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三章 ○○ハッピーエンド
030.いつもと違う、再会
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家族全員を幸福に――自分で決めたことだが、ジョゼはこれが難題であることにすぐに気がついた。
何しろ、ロベール伯爵は仕事人間で、母は浪費家、イザベルは少し間が抜けていて、アレクサンドラは姉たちにべったり。家族との時間を大切にするよう父に訴えたり、母の買い物に口出しをしたり、姉妹の面倒を見たり、ジョゼには気が休まる時間がない。
しかし、その日々でさえも、ジョゼは愛しいと感じていた。今までに感じ得なかった充足感だ。
――これを幸せと呼ぶのかもしれないわね。
三人一緒に寝台で眠り、朝を迎えることの幸せを、家族皆でピクニックへ出かけられる幸せを、ジョゼは噛み締めていた。
そんなある夏の――議会と社交期が終わり、ロベール伯爵領で家族が過ごしていた日のこと。
子どもたちだけで別荘から本邸に帰っている途中、ジョゼは立派な馬車が立ち往生していることに気づく。御者に声をかけて、立ち往生している馬車のほうへと伯爵家の馬車を走らせる。買ったばかりの刺繍糸を手にして「どんな柄にしましょうか」と妄想している二姉妹を置いて、外に出る。
「お手伝いいたしましょう」と、泥だらけの御者や使用人らしき人たちに声をかけ、ジョゼも泥濘にはまった馬車を押す。御者は馬車から板を持ってくる。
「ロベール伯爵領では急な雨が多いものですから、馬車に道具を乗せてあるんです」
「きみ、服が汚れるぞ」
「構いません。一人でも人手があったほうがよいでしょう」
ジョゼももう十四。十歳そこそこの妹たちと比べると、立派な戦力になる。
泥と車輪の間に板を敷いたり、石を詰めたりといった処理をして、皆で力を合わせて馬車を押して、ようやく馬車が街道へと戻る。
「あぁ、助かりました。このお礼をなんと申し上げてよいやら」
「スチュアート、名前を聞いて、後日礼の品を届ける段取りをつけておいてくれ」
泥だらけになった少年が、高齢の男性に命令しているのを、ジョゼは目を細めて眺めている。濃い藍色の髪も、青玉のような青藍の瞳も、以前とちっとも変わっていない。
――まさか、こんなところで会えるなんて。不思議なめぐり合わせね。
少年――青の王子サフィールは、大人たちと何事かやり取りをしたあと、ジョゼのほうへとやってくる。
「助けてくれてありがとう。でも、すまない。そのワンピース泥だらけになったな」
「泥は洗えばいいだけのことですもの。お気になさることはございません」
「……あとで、お礼の品を届けるから」
「では、手紙を入れてくださると嬉しいです。このことを思い出にすることができますから」
サフィール少年は「わかった、手紙だな!」と元気よく頷く。その素直さに笑ってしまいそうになるのをこらえながら、ジョゼは伯爵家の代表として、スチュアートと呼ばれた男性のほうへと向かう。
「スチュアートさん、この先の街に我が伯爵家の別荘がございます。先ほどまでわたくしたちが滞在していたため、使用人たちがまだ残っております。そちらで泥を落としていかれてはいかがですか」
「ご配慮、痛みいります。しかし……」
「丁重におもてなしするよう、今すぐ手紙を書きつけますので」
「それはそれは、ありがとうございます」
ジョゼが馬車に戻ると、興味津々といった様子でイザベルとアレクサンドラが馬車と泥だらけの一行を眺めている。「立派な馬車ねぇ」「お馬さんも綺麗な毛並みねぇ」と褒め合っている。
ジョゼが道具箱からインクと便箋などを準備しようとしたときだ。
「手紙はいらない。きみが来てくれないか」
