上 下
25 / 173
第一章 出会い

第二十四話 リリと鞭

しおりを挟む
 決して穏やかとは言えない朝。リリさんが運んできた朝食を食べ終えた私は、食器を片付けるリリさんを横目に、ふと気になったことを質問をしてみることにする。


「(リリさん、ジークフリート様の部屋は、近いんですか?)」

「ユーカお嬢様、私に敬語やさん付けは必要ないですよっ。それと、ご主人様はせめてさん付けにして差し上げた方が良いと思います」

「(えっと、うん、分かった)」


 リリも読唇術が使えるのかどうかは、少しだけ微妙な気がしていたものの、どうやらちゃんと話せるらしい。いつもは、鞭を仕舞ってほしいと問答するばかりだったので、こうして落ち着いて会話をするのは新鮮だ。


(でも、なんでジークフリート様はさん付けの方が良いんだろう?)


 リリがそう言うのならそういうものなのだろうけれど、少しばかり納得がいかない。今度、メアリーにでも聞いてみるのが良いかもしれない。


「それで、ジークフリート様のお部屋でしたね。ジークフリート様のお部屋は、こことは反対の場所に位置していて、それなりに遠いですねっ」

「(うーん? そうなると、良く使ってる部屋がこの近くにあるのかな?)」


 首をかしげつつ問いかけると、リリも同じように首をかしげて否定する。


「いいえ? この辺りで使われているお部屋は、ここくらいなものですよ?」

(……どういうことだろう? 寝惚けてここに来たんじゃないのかな?)


 そうして考えるのは、朝の出来事。ジークフリートさんが使う部屋が近くにないのであれば、寝惚けて私が居る部屋に来たという可能性は低い。


「(あっ、それじゃあ、昨日はお酒を飲んでたとかっ?)」


 もしかしたら、酔っ払っていたのかもしれない。そうであるならば、あの行動にも説明がつく。けれど、返ってきたのはまたしても否定の言葉だった。


「いいえ? ご主人様は滅多にお酒をお飲みになることはありませんし……昨日も飲んだなんて話は聞いてませんよっ?」


 そこまで言って、リリはじっと私を見つめる。それは、何かを探ろうとしている目だ。


「……ユーカお嬢様。昨日、何かありましたか?」

「(っ……)」


 直球に聞かれた私は、つい返答に窮する。今朝の出来事を軽々しく話して良いものか、全く判断がつかなかった。
 迷っている間にも、リリからは熱い視線が注がれる。どうやら、誤魔化すことは難しそうだ。


「(……どうしてか分からないんだけれど、朝、目が覚めたら、目の前にジークフリートさんが居たの)」

「はいっ!? 夜這いされたんですかっ!?」

「(いや、それは絶対違うからっ!)」


 何てことを言うんだ。あんな美青年が、平々凡々な私ごときに興味を持つはずがないじゃないかっ。

 そう反論しそうになるものの、何だかそれは自虐が過ぎるような気がして口を閉じる。すると、しばらく考え込んでいたリリは、おもむろにワゴンとともに持ってきた袋へと目を向ける。


(……何だか、嫌な予感が……)


 あの袋には、いつものごとく鞭が入っているはずだ。なぜ、そちらに視線を向けようという気になったのかは知らないけれど、また『叩いてほしい』などと言われるのは勘弁してほしい。
 けれど、願いは虚しく、リリは鞭を取り出してしまう。


「さぁっ、思う存分叩いてくださいっ」

「(叩かないよっ!?)」


 どうして、リリにしたって、ララさんやメアリーにしたって、私に鞭を使用してほしがるのだろうか? まさか、専属侍女になる条件に、鞭で叩かれることを望まなきゃならないなんてものがあるわけではないだろう。


