30 / 60
第三十話 心の傷に縛られて
しおりを挟む
突然稲光が閃き、さほど時を置かず、臓腑を揺さぶるような大きな雷鳴が響き渡った。
……ような気がした。
ううん、たった今まで空は晴れていたはず。馬車の窓から空を食い入るように見詰める。
そこにあるのは、青空だ。
それじゃ、さっきのは何だったの……?
御者側の小窓を開けて、ジョンに尋ねた。
「ねえ、今、雷が落ちなかった?」
「へ? いやいや、こんなに良い天気なのに?
マリーゼ様、寝惚けてらっしゃるんじゃないですか?
セルナ住宅街はまだまだ先ですから、しばらくお休みになると良いですよ」
そんなことを言われても、とても眠れるような気分じゃない。
何だか息苦しい。……ああ、落ち着くのよ、マリーゼ。呼吸を整えて。
座っているうちに、少しずつ気持ちが悪くなってきた。
何だろう、頭がクラクラする。全身が熱くなってきた。熱があるのかもしれない。
横に……横にならなきゃ。
苦しみに耐えながら、緩慢な動作で、何とか座席に上半身を横たえた。
しばらく進むと、急に馬車が動かなくなった。
「おい、おまえ達、どうした!?」
ジョンが声を張り上げているのが聞こえる。
馬達も気が付いたのだろうか。
霊に囲まれて世話をされているフランメル準子爵邸の馬は、皆、普通の馬に比べて霊感が強くなっている。
何がしかの霊障を察知したのだ。
ジョンは道の端に馬車を停め、御者台から降りて馬車のドアを開けた。
「すみません、馬が動かなくなっちまいまして……
ハッ!? マリーゼ様!? 大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。何だか私、この辺りの気と凄く相性が悪いようだわ」
「うーん……ワシでもここは、ちょっと不味いというのは分かります。
しかし……それはあくまで、一般人の場合で。
おそらく、ここにいる者どもよりも、幽体離脱したマリーゼ様の方が遥かに強いと思うんですが……
一体どうなさったんですか?」
「よく分からないわ……
ただ、前世の因縁のせいかも……」
やっとのことで上半身を起こし、窓の外を見た。
あと三十メートルも進んだ先、左側に黒い鉄柵が続いていて、脇に立看板が見える。
_______
グランデ人形館
跡地につき注意
_______
三百年、ここに『いた』という記憶はある。
そして『虐げられた事実がある』という記憶も。
でもそれ以外はほとんど何も思い出せない。
今の私を縛るのは、地縛霊となって暴れていた頃の私じゃない。
その前の……グランデ人形館に住んでいた、生身の人間だった私だ。
血塗れの心で泣き叫んでいた、弱りきった前世の、私の記憶。
だめよ、今はこんなところで倒れている場合じゃない。
人買いに連れて行かれたレンの無事を、少しでも早く確かめに行きたいのに……
生身だから、こんなに弱いのかも。
幽体離脱して、何者にも縛られない自分になれば、この苦痛から解き放たれるだろうか。
狭くなっているように感じる肺に、精一杯息を吸い込んで、止める。
たん、と足を踏み込んで、いつものように、身体を抜け出して、身軽に……
「!!!!!!」
抜け出せない。
この重苦しい身体から、魂を自由に出来ない。
「どうして……!?」
「えっ!? マリーゼ様、どうなさったんですか!?」
焦った表情のジョンのずっと後ろ、人形館の黒い鉄柵に、人影が現れた。
死んでから年月の経った、三体の霊。オーラがドロドロに崩れ、もう生前の形を取ることもできそうにない、古い霊だ。
性別はギリギリ分かる。男が二人に、女が一人。
怖い。動けない。声も出ない。
私の表情に、後ろを振り向いたジョンが叫んだ。
「な、なんだ! お前らは!」
柵越しに、三体の男女が、腕とも触手ともつかない何かを、こちらにのろりと伸ばし始める。
ヒヒーーーーーーーーン!!
