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第一章 出会い
第二十四話 リリと鞭
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決して穏やかとは言えない朝。リリさんが運んできた朝食を食べ終えた私は、食器を片付けるリリさんを横目に、ふと気になったことを質問をしてみることにする。
「(リリさん、ジークフリート様の部屋は、近いんですか?)」
「ユーカお嬢様、私に敬語やさん付けは必要ないですよっ。それと、ご主人様はせめてさん付けにして差し上げた方が良いと思います」
「(えっと、うん、分かった)」
リリも読唇術が使えるのかどうかは、少しだけ微妙な気がしていたものの、どうやらちゃんと話せるらしい。いつもは、鞭を仕舞ってほしいと問答するばかりだったので、こうして落ち着いて会話をするのは新鮮だ。
(でも、なんでジークフリート様はさん付けの方が良いんだろう?)
リリがそう言うのならそういうものなのだろうけれど、少しばかり納得がいかない。今度、メアリーにでも聞いてみるのが良いかもしれない。
「それで、ジークフリート様のお部屋でしたね。ジークフリート様のお部屋は、こことは反対の場所に位置していて、それなりに遠いですねっ」
「(うーん? そうなると、良く使ってる部屋がこの近くにあるのかな?)」
首をかしげつつ問いかけると、リリも同じように首をかしげて否定する。
「いいえ? この辺りで使われているお部屋は、ここくらいなものですよ?」
(……どういうことだろう? 寝惚けてここに来たんじゃないのかな?)
そうして考えるのは、朝の出来事。ジークフリートさんが使う部屋が近くにないのであれば、寝惚けて私が居る部屋に来たという可能性は低い。
「(あっ、それじゃあ、昨日はお酒を飲んでたとかっ?)」
もしかしたら、酔っ払っていたのかもしれない。そうであるならば、あの行動にも説明がつく。けれど、返ってきたのはまたしても否定の言葉だった。
「いいえ? ご主人様は滅多にお酒をお飲みになることはありませんし……昨日も飲んだなんて話は聞いてませんよっ?」
そこまで言って、リリはじっと私を見つめる。それは、何かを探ろうとしている目だ。
「……ユーカお嬢様。昨日、何かありましたか?」
「(っ……)」
直球に聞かれた私は、つい返答に窮する。今朝の出来事を軽々しく話して良いものか、全く判断がつかなかった。
迷っている間にも、リリからは熱い視線が注がれる。どうやら、誤魔化すことは難しそうだ。
「(……どうしてか分からないんだけれど、朝、目が覚めたら、目の前にジークフリートさんが居たの)」
「はいっ!? 夜這いされたんですかっ!?」
「(いや、それは絶対違うからっ!)」
何てことを言うんだ。あんな美青年が、平々凡々な私ごときに興味を持つはずがないじゃないかっ。
そう反論しそうになるものの、何だかそれは自虐が過ぎるような気がして口を閉じる。すると、しばらく考え込んでいたリリは、おもむろにワゴンとともに持ってきた袋へと目を向ける。
(……何だか、嫌な予感が……)
あの袋には、いつものごとく鞭が入っているはずだ。なぜ、そちらに視線を向けようという気になったのかは知らないけれど、また『叩いてほしい』などと言われるのは勘弁してほしい。
けれど、願いは虚しく、リリは鞭を取り出してしまう。
「さぁっ、思う存分叩いてくださいっ」
「(叩かないよっ!?)」
どうして、リリにしたって、ララさんやメアリーにしたって、私に鞭を使用してほしがるのだろうか? まさか、専属侍女になる条件に、鞭で叩かれることを望まなきゃならないなんてものがあるわけではないだろう。
