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(子供たちのお話)番外編・神様の国へはまだ行けない
いつか会える人
しおりを挟む草木の庭で歌うカトレアを見た時、グラジオラスは昔に戻っていた。
カトレアの、ふっくらとした血色の良い肌も、上等な衣服も、驚いた表情も、何もかも、あの時とは違うのに、ぴたりと重なって見えて、目が離せないのだ。周りの景色すら白く霞んで、何も頭に入ってこない。
呼びかけに振り返った姿は、あの日、夜会の庭で出会った小さなアザレアと、生き写しだったから。
いつの間に、こんなに似てきたのだろう。毎日過ごしている中では気付かなかった。
出会った頃のアザレアより、今のカトレアは幼い。だが、昔のアザレアは酷く痩せていたから、健康に育ったカトレアと、ちょうど今、重なって見えたのかもしれない。
無感情の瞳では無い。
頬も、叩かれてはいないし、赤く腫れてもいない。
歳の割にやせ過ぎでも無い。
格好も薄汚れてはいない。
だけど確かに彼女の血を引いた子供だ。
リナリアに初めて会った時、せめてアザレアに似てくれれば、と思った事もあった。そうすれば、またアザレアに会えたのに、と。
だけどすぐに気にならなくなった。
リナリアとアザレアは、歌で繋がっていたから。歌を通して、夢を通じて、愛しい人に会う事が出来たから。
子供たちがどんな外見でも良かった。
アザレアの、リナリアの子供というだけで、何よりも愛しかった。
でも、アザレアと瓜二つの少女を見て、泣きたいほど愛おしく思うのは、理屈ではどうしようも無いのだ。
アザレアも最期は幸せだった。不幸に染まったバントアンバーの娘はもう居ない。そしてカトレアも、暴力に怯える辛い幼少期を過ごしたり、若くして命を落としたりする事も無い。
何より今は、家族が側で支えてやれる。
これからの成長を見届けられる事が、カトレアが生きてここにいてくれる事が、何物にも代えがたいグラジオラスの幸福だった。
※
込み上げる万感の思いに、打ち震えている祖父の傍ら、幼い兄妹の相談は続いた。
「……サイネはしっているの?」
カトレアは沈んだ声で尋ねる。サイネリアは、何の事? というように、首を捻った。
「わたし、もらわれっこなんだって。……本当は、うちの子じゃないのよ」
「えっ」
先の会話で言いかけていた事からも、彼女の告白は意外では無かった。だがサイネリアは思わず声を上げてしまう。
陰で酷い悪口を言う奴らがいるから煩わしい、というだけの話かと思えば、彼女は自分の出自を疑うほど、深刻に思いつめているらしい。
サイネリアは返す言葉を真摯に探す。
後ろで兄妹の語り合いを見守っていたグラジオラスも、これにはさすがに口を出した。
「……誰だ、“うちの子”にそんな根も葉もない話を吹き込んだのは」
低く地の底から響くような祖父の声に、元々苦手意識を持っていたサイネリアは、ぴゃっ、と縮み上がった。
カトレアも、目の前で怒った祖父など見た事が無かったので、急に放たれた怒気に目を丸くした。自分が怒鳴られたみたいに、ぶるぶると震えて萎縮してしまう。そして耐えられないとばかりに、サイネリアの背中に隠れるようにして抱きついた。
怒りを露わにする祖父を前に、二人で仲良く抱き合って怯える孫たちである。
「誰に何を言われたかは知らないが」
肺の息を全部吐き出し、グラジオラスはどこかの無作法者への怒りを落ち着かせる。
孫たちの側にしゃがみこむと、先ほどとは打って変わって甘い声で、カトレアに言い聞かせ始めた。
「カトレア。誰かに似ている必要なんて無いんだよ。君は、他の誰かでは無い。たった一人のカトレアなのだから」
アザレアと容姿が似ていようとも、二人は別の人間なのだ。