馬が恐怖で暴れ出した。
「だ、だめ、ジョン……逃げて、あなたじゃ勝てな……」
私がよろけながら馬車を降りると、霊の腕が先程までとは違う素早い動きで、こちらに向かってきた。
長く伸びた腕が、動けない私の右手首、左手首、右足首、左足首をあっさり捕らえた。
そのまま私は黒い柵までズルズルと引き摺られていく。
ジョンが古霊の腕を解こうと私の右脚に縋りつくが、残った二本の腕が、彼を引き剥がして遠くに放り投げた。
もう駄目……どうしたら……だ、誰か、誰か……
「助けて……!!」
掠れた声で、必死に叫んだ。
「……、…………、…………!」
誰かの声が聞こえた。何を言っているのかは分からない。
外国語? 帝国語? 聖なる書物の一節のような気がする。
それと同時に光を放つ水の粒が弧を描いて振り撒かれる。
水滴は私の手足を拘束する長い腕を払い落とすように落ちると、その表面をジュッと音を立てて焼いた。
ヒイイイイ……イイイイ……イイイイイイ……
急いで手を引っ込めた三体の霊の、叫び声がこだまする。
誰かがこちらに足早に駆け寄った。倒れた私を抱き起こしたその人が、息を飲んだのが伝わる。
「まさか、あんたか……?」
ゆっくり瞬きをして見つめたその先にいたのは、黒い神父服を纏い、肩から白いストラを掛けたエクソシスト。
アール・スレイター、その人だった。
……ような気がした。
ううん、たった今まで空は晴れていたはず。馬車の窓から空を食い入るように見詰める。
そこにあるのは、青空だ。
それじゃ、さっきのは何だったの……?
御者側の小窓を開けて、ジョンに尋ねた。
「ねえ、今、雷が落ちなかった?」
「へ? いやいや、こんなに良い天気なのに?
マリーゼ様、寝惚けてらっしゃるんじゃないですか?
セルナ住宅街はまだまだ先ですから、しばらくお休みになると良いですよ」
そんなことを言われても、とても眠れるような気分じゃない。
何だか息苦しい。……ああ、落ち着くのよ、マリーゼ。呼吸を整えて。
座っているうちに、少しずつ気持ちが悪くなってきた。
何だろう、頭がクラクラする。全身が熱くなってきた。熱があるのかもしれない。
横に……横にならなきゃ。
苦しみに耐えながら、緩慢な動作で、何とか座席に上半身を横たえた。
しばらく進むと、急に馬車が動かなくなった。
「おい、おまえ達、どうした!?」
ジョンが声を張り上げているのが聞こえる。
馬達も気が付いたのだろうか。
霊に囲まれて世話をされているフランメル準子爵邸の馬は、皆、普通の馬に比べて霊感が強くなっている。
何がしかの霊障を察知したのだ。
ジョンは道の端に馬車を停め、御者台から降りて馬車のドアを開けた。
「すみません、馬が動かなくなっちまいまして……
ハッ!? マリーゼ様!? 大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。何だか私、この辺りの気と凄く相性が悪いようだわ」
「うーん……ワシでもここは、ちょっと不味いというのは分かります。
しかし……それはあくまで、一般人の場合で。
おそらく、ここにいる者どもよりも、幽体離脱したマリーゼ様の方が遥かに強いと思うんですが……
一体どうなさったんですか?」
「よく分からないわ……
ただ、前世の因縁のせいかも……」
やっとのことで上半身を起こし、窓の外を見た。
あと三十メートルも進んだ先、左側に黒い鉄柵が続いていて、脇に立看板が見える。
_______
グランデ人形館
跡地につき注意
_______
三百年、ここに『いた』という記憶はある。
そして『虐げられた事実がある』という記憶も。
でもそれ以外はほとんど何も思い出せない。
今の私を縛るのは、地縛霊となって暴れていた頃の私じゃない。
その前の……グランデ人形館に住んでいた、生身の人間だった私だ。
血塗れの心で泣き叫んでいた、弱りきった前世の、私の記憶。
だめよ、今はこんなところで倒れている場合じゃない。
人買いに連れて行かれたレンの無事を、少しでも早く確かめに行きたいのに……
生身だから、こんなに弱いのかも。
幽体離脱して、何者にも縛られない自分になれば、この苦痛から解き放たれるだろうか。
狭くなっているように感じる肺に、精一杯息を吸い込んで、止める。
たん、と足を踏み込んで、いつものように、身体を抜け出して、身軽に……
「!!!!!!」
抜け出せない。
この重苦しい身体から、魂を自由に出来ない。
「どうして……!?」
「えっ!? マリーゼ様、どうなさったんですか!?」
焦った表情のジョンのずっと後ろ、人形館の黒い鉄柵に、人影が現れた。
死んでから年月の経った、三体の霊。オーラがドロドロに崩れ、もう生前の形を取ることもできそうにない、古い霊だ。
性別はギリギリ分かる。男が二人に、女が一人。
怖い。動けない。声も出ない。
私の表情に、後ろを振り向いたジョンが叫んだ。
「な、なんだ! お前らは!」
柵越しに、三体の男女が、腕とも触手ともつかない何かを、こちらにのろりと伸ばし始める。
ヒヒーーーーーーーーン!!
