上 下
5 / 60

第五話 橋の上で起きたこと

しおりを挟む
ジョン……!?
なんでこの人が死んでいるの!?

ジョンは六十歳を超えた、痩せた小男だ。大人しい性格で、私にも嫌がらせなどはしてこなかった。
わざわざ関わってくることも、なかったけれど。

「ジョン、顔を上げて。何があったのか、理由を話して」

突っ伏していた彼は、恐る恐る頭をもたげ、こちらを見つめると、再び視線を落として話し始めた。

「ワシは……ワシは……あの女…シェアリアに、ハンター先生を吊り橋の上から落とすように命令されて……」

聞いた瞬間、燃えたぎるような強い怒りが全身を突き抜けた。だが、顔に出すギリギリのところで踏み止まって、その先を聞く。

「あなた、先生を突き落としたの!?」

「いえ……あの日、外は風が吹き荒れていて、吊り橋はひどく揺れてました。
ワシは先生の後に付いていったんですが、突き落とすような余裕なんて……
それに実際に人を殺すなんて、やはり恐ろしくて、できなくて。
そのうち足を滑らせてしまったところを、先生に助けられたんです。
でも、ワシを引っ張り上げた先生は、バランスを崩して、そのまま川に……」

……やっぱりハンター先生は、もう……
言葉が出てこない。だけど、両頬を雫が伝うのを感じる。
こんな、魂だけの姿になっても、涙は流せるんだ……

私は大きく息を吸うと、腕を組んでジョンを睨みつけた。

「そんな話を信じるとでも思って?」

「ひーー! お許しくだせえ!」

ジョンは泣きながら、床に額を付け、頭を抱え込む。

「……信じるわ」

「え?」

「あなたの魂には、大きなねじれがない。だから信じる」

目の前の初老の男は、頭を抱えていた手を下ろすと、顔を上げた。

「あ、ありがとうごぜえやす!」

私は相手の魂を見ることで、嘘をついているかどうか、見分けることができた。

嘘をついたことのない人間などいないから、細かいよじれは誰の魂にもある。
でも大きな嘘をついている者には、魂に大きなねじれがあるものだ。

それは三百年という時を、死者のままで存在した際、身に着けた能力だった。
魂を直に見ることができるからこそ、得られた力。
もっと早くこの力が戻っていたらと思うが、今更言っても詮無き事だ。

それに嘘をついてないのなら、もっとこの男から話を聞き出したかった。

「それで、どうしてあなたは、今、そんな状態なの……?」

「そのまま屋敷に戻った後、あの女に呼び出されて、後ろから、首に針のようなものを刺されたんです」

なんて人なの……
他人なんて、利用したら、躊躇なく処分できるのね。

私は気を取り直し、話を続ける。

「なぜ、あなたはシェアリアの命令に従ったの?」

「ワ……ワシは、隣国で前科があります。せ……窃盗の……
当時は飢饉で、食べる物にも事欠いていたんです。本当に、魔が差したとしか……」

隣国では、一度刑務所に収監されると、左足の裏に入れ墨を入れられる。刑期を終え、普段の生活に戻る際には目立たないが、前科の有無を確かめねばならないような状況になれば、誤魔化しがきかない。

「ある時、あの女から『庭園の噴水に落としたネックレスを拾え』と言われ……その時に前科がバレてしまって。
この国で、入れ墨のことはあまり知られていないのに、あの女は知ってました。

ワシは隣国に残っている孫に仕送りをしているんです。たった一人の身内なんです。
ここは給料が安いせいで人手不足だから、多少身元がハッキリしない者でも雇ってもらえましたが……
クビになったら、もう働く場所など見つからねえんです。
だから……

だけど、こんなことになるなんて!
ああ……孫は、あの子は、この先どうなってしまうのか……
先生にも本当に申し訳ないことを……」



『この先どうなるのか』それは他人事ではない。

この後、ハリーとシェアリアは、貴族院で裁かれ、スレア伯爵家は取り潰しになるだろう。
しかしハリーはともかく、シェアリアはすでに逃げてしまっている。
一連の事件の首謀者なのに、この国を出てしまえば、罪にさえ問われないのだ。
しかも彼女は狡猾だ。逃げ仰せてしまう可能性も高い。

私は実家に戻ることになるが……
普通の離婚とは違い、こんなスキャンダルになれば、平民になっても静かに暮らすのは難しくなるだろう。修道院一択になるのだろうか。

……無理だ。
こんな気持ちを抱えたままで、修道女として、清く正しく余生を過ごすなんて、無理。

どうしても先生の仇を討ちたい。
逃げ得なんて、許さない。

私はさらに決意を固めた。
絶対にシェアリアに罪を償わせる。



目の前では、ジョンがずっと嗚咽を上げていた。
こんなに思い残しがあったのでは、この男は死後の国には行けないだろう。
このまま、ここで地縛霊になる。
かつての私のように……

私は土下座したままのジョンに、話し掛けた。

「ジョン……私は『人を殺せ』と言われて頷いたあなたを、ただ許すことはしないわ。罪滅ぼしをするつもりがあるなら、今後は私を手伝って欲しい。シェアリアを捕まえて、罰を与えるのよ」

