歌声は恋を隠せない

三島 至

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おまけ

日記騒動

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 カーネリアンは、現状を前にある事を思い出していた。




 それは、リナリアがまだ強気で、我が儘に振る舞っていた頃の様子だ。

 当時は傲慢な彼女の態度に苛立つ事もあったが、全てを知り、想いが重なった今では、過去の悪態さえ愛しく思う。
 幼い頃、リナリアがつきまとってきた理由は、カーネリアンが思うような「一人だけ自分に靡かなくて、面白く無い。それに珍しい」という興味本位ではなかった。
 ただ彼女が、カーネリアンに恋をしていただけだった。
 後から語られたそれらも、彼女の日記を盗み見た事で先に知った真実も、相当な破壊力を持ってカーネリアンを悶えさせた。

 リナリアは容姿も、歌声も、神様の遣いのように美しく、いっそ神々しいが、書く文字すらも綺麗だ。
 手元に残った日記の、丁寧に綴られた文字を繰り返し追う事は、なかばカーネリアンの習慣となっていた。

 悪い事をしている自覚はあった。これは本人から譲られた物ではない。リナリアの落とし物が、巡ってカーネリアンの所にあるだけだ。
 夫婦になったのだから、すぐそばにリナリアはいる。いつでも会える。幾らでも機会はあった。本来ならば、返さなくてはならないのだと思う。
 しかしカーネリアンは、誰にも見せるつもりのなかったであろう、彼女の本当の気持ちだけが詰まった、この日記が欲しかった。
 その内容の殆どが、カーネリアンに向けられた恋心なのだ。
 フリージアへの嫉妬、苦しい片想い、歌声に滲む隠しきれない恋情。
 最初の頁からずっと、いかにカーネリアンを想っているかが、包み隠さず語られている。
 自分の物にして、大事にしまっておきたかった。

 だが、結婚してからも頻繁に読み返していたため、とうとうリナリアに現場を見られてしまった。
 書斎にこっそり日記を持ち込み、立ったまま頁を捲っていた所、可憐な妻が扉を開けたのだ。

「いた、カーネリアン、あのね……」

 夫を探していたらしい彼女は、可愛いらしい砕けた口調で、何か言いかける。しかし、目敏くカーネリアンの手にある物を見付けると、海の瞳を目一杯見開いて、戦慄いた。

「そ、それ……もしかして……それ!」

 驚き、青ざめ、そして羞恥から顔を真っ赤に染めて、リナリアはカーネリアンに詰め寄った。

「無くしたと思ってた、私の手帳に……似てるんだけど……?」

 確信はしているようだが、嘘であって欲しいと言うように、確認してくる彼女の瞳は、絶望の色で潤んでいる。
 カーネリアンは一瞬、誤魔化そうかとも思ったが、あまりの愛らしさに思わず「うん」と正直に溢してしまった。
 次の瞬間。

「どうしてカーネリアンが持ってるの!?」

 リナリアは子猫のように喚きながら、日記に手を伸ばす。カーネリアンは、苛めるつもりは毛頭無いのだが、つい、ひょい、と手を上げて日記を遠ざけた。

「いじわるしないで!!」

 カーネリアンの方が背が高い。いつもより小さく見えるリナリアが、背伸びをして、日記に向かって必死に跳ねる。
 悪いのはカーネリアンだ。許しを乞うべきも。しかし……

(駄目だ、可愛い……)

 カーネリアンは悪人もかくやと、顔をにたりと歪ませていた。
 正直、ちょっと楽しかった。

 素直になってからのリナリアは、優しく控えめで、基本、おっとりしている。
 だからこんな、毛を逆立てるようなリナリアを見るのは、相当珍しかった。

 カーネリアンが一人にやにやしていると、力尽きたのか、リナリアはだらんと腕を下げて項垂れた。
 そろそろ謝ろうかと、彼女の肩に手を置いた、直後、信じられない事が起こった。

