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90話、弟。
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「もったいないでしょ! マドカったら、キャリアの刑事さんから言い寄られたのに断ったのよ!? 信じらんない!」
姉ちゃんは肩をすくめて、パイナップルジュースを飲んだ。さすがに退院したばかりなので、アルコールは控えているようだ。
母さんはビール一杯で酔ったのか、もったいない、もったいない、と呪文のように呟いている。
夕飯は、駅の近くの居酒屋。母さんのリクエストだ。
「フラれた刑事さんの顔、かわいそうだったわよ。何で断っちゃったのよ? キャリアさんなら、不祥事に巻き込まれない限りは安泰じゃない」
「いやー、あの刑事さん、遊んでるよ、絶対。おとなしそうな私を妻にして、愛人作る人だと思う」
姉ちゃん、結構辛辣だな。
俺は姉ちゃんが変な男についていかなくてほっとしているところだ。川口といい、水谷といい、女を見る目のある男は本当に姉ちゃんに近寄らないでほしい。
俺も飲みたい気分でビールが欲しいけど、明日も試験だから、飲まない。
「お金がたくさん入ってくるなら、愛人くらい作ってもいいじゃない!」
「母さんは父さんが愛人作ったら許せる?」
「やだ」
即答かよ。
質問した姉ちゃんは「じゃあ私もやだ」としたり顔でササミチーズ揚げを食べる。母さんは少し考えて、「私もそんな義理の息子ならいらないわ」と枝豆を口の中に放り込む。
姉ちゃんは今普通にしているけど、佐藤先輩のときはどうだったっけ? 何で断ったんだっけ、姉ちゃん?
「水谷さんの第一印象だけが原因? 他にもあるんじゃないの?」
姉ちゃんの目が丸くなり、箸が止まる。俺から不自然に目を逸らす。わかりやすいのが姉ちゃんらしい。
我ながら、意地悪な弟だと思う。わざと俺のことを意識させるなんて、鬼の所業かと思う。
でも、あんな大事なことを忘れてしまった姉ちゃんが悪いのだ。
「あら、マドカに好きな人がいるなんて、初耳ねぇ」
「俺も初耳だなぁ」
「……私も初耳だよ」
ニヤニヤ笑う母さんからの追求を逃れるために、姉ちゃんは無表情で頑張っている。俺は姉ちゃんの援護はしないから、そのまま逃げ切ってくれ。
「会社の方? 早く告白しちゃいなさいよ。母さんも父さんがマドカを連れて大変そうだったとき、さっさと行動したんだから。恋愛において、スピードは大事よ」
「だ、だから、別に好きな人がいるわけじゃ」
アルコールも入っていないのに耳まで真っ赤になっていたら、ダメじゃないか、姉ちゃん。説得力の欠片もない。
「そんなに真っ赤になるくらい好きなら、早く告白してくっついちゃえばいいのに」
「そ、そういえば、母さんはなんて言って父さんを落としたの?」
頑張っている姉ちゃんはかわいい。けど、その話題はダメだ。何十回と聞かされ続けた、最悪の話題だ。
ほら、もう、母さんの目がうっとりとし始めた。あぁ、長くなるぞ、また。
「そりゃ、もちろん、『あなたのことが好きですが、付き合うならマドカちゃんに許可をもらわなければなりません。許可をもらったら、私は母親にならなければなりません』」
「『だから、私はあなたとマドカちゃんの人生を背負う予定で、告白します。結婚を前提にお付き合いしましょう。イエス以外の答えはありません』でしょ。もう飽きたし、覚えちゃったよ、台詞」
母さんは俺に話の腰を折られて、つまらなさそうにぷうと口を膨らませた。子どもっぽい割に、母さんの告白の仕方は、何ていうか、オトコマエだ。嫌いではない。そして、心をつかまれた父さんの気持ちも、よくわかる。
「そうか、もう両親の馴れ初めなんて飽きちゃったか……で、ショウは彼女できたの?」
どうやら「飽きた」が地雷だったらしい。俺のほうに母さんのニヤニヤの矛先が向かう。
けれど、今その質問は、俺と姉ちゃんにとってはあまりよくないものだなぁ。
ただ、できれば、このフラグは回収したい。さて、どう出る、姉ちゃん?
「できたよ、彼女」
姉ちゃんの動きが止まる。赤みが差していた頬も、耳も、さあっと血の気が引くように真っ白になっていく。唇が震え、笑顔が凍る。手が箸を持てなくなって、震えながらやっと箸置きに置かれる。
母さんが身を乗り出して話を聞こうとしてくるけれど、たぶん姉ちゃんの耳には入らないだろう。
あぁ、目が潤んできた。ちょっと、やりすぎた、かな?
「姉ちゃん、具合悪そうだけど、大丈夫?」
「……」
「あら、マドカ、大丈夫? 無理しちゃった? みんな食べ終わったし、今日はもう帰りましょ」
姉ちゃんは俺の顔も見ずに、必死で涙を堪えようとしている。
姉ちゃんが言ったんだよ?
