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(子供たちのお話)番外編・神様の国へはまだ行けない
サイネリア・レユシット
しおりを挟むサイネリアは、母親に抱き締められて、頬擦りされながら、カトレアの様子を冷静に観察していた。
カトレアは無抵抗で、父親の腕に囲われている。
ーー最近、カトレアの態度がおかしい。
今日だってそうだ。
少し前のカトレアならば、母が手招けば、喜んで懐に飛び込んでいただろう。
近くにサイネリアがいなければ、「おかあさん、サイネはどこ? サイネもよんで!」と、自分から率先して、母の腕の中を、兄と分け合ってくれたはずである。
サイネ、サイネ、と言って、兄に付いて回っていた、幼い妹。
サイネリアとカトレアは、歳が殆ど変わらないのもあって、兄と妹というより、友達同士に近い関係だった。ともあれ、仲が良い事には変わり無い。
そんな仲の良い妹が、最近ちょっと、意地悪なのだ。
大人ぶりたくなったのだろうか。家族と触れ合うサイネリアに向かって、「子供っぽい」だとか、「赤ちゃんみたい」だとか、馬鹿にするような事を言う。
見るからに、自分も甘えたいだろうに、「それはいけない事だ」とでもいうように耐えている。服を固く握りしめて、裾がしわくちゃになるまで我慢している彼女は、どう見ても辛そうだ。
そんなカトレアを見ていると、サイネリアは、意地悪を言われても少しも苛つかないどころか、かえって心配になってしまう。
カトレアの行動は、サイネリアを苛めたい訳では無く、サイネリアとーー家族と、距離を取ろうとしているような……
どうしてカトレアは、幼い知恵を働かせて、家族と離れようとするのだろう。そんなに我慢して、辛そうにしてまで。
されるがままに父親に両脇を抱えられて、運ばれてくるカトレアを目で追いながら、サイネリアは考えた。
妹の憂いを晴らすには、兄が一肌脱いでやらねばなるまい、と。
※
困った時には、「オーキッドさん」である。
サイネリアは、大伯父のオーキッドによく懐いている。オーキッドの妻であるビオラの事も、優しくて好きだった。だから何かにつけて、大伯父達を頼っている。
ちょうど良いところに、オーキッドは家に帰ってきている。今は仕事が落ち着いているようで、暫く休暇をとるらしい。
カトレアの悩みを払拭しようと決意したサイネリアは、両親の目が無い隙をうかがって、オーキッドを訪ねる事にした。
辺りをキョロキョロと見渡して、人影が無い事を確認した後、廊下の陰からそっと身をのり出す。
オーキッドの私室を目指して、レユシット邸の長い廊下をてくてく歩いた。
サイネリアは、父親の前ではちょっと格好つけだ。
カーネリアンに、「頼れる息子」だと思われたい。父親が困っているときには、やれやれしょうがないな、と助けてあげたり、あっと言わせる知恵を披露したりしたいのだ。
その知識の出所はたいてい、大伯父や大伯母であり、サイネリアは彼らに頼って、いつもこっそり勉強している。
ただし、秘密と思っているのは本人ばかりだ。
「サイネリアは凄いな」「頼りになるな」と、父親に言ってもらいたいがために、サイネリアは陰で努力している。その息子の行動に、カーネリアンは勿論気付いていた。
だがカーネリアンは、知らない振りをしてサイネリアの頭を撫でるのだ。
他の人の前では礼儀正しい息子が、カーネリアンの前では年相応に、得意気に胸を張る。まるで人見知りみたいな、その行動が大変可愛らしくて。
(オーキッドさんなら、何か良い方法を一緒に考えてくれるはずだ)
オーキッドに全幅の信頼を寄せるサイネリアは、相談する前から、既に問題が解決したかのように安心しきっていた。
歳の割に物分かりが良いサイネリアだが、思考が短絡的になりがちなところは、まだまだ子供だと言える。
頬を赤くして、ふんふん、と息を吐きながら、大きく腕を振って廊下を進む。端から見ると、幼い子が意気揚々と、屋敷を探検しているよう。
やがてオーキッドが使っている部屋の前に辿りついた。厚い壁と扉に阻まれて、物音ひとつしないため、中の様子は窺えない。
(オーキッドさん、中にいるかな?)
小さい背をぐっと伸ばして、扉の真ん中あたりに、握った拳を向けた。
入室する前にはノックをしなければ。人の部屋に、勝手に入ってはいけないのだ。
しかし、その手が扉を叩く事は無かった。
背後から音もなく、大きくてごつごつとした手が伸びてきて、サイネリアの拳を、優しく包み込んだからだ。
びくり、と体を震わせる。
驚いて一瞬息を止めた。咄嗟の事に、後ろを振り向く勇気が持てない。視線だけを動かし、謎の手を観察する。
歳を重ねた事を思わせる、皺が刻まれた男性の手だった。だが肌はつるりと滑らかで、健康的に日に焼けた色をしている。長く美しい指は、爪の先まで整っていた。
謎の手の主が屈んで、サイネリアの耳元に唇を近付けてくる。
彼は、低く落ち着いた美声を抑えて、小さく呟いた。
「サイネ。今は入らないほうがいい」
「……!」
振り向くと、優しい眼差しの美丈夫が、サイネリアを見下ろしている。
母リナリアと同じ青い瞳。サイネリアともお揃いの、亜麻色の髪。
祖父のグラジオラスである。
「おじいさま」
グラジオラスにならい、サイネリアも小声で返す。
口の横に手を添えて、こそこそと、「どうして、入ってはいけないんですか」と尋ねると、その仕草を見たグラジオラスは、ふわりと目元を和らげて、小声で会話を始める。「オーキッドは今、忙しいんだ」しゃがんで孫と目線を合わせた彼は、サイネリアの真似をして、内緒話をするように、口の横で手を立てる。
「しばらく……そうだな。最低でもあと二、三時間は駄目だな」
「でも、でも」
いつものサイネリアなら、オーキッドが多忙だと聞けば、気をつかって引き下がっただろう。だが、今はサイネリアも緊急事態なのだ。何せ、大事な妹の元気が無いのだから。
「じゃあ、ビオラさんに」
「ビオラも駄目だ」
グラジオラスは間髪を容れずに否と答えると、部屋の扉を一瞥した。「ビオラも中にいる。後にしなさい」
否定が早かった事で、叱られたように感じて、サイネリアはしゅんとしてしまう。
実のところサイネリアは、この祖父の事が少し……ほんの少しだけ、苦手だった。
なんとなく、可愛がってくれている事は分かる。会った時にはいつも優しい。だが、柔和で朗らかなオーキッドと比べると、どこか厳格な雰囲気を感じ、近寄りがたいのだ。
祖父の年の功によるものか、生来の気質によるものか。あまり隙が見えない佇まいは、純粋に懐くには畏怖が過ぎる。
「い、一瞬だけ……」ちょっとびびりながら、サイネリアはもう一度頼み込む。
こわごわとした目で見つめられたグラジオラスは、「うっ」と息を詰めると、眉を寄せて俯き、悩ましげに唸った。
「……可愛い顔をしても駄目だ」
孫の愛らしさに揺さぶられる様子は、夫と痴話喧嘩をしている時のリナリアとそっくりであったが、そんな事を指摘する者はこの場には居ない。
「ほら……おいで」
ずっと握ったままだった、サイネリアの小さな手を引いて、グラジオラスは孫と二人、オーキッドの部屋から離れた。
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