サフィールが、ジョゼの背後からそう声をかけてきた。イザベルとアレクサンドラは、泥だらけの少年を使用人だと思ったらしく、「お姉様はわたしたちと帰るのっ」「お姉様、ダメよ」などといって抗議を始める。
「……妹たちも、そう言っておりますので」
「でも、きみが来てくれたほうが、別荘の使用人たちも気が楽になるんじゃないかな?」
それもそうね、とジョゼは納得する。いきなり王家の人々がやってきたら、別荘の使用人たちは大慌てとなるだろう。主人が不在の中、王族一行をどういうふうにもてなせばいいのかわからないに違いない。そんな中、年長者のジョゼが責任を持つ、と言えばとりあえずは落ち着いて仕事にあたってくれるだろう。
だが、事情を知らない妹たちはサフィールを睨んでブーブーと文句を言っている。
「ははっ、きみたちはお姉さんのことが大好きなんだね。大丈夫だよ、お姉さんは用がすんだら、きちんとそちらに帰してあげるから」
「信用なりませんわっ」
「そうよそうよ」
「どうしたら信用してもらえるかな……あ、そうだ。これをあげよう」
馬車の荷物を見て、サフィールはイザベルとアレクサンドラにあるものを手渡す。両手のひらでその金と銀の平たいものを受け止めて、二人はきゃあきゃあと叫ぶ。
「お姉様! 竜鱗よっ!」
「金と銀の竜鱗をこんなにたくさんっ!」
「きゃー! 前から欲しかったの!」
二人は荷物の中から刺繍糸を取り出して、どの色が似合うか、どんな装飾品を作るか話し始めている。どうやら、姉への興味はなくしてしまったらしい。
「では、スチュアート。御者に手紙を」
「かしこまりました」
既に伯爵宛ての手紙を書いたらしいスチュアートが、伯爵家の御者に手渡す。おそらくは、今回の出来事の詳細と、お礼をしたためてあるのだろう。
伯爵家の馬車が本邸へと向かっていくのを、ジョゼは泥だらけの王家の馬車のそばで見送った。
「では、ロベール伯爵令嬢、案内を頼む」
「かしこまりました」
王家の馬車に乗せてもらうのは久しぶりのことだ。サフィールに触れないように気をつけながら、ジョゼは泥だらけの馬車に乗り込むのだった。
何しろ、ロベール伯爵は仕事人間で、母は浪費家、イザベルは少し間が抜けていて、アレクサンドラは姉たちにべったり。家族との時間を大切にするよう父に訴えたり、母の買い物に口出しをしたり、姉妹の面倒を見たり、ジョゼには気が休まる時間がない。
しかし、その日々でさえも、ジョゼは愛しいと感じていた。今までに感じ得なかった充足感だ。
――これを幸せと呼ぶのかもしれないわね。
三人一緒に寝台で眠り、朝を迎えることの幸せを、家族皆でピクニックへ出かけられる幸せを、ジョゼは噛み締めていた。
そんなある夏の――議会と社交期が終わり、ロベール伯爵領で家族が過ごしていた日のこと。
子どもたちだけで別荘から本邸に帰っている途中、ジョゼは立派な馬車が立ち往生していることに気づく。御者に声をかけて、立ち往生している馬車のほうへと伯爵家の馬車を走らせる。買ったばかりの刺繍糸を手にして「どんな柄にしましょうか」と妄想している二姉妹を置いて、外に出る。
「お手伝いいたしましょう」と、泥だらけの御者や使用人らしき人たちに声をかけ、ジョゼも泥濘にはまった馬車を押す。御者は馬車から板を持ってくる。
「ロベール伯爵領では急な雨が多いものですから、馬車に道具を乗せてあるんです」
「きみ、服が汚れるぞ」
「構いません。一人でも人手があったほうがよいでしょう」
ジョゼももう十四。十歳そこそこの妹たちと比べると、立派な戦力になる。
泥と車輪の間に板を敷いたり、石を詰めたりといった処理をして、皆で力を合わせて馬車を押して、ようやく馬車が街道へと戻る。
「あぁ、助かりました。このお礼をなんと申し上げてよいやら」
「スチュアート、名前を聞いて、後日礼の品を届ける段取りをつけておいてくれ」
