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篠宮小夜の受難(七)

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 里見くんが佐久間先生の後任に相応しい人物か――玉置学園長代理から判断するように言われたけれど、私が里見くんの様子を見ることができるのは、ホームルーム・放課後くらいしかない。
 佐久間先生に授業があるときは必ず見学しているし、佐久間先生の空き時間には他の先生の授業や他の教科の授業の見学をするはずだ。もしくは、教材研究や、指導案の細案を作っているかもしれない。
 結構、里見くんと接触があるようで、ない状況に、私はほっとしている。

『俺は小夜先生のことが好きです。俺が教師になれたら、結婚してください』

 そういえば、礼二にすらされなかったプロポーズを、昨日、里見くんからされたんだった。今さらながら、恥ずかしくなってきた。
 五歳も年下の男の子に口説かれて、それを本気にしているなんて、なんてめでたい女なんだろう――。
 浮き足立って、馬鹿みたい。

 あぁ、でも、里見くんが本気だった場合、私が梓に報告する結果次第では、その可能性の芽を摘み取ってしまうことになるのではないか。
 私が里見くんの気持ちに応えたくないから、「里見宗介は学園には必要ない」と結論づけることだってありえるのに。なんて恐ろしい刃を私に持たせるのだ、梓も里見くんも。

「気乗りしないけど、やれるだけやってみるしかない、か」

 一人の人生を円満なものにするのも、握りつぶしてしまうのも、私の手のひらにかかっているのなら、とことん向き合おう。
 そう思いながら、梓がくれた資料に目を落とすのだった。


◆◇◆◇◆


「君がため 惜しからざりし 命さへ」

 パッと軽い音が響き、あちこちで下の句の札が舞う。二年三年生はもうサマになっているけど、一年生はまだまだだなぁ、とCDが詠み上げる下の句の札を聞く。そして、二回目の下の句を詠み終わったあとに一旦止めて解説。

「君がため、で始まる句は二つ。『長くもがなと 思ひけるかな』と『我が衣手に 雪は降りつつ』ですよ。『きみがためを』と、『きみがためは』と覚えましょう」

 一年生がメモを取るのを待って、CDを再生する。頑張れ、一年生。

 火曜と木曜は百人一首(かるた)部に顔を出す。顧問なのだ。
 百人一首は漫画の影響もあって、かなり人気がある部活動だ。今までは帰宅部だった子たちが、内申点を稼ぐために突然入部することもある。部室には漫画を全巻置いてあるので、それを目当てにやって来る子もいるけれど、最終的には「自分もやってみたい」と思えるようになるのだから、漫画の力はすごい。

 百首がランダムに再生されるCDを三十枚作ったので、普段はそれを流しながら練習する子たちもいれば、百人一首をぜんぶ覚えようと必死でプリントを読んでいる子たちもいる。「決まり字」だけ覚えて、百首ぜんぶを覚える必要はないと割り切っている子のほうが多いけど。もちろん、漫画を読む子もいる。
 基本的には緩い部活動なのだ。今のところ「かるた選手権大会」に出場できるほどの力もない。部長は出場したかったようだけど、予選すら、メンバーが揃わなくて断念したのだ。全国へ、と意気込むレベルですらない。

 しかし、緩くても、部活動は部活動。私がいるときは、できるだけ全員が楽しめるよう、私が句の解説をするようにしている。
 素人の私が詠むよりCDをかけたほうが確実だ。けれど、解説をすることによってどうしても集中力は途切れてしまう。それだと物足りない部長や真面目な部員たちは、私の声を無視してCDを流している日もある。今日は、私の解説を聞いてくれているようだ。

「瀬を早み」

 早い段階で音が鳴る札。一年生でも取れる札「むすめふさほせ」の一首だ。皆早い段階で取れたようだ。
 さて、解説はどうしようかな。

「しの先生、お客さん」

 部室の入口を指差して、部長が嫌そうな顔をする。他の生徒も入口に目を向けて、真面目な子たちもいつも漫画を読んでいる子たちもきゃあきゃあと騒ぎ始める。

「あ、俺は見学したいだけなので、気にしないでください」

 声だけで、誰が来たのかわかる。お客さんこと里見宗介くんは、私の隣にストンと座り、興味深そうにあたりを見回している。

「日誌も書き終えたので、見学してもいいですか?」
「部長、うちのクラスの里見先生です。見学、いいですか?」

 三年生の部長は一瞬考えて、「じゃあ見るだけじゃなくて参加してください」と笑って了承した。
 すると、うちのクラスの内藤さんが「ここなら座れます」と挙手してくれたので、里見くんに彼女の隣に座るよう促す。そこだけ一対一が一対二になる形だ。

「俺は篠宮先生の隣で良かったのに」

 ブツブツ言いながら内藤さんの隣へ歩いていく里見くんは、「畳の縁を踏まないで」と部長から叱られている。大学生が高校生に叱られてしゅんとしているのは、なかなか新鮮な光景だ。
 里見くんが座ったのを確認し、一時停止していたCDを再生する。

「忍れど 色に出でにけり 我が恋は」

 内藤さんと里見くんがタッグを組んだみたいだけれど、対戦相手は副部長。レベルは高い。部長も内藤さんも意地悪だなぁと心の中で笑いつつ、札がぶんぶん舞っている部室の中で縮こまっている里見くんを見る。
 何だか、大きい里見くんが小さく見える。それがとてもおかしくて、笑える。

 結局、真面目な二人が手を抜くはずもなく、彼は札には一度も触れることができなかった。


◆◇◆◇◆


 部活動を途中で切り上げて、私は国語準備室に戻ってきていた。片付けも里見くんの面倒も、信頼できる生徒たちに任せておけば安心だと判断した。
 そんな生徒たちと打ち解けたのか、里見くんは上機嫌で準備室に戻ってきた。

「面白いですね、百人一首!」

 彼の分のコーヒーの準備をしようとしたら、「自分でやります」と、マグカップを持ってくる。あ、へえ、カップを持参してきたの、ね。マイカップってやつね。三週間、居座る気満々なのね。
 慣れた手つきで水を入れてケトルの電源を入れる里見くんを視界の隅に入れ、私はパソコンを睨む。図書関係の校務も私の仕事なので、新刊のチェックと生徒からの要望のチェックもしているのだ。

「 浅茅生(あさぢふ)の」
「……小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき。覚えたんですか?」
「はい。でも、ちょっと違うんですよね、俺の句は」

 ちらりと見ると、部員の誰かからもらったのか、百人一首の解説プリントを手に、里見くんは嬉しそうに笑っている。楽しそうで何よりだと思いながら、パソコンに目を向ける。

「浅茅生の 小野の篠宮 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき」
「ふふ、篠宮、ねぇ」

 参議等の恋を詠んだ歌。恋の歌、だ。
 歌意は――。
 思い出そうとした瞬間に、背後で低い声が聞こえた。

「浅茅生の 俺の篠宮 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき」

 ――あなたが、恋しい。
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