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第一章 出会い
第十一話 灰猫
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休憩、及び、昼食(せっかくだから、外で食べようと言われて、サンドイッチを頂いた。カツサンドとシャッキシャキのレタスサンドがとても、とても美味しかった)を終えた私は、勉強用の本を二冊持ったメアリーとララさんに案内されて、部屋へと戻る途中だ。特徴がほとんどない扉ばかりが並ぶ廊下を歩き、少しでも道を覚えようと努力していると、ふいに、翡翠色の壺が目に入る。
(あっ……そういえば、まだ、あの人に謝罪もお礼もしてない)
翡翠色の壺から連想された、同じ色の髪を持つ美青年。蒼く美しい瞳を持つ彼に、私は言わなければならないことがたくさんあった。
(今からでも、案内を頼むべき?)
前を歩くメアリーを見ながら考えるものの、私は今の時間を考えて止める。
(まだ、お昼ご飯を食べてる途中かもしれない)
そうであれば、私は邪魔者でしかないだろう。
(今度、別の時間に、メアリーに案内してもらって、通訳を頼もう)
今はまだ、声が出ない。あの美青年の元を訪れたとしても、結局会話にすらならないし、またフラッシュバックが起こるかもしれない。今は、そのフラッシュバックと向き合う度胸はなかった。
そうして、じっとメアリーの頭を見つめたままでいると、すぐに部屋の前まで辿り着いてしまう。結局、まだ道を覚えることはできなかった。
「ユーカお嬢様、他に、何かお困りなことはございませんか?」
「(大丈夫)」
こうして要望を聞かれることはまだ慣れないけれど、尋ねてくるメアリーの様子に、私は少しだけ嬉しいと思える。
どういうわけか、私なんかに仕えてくれるメアリー、ララさん、リリさん。彼女らに、自分の意見を問われることが、何だか人として認められているような気がして、そんなわけがないと分かっていても、嬉しさを感じてしまう。
「それでは、また何かあればお呼びくださいね」
ニッコリと笑ってくれるメアリーに、私は反射的にうなずく。そうそう呼ぶようなことはないとは思うけれど、少なくともお風呂の時だけは呼ぶしかない。お湯の出し方を見ておけば良かったというのは、今になって思うことだった。
「それでは、失礼します」
「失礼します」
二人が揃って退出するのを確認して、私は本をサイドテーブルに置いて少し開いてみる。
習った文字はまだ少なく、この本を十全に読めるほどではない。けれど、初めてこの文字を見た時と比べれば、今の方が理解力があった。
(これが『恋愛』……なら、こっちは『愛』で良いのかな? 日本語の平仮名や片仮名と同じ、表音文字で、対応する音も今のところ同じってところが嬉しい誤算だよね)
これならば、そう遠くないうちに本を読めるようになりそうだと、知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。
読唇術で私の唇をメアリーが読めるという段階で、ここでは日本語が話されているのだと分かっていた。けれど、文字が違うと知って、もし、日本の漢字のように表意文字だったとしたらどうしようかと悩んだものの、どうやらそうではないらしいことが分かって安心した。もしかしたら、今日のうちにでも、ほとんどの文字が読めるようになるかもしれなかった。
(うん、少しは読めそうっ)
今はまだ読めない部分も、いくつかの文章を照らし合わせて予測すれば、何とかなりそうだった。
そうして、半分くらいの文字が読めるようになって、ふと顔を上げた私は、外から射し込む光が夕焼けのそれに変わっていたことに気づく。
(結構、時間が経ってたみたい?)
綺麗な夕日を眺めながら、美しい庭園の方へと何気なく視線を落とす。すると……。
(……猫?)
そこには、岩の上でスヤスヤと眠る猫の姿があった。
(猫……)
灰色の猫は、よく見なければ岩の色と同化して分からなかっただろうけれど、胸が上下する姿を見てしまえば猫にしか見えなかった。
(触ってみたいな……)
今からメアリーを呼んで、間に合うだろうかと一瞬考えた私は、それよりも行動する方が良いと即座に判断を下してベルを鳴らす。猫に触って癒されたい気持ちの方が勝っていた。
「失礼します」
「(あっ……)」
ただ、そこで失念していたのは、ベルで呼んで来るのがメアリーとは限らないということだった。ノックをしてから入ってきた無表情なララさんを前に、私は少しだけ固まる。
「どのようなご用でしょうか?」
ほとんど抑揚らしい抑揚のない声で問いかけられて、私はようやく頭を回転させる。
(ここで何でもないって言ったら、嫌がらせでしかないよね?)
一瞬、そうすることも考えたものの、嫌がらせをしたいわけではない。となると、読唇術を使えるかどうか分からないララさんに庭へ出たいということを頼むより外なかった。
「(あの、庭に、出てみたいです)」
極力ゆっくり口を動かせばララさんはじっとこちらを凝視して小さくうなずく。
「許可を取って参ります。しばしお待ちください」
どうやら通じたらしい。そのことに喜びを覚えるものの、すぐにこれから私を案内してくれるのがララさんであろうことに気づく。
(どうしよう。何か、気まずい気がする……)
無表情で私を警戒しているらしいララさん。彼女と一緒に庭へ行くのは、恐らく許可さえ取れれば決定だろう。けれど、その道中が気まずい気がしてならなかった。
(メアリーだったら……ううん、そんな贅沢、言えるわけない)
案内されるのも気まずいから、メアリーに来てほしいというのはさすがに我儘が過ぎる。ここに来て、ちょっと人間扱いされたことで、増長してしまったのかもしれない。
(気を引き締めなきゃっ)
すぐに戻ってきたララさんから、許可が取れたことを告げられた私は、ララさんとともに庭へと向かう。案の定、何の会話もなく冷たい空気が漂っているような気がする空間は、とても気まずかったものの、それも庭に着いた途端に霧散する。
(猫っ!)
二つの階段を下りて辿り着いた庭には、まだあの窓から見えていた猫が居た。先程までは眠っていたはずだけれど、今は目を覚まして、こちらをじっと伺っている。
「(おいでー)」
警戒しているかもしれない猫を前に、私はしゃがんで猫と視線を合わせる。両手も広げてみて、じっと見つめ合うこと数十秒。折れたのは、猫の方だった。
トトトッと駆け寄ってきた猫に、私は気持ちが通じたっと思って感動する。スラリとした体躯の灰猫は、スリスリと私の手にすり寄って、『ニャア』と鳴く。
「(ふわわっ、か、可愛いよー)」
艶やかな毛並みの猫は、スルリ、スルリと頭を私の手に撫で付けて、トパーズを思わせる美しい黄色の瞳で見つめてくる。
(至福……)
家では動物を飼うことなど論外だったし、動物園には祖母と一回行ったきり、学校で飼われていたウサギは、あまり見ているといじめっ子達に何かされそうな予感があったため、ほとんど見ていない。そんな状況下において、小動物好きの私は小動物に飢えていた。
(猫に触れるなんて、幸せー)
喉を軽く触れてみたり、頭を撫でてみたり、とにかくひたすら構い倒す。
「ユーカお嬢様」
どれだけの時間、そうしていただろうか? ふいに声をかけられて、そちらを向くと、絶対零度の視線を向けてくるララさんがそこに居た。
(っ、ララさん、ほったらかしにしちゃってたっ!?)
