忍びしのぶれど

裳下徹和

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第一章

十 薩摩の狂い猿

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 跳が浅い眠りから覚めると、まだ夜明け前だった。
 遠くの方から何かの音が聞こえてくる。木と木がぶつかり合う乾いた音のようだ。
 跳は起き上がり、まだ寝ている碑轍を置いて外に出る。
 山あいの乍峰村は、朝霧に包まれ、その姿をぼやかしていた。
 白んできた空の下、村の中央へ歩く。警察と軍の者が一人ずつ寝ずの番をしていて、跳に眠そうな目を向けてきた。
 挨拶をしてから尋ねてみる。
「この音は何なのですか?」
 それを聞いて警官が気だるそうに答えてきた。
「ああ。あれか。あれは石走が鍛錬している音だ。切支丹の呪いとは関係ないから、気にすることはない」
 なるほど木刀で木を叩いている音なのだ。夜明け前から精が出ることだ。
 跳と警官の会話を聞いた軍人が割り込んでくる。
「もう刀の時代なんてとっくに終わっているのに、はた迷惑なこった。変な同僚持つと大変だな」
 軍人の露骨な嫌味に、警官も負けずに言い返した。
「お前の大将に比べればましだ」
 痛いところをつかれた軍人は、肩を落としてうなだれる。
 跳は見張り達を残して、音のする方へ向かう。村の外れが近付くにつれ、木を打ちつける音が大きくなってきた。
 盗み見るつもりではない為、わざと足音は消さない。
 跳が鍛錬する男の背中を視線に入れる。朝霧の切れ間に浮かんだ背中は、無骨な岩のようだった。
気配を感じた男が振り向く。
 男の名を耳にしたことはあったが、会うのは初めてだった。「薩摩の狂い猿」の異名を持ち、戊辰戦争で活躍した石走厳兵衛いしばしりげんべえだ。
 狂い猿というのも酷いあだ名だが、腕も手の指も長い。石走が薩摩剣法独特の掛け声「猿叫えんきょう」を上げながら斬り込む様は、敵から見れば狂い猿だったのだろう。
「朝から精が出ますね邏卒殿」
 跳が声をかけると、石走は裸の上半身から湯気を立ち昇らせたまま木刀を下ろし、軽くあごを引いた。朝の挨拶のつもりなのだろうか。
 石走は汗を手ぬぐいでふき取り、服を着て去っていく。
 朝日がしっかりと顔を出していた。
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