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02-元教え子の執着
02-01
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現代 男→女←男
◆◇◆◇◆
花火大会の見回りなんてクソ食らえだ――なんて、死んでも言えない。
でも、高校教師が、貴重な土曜の夜に出勤してやるようなことではないと思う。高校生とは言っても成人している子たちもいるのだし、花火大会なんて校外のイベントなのだから、何があっても自己責任、教師が口を出す領域じゃない。
皆、本心では同じことを思っているだろうけれど、誰も彼も「見回り」と書かれた腕章をつけて神妙な面持ちで校長を見つめている。
「それでは、本日の花火大会、A高生徒の飲酒や喫煙を防止し、近隣の方々の迷惑とならないよう、早めの帰宅を促すよう見回りと声掛けをお願いいたします」
つまり、風紀を乱すようなことがあってはならない、問題が起きる前に対処せよ、ということだ。世間体を気にする進学校らしい考え方だ。
はい、とやる気だけはあるような返事をして、地図に目を落とす。二年生の担任・副担任の担当は、蛍光ピンクで区分けされている箇所だ。
「古川先生と平山先生は、商店街の屋台のここから、コンビニのこのあたりまで。平山先生は初めてですが、古川先生は毎年のことなのでわかりますよね」
「はい。コンビニ、気をつけます」
生徒たちの帰宅ルート上にあるコンビニは要注意。店内外でトラブルが起こりやすい。強引なナンパにつかまってしまうとか、喋り足りなくて長居してしまうとかで、とにかく面倒事が発生しやすいのだ。
「生徒たちがハメを外しすぎないよう声をかけていくのが、教師の務めです。皆様、よろしくお願いいたします」
学年主任の言葉に頷いて、ペアの平山先生と歩き始める。
いつもはスーツをパリッと着こなしている爽やか好青年な平山先生が、今はTシャツにチノパン姿だ。彼がA高校に赴任してきて数ヶ月たつが、ラフな格好を見るのは初めてじゃないだろうか。
私も同じ。カジュアルな服装はこういうときだけ。
「古川先生、そういう格好もするんですね」
「Tシャツにカーゴパンツ、楽なんですよ」
「よくお似合いです」
平山先生も、と笑う。目の前にいる教頭はなぜかアロハシャツ。彼は見回りより、自分が花火大会を楽しむつもりなんじゃないだろうか。
「焼きとうもろこしのいい匂い……花火大会が終わるまで我慢しないといけないなんて、ある意味拷問ですね」
「ソースの匂いもなかなか堪えますよ」
「確かに、焼きそばもたこ焼きも美味しそうです」
そんな他愛もない話をしていたら、他の先生方の姿が消え始める。持ち場へ散っていったのだ。
代わりに、浴衣姿や甚平姿が増え始める。髪を結い上げている女子の可愛らしいこと。ちらほら見かける生徒たちに、早めの帰宅や注意を促していく。
「なんか、青春って感じですね」
平山先生は、三年生女子と二年生男子のカップルを見送りながらしみじみと呟く。
「三年生はこれから大変ですからねぇ。今日くらいは青春を楽しんでもらいたいですね」
三年生はこれから受験一色になる。恋にうつつを抜かしている暇などなくなるものだ。
つまり、あのカップルにとっては、最後の思い出になるかもしれないということだ。
私・古川華子調べによると、受験生と一年生・二年生のカップルは、受験生同士のカップルよりも長続きしない。目標が同じではないのだから、よくあること。まぁ、別れることになったとしても、それも青春だ。
「古川先生にもあんな時代がありました?」
「そりゃもちろん」
「花火大会に誰かとデートをしたんですか?」
「……ふふ。ノーコメントで」
あたりが暗くなり、どんどん人が増えてくる。花火も打ち上がり始めた。私たちは、花火より周りの人の顔を見る。生徒か生徒じゃないか、危険なことをしていないか――確認するのは、花火よりも大切なことだ。
「あ、今の綺麗ですね」
「綺麗でしたね。わ、今のも」
まぁ、少しくらい花火を楽しむのも、アリだろう。平山先生の担当教科は化学ではないから、小難しい横文字のうんちくを披露してくることもない。去年は、化学の先生とペアになったため、興味のない私にはめちゃくちゃ苦痛な時間だったのだ。
そう考えると、今日のペアが彼でよかったと思える。
私が屋台の行列に巻き込まれそうになると、平山先生が「危ないですよ」と自然と手を引いてくれる。自然すぎて、手慣れている気さえする。
けれど、見上げると、平山先生の耳は真っ赤だ。勇気を出して、手を繋いだのかもしれない。悪くはない気分だ。
「あ、平山先生。もう大丈夫ですよ。生徒たちに見られるとアレなので」
「あっ、あ、すみません、夢中で」
夢中で手を繋いでくれたのね? 不覚にも、ちょっときゅんとしてしまった。
平山先生は手を離す。少し残念だなと感じてしまう私は、彼を憎からず思っているようだ。好みの顔ではないけど、割と爽やか好青年だもんなぁ。
「あ、あの、古川先生、いつ頃お返事をいただけますか? あ、いや、僕はいつまででも待てるのですが……待てる、と思っていたのですが、最近ちょっと、というか今日は特に、我慢ができなくなってきたみたいで」
三つ年下の同僚は、学校内とは違う顔をしている。「先生」という鎧を脱いで、ただの「男」になっているみたいだ。
「できれば、早めに、結婚を前提としたお付き合いを――」
「あれぇ、華子ちゃんじゃーん!」
いい感じの空気をぶち壊してくれたのは、りんご飴を両手に持った金髪のイケメンだ。甚平姿と金髪で一瞬誰なのかわからなかったが、数ヶ月前に卒業していった元教え子だ。私は彼が一年生のときに、副担任をしていたのだ。彼は確かB大学へ進学したはず。
「……木原くん?」
「ご無沙汰してまーす。華子ちゃんは? 毎年恒例の見回り?」
「ご明察。卒業したとはいえあなたも元生徒なんだから、わかっているとは思うけど、ちゃんとしてよね?」
「相変わらずオカタイこと言うねぇ、華子ちゃんは」
木原くんはケラケラと笑い、スッと視線を隣に動かした。「こいつ誰?」と言いたそうな無遠慮な視線に、平山先生は「副担の平山です」と律儀に挨拶をする。
「平山センセー、ね。へーえ」
値踏みするかのような視線を平山先生に向ける木原くん。「俺のほうが背が高いし、イケメンだし」とか思ってそう。そういう自信過剰な元生徒だ。
「おーい、マナミ。お前がこっぴどく捨てられたって言ってた平山センセーって、この平山センセー?」
木原くんのりんご飴を待っていたであろう女の子。浴衣を着て、髪も綺麗に結い上げて、メイクもして、とても可愛らしい。けれど彼女は「豊、せんせ?」と恐る恐る近づいてくる。
私の隣で、平山――豊先生は、明らかに硬直している。
なるほど、これは修羅場ってやつかな?
