DOLL

真鶴瑠衣

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18.肇と零

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(国永視点)


 ういと別れて家に帰り苺香を抱き締めると、俺は千冬の家に向かった。肇の体調も心配だし、千冬に何かあったらと思うと気が気じゃなかったのだ。

 千冬の家に行くと、肇は居なかった。どうやら二階の寝室で眠っているらしい。俺としては目の届く範囲に居てほしかったけど、ソファだと寝にくいだろうし、俺が寝室で肇を監視すればいいよな。

「あ、俺、肇のところに居るよ」
「あまり他人に寝室を覗かれたくないのだけれど」
「あ、そうか。そうだよな、ごめん」
「国永さんならいいわ。でも部屋はあまりじろじろ見ないでね」
「う、うん」

 寝室は思った通り、広かった。見た目に反して中身は立派。普通の家かと思ったら大間違いだった。

 千冬はきっと専業主婦だよな。

 三人は余裕で眠れそうな大きいベットの真ん中に肇がちょこんと埋もれている。埋もれていると表現したのは、ベットがあまりにもふかふかだからだ。

 型にはまった肇。あはは、面白いな。

 肇はすやすやと寝息を立てて眠っている。俺はベットの横に椅子を置いてそこに座った。

「あ、ごめん。苺香の座る場所がないよな。俺の膝の上にでも座るか?」

 てのひらでぽんぽんと両膝を叩いてみせると、苺香は俺に背中を向けて膝の上に座った。

 俺は背後からそっと苺香を抱き締めると、背中に顔を埋める。

 苺香、いい匂いがする。

 ああ、息がしにくいな。目の奥がじんとなって、鼻が一瞬で詰まっていく。

 なんかもう、疲れた。ドールってなんなんだよ。どうして主人を傷付けたりするんだ。主人も主人だよ。自分のドールくらい大切にしろ。傷付けたり壊したりすんな。

 どのくらい経っただろう。苺香の背中で子供のようにめそめそしたあと、鼻が痛くならないふわふわのティッシュで鼻をかんで、ようやく落ち着いた。

 肇はまだすやすやと眠っている。もしかしたら今日はこのまま目を覚まさないかもしれないな。

 一度トイレに行こうと寝室を出て、千冬の居る一階に行くと、千冬の話し声が聞こえた。

「ミスリードは?」
『居ない。希少種も死んでる。あと、なんかもういっこくっついてた』
「もういっこ?」
『ああ、女だよ。人なのかドールなのかさえ分からない。希少種と仲良く串刺しさ』
「ビデオ通話にしてくれる? 状況を確かめたいの」

 もの凄く嫌な予感がした。ますたーは零を探していて、ますたーの手によって負傷した零は不老不死ドールの元へくるんじゃないかという千冬の予想で、不老不死ドールに会いに行ったんだ。そして不老不死ドールの動きを千冬が監視して、その反応が止まったらますたーがそこに行く事になっている。

 ミスリードは零の事で、希少種は多分、不老不死ドール。つまり零は居なくて、不老不死ドールは死んでいる。そして他にも誰かそこに居る。

 その人はいったい誰なのか、俺は確かめないといけないような気がしたんだ。通行人が巻き込まれたのか。それとも俺の知っている人なのか。まずはそれを確かめないと。

「えっ」

 思わず声が出た。そこに映っていたのが俺の知っている人だったからだ。

「どうしたの、国永さん」
「そ、その女の人、不老不死ドールの主人だよ」
「え?」

 麻生藍子。俺の隣の家に住んでいる、不老不死ドールのドール保持者。そして、俺と一度だけ身体を重ねた女の人。

 また会えたら会おうねと、麻生さんは言っていた。それがまさかこんな形で再会する事になろうとは。

 麻生さん。猟奇的で頭のネジはだいぶ飛んでた人だけど、俺は嫌いじゃなかったよ。もしまた会えたらその時はご飯でも食べに行こうと思ってたんだ。

 そういえば、どうして麻生さんが此処に居るんだろう。偶然には思えないけど。もしかして麻生さんも不老不死ドールを探していたとか?

 でもなんの為に?

 だって麻生さんは、つまんないからもう捨てるって言ったんだ。それなのにわざわざ探すような真似をするだろうか。なら、たまたま通りがかっただけ?

