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第三夜

073.ラルスの査問会(二)

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 今回の聖女監禁に関与した人間すべての尋問のあと、判決が下されると伝えられている。そのため、何日かに渡り呼ばれることになるだろう。
 物事を俯瞰的に捉え、特定の誰かに傾聴することがない、とされる査問会だ。もちろん、内外でそれぞれの思惑が交差していることはわかっている。ラルスもそれは理解し、納得している。
 査問会で裁きが決定するまでの間は、自宅に帰ることも自由に外出することもできない。本部の敷地内にある、外から鍵のかかる部屋で待機することになる。毛布以外、何もない部屋だ。牢屋でないだけマシだとラルスは寝転んでぼんやり天井を見上げる。

 後悔はしていない。
 宮文官の職を失うのは確実だ。黒翼地帯への追放が決まったとしても、どこかで幽閉されることになったとしても、後悔はない。この身がどうなっても構わない、という感覚のほうが近いのだろうとラルスは思う。
 トニアとの間に子をなさないまま離縁した。つまり、今は誰に気兼ねすることもない身綺麗な状態だ。
 聖女は命の実を一口だけ食べた。ラルスの愛を受け入れてくれたのだ。
 これ以上のことを望むべきではない。期待してはならない。ラルスはそう思っている。聖女は七人の夫たちと幸せになるべきなのだ。

 もし、黒翼地帯へ追放されることになったら、自分の血の由来を探すのもいいだろう。魔物が本当に襲ってこないのか、試してみてみたい気持ちはある。
 もし、どこかに幽閉されることになったら、一通だけ手紙を書こう。聖女に宛てた謝罪の手紙を、一通だけ。それで終わりにしたい。
 もし、もう一度だけ聖女に会うことができたなら、ひと目だけ遠くから見ることができたなら、その姿を目に焼きつけておこう。生きる糧としよう。
 もし、何十年後かに聖女と再会できるとしたら、そのときは――。

 望むべきではない、期待してはならないと思えば思うほど、望んでしまう。期待してしまう。ラルスは目から零れ落ちるものを拭いもせずに、矛盾を内包したままぼやけていく天井を眺める。
 愛していたのだと認めてしまえば、楽だった。
 愛していたのだと認めた瞬間に、苦しみが始まった。
 愛に手は届かない。触れることはできない。二度と。生きて再会できる望みなど、露ほどもないのだ。

「あぁ……っ」

 聖女の幸せを願っている――それは、嘘ではない。それはラルスの本心だ。
 手に入れたかった。ずっとそばで見守っていたかった。愛し続けたかった。そんなふうに思う気持ちもまた、彼の本心だ。
 しかし、聖女の幸せの中に自分はもう存在できない。業火に身を焼かれながら、ラルスは苦しみの果てに絶望を見る。
 叶わぬ夢を見るくらいなら、いっそ狂ってしまえば楽になれるかもしれない。

「……イズミ、様っ」

 それでも、暗闇に身を落とす寸前でラルスが思い出すのは、聖女の笑顔であった。狂っているのか、狂っていないのかもわからなくなるほどに求めてしまうのは、聖女ただ一人であった。



 査問会が始まって二日目の朝。毛布など気休めにしかならないほど体が痛む。冷たい朝食を食べ、髭すら剃らないまま、また査問会に呼ばれる。
 総主教、副主教、大主教の十五人の判事が昨日と同じように円卓に座り、ラルスは中央に座らされる。

「中主教ラルス。十五日の大聖樹会の最中に、聖女と姦淫した罪の真偽を問う。事実か、事実でないか、端的に答えるように」

 質問は昨日と同じだ。「薬で酩酊した聖女が望むままに姦淫したことは事実か」「夫ではない者が聖女を姦淫した場合、黒翼地帯へ追放されることを知っているか」などと問われ、事実だ、知っていると答える。それ以外に答えようがない。

「監禁された聖女の口の中に命の実は入っていたというのは事実か」
「いいえ、事実ではありません」
「では、書庫の中に命の実はなかったということか」
「ありました」

 今日の争点は命の実があの場にあったかどうか、ということらしい。姦淫した罪より、命の実を食べさせ子を孕ませる罪のほうが重い。聖職者なら誰でも知っていることだ。
 判事たちもざわめいている。

「命の実は書庫に何個あったのだ?」
「二つです。一つは床に転がり、一つは机の上に置いてありました」

 武官が確認したときにはどちらもなかった、という声がどこかから聞こえる。床に落ちたものはエレミアスが処分したのだろう。そして、もう一つは、ラルスが持ち帰った。もちろん、聞かれない限りは答える必要がない。

「聖女は命の実を食べたのか」
「いいえ。どちらも食べた形跡はなく、聖女様は猿轡のように口に入れられた実の果汁を吸っただけだと仰せでした」

 果汁を吸った、という言葉にまたざわつく。果汁だけで孕むことはない。判事は皆、安心したのだろう。
 実の行方を尋ねられることはない。判事たちは「命の実がどこの国のものか」が気になったらしい。

「命の実は、どこの国のものか」
「わかりません」

 床に落ちていた命の実の種の色は見ていない。机に置いてあった命の実は、黄の国のものだった。剥いたときに種は確認した。同じ国のものかどうかはわからない。
 判事たちは皆、自国の者の愚行でないことを祈っているのだろう。ラルスは冷ややかな目で彼らを見つめる。彼らは、責任を取らされることを恐れているのだ。