「平山先生、お知り合いですか?」
「ま、前の学校の、教え子で」
「豊先生! 会いたかった!」
木原くんのことも私のことも目に入らなかったのか、マナミさんはガバッと平山先生に抱きつく。平山先生はオロオロと私と彼女を見て、「古川先生、誤解なんです」と慌てるだけだ。
誤解も何も、付き合っていたか、彼女の片思いだったかの、どちらかなんだろう。教師に恋をする生徒は、少なくはないのだから。
ただ、私なら大人として、未成年に手を出すことはない。もし平山先生が彼女の在学中に付き合っていたとするなら、これほど幻滅することはない。
修羅場の最中でも、私は時計を確認するのを忘れない。花火大会はそろそろ佳境を迎える頃だ。
「八時半……平山先生はこのまま彼女についていてあげてください。あとの見回りはやっておくので」
メイクが崩れるのも気にせず、マナミさんは泣きじゃくって平山先生に縋っている。こんな状態の女の子を放っておけるわけがない。普通の大人なら、普通の教師なら。
「す、すみません」
「……お気になさらず」
この短い会話で、平山先生には伝わっただろう。私たちの関係は、また振り出しに戻ったことを。
◆◇◆◇◆
花火大会の見回りなんてクソ食らえだ――なんて、死んでも言えない。
でも、高校教師が、貴重な土曜の夜に出勤してやるようなことではないと思う。高校生とは言っても成人している子たちもいるのだし、花火大会なんて校外のイベントなのだから、何があっても自己責任、教師が口を出す領域じゃない。
皆、本心では同じことを思っているだろうけれど、誰も彼も「見回り」と書かれた腕章をつけて神妙な面持ちで校長を見つめている。
「それでは、本日の花火大会、A高生徒の飲酒や喫煙を防止し、近隣の方々の迷惑とならないよう、早めの帰宅を促すよう見回りと声掛けをお願いいたします」
つまり、風紀を乱すようなことがあってはならない、問題が起きる前に対処せよ、ということだ。世間体を気にする進学校らしい考え方だ。
はい、とやる気だけはあるような返事をして、地図に目を落とす。二年生の担任・副担任の担当は、蛍光ピンクで区分けされている箇所だ。
「古川先生と平山先生は、商店街の屋台のここから、コンビニのこのあたりまで。平山先生は初めてですが、古川先生は毎年のことなのでわかりますよね」
「はい。コンビニ、気をつけます」
生徒たちの帰宅ルート上にあるコンビニは要注意。店内外でトラブルが起こりやすい。強引なナンパにつかまってしまうとか、喋り足りなくて長居してしまうとかで、とにかく面倒事が発生しやすいのだ。
「生徒たちがハメを外しすぎないよう声をかけていくのが、教師の務めです。皆様、よろしくお願いいたします」
学年主任の言葉に頷いて、ペアの平山先生と歩き始める。
いつもはスーツをパリッと着こなしている爽やか好青年な平山先生が、今はTシャツにチノパン姿だ。彼がA高校に赴任してきて数ヶ月たつが、ラフな格好を見るのは初めてじゃないだろうか。
私も同じ。カジュアルな服装はこういうときだけ。
「古川先生、そういう格好もするんですね」
「Tシャツにカーゴパンツ、楽なんですよ」
「よくお似合いです」
平山先生も、と笑う。目の前にいる教頭はなぜかアロハシャツ。彼は見回りより、自分が花火大会を楽しむつもりなんじゃないだろうか。
「焼きとうもろこしのいい匂い……花火大会が終わるまで我慢しないといけないなんて、ある意味拷問ですね」
「ソースの匂いもなかなか堪えますよ」
「確かに、焼きそばもたこ焼きも美味しそうです」
そんな他愛もない話をしていたら、他の先生方の姿が消え始める。持ち場へ散っていったのだ。
代わりに、浴衣姿や甚平姿が増え始める。髪を結い上げている女子の可愛らしいこと。ちらほら見かける生徒たちに、早めの帰宅や注意を促していく。
「なんか、青春って感じですね」
平山先生は、三年生女子と二年生男子のカップルを見送りながらしみじみと呟く。
「三年生はこれから大変ですからねぇ。今日くらいは青春を楽しんでもらいたいですね」
三年生はこれから受験一色になる。恋にうつつを抜かしている暇などなくなるものだ。
つまり、あのカップルにとっては、最後の思い出になるかもしれないということだ。
私・古川華子調べによると、受験生と一年生・二年生のカップルは、受験生同士のカップルよりも長続きしない。目標が同じではないのだから、よくあること。まぁ、別れることになったとしても、それも青春だ。
「古川先生にもあんな時代がありました?」