彼氏が欲しい、って。
だから、俺は許可をしたのに。
ぜんぶ忘れるなんて――許さない。
姉ちゃんは肩をすくめて、パイナップルジュースを飲んだ。さすがに退院したばかりなので、アルコールは控えているようだ。
母さんはビール一杯で酔ったのか、もったいない、もったいない、と呪文のように呟いている。
夕飯は、駅の近くの居酒屋。母さんのリクエストだ。
「フラれた刑事さんの顔、かわいそうだったわよ。何で断っちゃったのよ? キャリアさんなら、不祥事に巻き込まれない限りは安泰じゃない」
「いやー、あの刑事さん、遊んでるよ、絶対。おとなしそうな私を妻にして、愛人作る人だと思う」
姉ちゃん、結構辛辣だな。
俺は姉ちゃんが変な男についていかなくてほっとしているところだ。川口といい、水谷といい、女を見る目のある男は本当に姉ちゃんに近寄らないでほしい。
俺も飲みたい気分でビールが欲しいけど、明日も試験だから、飲まない。
「お金がたくさん入ってくるなら、愛人くらい作ってもいいじゃない!」
「母さんは父さんが愛人作ったら許せる?」
「やだ」
即答かよ。
質問した姉ちゃんは「じゃあ私もやだ」としたり顔でササミチーズ揚げを食べる。母さんは少し考えて、「私もそんな義理の息子ならいらないわ」と枝豆を口の中に放り込む。
姉ちゃんは今普通にしているけど、佐藤先輩のときはどうだったっけ? 何で断ったんだっけ、姉ちゃん?
「水谷さんの第一印象だけが原因? 他にもあるんじゃないの?」
姉ちゃんの目が丸くなり、箸が止まる。俺から不自然に目を逸らす。わかりやすいのが姉ちゃんらしい。
我ながら、意地悪な弟だと思う。わざと俺のことを意識させるなんて、鬼の所業かと思う。
でも、あんな大事なことを忘れてしまった姉ちゃんが悪いのだ。
「あら、マドカに好きな人がいるなんて、初耳ねぇ」
「俺も初耳だなぁ」
「……私も初耳だよ」
ニヤニヤ笑う母さんからの追求を逃れるために、姉ちゃんは無表情で頑張っている。俺は姉ちゃんの援護はしないから、そのまま逃げ切ってくれ。
「会社の方? 早く告白しちゃいなさいよ。母さんも父さんがマドカを連れて大変そうだったとき、さっさと行動したんだから。恋愛において、スピードは大事よ」
「だ、だから、別に好きな人がいるわけじゃ」
アルコールも入っていないのに耳まで真っ赤になっていたら、ダメじゃないか、姉ちゃん。説得力の欠片もない。
「そんなに真っ赤になるくらい好きなら、早く告白してくっついちゃえばいいのに」
「そ、そういえば、母さんはなんて言って父さんを落としたの?」
頑張っている姉ちゃんはかわいい。けど、その話題はダメだ。何十回と聞かされ続けた、最悪の話題だ。
ほら、もう、母さんの目がうっとりとし始めた。あぁ、長くなるぞ、また。
「そりゃ、もちろん、『あなたのことが好きですが、付き合うならマドカちゃんに許可をもらわなければなりません。許可をもらったら、私は母親にならなければなりません』」
「『だから、私はあなたとマドカちゃんの人生を背負う予定で、告白します。結婚を前提にお付き合いしましょう。イエス以外の答えはありません』でしょ。もう飽きたし、覚えちゃったよ、台詞」
母さんは俺に話の腰を折られて、つまらなさそうにぷうと口を膨らませた。子どもっぽい割に、母さんの告白の仕方は、何ていうか、オトコマエだ。嫌いではない。そして、心をつかまれた父さんの気持ちも、よくわかる。
「そうか、もう両親の馴れ初めなんて飽きちゃったか……で、ショウは彼女できたの?」
どうやら「飽きた」が地雷だったらしい。俺のほうに母さんのニヤニヤの矛先が向かう。
けれど、今その質問は、俺と姉ちゃんにとってはあまりよくないものだなぁ。
ただ、できれば、このフラグは回収したい。さて、どう出る、姉ちゃん?
「できたよ、彼女」
姉ちゃんの動きが止まる。赤みが差していた頬も、耳も、さあっと血の気が引くように真っ白になっていく。唇が震え、笑顔が凍る。手が箸を持てなくなって、震えながらやっと箸置きに置かれる。
母さんが身を乗り出して話を聞こうとしてくるけれど、たぶん姉ちゃんの耳には入らないだろう。
あぁ、目が潤んできた。ちょっと、やりすぎた、かな?
「姉ちゃん、具合悪そうだけど、大丈夫?」
「……」
「あら、マドカ、大丈夫? 無理しちゃった? みんな食べ終わったし、今日はもう帰りましょ」
姉ちゃんは俺の顔も見ずに、必死で涙を堪えようとしている。
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彼氏が欲しい、って。
だから、俺は許可をしたのに。
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