「は、はい。お願いします、ワシもあの女だけは許せません」

「それじゃあ、まずはハリーをどうにかしましょう」

気絶した夫が突っ込んで下敷きになったテーブルや椅子に向かって、軽く念を飛ばす。
みるみる家具が宙に浮かび上がり、そのまま意識のないハリーを引っ張り出した。
三百年も怒りを溜め込んでいたら、この程度のポルターガイスト現象はお手の物だが、ジョンは真っ青だ。

「お、お、奥様、随分とお強いことで……」

「まあ、いろいろあってね」

地下室を見回し、ロープか何か、夫を縛り上げるものを探していると、男の引き攣った声がした。

「ヒッ……」

ハリーだ。目を覚ましてしまったらしく、真っ青な顔で上半身をもたげ、こちらを見詰めている。

「ば……ば……化け物!!」

彼はすぐさま起き上がり、脱兎のごとく駆け出して、情けない悲鳴を上げながら地下室の階段を上って行く。しばらくすると、外から馬を駆る足音が、遠く聞こえた。
ハリーのものだろう。

私は急いで後を追おうかと思ったが、やめた。
明日、貴族院の騎士がハリーを連行しに来た際、本人がいなければ、彼はお尋ね者扱いになる。その方がむしろ都合がいい。



それより、問題は……

「ジョン、シェアリアは何時頃逃げたの?」

「も、もう一時間以上は前ですかね。
屋敷が騒ぎになった直後に手早く荷物をまとめて、使用人の男のような格好に着替えて、伯爵家で飼っている乗馬用の馬に乗って、裏口から出て行きました。門番は吹き矢か何かで眠らされてましたよ。
何もかも手慣れていて、驚いたなんてもんじゃ……」

「どっちに逃げたか分かる?」

「いや……そうですねえ……おそらく北に向かったんじゃねえですかね。
吊り橋は馬じゃ通れませんから、追手もそこで馬を降りなきゃならねえですし」

「……!」

ハンター先生が落ちた、吊り橋……

「分かったわ、ジョン。私、今すぐ橋まで行くわ!」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

元王太子妃候補、現王宮の番犬(仮)

モンドール
恋愛
伯爵令嬢ルイーザは、幼い頃から王太子妃を目指し血の滲む努力をしてきた。勉学に励み、作法を学び、社交での人脈も作った。しかし、肝心の王太子の心は射止められず。 そんな中、何者かの手によって大型犬に姿を変えられてしまったルイーザは、暫く王宮で飼われる番犬の振りをすることになり──!? 「わん!」(なんでよ!) (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない

金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ! 小説家になろうにも書いてます。

公爵家の家族ができました。〜記憶を失くした少女は新たな場所で幸せに過ごす〜

ファンタジー
記憶を失くしたフィーは、怪我をして国境沿いの森で倒れていたところをウィスタリア公爵に助けてもらい保護される。 けれど、公爵家の次女フィーリアの大切なワンピースを意図せず着てしまい、双子のアルヴァートとリティシアを傷付けてしまう。 ウィスタリア公爵夫妻には五人の子どもがいたが、次女のフィーリアは病気で亡くなってしまっていたのだ。 大切なワンピースを着てしまったこと、フィーリアの愛称フィーと公爵夫妻から呼ばれたことなどから双子との確執ができてしまった。 子どもたちに受け入れられないまま王都にある本邸へと戻ることになってしまったフィーに、そのこじれた関係のせいでとある出来事が起きてしまう。 素性もわからないフィーに優しくしてくれるウィスタリア公爵夫妻と、心を開き始めた子どもたちにどこか後ろめたい気持ちを抱いてしまう。 それは夢の中で見た、フィーと同じ輝くような金色の髪をした男の子のことが気になっていたからだった。 夢の中で見た、金色の花びらが舞う花畑。 ペンダントの金に彫刻された花と水色の魔石。 自分のことをフィーと呼んだ、夢の中の男の子。 フィーにとって、それらは記憶を取り戻す唯一の手がかりだった。 夢で会った、金色の髪をした男の子との関係。 新たに出会う、友人たち。 再会した、大切な人。 そして成長するにつれ周りで起き始めた不可解なこと。 フィーはどのように公爵家で過ごしていくのか。 ★記憶を失くした代わりに前世を思い出した、ちょっとだけ感情豊かな少女が新たな家族の優しさに触れ、信頼できる友人に出会い、助け合い、そして忘れていた大切なものを取り戻そうとするお話です。 ※前世の記憶がありますが、転生のお話ではありません。 ※一話あたり二千文字前後となります。

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

婚約白紙?上等です!ローゼリアはみんなが思うほど弱くない!

志波 連
恋愛
伯爵令嬢として生まれたローゼリア・ワンドは婚約者であり同じ家で暮らしてきたひとつ年上のアランと隣国から留学してきた王女が恋をしていることを知る。信じ切っていたアランとの未来に決別したローゼリアは、友人たちの支えによって、自分の道をみつけて自立していくのだった。 親たちが子供のためを思い敷いた人生のレールは、子供の自由を奪い苦しめてしまうこともあります。自分を見つめ直し、悩み傷つきながらも自らの手で人生を切り開いていく少女の成長物語です。 本作は小説家になろう及びツギクルにも投稿しています。

処理中です...