泥だらけになった少年が、高齢の男性に命令しているのを、ジョゼは目を細めて眺めている。濃い藍色の髪も、青玉のような青藍の瞳も、以前とちっとも変わっていない。
――まさか、こんなところで会えるなんて。不思議なめぐり合わせね。
少年――青の王子サフィールは、大人たちと何事かやり取りをしたあと、ジョゼのほうへとやってくる。
「助けてくれてありがとう。でも、すまない。そのワンピース泥だらけになったな」
「泥は洗えばいいだけのことですもの。お気になさることはございません」
「……あとで、お礼の品を届けるから」
「では、手紙を入れてくださると嬉しいです。このことを思い出にすることができますから」
サフィール少年は「わかった、手紙だな!」と元気よく頷く。その素直さに笑ってしまいそうになるのをこらえながら、ジョゼは伯爵家の代表として、スチュアートと呼ばれた男性のほうへと向かう。
「スチュアートさん、この先の街に我が伯爵家の別荘がございます。先ほどまでわたくしたちが滞在していたため、使用人たちがまだ残っております。そちらで泥を落としていかれてはいかがですか」
「ご配慮、痛みいります。しかし……」
「丁重におもてなしするよう、今すぐ手紙を書きつけますので」
「それはそれは、ありがとうございます」
ジョゼが馬車に戻ると、興味津々といった様子でイザベルとアレクサンドラが馬車と泥だらけの一行を眺めている。「立派な馬車ねぇ」「お馬さんも綺麗な毛並みねぇ」と褒め合っている。
ジョゼが道具箱からインクと便箋などを準備しようとしたときだ。
「手紙はいらない。きみが来てくれないか」
サフィールが、ジョゼの背後からそう声をかけてきた。イザベルとアレクサンドラは、泥だらけの少年を使用人だと思ったらしく、「お姉様はわたしたちと帰るのっ」「お姉様、ダメよ」などといって抗議を始める。
「……妹たちも、そう言っておりますので」
「でも、きみが来てくれたほうが、別荘の使用人たちも気が楽になるんじゃないかな?」
それもそうね、とジョゼは納得する。いきなり王家の人々がやってきたら、別荘の使用人たちは大慌てとなるだろう。主人が不在の中、王族一行をどういうふうにもてなせばいいのかわからないに違いない。そんな中、年長者のジョゼが責任を持つ、と言えばとりあえずは落ち着いて仕事にあたってくれるだろう。
だが、事情を知らない妹たちはサフィールを睨んでブーブーと文句を言っている。
「ははっ、きみたちはお姉さんのことが大好きなんだね。大丈夫だよ、お姉さんは用がすんだら、きちんとそちらに帰してあげるから」
「信用なりませんわっ」
「そうよそうよ」
「どうしたら信用してもらえるかな……あ、そうだ。これをあげよう」
馬車の荷物を見て、サフィールはイザベルとアレクサンドラにあるものを手渡す。両手のひらでその金と銀の平たいものを受け止めて、二人はきゃあきゃあと叫ぶ。
「お姉様! 竜鱗よっ!」
「金と銀の竜鱗をこんなにたくさんっ!」
「きゃー! 前から欲しかったの!」
二人は荷物の中から刺繍糸を取り出して、どの色が似合うか、どんな装飾品を作るか話し始めている。どうやら、姉への興味はなくしてしまったらしい。
「では、スチュアート。御者に手紙を」
「かしこまりました」
既に伯爵宛ての手紙を書いたらしいスチュアートが、伯爵家の御者に手渡す。おそらくは、今回の出来事の詳細と、お礼をしたためてあるのだろう。
伯爵家の馬車が本邸へと向かっていくのを、ジョゼは泥だらけの王家の馬車のそばで見送った。
「では、ロベール伯爵令嬢、案内を頼む」
「かしこまりました」
王家の馬車に乗せてもらうのは久しぶりのことだ。サフィールに触れないように気をつけながら、ジョゼは泥だらけの馬車に乗り込むのだった。
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