 たまたま通りがかって、ただならぬ雰囲気を感じとって、咄嗟に不老不死ドールを庇ったのか?

 まぁ、確かにそれなら辻褄は合う。あんだけ酷い事をしてたって、流石に命の危険となれば勝手に身体は動くだろうし、見て見ぬふりなんて出来ないよな。あと、自分は壊してもいいけど他人が壊すのは嫌なのかもしれないし。理由としては後者の方が麻生さんぽいけど。

 あ、しまった。話をまったく聞いてなかった上にトイレに行きたかったんだ。

 トイレを済まして千冬のところに戻ると、もうすぐますたーが此処にくる事を知った。個人的には二人がどんな関係なのかが気になるんだけど、多分聞いても教えてはくれないだろう。

 でもそうか。ますたーが此処にくるなら、苺香を下に連れてこよう。肇の様子はまたあとで見ればいい。

 寝室に戻ると、苺香は大人しく椅子に座っていた。

「苺香、おまたせ。もうすぐ此処にますたーがくるみたいだから下に降りよう」

 苺香は麻生さんの事を知らない。だからだろうか。なんとなく苺香から目を逸らしてしまいたくなるのは。

 普段は忘れているけどちゃんと覚えている。麻生さんの声と身体。あれはもう二度と開けてはいけない記憶なんだ。だからもう忘れよう。麻生さんはただの隣人で、不老不死ドールのドール保持者。それ以上の関係は何もない。

 暫くするとますたーがきて、千冬と二人で話していた。本当に二人は仲がいいんだな。幼馴染というか、腐れ縁というか、兄妹みたいに見えるぞ。

 ていうかあれだな。アンサーテインってますたーの事なんだな。なんか格好良い名前だな。あれ、でも能力ってなんだ?

 能力って確か、ドールにしか使えないはずじゃ。

「ええ、死んでよぉ。ミスリードの主人のために♡」
「あ?」

 驚いた。いったいいつからそこに居た?

 足音は勿論、ドアが開く音すら聞こえなかったのに。

「……零」

 本当に零なのか?

 だって俺の知っている零はこんなに笑わない。もっと言葉も舌っ足らずで、語尾を伸ばしたりはしなかったはず。

「……お前、不老不死ドールを殺したのか?」

 ますたーは問う。そうだ、不老不死ドールは不老不死だから不老不死ドールなんだ。いくらドールとはいえ、女の子一人に不老不死ドールが殺されるはずがないじゃないか。

「うん、殺したよぉ♡」
「不老不死だぞ? 燃やそうが切断しようが死なないような奴が、どうしてお前如きに殺せる?」
「ああ、多分それ、飼い主ごと殺したからじゃない?」
「あ?」
「なんか邪魔が入ったからついでに殺しちゃえー、と思ったら、ドールまで死んじゃってラッキーだったよねぇ♡」
「……まさか、不老不死ドールが死んだのはたまたまだったって事か?」
「うん、そだよぉ♡ たまたまじゃなきゃ、わたしなんかが殺せるわけないよぉ♡」

 なんだろう、上手く言葉が入っていかないな。飼い主って、麻生さんの事か?

 邪魔が入ったって、麻生さんの事か?

 ラッキーだったって、不老不死ドールの事か?

 たまたまだったって、不老不死ドールの事か?

 邪魔だとかラッキーだとかたまたまだとか、さっきから何を言っているんだ。

 お前は誰だ。

 お前は本当に零なのか?

「……おい、ちょっとまて」

 だとしたらいったいどうしちゃったんだよ。ちょっと会わないうちに何があった?

 肇が零に酷い仕打ちをしたのは知ってるけどさ、それにしたってこんなに雰囲気が変わるものなのか?