どうしよう、怒ってるかなと狼狽える私とは正反対に、ララさんは冷静に言葉を紡ぐ。
「そろそろ夕食のお時間です」
「(あっ、はいっ)」
猫から離れるべく立ち上がれば、それまで心地良さそうにしていた猫から抗議の声が上がる。
「そちらの猫は、勝手に忍び込んできた猫ですので、キッチリ手を洗いましょう」
「(……はい)」
何かは分からないけれど、ララさんが怒っていることだけは分かった私は、少し項垂れながら部屋へと戻るのだった。
「僕の、片翼……」
背後で、そんな言葉が呟かれたとは知らずに……。
(あっ……そういえば、まだ、あの人に謝罪もお礼もしてない)
翡翠色の壺から連想された、同じ色の髪を持つ美青年。蒼く美しい瞳を持つ彼に、私は言わなければならないことがたくさんあった。
(今からでも、案内を頼むべき?)
前を歩くメアリーを見ながら考えるものの、私は今の時間を考えて止める。
(まだ、お昼ご飯を食べてる途中かもしれない)
そうであれば、私は邪魔者でしかないだろう。
(今度、別の時間に、メアリーに案内してもらって、通訳を頼もう)
今はまだ、声が出ない。あの美青年の元を訪れたとしても、結局会話にすらならないし、またフラッシュバックが起こるかもしれない。今は、そのフラッシュバックと向き合う度胸はなかった。
そうして、じっとメアリーの頭を見つめたままでいると、すぐに部屋の前まで辿り着いてしまう。結局、まだ道を覚えることはできなかった。
「ユーカお嬢様、他に、何かお困りなことはございませんか?」
「(大丈夫)」
こうして要望を聞かれることはまだ慣れないけれど、尋ねてくるメアリーの様子に、私は少しだけ嬉しいと思える。
どういうわけか、私なんかに仕えてくれるメアリー、ララさん、リリさん。彼女らに、自分の意見を問われることが、何だか人として認められているような気がして、そんなわけがないと分かっていても、嬉しさを感じてしまう。
「それでは、また何かあればお呼びくださいね」
ニッコリと笑ってくれるメアリーに、私は反射的にうなずく。そうそう呼ぶようなことはないとは思うけれど、少なくともお風呂の時だけは呼ぶしかない。お湯の出し方を見ておけば良かったというのは、今になって思うことだった。
「それでは、失礼します」
「失礼します」
二人が揃って退出するのを確認して、私は本をサイドテーブルに置いて少し開いてみる。
習った文字はまだ少なく、この本を十全に読めるほどではない。けれど、初めてこの文字を見た時と比べれば、今の方が理解力があった。
(これが『恋愛』……なら、こっちは『愛』で良いのかな? 日本語の平仮名や片仮名と同じ、表音文字で、対応する音も今のところ同じってところが嬉しい誤算だよね)
これならば、そう遠くないうちに本を読めるようになりそうだと、知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。
読唇術で私の唇をメアリーが読めるという段階で、ここでは日本語が話されているのだと分かっていた。けれど、文字が違うと知って、もし、日本の漢字のように表意文字だったとしたらどうしようかと悩んだものの、どうやらそうではないらしいことが分かって安心した。もしかしたら、今日のうちにでも、ほとんどの文字が読めるようになるかもしれなかった。
(うん、少しは読めそうっ)
今はまだ読めない部分も、いくつかの文章を照らし合わせて予測すれば、何とかなりそうだった。
そうして、半分くらいの文字が読めるようになって、ふと顔を上げた私は、外から射し込む光が夕焼けのそれに変わっていたことに気づく。
(結構、時間が経ってたみたい?)
綺麗な夕日を眺めながら、美しい庭園の方へと何気なく視線を落とす。すると……。
(……猫?)