 カーネリアンの手を、叩き落としたのだ。
 あの、夫にぞっこんの、リナリアが。

 これには、カーネリアンもしまった、と思った。
 普段見られないリナリアの様子が可愛くて、楽しくて、やり過ぎてしまった。
 彼女を本気で怒らせたようだ。

 自分で思うよりも動揺して、次の手を打てないでいるカーネリアンを、顔を上げたリナリアがきつく睨み付ける。

「私の言うことが聞けないの!?」

 横っ面を殴られたような衝撃だった。
 複雑だ。反省とは違う感情が一気に脳天から突き抜ける。
 これは、このリナリアは――――

「それは私の日記よ! 返しなさい!」

「嫌だ」

 上手い言い訳が思い浮かばず、駄々をこねるしかなかった。

「わ、私が返してって言ってるのよ、生意気だわ!」

 ――――ああ、決定的だ。
 リナリアの新しい側面を発見した事が衝撃過ぎて、彼女の怒りを沈めるどころではない。

 カーネリアンは、現状を前にある事を思い出していた。
 昔の、呪いにかかる前の、リナリアみたいだと思った。

 どうやら、彼女は極限まで怒ると、昔の癖が出てしまうらしい。
 人に言うことを聞かせたい、自分を強く見せたいという思いからくる虚勢なのだろう。
 敵わないと思ったから、強気で自分を武装して、反抗しているのだ。

 恋を自覚する前のカーネリアンは、それが嫌いだった。リナリアの本質を知る前は、彼女の思い通りになどなってやるか、と抵抗していた。
 でも今は、こんなに……

「リナリア、可愛い」

「なっ」

「ごめん。謝るよ。許して」

「なっなっカーネリアン、なんか変!」

 逆にカーネリアンが素直になると、今度はリナリアが違和感を覚えるようだった。

「まあ、日記は返さないけど」

「日記って……知って……やっぱり読んだのね!?」

「だって、俺にあてたラブレターだろう?」

 にっこり笑って見せると、リナリアは顔を火照らせたまま暫し固まったが、すぐに「か、返して……」と同じ言葉を繰り返した。勢いは弱まったが、中々手強い。

「家宝にしようと思っているんだけど」

「やめなさい!!」

「じゃあこうしよう。俺もリナリアにラブレターを書くよ。だからこれは頂戴?」

「えっ……」

 想いを確かめ合って、子供も生まれて数年経つというのに、夫からの恋文欲しさに揺れるリナリア。
 これで折れてくれるかと期待したが、やはり日記は譲れないようで、逡巡した後、リナリアは激しく首を振った。

「それでも駄目!」

「駄目かー」

「か、かわいく言っても駄目!!」

 別に可愛く言ったつもりはないのだが、彼女の目と耳も、恋で曇っているらしく、現実とは違って感じるようだった。
 嬉しい事だ。ずっとそれでいい。

 言い負かせないと悟ったのか、やがてリナリアは「おっ、お父さんに言い付けてくる!」と子供のような事を言い、廊下に飛び出した。
 グラジオラスを味方につけるつもりらしい。

「ああ、お義父さんも、この日記読んでるよ」

 カーネリアンはさらりと義父を売り渡す。
 父に泣きつくリナリアなんて、可愛いに決まっている。自分が見られないなら断固阻止だ。

 父共犯説に、リナリアはぴたりと立ち止まると、怒りの矛先を分散させた。「お父さんまで……!」と唸っているが、全然怖くない。愛らしいだけだ。

「二人とも、私は怒っているのよ!」

 リナリアは不遜な態度のまま、「ちょっと文句を言ってくる!」とグラジオラスの元へ向かって行った。
 日記はいまだカーネリアンの手の内だが、いいのだろうか?

 あの態度も懐かしい。
 昔を思い出す。今思えば、勿体無い事をしたと思う。全身で、好きだと言われているみたいなのに。
 気付かなかった自分の目は、ランスの言う通り、本当に節穴だったのだろう。

 カーネリアンは日記を棚の奥に隠すと、一息吐いた。

「さて……」

 リナリアの嵐が、屋敷を一通り過ぎたら、機嫌を取りに行かなくては。
 喧嘩が長引くと厄介だ。先に息子を味方につけておこう。

 リナリアの叔母にあたるビオラと、その夫、オーキッドに、息子はやけに懐いている。
 恐らく今も、ビオラの部屋に入り浸っているだろう。
 彼は何故だか、ビオラやオーキッドの前では、少し大人ぶるのだ。

 母に似た美しい顔立ちと髪、リナリアが好きだと言ってくれた、カーネリアンと同じ赤い瞳を持つ、息子。

 迎えに行くため、カーネリアンは書斎を後にした。
 可愛い息子を思い浮かべて、微笑みながら。












 〈終わり〉
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