「(どうしてそんなに鞭で叩かれたがるの?)」
至極真っ当な疑問。それがつい口をついて出た。すると、リリはそのアーモンド色の目を大きく見開いてキョロキョロと視線を漂わせると、ゆっくり口を開く。
「今までの片翼の皆さんは、私達のことを、『低俗な獣人』と呼んで叩いてきました。……ストレス発散に」
「(なっ!?)」
リリの思わぬ発言に、私は絶句する。まさか、そんな理由で叩かれると思っていたなんて、考えてもみなかった。
「ユーカお嬢様も、色々とストレスがあるでしょう? ですから、躊躇う必要なんてないんですよ?」
けれど、リリの続いたその言葉に、私は絶句している場合ではないと悟る。リリの目はどこか虚ろで、私を見ていないように見えた。
「(……とりあえず、側に来て)」
「はいっ」
声は弾んでいるのに、その目は暗く淀んでいる。今まで、こんな様子のリリの姿は見たことがなかった。
私の言葉通り、側に寄ってきたリリは、すぐさま私に鞭を手渡す。けれど、私はこんなもの、使うつもりなんてない。
「(しゃがんで?)」
「はいっ」
鞭で叩かれると思っているらしいリリは、その事実とは裏腹に明るい声で答える。その様子が、どうにも痛々しくてならない私は、ひとまず鞭を遠ざけるべく後ろに投げる。
「? ユーカお嬢様?」
リリの中ではあり得ないだろうその行動に、リリはうつむきかけていた顔を上げる。そして……。
「(私は、リリを叩いたりなんてしないよ)」
その熊の可愛らしい耳がひょっこり覗くチョコレート色の頭を、私は優しく撫でる。
「……っ!?」
「(私は、誰も鞭で叩いたりなんてしない。リリも、ララさんも、メアリーも、皆、叩いたりなんてしないよ)」
ゆっくりゆっくり、頭を撫でながら、リリにこの言葉が届くことを祈りながら、必死に紡ぐ。
「(大丈夫。大丈夫だから。もう、痛い思いなんてしなくて良いから)」
呆然と私の唇を読んでいたリリは、そこまでの言葉を読み取ると、大きな目を潤ませる。
「でもっ、だってっ、片翼の人は、皆っ、皆っ……」
「(今までがどうだったか知らないけれど、私だけは、絶対に傷つけないから。ねっ?)」
あまり働かない表情筋を使って、必死に穏やかな顔を作りながら告げると、とうとうリリの目からは大粒の涙が零れ落ちる。
「(私は、誰も、蔑んだりしないよ? それに、リリのこと、好きだから)」
「うっ……うわぁぁぁぁあんっ」
泣き出したリリを私はしっかりと抱き締めて、優しく、優しく撫で続けるのだった。
「(リリさん、ジークフリート様の部屋は、近いんですか?)」
「ユーカお嬢様、私に敬語やさん付けは必要ないですよっ。それと、ご主人様はせめてさん付けにして差し上げた方が良いと思います」
「(えっと、うん、分かった)」
リリも読唇術が使えるのかどうかは、少しだけ微妙な気がしていたものの、どうやらちゃんと話せるらしい。いつもは、鞭を仕舞ってほしいと問答するばかりだったので、こうして落ち着いて会話をするのは新鮮だ。
(でも、なんでジークフリート様はさん付けの方が良いんだろう?)
リリがそう言うのならそういうものなのだろうけれど、少しばかり納得がいかない。今度、メアリーにでも聞いてみるのが良いかもしれない。
「それで、ジークフリート様のお部屋でしたね。ジークフリート様のお部屋は、こことは反対の場所に位置していて、それなりに遠いですねっ」
「(うーん? そうなると、良く使ってる部屋がこの近くにあるのかな?)」
首をかしげつつ問いかけると、リリも同じように首をかしげて否定する。
「いいえ? この辺りで使われているお部屋は、ここくらいなものですよ?」
(……どういうことだろう? 寝惚けてここに来たんじゃないのかな?)