「そりゃもちろん」
「花火大会に誰かとデートをしたんですか?」
「……ふふ。ノーコメントで」
あたりが暗くなり、どんどん人が増えてくる。花火も打ち上がり始めた。私たちは、花火より周りの人の顔を見る。生徒か生徒じゃないか、危険なことをしていないか――確認するのは、花火よりも大切なことだ。
「あ、今の綺麗ですね」
「綺麗でしたね。わ、今のも」
まぁ、少しくらい花火を楽しむのも、アリだろう。平山先生の担当教科は化学ではないから、小難しい横文字のうんちくを披露してくることもない。去年は、化学の先生とペアになったため、興味のない私にはめちゃくちゃ苦痛な時間だったのだ。
そう考えると、今日のペアが彼でよかったと思える。
私が屋台の行列に巻き込まれそうになると、平山先生が「危ないですよ」と自然と手を引いてくれる。自然すぎて、手慣れている気さえする。
けれど、見上げると、平山先生の耳は真っ赤だ。勇気を出して、手を繋いだのかもしれない。悪くはない気分だ。
「あ、平山先生。もう大丈夫ですよ。生徒たちに見られるとアレなので」
「あっ、あ、すみません、夢中で」
夢中で手を繋いでくれたのね? 不覚にも、ちょっときゅんとしてしまった。
平山先生は手を離す。少し残念だなと感じてしまう私は、彼を憎からず思っているようだ。好みの顔ではないけど、割と爽やか好青年だもんなぁ。
「あ、あの、古川先生、いつ頃お返事をいただけますか? あ、いや、僕はいつまででも待てるのですが……待てる、と思っていたのですが、最近ちょっと、というか今日は特に、我慢ができなくなってきたみたいで」
三つ年下の同僚は、学校内とは違う顔をしている。「先生」という鎧を脱いで、ただの「男」になっているみたいだ。
「できれば、早めに、結婚を前提としたお付き合いを――」
「あれぇ、華子ちゃんじゃーん!」
いい感じの空気をぶち壊してくれたのは、りんご飴を両手に持った金髪のイケメンだ。甚平姿と金髪で一瞬誰なのかわからなかったが、数ヶ月前に卒業していった元教え子だ。私は彼が一年生のときに、副担任をしていたのだ。彼は確かB大学へ進学したはず。
「……木原くん?」
「ご無沙汰してまーす。華子ちゃんは? 毎年恒例の見回り?」
「ご明察。卒業したとはいえあなたも元生徒なんだから、わかっているとは思うけど、ちゃんとしてよね?」
「相変わらずオカタイこと言うねぇ、華子ちゃんは」
木原くんはケラケラと笑い、スッと視線を隣に動かした。「こいつ誰?」と言いたそうな無遠慮な視線に、平山先生は「副担の平山です」と律儀に挨拶をする。
「平山センセー、ね。へーえ」
値踏みするかのような視線を平山先生に向ける木原くん。「俺のほうが背が高いし、イケメンだし」とか思ってそう。そういう自信過剰な元生徒だ。
「おーい、マナミ。お前がこっぴどく捨てられたって言ってた平山センセーって、この平山センセー?」
木原くんのりんご飴を待っていたであろう女の子。浴衣を着て、髪も綺麗に結い上げて、メイクもして、とても可愛らしい。けれど彼女は「豊、せんせ?」と恐る恐る近づいてくる。
私の隣で、平山――豊先生は、明らかに硬直している。
なるほど、これは修羅場ってやつかな?
「平山先生、お知り合いですか?」
「ま、前の学校の、教え子で」
「豊先生! 会いたかった!」
木原くんのことも私のことも目に入らなかったのか、マナミさんはガバッと平山先生に抱きつく。平山先生はオロオロと私と彼女を見て、「古川先生、誤解なんです」と慌てるだけだ。
誤解も何も、付き合っていたか、彼女の片思いだったかの、どちらかなんだろう。教師に恋をする生徒は、少なくはないのだから。
ただ、私なら大人として、未成年に手を出すことはない。もし平山先生が彼女の在学中に付き合っていたとするなら、これほど幻滅することはない。
修羅場の最中でも、私は時計を確認するのを忘れない。花火大会はそろそろ佳境を迎える頃だ。
「八時半……平山先生はこのまま彼女についていてあげてください。あとの見回りはやっておくので」
メイクが崩れるのも気にせず、マナミさんは泣きじゃくって平山先生に縋っている。こんな状態の女の子を放っておけるわけがない。普通の大人なら、普通の教師なら。
「す、すみません」
「……お気になさらず」
この短い会話で、平山先生には伝わっただろう。私たちの関係は、また振り出しに戻ったことを。
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