グラジオラスの喜びと、カトレア自身の価値を認める事は、全く別の問題である。
「歌だって、好きならそれで良い。リナリアと同じように歌えなくても良い。私はカトレアの歌を、愛しく思う」
カトレアはまだ多少、おどおどとしていたが、震えを引っ込めて、祖父の話に聴き入った。
「悲観するな、人生は長い。私はこの歳まで、何度も大切なものに出会えた。カトレアは私よりもずっと若いのだから、もっとたくさんの出会いがある。好きな事、好きな人、楽しい事、嬉しい事、何でも見付けなさい。そして出来れば、その手助けを私にさせてほしい。私に言いづらければ、サイネでも良い。両親でも、オーキッドでも、ビオラでも良い……それに、」
一度言葉を切ったグラジオラスは、まだ少し赤くなっているカトレアの瞳を、眩しそうに見つめた。
「……それに、カトレア。誰かに似ている必要は無いとは言ったが……そもそも、君の心配事は杞憂というものだ。カトレアは、アザレアによく似ている。出会った頃の彼女と、生き写しだ」
「アザレア……?」さっきも耳にした名前だと、サイネリアが聞き返す。グラジオラスは、「名前までは聞いた事が無かったか? リナリアの母親……サイネやカトレアの、祖母にあたる」と言って頷いた。
「そして、出会ってから今までもずっと、アザレアは私の大切な人だ」
どこまでも優しいグラジオラスの声音に、少し息を止めたカトレアは、祖父の言葉の意味をよく考えた。
「生き写しってなに?」「そっくりという事だよ」といった会話ののち、カトレアはグラジオラスの言いたい事を理解する。そうすると、色んな疑問がわいてきた。
「『お母さんのお母さんは、神様の国にいる』って、前に聞いたの。わたし、アザレアおばあさまとそっくりなの? でも、神様の国って、遠いところなんでしょう? じゃあ、会えないの?」
神様の国。
それは、死んだ人が行く所だと、カトレアは絵本で読んだ。
死ぬとは、どういう事だろうと、尋ねた覚えがある。
永い眠りにつく事。
生きているうちは、もう会えないという事。
親しい人を亡くした事が無いカトレアには、まだよく分からなかった。
「待ち合わせをしているんだ」
グラジオラスは、まだ、その場所へは行けない。
「アザレアは、先に神様の国へ行って、私を待っている。私もいつか彼女に会いに行くから、そうしたら、ずっと一緒だ」
サイネリアとカトレアは、真剣な眼差しで、祖父の話に耳を傾けている。
「……カトレアたちが、アザレアに会えるのは、もっと、もっと先になるかな。大人になって、さらに長い時間を過ごして、ああ楽しかったな、と最期の眠りにつく頃まで」
話の締めくくりに、グラジオラスは、二人の頭を順番に撫でた。
カトレアがまた、泣き出す直前みたいな顔をする。グラジオラスが心配に慌てる間も無く、カトレアは正面から突進し、重い打撃を祖父の腹に食らわせた。
もちろん彼女に悪気は無い。
ついで、背中にも重みがぶつかる。サイネリアも祖父の背中に勢いよくしがみついていた。
グラジオラスが二人分の痛みに呻きそうになっていると、カトレアが、「だめ!」と叫んだ。
「神様の国は、遠いんだから。おじいさまは、まだ行っちゃだめ。わたしも会いに行けるようになるまで、行っちゃだめだからね」
背中でサイネリアも、うんうん、と無言で頷いている。
「…………」
今日はよく笑う日だった。
「……ふ、」
腹と背中が少し痛かったが、どうという事も無い。
「はははっ、そうか、ふふ」
さすがに、そこまで長生きは出来ないなあ……
そう思ったけれど、カトレアの言葉が嬉しかったので、グラジオラスは言わなかった。
そして、久しぶりに腹から笑い声を上げて、可愛い孫たちを、心ゆくまで撫でまわしたのだった。
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