そこには、岩の上でスヤスヤと眠る猫の姿があった。
(猫……)
灰色の猫は、よく見なければ岩の色と同化して分からなかっただろうけれど、胸が上下する姿を見てしまえば猫にしか見えなかった。
(触ってみたいな……)
今からメアリーを呼んで、間に合うだろうかと一瞬考えた私は、それよりも行動する方が良いと即座に判断を下してベルを鳴らす。猫に触って癒されたい気持ちの方が勝っていた。
「失礼します」
「(あっ……)」
ただ、そこで失念していたのは、ベルで呼んで来るのがメアリーとは限らないということだった。ノックをしてから入ってきた無表情なララさんを前に、私は少しだけ固まる。
「どのようなご用でしょうか?」
ほとんど抑揚らしい抑揚のない声で問いかけられて、私はようやく頭を回転させる。
(ここで何でもないって言ったら、嫌がらせでしかないよね?)
一瞬、そうすることも考えたものの、嫌がらせをしたいわけではない。となると、読唇術を使えるかどうか分からないララさんに庭へ出たいということを頼むより外なかった。
「(あの、庭に、出てみたいです)」
極力ゆっくり口を動かせばララさんはじっとこちらを凝視して小さくうなずく。
「許可を取って参ります。しばしお待ちください」
どうやら通じたらしい。そのことに喜びを覚えるものの、すぐにこれから私を案内してくれるのがララさんであろうことに気づく。
(どうしよう。何か、気まずい気がする……)
無表情で私を警戒しているらしいララさん。彼女と一緒に庭へ行くのは、恐らく許可さえ取れれば決定だろう。けれど、その道中が気まずい気がしてならなかった。
(メアリーだったら……ううん、そんな贅沢、言えるわけない)
案内されるのも気まずいから、メアリーに来てほしいというのはさすがに我儘が過ぎる。ここに来て、ちょっと人間扱いされたことで、増長してしまったのかもしれない。
(気を引き締めなきゃっ)
すぐに戻ってきたララさんから、許可が取れたことを告げられた私は、ララさんとともに庭へと向かう。案の定、何の会話もなく冷たい空気が漂っているような気がする空間は、とても気まずかったものの、それも庭に着いた途端に霧散する。
(猫っ!)
二つの階段を下りて辿り着いた庭には、まだあの窓から見えていた猫が居た。先程までは眠っていたはずだけれど、今は目を覚まして、こちらをじっと伺っている。
「(おいでー)」
警戒しているかもしれない猫を前に、私はしゃがんで猫と視線を合わせる。両手も広げてみて、じっと見つめ合うこと数十秒。折れたのは、猫の方だった。
トトトッと駆け寄ってきた猫に、私は気持ちが通じたっと思って感動する。スラリとした体躯の灰猫は、スリスリと私の手にすり寄って、『ニャア』と鳴く。
「(ふわわっ、か、可愛いよー)」
艶やかな毛並みの猫は、スルリ、スルリと頭を私の手に撫で付けて、トパーズを思わせる美しい黄色の瞳で見つめてくる。
(至福……)
家では動物を飼うことなど論外だったし、動物園には祖母と一回行ったきり、学校で飼われていたウサギは、あまり見ているといじめっ子達に何かされそうな予感があったため、ほとんど見ていない。そんな状況下において、小動物好きの私は小動物に飢えていた。
(猫に触れるなんて、幸せー)
喉を軽く触れてみたり、頭を撫でてみたり、とにかくひたすら構い倒す。
「ユーカお嬢様」
どれだけの時間、そうしていただろうか? ふいに声をかけられて、そちらを向くと、絶対零度の視線を向けてくるララさんがそこに居た。
(っ、ララさん、ほったらかしにしちゃってたっ!?)
どうしよう、怒ってるかなと狼狽える私とは正反対に、ララさんは冷静に言葉を紡ぐ。
「そろそろ夕食のお時間です」
「(あっ、はいっ)」
猫から離れるべく立ち上がれば、それまで心地良さそうにしていた猫から抗議の声が上がる。
「そちらの猫は、勝手に忍び込んできた猫ですので、キッチリ手を洗いましょう」
「(……はい)」
何かは分からないけれど、ララさんが怒っていることだけは分かった私は、少し項垂れながら部屋へと戻るのだった。
「僕の、片翼……」
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