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第八話 胎児と対話する試み
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半日かけて、書類の全ての解答欄を埋めると、私は机に突っ伏した。
疲れた……
そのまま、ウトウトしかけた頃、ドアのノックが聞こえ、飛び起きる。
「御令嬢、疲れただろう。少し休憩するといい」
扉を開けたアロイス様は給仕用のワゴンを運び入れた。そして私の目の前にティーセットとスノーボールを置くと、カップに紅茶を注ぐ。よく蒸らした茶葉が香り立った。
「あの、ありがとうございます」
食事もそうだが、国が誇る大魔導士の彼に、こんな風に世話をされて、恐縮してしまう。
「かまわない。ただ……本来、来客があった際は低級の精霊を使役して応待するのだが……
あなたを屋敷に招き入れた途端、彼等が皆、出て行ってしまった」
「それって……どういうことですか? 私は精霊に嫌われているのでしょうか?」
「そうではない。ただあなたを、というより、お腹の子に近付くことができないようだ。戸惑った様子で、屋敷の外で遠巻きにしている。恐れて逃げ出すような状況ではないから、まあ、気にすることはない」
アロイス様が机上の紙束を回収し、少し離れた自分の机で、内容をあらためる。
「闇か……」
しばらく黙読していたアロイス様が、呟いた。
やはり、魔力属性のことで何か言われそうだ。
私のプロフィールで、目立つところは、それしかない。あとは、せいぜい語学に通じているところか。
「身体に闇を飼うのは、どんな気分だ?」
「え?」
「いや……少し聞きたかっただけだ。私は他の五つの属性は全て持っているが、闇だけは持っていない。うちの私設所員にも、現役の魔導士団の団員にもいないはずだ」
単なる興味本位での質問のようだ。
「闇の魔力があっても、自分では何も感じません。普段は自分に属性があることすら、忘れてしまうくらいです」
「そうなのか……驚いたな。普通は属性があれば、心のどこかにその力の源泉を感じるものだ。
光があれば、小さな希望が灯り
火があれば、胸を熱くし
水があれば、せせらぎを感じ
風があれば、心が凪ぎ
土があれば、揺るがぬ安定を与えられる……
闇はそうか、何もないのか」
しばらく何事かを考えていたアロイス様が、話を切り出した。
「御令嬢、もし良ければの話だが、私に、お腹の子と直に対話をさせてもらえないだろうか」
「対話!? この子と!? そんなことができるのですか?」
「対話といっても、言葉で話し合うわけではない。私の思っていることを波動で伝えるのだ。もしもその子が応じてくれるようなら、会話が成り立つだろう」
正直、迷った。そんなことをして、この子に何か影響が出ないだろうか。
だけど……この人なら、悪いようにはしないはず。
「分かりました。でも、この子が嫌がったら、すぐに止めてください」
***
私達は研究所側にある交霊室に移動することになった。
屋敷を半分に区切る扉をくぐると、その向こうには私邸とは違う、研究所らしい無機質さが漂う空間があった。
私がアロイス様と一緒に廊下を歩いていると、向かいから歩いてくる所員らしき魔導士の誰も彼もが、ギョッとしたような眼差しを向けてくる。こんな場所に、一般の貴族女性が出入りするのを、怪しまれているのかもしれない。
階段を上って、奥まった部屋に、私は導かれた。
そこには一人掛けソファが二脚置かれ、壁際には色とりどりの蝋燭が沢山あった。その数、百本は下らないだろう。
アロイス様は私に椅子を勧め、黄緑色と薄紫の蝋燭に火を灯すと、手早くカーテンを閉じた。
そして、すぐに私の正面のソファに座って
「ちょっと、失礼」
と、私の両手を取り、軽く握って、目を閉じた。
ひんやりした手のひらと、爪が綺麗な、節くれだっていない長い指に手が包まれて、ドキッとする。
彼が、何がしかの呪文を低い声で静かに唱えると、蝋燭の炎が一際大きくなり、揺れ始めた。
そのままアロイス様は、お腹の子に向かって、何かを念じる。
……私には何も感じられないが、二人の間に会話は、なされているのだろうか。
二十分ほど経ち、アロイス様は私の手を離して立ち上がった。カーテンを開け、二本の蝋燭を吹き消す。
「……どうでしたか?」
少し疲れた様子の彼に、私はおそるおそる尋ねてみた。
「真新しい魂だ」
ふう、と大きく息をついた後、アロイス様は語り始める。
「この子は転生などを一度もしていない、今回、初めてこの世に誕生する魂だ。
まっさらで、前世からの知識や感覚を一切持たない……
間違いなく、邪悪な存在などではない。
ただ、何か、普通の子どもとは違う、強い感情を持っている。
まだ、そら豆ほどの大きさにも満たないのに、感情だけはハッキリしている」
邪な存在ではないと判って安堵したものの、普通ではないとも聞かされ、すぐに不安に襲われる。
それを察したのか、アロイス様が付け加えた。
「だが、今のこの子に、攻撃的なものは感じられない。おそらく自己防衛以外で何かをすることはないだろう。精霊達がこれから母親の世話をすることを伝えても、抵抗はなかった」
「そうでしたか……ありがとうございます」
そうだ。私は母親なんだ。たとえ経緯がどうであれ……
しっかりしなければいけない。
「今日は実験に付き合わせて申し訳なかった。精霊たちに昼食を用意させる。午後からは、ゆっくり休むように」