馬が恐怖で暴れ出した。
「だ、だめ、ジョン……逃げて、あなたじゃ勝てな……」
私がよろけながら馬車を降りると、霊の腕が先程までとは違う素早い動きで、こちらに向かってきた。
長く伸びた腕が、動けない私の右手首、左手首、右足首、左足首をあっさり捕らえた。
そのまま私は黒い柵までズルズルと引き摺られていく。
ジョンが古霊の腕を解こうと私の右脚に縋りつくが、残った二本の腕が、彼を引き剥がして遠くに放り投げた。
もう駄目……どうしたら……だ、誰か、誰か……
「助けて……!!」
掠れた声で、必死に叫んだ。
「……、…………、…………!」
誰かの声が聞こえた。何を言っているのかは分からない。
外国語? 帝国語? 聖なる書物の一節のような気がする。
それと同時に光を放つ水の粒が弧を描いて振り撒かれる。
水滴は私の手足を拘束する長い腕を払い落とすように落ちると、その表面をジュッと音を立てて焼いた。
ヒイイイイ……イイイイ……イイイイイイ……
急いで手を引っ込めた三体の霊の、叫び声がこだまする。
誰かがこちらに足早に駆け寄った。倒れた私を抱き起こしたその人が、息を飲んだのが伝わる。
「まさか、あんたか……?」
ゆっくり瞬きをして見つめたその先にいたのは、黒い神父服を纏い、肩から白いストラを掛けたエクソシスト。
アール・スレイター、その人だった。
2
お気に入りに追加
128
あなたにおすすめの小説
元王太子妃候補、現王宮の番犬(仮)
モンドール
恋愛
伯爵令嬢ルイーザは、幼い頃から王太子妃を目指し血の滲む努力をしてきた。勉学に励み、作法を学び、社交での人脈も作った。しかし、肝心の王太子の心は射止められず。
そんな中、何者かの手によって大型犬に姿を変えられてしまったルイーザは、暫く王宮で飼われる番犬の振りをすることになり──!?
「わん!」(なんでよ!)
(『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)
いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない
金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ!
小説家になろうにも書いてます。
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。
婚約白紙?上等です!ローゼリアはみんなが思うほど弱くない!
志波 連
恋愛
伯爵令嬢として生まれたローゼリア・ワンドは婚約者であり同じ家で暮らしてきたひとつ年上のアランと隣国から留学してきた王女が恋をしていることを知る。信じ切っていたアランとの未来に決別したローゼリアは、友人たちの支えによって、自分の道をみつけて自立していくのだった。
親たちが子供のためを思い敷いた人生のレールは、子供の自由を奪い苦しめてしまうこともあります。自分を見つめ直し、悩み傷つきながらも自らの手で人生を切り開いていく少女の成長物語です。
本作は小説家になろう及びツギクルにも投稿しています。
妹に全てを奪われるなら、私は全てを捨てて家出します
ねこいかいち
恋愛
子爵令嬢のティファニアは、婚約者のアーデルとの結婚を間近に控えていた。全ては順調にいく。そう思っていたティファニアの前に、ティファニアのものは何でも欲しがる妹のフィーリアがまたしても欲しがり癖を出す。「アーデル様を、私にくださいな」そうにこやかに告げるフィーリア。フィーリアに甘い両親も、それを了承してしまう。唯一信頼していたアーデルも、婚約破棄に同意してしまった。私の人生を何だと思っているの? そう思ったティファニアは、家出を決意する。従者も連れず、祖父母の元に行くことを決意するティファニア。もう、奪われるならば私は全てを捨てます。帰ってこいと言われても、妹がいる家になんて帰りません。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる