びシュウの去っていたドアを見遣った。

「あたしがスペランツァになったら、帰ってきてくれるよね、シュウ♡」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

悠久の機甲歩兵

竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。 ※現在毎日更新中

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

入れ替われるイメクラ

廣瀬純一
SF
男女の体が入れ替わるイメクラの話

日本国転生

北乃大空
SF
 女神ガイアは神族と呼ばれる宇宙管理者であり、地球を含む太陽系を管理して人類の歴史を見守ってきた。  或る日、ガイアは地球上の人類未来についてのシミュレーションを実施し、その結果は22世紀まで確実に人類が滅亡するシナリオで、何度実施しても滅亡する確率は99.999%であった。  ガイアは人類滅亡シミュレーション結果を中央管理局に提出、事態を重くみた中央管理局はガイアに人類滅亡の回避指令を出した。  その指令内容は地球人類の歴史改変で、現代地球とは別のパラレルワールド上に存在するもう一つの地球に干渉して歴史改変するものであった。  ガイアが取った歴史改変方法は、国家丸ごと転移するもので転移する国家は何と現代日本であり、その転移先は太平洋戦争開戦1年前の日本で、そこに国土ごと上書きするというものであった。  その転移先で日本が世界各国と開戦し、そこで起こる様々な出来事を超人的な能力を持つ女神と天使達の手助けで日本が覇権国家になり、人類滅亡を回避させて行くのであった。

処理中です...