そうして考えるのは、朝の出来事。ジークフリートさんが使う部屋が近くにないのであれば、寝惚けて私が居る部屋に来たという可能性は低い。
「(あっ、それじゃあ、昨日はお酒を飲んでたとかっ?)」
もしかしたら、酔っ払っていたのかもしれない。そうであるならば、あの行動にも説明がつく。けれど、返ってきたのはまたしても否定の言葉だった。
「いいえ? ご主人様は滅多にお酒をお飲みになることはありませんし……昨日も飲んだなんて話は聞いてませんよっ?」
そこまで言って、リリはじっと私を見つめる。それは、何かを探ろうとしている目だ。
「……ユーカお嬢様。昨日、何かありましたか?」
「(っ……)」
直球に聞かれた私は、つい返答に窮する。今朝の出来事を軽々しく話して良いものか、全く判断がつかなかった。
迷っている間にも、リリからは熱い視線が注がれる。どうやら、誤魔化すことは難しそうだ。
「(……どうしてか分からないんだけれど、朝、目が覚めたら、目の前にジークフリートさんが居たの)」
「はいっ!? 夜這いされたんですかっ!?」
「(いや、それは絶対違うからっ!)」
何てことを言うんだ。あんな美青年が、平々凡々な私ごときに興味を持つはずがないじゃないかっ。
そう反論しそうになるものの、何だかそれは自虐が過ぎるような気がして口を閉じる。すると、しばらく考え込んでいたリリは、おもむろにワゴンとともに持ってきた袋へと目を向ける。
(……何だか、嫌な予感が……)
あの袋には、いつものごとく鞭が入っているはずだ。なぜ、そちらに視線を向けようという気になったのかは知らないけれど、また『叩いてほしい』などと言われるのは勘弁してほしい。
けれど、願いは虚しく、リリは鞭を取り出してしまう。
「さぁっ、思う存分叩いてくださいっ」
「(叩かないよっ!?)」
どうして、リリにしたって、ララさんやメアリーにしたって、私に鞭を使用してほしがるのだろうか? まさか、専属侍女になる条件に、鞭で叩かれることを望まなきゃならないなんてものがあるわけではないだろう。
「(どうしてそんなに鞭で叩かれたがるの?)」
至極真っ当な疑問。それがつい口をついて出た。すると、リリはそのアーモンド色の目を大きく見開いてキョロキョロと視線を漂わせると、ゆっくり口を開く。
「今までの片翼の皆さんは、私達のことを、『低俗な獣人』と呼んで叩いてきました。……ストレス発散に」
「(なっ!?)」
リリの思わぬ発言に、私は絶句する。まさか、そんな理由で叩かれると思っていたなんて、考えてもみなかった。
「ユーカお嬢様も、色々とストレスがあるでしょう? ですから、躊躇う必要なんてないんですよ?」
けれど、リリの続いたその言葉に、私は絶句している場合ではないと悟る。リリの目はどこか虚ろで、私を見ていないように見えた。
「(……とりあえず、側に来て)」
「はいっ」
声は弾んでいるのに、その目は暗く淀んでいる。今まで、こんな様子のリリの姿は見たことがなかった。
私の言葉通り、側に寄ってきたリリは、すぐさま私に鞭を手渡す。けれど、私はこんなもの、使うつもりなんてない。
「(しゃがんで?)」
「はいっ」
鞭で叩かれると思っているらしいリリは、その事実とは裏腹に明るい声で答える。その様子が、どうにも痛々しくてならない私は、ひとまず鞭を遠ざけるべく後ろに投げる。
「? ユーカお嬢様?」
リリの中ではあり得ないだろうその行動に、リリはうつむきかけていた顔を上げる。そして……。
「(私は、リリを叩いたりなんてしないよ)」
その熊の可愛らしい耳がひょっこり覗くチョコレート色の頭を、私は優しく撫でる。
「……っ!?」
「(私は、誰も鞭で叩いたりなんてしない。リリも、ララさんも、メアリーも、皆、叩いたりなんてしないよ)」
ゆっくりゆっくり、頭を撫でながら、リリにこの言葉が届くことを祈りながら、必死に紡ぐ。
「(大丈夫。大丈夫だから。もう、痛い思いなんてしなくて良いから)」
呆然と私の唇を読んでいたリリは、そこまでの言葉を読み取ると、大きな目を潤ませる。
「でもっ、だってっ、片翼の人は、皆っ、皆っ……」
「(今までがどうだったか知らないけれど、私だけは、絶対に傷つけないから。ねっ?)」
あまり働かない表情筋を使って、必死に穏やかな顔を作りながら告げると、とうとうリリの目からは大粒の涙が零れ落ちる。
「(私は、誰も、蔑んだりしないよ? それに、リリのこと、好きだから)」
「うっ……うわぁぁぁぁあんっ」
泣き出したリリを私はしっかりと抱き締めて、優しく、優しく撫で続けるのだった。
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