 これがもし苺香だったらと思うと反吐が出る。

「ドールと人間を殺しておいて、ラッキーだとかたまたまだとか、そういう言い方はないんじゃない?」

 俺の声は感じた事のない程の怒りに震えていた。

「どうしてきみが怒るの? 死んだのは麻生藍子とそのドールだよ? 肇じゃないよ?」

 それはつまり、死んだのは肇じゃないんだからいいじゃんという意味なのだろうか。

 ふざけんな。これが肇だったらお前なんか殺してる。これが苺香だったら何度殺したって足りないくらいだ。これが千冬だったらと考えただけで頭がどうにかなりそうだ。

「殺す」
「くになが!」
「止めるなますたー。俺がこいつを殺してやる」

 俺は迷う事なく零の首元に両手を添えると、殺すつもりで強く首を絞めた。こんな奴、俺にだって殺せる。こんな奴、こんな奴、こんな奴。

「残念。いくら頑張ってもわたしは殺せないよぉ♡ だぁってわたしにはぁ、不老不死の力があるんだもん♡」

 こんなに強く首を絞めているはずなのに、零の表情は涼しいままだった。対象のドールを殺してそのドールの能力を得るなんておかしいだろ。そんなのがこいつの特殊能力だっていうのなら、チートにも程があるぞ。

「ああ、でも、こういう時は、命乞いをした方がいいんだっけ? いやだぁ、殺さないでぇ、わたしまだ、死にたくないよぉ!」
「!」

 まるで女優のように一瞬で涙を浮かべてみせる零に、俺はかなり動揺した。

 そして。

「くになが!」

 背後から俺を呼ぶますたーの声と、千冬の黄色い悲鳴が聞こえた瞬間。

「え?」

 後ろを振り返ると、ますたーが床に倒れていた。その背中には黒い鎌のようなものが突き刺さっていて、そこから赤い血がじんわりと滲み出ている。もしかしてと思った時には頭の中が真っ白になっていた。

「ますたー?」

 ますたーが刺された。ますたーが倒れた。ますたーが、ますたーが、ますたーが……ますたーが、しぬ?

 いや駄目だ。そんな事になったらういが悲しむ。あんなに沢山のうい達が行き場をなくして彷徨う事になるんだ。

「人間って馬鹿だよねぇ。なんで庇ったりするんだろ。庇った事で自分が死ぬかもしれないのに。ま、いっかぁ。こいつはわたしを傷付けたんだし、これでチャラにしてあげるぅ♡」

 人が倒れているのにどうしてこいつは笑っていられるんだ?

 これがもし肇だったら?

「……お前の所為で、肇は頭痛が酷くて起きていられないんだ」
「ふうん」
「ふうんじゃねえよ。肇はお前の主人だろ? どうしてそんな反応しか出来ないんだよ」
「だぁってえ、それが人間とドールの違いでしょお?」

 こんなのは知らない。こいつは零じゃない。きっと肇に捨てられそうになって傷付いているだけなんだよ。だから仲直りしよう。そうすればまた上手くやれるさ。そうだよな、零。

 零を信じたいきもちはある。きもちはあるけど、他にも沢山、色々なきもちが混じってごちゃごちゃで、どうすればいいのか分からなかった。

 だけどこのままじゃよくない事は分かるから、なんとかしなきゃと思うから。

「……零」

 背後からまた声がした。この声はますたーじゃない。この声は。

「……肇」

 肇だ。肇が壁に凭れ掛かりながら立っている。顔色が悪い。動いて大丈夫なのかと声を掛けようとしたが、聞くまでもないだろう。

 肇はふらふらとした足取りでゆっくりと一歩ずつこちらに向かって歩いてくる。

「零……きてたのか……きてたなら挨拶くらいしろよな……」

 俺も千冬も、誰も肇を止めようとはしなかった。いや、そんな雰囲気ではなかったんだ。だって、肇は怒ってない。むしろまた会えて嬉しそうなくらいだった。それに肇は零に何かを伝えようとしている。それを止めるなんて俺には到底むりだった。

「肇、わたしの所為で苦しいの?」
「……大丈夫だ……大丈夫、だから……」
「肇?」

 肇は零の肩を掴むと、苦しそうな声を出した。

「僕が……殺してあげるから……もう、大丈夫だ……」

 俺が居る位置からだと肇の背中しか見えないので、表情までは分からない。それに、僕が殺してあげるって……そんな選択、絶対つらいに決まってる。

「ぐ、ぇ」
「零……ごめんな……さよならだ……」
「は、じめ、ゃだァ、……ころさ、ない、でェ」
「ごめん、な……」

 グキッと鈍い音がすると、零の声はしなくなった。肇が零から手を離すとその場に倒れて動かなくなる。

 死んだのか?