アロイス様は私を私邸に送り届けると、仕事の為、研究棟に戻っていった。
疲れた……
そのまま、ウトウトしかけた頃、ドアのノックが聞こえ、飛び起きる。
「御令嬢、疲れただろう。少し休憩するといい」
扉を開けたアロイス様は給仕用のワゴンを運び入れた。そして私の目の前にティーセットとスノーボールを置くと、カップに紅茶を注ぐ。よく蒸らした茶葉が香り立った。
「あの、ありがとうございます」
食事もそうだが、国が誇る大魔導士の彼に、こんな風に世話をされて、恐縮してしまう。
「かまわない。ただ……本来、来客があった際は低級の精霊を使役して応待するのだが……
あなたを屋敷に招き入れた途端、彼等が皆、出て行ってしまった」
「それって……どういうことですか? 私は精霊に嫌われているのでしょうか?」
「そうではない。ただあなたを、というより、お腹の子に近付くことができないようだ。戸惑った様子で、屋敷の外で遠巻きにしている。恐れて逃げ出すような状況ではないから、まあ、気にすることはない」
アロイス様が机上の紙束を回収し、少し離れた自分の机で、内容をあらためる。
「闇か……」
しばらく黙読していたアロイス様が、呟いた。
やはり、魔力属性のことで何か言われそうだ。
私のプロフィールで、目立つところは、それしかない。あとは、せいぜい語学に通じているところか。
「身体に闇を飼うのは、どんな気分だ?」
「え?」
「いや……少し聞きたかっただけだ。私は他の五つの属性は全て持っているが、闇だけは持っていない。うちの私設所員にも、現役の魔導士団の団員にもいないはずだ」
単なる興味本位での質問のようだ。
「闇の魔力があっても、自分では何も感じません。普段は自分に属性があることすら、忘れてしまうくらいです」
「そうなのか……驚いたな。普通は属性があれば、心のどこかにその力の源泉を感じるものだ。
光があれば、小さな希望が灯り
火があれば、胸を熱くし
水があれば、せせらぎを感じ
風があれば、心が凪ぎ
土があれば、揺るがぬ安定を与えられる……
闇はそうか、何もないのか」
しばらく何事かを考えていたアロイス様が、話を切り出した。
「御令嬢、もし良ければの話だが、私に、お腹の子と直に対話をさせてもらえないだろうか」
「対話!? この子と!? そんなことができるのですか?」
「対話といっても、言葉で話し合うわけではない。私の思っていることを波動で伝えるのだ。もしもその子が応じてくれるようなら、会話が成り立つだろう」
正直、迷った。そんなことをして、この子に何か影響が出ないだろうか。
だけど……この人なら、悪いようにはしないはず。
「分かりました。でも、この子が嫌がったら、すぐに止めてください」
***
私達は研究所側にある交霊室に移動することになった。
屋敷を半分に区切る扉をくぐると、その向こうには私邸とは違う、研究所らしい無機質さが漂う空間があった。
私がアロイス様と一緒に廊下を歩いていると、向かいから歩いてくる所員らしき魔導士の誰も彼もが、ギョッとしたような眼差しを向けてくる。こんな場所に、一般の貴族女性が出入りするのを、怪しまれているのかもしれない。
階段を上って、奥まった部屋に、私は導かれた。
そこには一人掛けソファが二脚置かれ、壁際には色とりどりの蝋燭が沢山あった。その数、百本は下らないだろう。
アロイス様は私に椅子を勧め、黄緑色と薄紫の蝋燭に火を灯すと、手早くカーテンを閉じた。
そして、すぐに私の正面のソファに座って
「ちょっと、失礼」
と、私の両手を取り、軽く握って、目を閉じた。
ひんやりした手のひらと、爪が綺麗な、節くれだっていない長い指に手が包まれて、ドキッとする。
彼が、何がしかの呪文を低い声で静かに唱えると、蝋燭の炎が一際大きくなり、揺れ始めた。
そのままアロイス様は、お腹の子に向かって、何かを念じる。
……私には何も感じられないが、二人の間に会話は、なされているのだろうか。
二十分ほど経ち、アロイス様は私の手を離して立ち上がった。カーテンを開け、二本の蝋燭を吹き消す。
「……どうでしたか?」
少し疲れた様子の彼に、私はおそるおそる尋ねてみた。
「真新しい魂だ」
ふう、と大きく息をついた後、アロイス様は語り始める。
「この子は転生などを一度もしていない、今回、初めてこの世に誕生する魂だ。
まっさらで、前世からの知識や感覚を一切持たない……
間違いなく、邪悪な存在などではない。
ただ、何か、普通の子どもとは違う、強い感情を持っている。
まだ、そら豆ほどの大きさにも満たないのに、感情だけはハッキリしている」
邪な存在ではないと判って安堵したものの、普通ではないとも聞かされ、すぐに不安に襲われる。
それを察したのか、アロイス様が付け加えた。
「だが、今のこの子に、攻撃的なものは感じられない。おそらく自己防衛以外で何かをすることはないだろう。精霊達がこれから母親の世話をすることを伝えても、抵抗はなかった」
「そうでしたか……ありがとうございます」
そうだ。私は母親なんだ。たとえ経緯がどうであれ……
しっかりしなければいけない。
「今日は実験に付き合わせて申し訳なかった。精霊たちに昼食を用意させる。午後からは、ゆっくり休むように」
アロイス様は私を私邸に送り届けると、仕事の為、研究棟に戻っていった。
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