歌声は恋を隠せない

三島 至

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レユシット邸②

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 オーキッドは手紙に、肝心なことは何も書いていなかった。
 グラジオラスとリナリアの血縁関係は、証明されたわけではなかったからだ。

 そのため、オーキッド以外の屋敷の人間には、結婚相手を連れてくるものだと誤解されていた。





 部屋には男女が一人ずつ、向かい合って椅子に掛けている。
 グラジオラスと、妹のビオラだ。
 グラジオラスはビオラに、オーキッドの結婚相手について言い出せなかった。
 むしろ、箝口令を敷いていた。
 ビオラはもう幼い子供ではない。立派な大人の女性である。いくら兄を慕っているとはいえ、取り乱すことはないだろう。
 だが、絶対に反対するだろうとも思ったので、オーキッドのためを思い、ビオラには悪いと思ったが、黙っていたのだ。
 そして当日である。
 ビオラは泣いていた。

(まさか泣くほど嫌だったとは……)

 これからオーキッドが帰って来る旨を伝えると、最初は喜びを顕にしたビオラだが、理由を知ってからは、この状態である。
 予想外の反応に、グラジオラスは内心取り乱す。
 ビオラはただ静かに涙を流すだけで、二人とも無言だ。
 なんとも気まずい空気が流れ、グラジオラスは罪悪感で心が痛んだ。
 妹を泣かせたことなど、殆ど記憶にない。
 ビオラは一見落ち着いているので、宥めるのとは違うが、慰め方も分からず、狼狽えるばかりだ。






 事実を受け止め涙している、かのように見えたビオラは、心のなかは大いに荒れていた。

(ジオ兄様の馬鹿! どうして反対してくださらなかったの? それに、聞いたその日に婚約者が来るなんて、酷いわ……! 私はどんな顔をして、その方に会えばいいのよ……!!)

 ビオラにとって、オーキッドの結婚は、到底受け入れられるものではない。
 かつて彼が商人になって家を出た時も、最後まで反対していたのだ。
 今でも、引き止められなかったことを後悔している。

(キッド兄様が結婚なんて……)

 ビオラはグラジオラスを見据え、恨めしげな声を出した。

「……ジオ兄様は、いいですよね。キッド兄様と仲良しですもの。いつまでも親友でいられますものね。でも、私は一緒にはいられないんですよ。どうして遠ざけるようなことをなさるのですか」






 妹の言葉を受け止め、グラジオラスは歯痒く思う。どうして思う通りにならないのだろう。

「それは、ビオラがよく分かっているんじゃないか」

「……ジオ兄様は、私の味方だと思ってました……裏切られたような気持ちになってしまいます。こんなの、あんまりです」

「ビオラだって、いつかは嫁ぐだろう?」

「私は……!」

 グラジオラスも、昔はあらぬ期待をしてしまったものだ。
 しかし、物事は思い通りに運ばない。
 オーキッドは自ら幸せを掴んでしまったのだから。

 ビオラが続けようとした言葉は、重厚な扉をノックする音に遮られた。






 オーキッドとリナリアは、グラジオラスの自室の前までたどり着く。
 緊張した様子のリナリアに、「心配しないで」と安心させるように笑い、入室の許可を取るため、扉を叩いた。
 部屋の中が、自分の話題で重い空気になっているとは露知らず。

 誰何されたので、「オーキッドです」と言うと、扉が勢いよく開いた。
 驚いて数度瞬きしている間に、グラジオラスが小声で囁く。

「いいところに来た。助けてくれ」

 一体何だ? と部屋を覗くと、久しぶりに見る妹が、泣いたと分かる瞳でオーキッドを見つめていた。

(ビオラ……)

 思うことは沢山あったが、誤魔化すように、「何があったの、兄さん」とグラジオラスに視線を戻す。

「お前だ、オーキッド。突然紹介したい女性がいると言うから、こちらは大騒ぎなんだ」

 疲れた様子の口調に、はて、何故にそんな騒動になるのだ、と疑問を抱いたが、グラジオラスの次の言葉で状況を理解した。

「オーキッド、よく帰ってきた。それで、結婚相手は?」

 どうやらとんでもない誤解が生まれているようである。






 オーキッドが事情を説明しようとする前に、会話を聞いていたリナリアが、自ら前に出た。
 勿論、誤解を解こうと思ってのことだが、喋れないのに具体的にどうするかは考えていなかった。
 咄嗟に動いてしまったのである。
 しかし、ビオラからはさらなる誤解を受けることになった。

「な、な……キッド兄様! いくらジオ兄様が大好きだからって、よく似た女性を選ぶなんて……!! それならいっそ、ジオ兄様と結ばれてくれたほうが……!!」






「いや待って何の話!?」

 的外れなことを言う妹に、オーキッドは即座に言い返す。
 リナリアの姿を初めて目にしたグラジオラスとビオラは、それぞれ驚きで身を固くしていた。
 グラジオラスは一瞬で様々な事を考えたが、ビオラの頓珍漢な悲鳴に全て消しとんでしまう。

「取りあえずね、俺が紹介したいのは結婚相手じゃないから!」

 オーキッドが否定したことで、ビオラは幾分か落ち着きを取り戻した。
 まだ疑っているようだが、少し期待したように、「では、その人は……?」と疑問を口にする。

「隣街に住む、リナリアさん。街では有名な、教会の歌姫なんだよ」

 大層な紹介の仕方に、リナリアは若干慌てながらも、お辞儀をして挨拶を済ませる。

 リナリアの一挙一動を、グラジオラスはつぶさに見ていた。



  
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