 それともまた生き返る?

 だとしても肇の手で零を殺した事に変わりはない。目撃者は俺と苺香と千冬。三人も見ているのだから間違いはないはずだ。

「は、肇……お前、どうして」

 どうして零を殺したんだ?

 言いかけて言葉を飲み込んだ。こっちはますたーがやられたんだ、早く零をなんとかしなければきっともっと被害者が増えていた。

 だからこれは正当防衛。肇は何も悪くない。

「零はもう生き返らないよ」
「え?」
「そうだよね、千冬」

 肇が何を言っているのか分からなかった。それは零がどうして生き返らないと断言出来るのかではなく、どうして千冬に同意を求めるのかに対しての疑問だ。

 千冬は対処方法を知っていた?

 ならどうして最初からそれを言わないんだ?

 ますたーの頭を膝に乗せて床にぺしゃんと座り込んでいる千冬を見ると、千冬は俺から目を逸らす。

「そうね」

 そうねってなんだよ。ばれちゃったわねみたいな顔すんなよ。千冬が黙っていた所為でますたーが傷を負ったじゃないか。対処方法さえ知っていれば回避出来たかもしれないのに。

「僕が零の主人だから、僕が殺せば零は死ぬ。これは零のみに有効な裏技みたいなものなんだ。他の人やドールが零を殺しても生き返る。零の主人である僕だけが、この状態の零を殺せるんだ」

 通常の零を殺したところで死んだりはしない。零が不老不死の能力を奪った事で初めて条件が揃うんだ。他の能力だったら通用しなかった。不幸中の幸いだった。と肇は言った。

 頭痛はもうしないらしい。零が死んだと同時に嘘みたいに楽になったとか。そういえば、ますたーの背中の傷も消えている。

「ますたーは大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫なはずよ。直に目が覚めるわ」

 千冬がますたーの頭を撫でる。

「千冬は、ますたーの事が好きなのか?」
「まさか。違うわよ。好きになるなら人間がいいわ」
「ああ、千冬には素敵な旦那様が居るもんな」

 千冬の旦那様は人間らしいが、いったいどんな人なんだ?

 というか、好きになるなら人間がいいって。もしかしてますたーは。

「……ん」
「あら起きた」
「千冬? ミスリードはどうした」
「ミスリードならそこに倒れているわ。肇が終わらせてくれたのよ」
「そうか」

 千冬が膝枕してる事には驚かないんだな。本当に二人はどんな関係なんだ。気になる、気になるぞ。

「ますたー、ごめん。俺、動揺して」
「ま、しょうがないだろ。ドールが命乞いなんてしだすんだ、誰だって動揺する」
「ますたー、早く帰って」
「あ?」
「うい達に、会ってあげて」
「……ああ」

 ますたーの口元が緩む。なんだ、そんな顔も出来るんだな。そっちの方がイケメンじゃん。くそ、どいつもこいつも顔がいいんだから。

「じゃあ解散しますかぁ。零は千冬に任せていい?」
「ええ」
「零はこれからどうなるんだ?」
「もう目が覚める事はないわ。だから廃棄処分されるわね」
「廃棄、処分」

 そうなったらもう二度と、零には会えなくなる。

「いいのか、肇」
「いいよ。また新しいドールでも探すさ。いや、今度は人間の彼女でも作ろうかな」

 ふふんと謎のドヤ顔になる肇を見て、俺は少しだけ安堵した。本当に頭痛は治ったんだな。それにもうドールなんていらないとか言いだすかと思ってた。強いよ、肇は。

「じゃあ、お別れだ、零」

 肇が零の手をとり握手をする。

「楽しかったよ、零。酷い扱いばかりしてごめんな、ありがとう」

 この日を最期に、肇は零の主人ではなくなった。『廃棄処分』なので零が他の主人に出会う事もない。本当に死んだのだ。

「……また、いつか会えたら。その時は家族に」
「肇?」
「いや、なんでもない。さ、帰ろっか」

 この時、肇がなんて呟いたのかは分からないけど、『零、愛してる』とかだったらいいなぁ……なんてね。
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