「聖女を監禁した者が何者なのか、見ていないというのは事実か」
「事実です」
「どこの国の者かもわからないということか」
「はい」

 エレミアスがやったという証拠はない。聖女が「エレミアスに監禁された」と証言したとしても、それが採用されるとは限らない。総主教と並ぶ唯一の立場の聖女ではあるが、聖職者たちの間ではそれを軽んずる傾向がある。ラルスはよく知っている。

「聖女が暴漢と応戦したということは事実か」
「わかりません」
「応戦した証拠はなかったということか」
「いいえ。白い衣服には血が付着し、また、緑の君から贈られたという髪飾りにも何者かの血が付着しておりました」
「現場は見ていない、ということか」
「はい」

 現場は見ていない。すべて聖女からの情報だ。聖女が嘘をついていないということが証明できないため、「事実ではない」「わからない」と言うしかないのだ。聖女が自作自演をした――その可能性も、捨てきれないのだから。
 おそらく、エレミアスはそう証言するだろう。自分は関与していない、すべては聖女の自作自演だ、自分ははめられたのだと声高に言うだろう。そのための準備くらいはしてあるはずだ。
 レナータが、真実を証言する保証もない。当初の計画通り聖女を陥れるか、それともエレミアスを裏切るか、ラルスにはわからない。

「妻トニアと大聖樹会の前に離縁していたというのは事実か」
「事実です」
「前妻トニアが中主教エレミアスの子を望んだというのは事実か」
「事実です。既に実を食べております」
「お前がエレミアスを憎んでいるというのは事実か」

 エレミアスを憎む――なぜ。ラルスは不思議でならない。

「事実ではありません」
「妻を奪われたというのに、憎んでいないのか?」
「妻は私から興味を失っておりました。奪われたとしても仕方のない話。私が不出来な夫であっただけです。二人を憎むような心はありません」

 トニアに関しては、そうだ。憎み恨むどころか、何の感情もない。二人が幸せになろうとなかろうと、関係がない。どうでもいい。
 聖女に対する仕打ちに関しても同じだ。最終的には自分が欲に忠実になっただけ。エレミアスはきっかけを与えたに過ぎない。ただ、聖女を監禁し傷つけたことに関しては、相応の罰を受けるべきだと思っている。

「エレミアスを憎み、恨む気持ちはないということか」
「はい」
「では、聖女への恨みの気持ちは」
「ありません。聖女様は聖女様です。七聖教が守るべき、尊い存在です。恨むことなど一切ありません」

 当然だ。どのようなことを言われても、どのようなことをされても、聖女を恨むことはない。決して憎むことはない。多少恨めしく思うことはあっても、心から憎悪することはない。
 円卓の判事たちは少し考えている様子だ。おそらく、エレミアスが「自分を恨んでいたラルスがこのようなことを引き起こしたのだ」とでも言ったのだろう。しかし、ラルスがその動機を否定したため、動揺しているのだろう。どちらの言い分を信じるべきか、判事たちの間でも意見が割れるだろう。

「聖女は、夫以外の男に姦淫された場合、その男が受ける罰を知っているか」
「黒翼地帯へ追放される旨を伝えました」
「それを知った上で、聖女はお前を望んだか」
「……はい」

 そう仕向けたのはラルスだ。総主教が前の聖女と懇ろな仲だったことを伝えて、聖女の罪悪感や不安を消そうとした。自分は追放されないはずだ、と嘘をついて。総主教という前例はあっても、絶対ではないことを、意図的に隠したのだ。
 総主教はラルスが身を引けば極刑にならないように便宜を図ると言っていたが、どこまで信じていいものかはわからない。最初から信じるべきではないと知っている。聖職者とはそういうものだ。

「しかし、聖女はお前が罰を受けることを望んでいない。それは知っているか」
「……わかりません」

 聖女の望みはわからない。ラルスの本心だ。聖女が何を考えているのかなど、わかるわけがない。

「聖女に文字を教えたのはお前か」
「いいえ」

 ラルスは不思議に思って正面を見る。聖女に文字を教えたことなどない。教えてはならないという規則だった。ラルスはそれを忠実に守っていた。
 しかし、正面の判事の隣に、書類の山が見える。聖女がまさか文字を書いたとでもいうのだろうか。

「これはお前の罪を軽減してほしいという嘆願書だ。同僚の聖職者たちだけではなく、聖女とその夫からの直筆の嘆願書も含まれている」
「聖女様と、ご夫君の……そんなまさか」
「そのまさか、だ。宮文官としてのお前は、余程優秀だったらしいな」

 褒め言葉なのか、皮肉なのかの判断もできない。聖女の嘆願書の一部でも読み上げてほしいと願ったが、閉会の宣言がなされ、それは叶わなかった。
 部屋に戻されたラルスは、呆然としていた。
 聖女を姦淫しても、それを許す夫がいたということだ。賛同したのが何人なのかはわからないが、聖女が必死に説得したのだろうと想像できる。
 罪が許されたとは思っていない。ただ、気持ちは少し楽になった。聖女の夫たちへの罪悪感が少しだけ軽くなったのだから。

「あなたという人は」

 ラルスは笑う。涙を流しながら笑う。
 これで黒翼地帯へ追放されたとしても、思い残すことはない。そう思いながら、笑うのだ。


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