「(どうしてそんなに鞭で叩かれたがるの?)」


 至極真っ当な疑問。それがつい口をついて出た。すると、リリはそのアーモンド色の目を大きく見開いてキョロキョロと視線を漂わせると、ゆっくり口を開く。


「今までの片翼の皆さんは、私達のことを、『低俗な獣人』と呼んで叩いてきました。……ストレス発散に」

「(なっ!?)」


 リリの思わぬ発言に、私は絶句する。まさか、そんな理由で叩かれると思っていたなんて、考えてもみなかった。


「ユーカお嬢様も、色々とストレスがあるでしょう? ですから、躊躇う必要なんてないんですよ?」


 けれど、リリの続いたその言葉に、私は絶句している場合ではないと悟る。リリの目はどこか虚ろで、私を見ていないように見えた。


「(……とりあえず、側に来て)」

「はいっ」


 声は弾んでいるのに、その目は暗く淀んでいる。今まで、こんな様子のリリの姿は見たことがなかった。

 私の言葉通り、側に寄ってきたリリは、すぐさま私に鞭を手渡す。けれど、私はこんなもの、使うつもりなんてない。


「(しゃがんで?)」

「はいっ」


 鞭で叩かれると思っているらしいリリは、その事実とは裏腹に明るい声で答える。その様子が、どうにも痛々しくてならない私は、ひとまず鞭を遠ざけるべく後ろに投げる。


「? ユーカお嬢様?」


 リリの中ではあり得ないだろうその行動に、リリはうつむきかけていた顔を上げる。そして……。


「(私は、リリを叩いたりなんてしないよ)」


 その熊の可愛らしい耳がひょっこり覗くチョコレート色の頭を、私は優しく撫でる。


「……っ!?」

「(私は、誰も鞭で叩いたりなんてしない。リリも、ララさんも、メアリーも、皆、叩いたりなんてしないよ)」


 ゆっくりゆっくり、頭を撫でながら、リリにこの言葉が届くことを祈りながら、必死に紡ぐ。


「(大丈夫。大丈夫だから。もう、痛い思いなんてしなくて良いから)」


 呆然と私の唇を読んでいたリリは、そこまでの言葉を読み取ると、大きな目を潤ませる。


「でもっ、だってっ、片翼の人は、皆っ、皆っ……」

「(今までがどうだったか知らないけれど、私だけは、絶対に傷つけないから。ねっ?)」


 あまり働かない表情筋を使って、必死に穏やかな顔を作りながら告げると、とうとうリリの目からは大粒の涙が零れ落ちる。


「(私は、誰も、蔑んだりしないよ? それに、リリのこと、好きだから)」

「うっ……うわぁぁぁぁあんっ」


 泣き出したリリを私はしっかりと抱き締めて、優しく、優しく撫で続けるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません

くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、 ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。 だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。 今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。

ポンコツ女子は異世界で甘やかされる(R18ルート)

三ツ矢美咲
ファンタジー
投稿済み同タイトル小説の、ifルート・アナザーエンド・R18エピソード集。 各話タイトルの章を本編で読むと、より楽しめるかも。 第?章は前知識不要。 基本的にエロエロ。 本編がちょいちょい小難しい分、こっちはアホな話も書く予定。 一旦中断!詳細は近況を!

【R18】らぶえっち短編集

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
調べたら残り2作品ありました、本日投稿しますので、お待ちくださいませ(3/31)  R18執筆1年目の時に書いた短編完結作品23本のうち商業作品をのぞく約20作品を短編集としてまとめることにしました。 ※R18に※ ※毎日投稿21時~24時頃、1作品ずつ。 ※R18短編3作品目「追放されし奴隷の聖女は、王位簒奪者に溺愛される」からの投稿になります。 ※処女作「清廉なる巫女は、竜の欲望の贄となる」2作品目「堕ちていく竜の聖女は、年下皇太子に奪われる」は商業化したため、読みたい場合はムーンライトノベルズにどうぞよろしくお願いいたします。 ※これまでに投稿してきた短編は非公開になりますので、どうぞご了承くださいませ。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

とある婚約破棄の顛末

瀬織董李
ファンタジー
男爵令嬢に入れあげ生徒会の仕事を疎かにした挙げ句、婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を告げた王太子。 あっさりと受け入れられて拍子抜けするが、それには理由があった。 まあ、なおざりにされたら心は離れるよね。

0(ゼロ)同士の恋愛  ほんとは愛されたい。【完結】

mamaマリナ
BL
 必要とされない俺は、ただ生きるために体を売り、日々の生活のお金を稼いでいた。  知らない奴に刺され、やっと死ねると思ったのに。神様に願ったのに。なんで、こんなことになったんだ。異世界転生なら良かったのに。なんで転移なんだ。  必要とされたい、愛されたいと思いながら、怖がり逃げようとする、ちょっと口は悪いが根は真面目な青年と怖がられ避けられる恋愛経験0の男の恋愛話。 童貞×経験豊富な美人 タイトルに※はR18です

雪国の姫君(男)、大国の皇帝に見初められたので嫁ぎます。

ႽͶǾԜ
BL
 世界一の軍事大国アーサー皇帝へと嫁ぐこととなった雪国の姫君(男)のお話。 世界一の軍事大国皇帝×雪国の美人姫 ♡画像は著作権フリーの画像(商品利用無料、帰属表示の必要がない)を使用させていただいております。 ※本作品はBL作品です。苦手な方はここでUターンを。 ※第2章よりR18になります。(*つけます) ※男性妊娠表現があります。 ※完全な自己満です。 ※これまでの他作品とは、また別世界のお話です。

全寮制の男子校に転入して恋をした俺が、本物のセックスを思い知らされるまで

tomoe97
BL
非王道学園物を目指していたら、大分それました。少しの要素しかありません。 脇役主人公もの? 主人公がやや総受けです。(固定カプ) 主人公は王道転入生とその取り巻きに巻き込まれた生徒会副会長の弟。 身体を壊した兄の為に転入することを決意したが、実際の思惑はただただ男子校で恋人を作ったりセックスをしたいだけであった。 すぐセフレとシたり、快楽に弱かったり近親相姦があったりと主人公の貞操観念がゆるゆる。 好きな人と結ばれて念願の本当に気持ちいいセックスをすることはできるのか…。 アホアホエロです。 (中身はあまりありません) メインカプは風紀委員長×生徒会庶務 脇カプで生徒会副会長×生徒会長です 主人公以外の視点もあり。 長編連載。完結済。 (番外編は唐突に更新します)

処理中です...