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12 恋の病、潜伏期間

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 背中の後ろで、静かに扉が閉まる。
 執事は私をロランの部屋に残し、去っていってしまった。

 部屋の中はとても静か。
 ロランは眠っているらしく、部屋へと入ってきた私に気づいていないようだ。
 たぶん。
 大人しいしね。
 部屋が広すぎて、扉の前にへばりついたままでは、ベッドで眠る彼の様子は伺えないので、断言はできないのだけれど。

「……」

 それにしても居心地が悪い。
 自分がこの部屋の中にいることは、場違いとしか思えなかった。
 首の後ろがそわそわする感覚。

 なんだろうこの気持ち。
 部屋の主に招かれてここへ来たわけではないから?
 それともロランが眠っているから?
 ……ここが男の人の部屋だから……。
 そう思った瞬間、カアッと頬が熱くなった。
 ないない、なしなし!
 いまの発想は嫌!

 ぶんぶんと頭を振って、直前の発想を強引に霧散させる。
 変なことを考えたせいで、ますます部屋を出て行きたくなった。
 一応、顔は出したのだし、問題ないわよね?
 とりあえず、お見舞いの人形だけ置いて……。

 呪詛除けのための大事な人形なので、枕元に置いていってあげることにする。
 肺炎の菌も、いっきに吹き飛ばしてくれるかもしれないじゃない?

 忍び足でベッドの傍へ回り込んだ私は……。

「……!」

 信じられないものを見て、息を呑んだ。
 予想したとおり、ロランは眠っている。
 肺炎のせいで、時折むせて、苦しそう。

 でも私が驚いたのは、彼の様態に関してではなくて。
 彼が大事そうに抱え込み、顔を押しつけているタオルのこと。

 あれは、私が雨の日に、ロランに投げつけたタオル……。
 たしかに彼はそれを持って帰ったけれど。

 なんで宝物のように大事に抱えって眠っているのよ……!?

 ……回収して帰ろう。
 即座にそう決意し、ロランの手の中からタオルを奪おうとした。

「うーん……! うーん……!!」

 なんて力だろう。
 眠っているくせに、死んでも放すかという力で握っていて、びくともしない。
 でもこれをこのままここに置いていくのは、嫌!!

 諦めきれずに、もう一度、全力で引っ張った時、パチッとロランの瞳が開いた。

「……え? ……僕の天使……?」

 寝起きから、強烈な一撃を放ったロランは、ぼんやりとしたまま瞬きを繰り返した。

「最高だ……。僕の天使が夢に出てきてくれるなんて……。おいで。抱きしめさせて。夢の中の君になら、何をしても許されるだろう?」

 弱々しく微笑みながら、ロランが両手を差し伸べてくる。
 捕まる前に、慌ててバッと体を引いた。
 ロランが朦朧としているせいで、なんとか避けれた。
 ふう、危ない。

「ロラン、これ夢じゃないから! 私に何かしたら許さないわよ!?」

「夢じゃない……?」

 ロランは驚いたように口を開けたあと、ゴシゴシと目をこすった。

「本物のアデリーヌ?」

「そう言ってるでしょ」

 めんどくさくなってきて、鼻に皺を寄せて返事をする。
 その直後、ロランがずるっとベッドを下り、死にそうな感じで床を這いずって、私から遠ざかった。

 は……?
 また奇行……?

「なにしてるの?」

「だって、僕に近づいたら肺炎が移ってしまうよ……。不用意に近づいたらだめだ……。いや、同じ部屋にいるだけでもまずいよね……? アデリーヌ、すぐに帰って……! あ、違う。全然本当は帰って欲しくないよ……。むしろこのままここで暮らしてもらいたい。結婚承諾書は、机の引き出しの中に十枚ほどしまってあるからね。今すぐにでも夫婦になることは可能だ……コホコホッ」

「うん、帰る」

 私がタオルを回収したら、ロランは悲痛な顔で「ああ……!」っと悲鳴を上げた。

「それは僕のタオルだよ! ゲホッ……。お、お願いだから置いて行って。毎晩、君の代わりだと思って、大切に抱きしめて眠っているんだ……」

「なおさら持って帰るわよ! ――でも、ほら、代わりにこれをあげるわ。お見舞いよ」 

 私が包み紙に入った人形を差し出すと、ロランは言葉を失って、その場に倒れ込んだ。

「僕にお見舞い……!? あ、ありがとう……!!!!!」

 ひれ伏すような体勢で、天を仰いで手を組んだ。
 そのままむせて、絨毯の上で、しばらくもんどりうっていた。
 付き合っていられないので、流す。

「げほっごほっ……はぁはぁ……あ、アデリーヌ!! 一瞬だけ近づいてもいい? 呼吸はちゃんと止めておくから……!」

「止めなくていいから、さっさと受け取って。早く帰りたいの」

「うん……!」

 従順な犬のような顔で、ふらつきながら近づいてきたロランは、私から包み紙を受け取ると、本当に幸せそうに、それに頬ずりをした。

「なにかな……! 開けてもゲホッ……いい?」

「どうぞ。ていうかはしゃぐとむせるんだから、落ち着いたらどう?」

 ガサガサ、ガサガサ。
 たとえ相手がロランであっても、贈り物をあけてもらう瞬間は、やっぱりこっちも心が弾む。
 期待しながら、ロランの反応を伺っていると……。

「人形!? うわぁ、うれしいな……って、むがっげほっ!?」

 背中向きで出てきた人形を、自分のほうに振り返らせた直後、ロランが変な咳をして硬直した。

「こ、これはええっと……斬新な顔をした人形だね?」

「でしょう? 飛び出しそうな目玉と、落ちかけた鼻、真っ赤な血がついた口元……すごく生々しくて良く出来ているわよね! 見つけた時、あって思わず声をあげてしまったの」

「あの、えっと……呪いの人形かな……?」

「もう、なに冗談言ってるの。どこから見ても、呪詛除け人形でしょう?」

「呪詛除け人形……!」

 ロランは改めて、人形を真剣な顔で眺めた。
 それから私を見て、もう一度人形を見て、破顔した。

「アデリーヌ、本当にありがとう」

「それはさっき聞いたわよ……」

「うん。だけど、何度でも言いたいんだ。ありがとう。一生の宝物にするよ。ふふっ、良くみると、めちゃくちゃ怒っているときのアデリーヌの、鬼気迫る顔をイメージさせてくれて、かわいいな……」

「ちょっと、呪詛人形と同じ扱いはやめて!!!! それから、一生の宝にするなんて無理よ。呪詛人形は一年に一回ワルプルギスの夜に、供養してもらう決まりなんだから」

「いやだ……!! 手放したりしないよ……! 僕はこの子を、君と僕の子供だと思って、守りとおしてみせる……!」

 ロランが怯えた顔で、ふるふると首を振る。
 発言が相変わらず気持ち悪い。
 もうこの場で呪詛人形を取り上げようかと本気で思ったほどだ。

 ちなみに、その年のワルプルギスの夜。
 ロランは本当に呪詛人形を手放そうとしなかったので、説得するのにかなり苦労した。
 さんざん宥めすかし、最終的に毎年私が呪詛人形を贈ると約束することで、やっと奪い取れたのだった。
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