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泣いてばかりいる猫ちゃん
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「実弥も坂崎くんを支えなさい。彼は今後会社に大いに貢献できる人材だ」
「嫌だ……」
「仕事も辞めていいんだ。家庭に入りなさい」
「お父さんが決めたくせに!」
早峰フーズに就職をと決めたのは父だ。勝手に就職先を決めて勝手に辞めろと言うのか。やっと現状を受け入れてきたのだ。私にしかできないことを見つけようとやる気になっていたのだ。
「事務なんて替えがいくらでもいるだろう。実弥じゃなくても問題ない。そのために異動させてもらったんだからな」
「え? 私の異動ってお父さんがお願いしたの?」
「そうだ。事務の中でも特に重要じゃないポストにしてもらったんだ。その方がスムーズに寿退社もできるだろう」
体が震えてきた。だから本来契約社員が多くいる総務課になったのだ。父と早峰フーズの役員が知り合いだからといって私の会社での位置を簡単に動かされては堪らない。そこに私の意志はまるでない。
「坂崎くんを支えるのは実弥だけだ」
この言葉に一気に怒りが湧いた。父が早峰フーズに入社しろと言って配属先まで決めたのに、勝手な都合で辞めろなんて酷すぎる。
「言いなりにはならない。私の人生を勝手に決めないで!」
「おかしいぞ実弥、どうして今になってお父さんに逆らうんだ。あの警察官がお前に悪影響を与えているんだな」
「そうじゃない!」
「あの男とは別れなさい」
「別れない!」
喉に痛みが走るほど怒鳴った。ドアの影から母が心配して様子を見にきた気配がした。
「実弥はお父さんに従っていればいいんだ」
父は静かに言った。
「嫌なら自分の力で生きてみろ。誰がここまでお前を育てたと思っているんだ」
「だから家を出るんだって。私はもう子供じゃないから。自分のことは自分で決める」」
冷たい声で吐き捨てる。でも父は無言で新聞を読み始めた。返事を期待したわけではないから私はそのままリビングを離れ2階に上がった。
こんな時に会いたい、声が聞きたいと思える人は一人しかいない。スマートフォンを操作してシバケンに電話をかけた。数秒間待つとブツっと音がしたかと思うと留守電に切り替わってしまった。今日彼は非番の日だから電話に出ないということは寝てしまっているのだろう。
徹夜で仕事をすることもあるという彼は非番の日は寝て終わってしまうそうだ。それならば寝かせてあげた方がいいかもしれない。今夜シバケンに連絡を取ることは諦めた。
けれど諦めたら一層寂しさを感じた。一人ぼっちだという事実が胸を締め付ける。「自分の力で生きてみろ」と言った父から逃げてきたのに、一人は嫌だとシバケンに頼ろうとした自分が情けない。
ここ最近の変化は私にとってはかなりの進歩だった。ようやく本気で仕事をし、自分の力で生活してみたいと思うようになってきたのに、会社を辞めろなんて言われるとは思わなかった。会社は私がいなくてもいいなんて、そんなことを父にだけは言われたくなかったのに。
今の私は仕事も、恋愛すら親に干渉される。それが情けなく恥ずかしかった。
きっと私自身や環境はシバケンとは不釣り合いかもしれない。そう思ってしまうことが辛い。
シバケンに会いたいな……。
スマートフォンから着信を知らせる音が鳴る。画面を見るとシバケンからの着信だ。起きて着信に気づいて折り返しかけてきてくれたのだろうと応答した。
「もしもし、ごめん電話出れなくて」
シバケンの声は背景の音に妨害されて聞き取りにくい。どこか外にいるようだ。
「あれ、今家じゃないの?」
「ああ、実はまだ仕事中なんだ。今やっと休憩」
「そうだったんだ……お疲れ様」
そういえば警察関係者は今通り魔事件の捜査で忙しいはず。てっきり家で寝ているのかと思っていた。
「電話してくるなんて何かあった?」
「ううん……声が聞きたくなっただけ」
一瞬の沈黙の後に「それは嬉しいね」と電話の向こうの彼が笑ったのがわかった。
「実弥」
「何?」
「会いたいね」
この言葉に涙が出そうになる。シバケンの声はどこまでも優しくて私を安心させる。
「私も会いたい……」
精一杯の思いを込めて呟いた。シバケンに鼻をすする音が聞こえないように気を付けた。
「もう切らなきゃ。また連絡するね」
「うん。お仕事頑張って」
プツリと通話が切れた。その途端涙も出ないほどの虚しさが心を支配した。シバケンの声が聞けても今私の横にシバケンはいてくれない。寂しさでいっぱいになる。
「ふぅ……」
思わずため息をついた。
父に突き放されては私だって意地になる。今はそれほど嫌いではない仕事を手放すのは惜しいけれど、父の力で入った会社を辞めて転職だってしてやる。
けれど準備の時間が足りない。まずは住む家を確保して、転職活動を始めなければ。
自立する覚悟はできたけれどけれど、現実はすぐには自立できないのだ。
◇◇◇◇◇
転職するには何から始めたらいいのだろう。きっと面接を受けたりするよりも、先に会社に退職願を提出するのが先だろうか。通勤時間にスマートフォンで求人を検索し、退職願の書き方を調べていた。
部屋の契約はいつにしよう。候補の部屋はまだ私以外に入居を希望する人がいないから待ってもらっている状態だ。会社を辞めるとなると部屋を契約するのも難しくなる。
自立するにはまず自力で新しい仕事を見つけて安定した収入を得られるようにならなければ。道のりは遠く感じる。
定時を既に1時間過ぎた今、フロアを見渡すと総務部の社員の半分が退社している。締め日を過ぎた今日は残業する理由がない。私だって他部署の社員が書類を出し忘れたりしなければ定時で上がれていたのだ。
けれど総務課に異動してから数ヶ月、恐れていたほど雑用の押し付けもなくなった。前任者の北川さんがそうであったように、うまくかわして効率の良い動き方がわかれば面倒だと思うことも少ない。
経理課の頃からさすがに締め日は無理でも普段残業することはあまりなかった。お給料も身の丈にあっている。気づくのが遅すぎたけれど私には良い条件の職場だ。それが自分の力ではなく父に決められた環境であることが悔しい。
「嫌だ……」
「仕事も辞めていいんだ。家庭に入りなさい」
「お父さんが決めたくせに!」
早峰フーズに就職をと決めたのは父だ。勝手に就職先を決めて勝手に辞めろと言うのか。やっと現状を受け入れてきたのだ。私にしかできないことを見つけようとやる気になっていたのだ。
「事務なんて替えがいくらでもいるだろう。実弥じゃなくても問題ない。そのために異動させてもらったんだからな」
「え? 私の異動ってお父さんがお願いしたの?」
「そうだ。事務の中でも特に重要じゃないポストにしてもらったんだ。その方がスムーズに寿退社もできるだろう」
体が震えてきた。だから本来契約社員が多くいる総務課になったのだ。父と早峰フーズの役員が知り合いだからといって私の会社での位置を簡単に動かされては堪らない。そこに私の意志はまるでない。
「坂崎くんを支えるのは実弥だけだ」
この言葉に一気に怒りが湧いた。父が早峰フーズに入社しろと言って配属先まで決めたのに、勝手な都合で辞めろなんて酷すぎる。
「言いなりにはならない。私の人生を勝手に決めないで!」
「おかしいぞ実弥、どうして今になってお父さんに逆らうんだ。あの警察官がお前に悪影響を与えているんだな」
「そうじゃない!」
「あの男とは別れなさい」
「別れない!」
喉に痛みが走るほど怒鳴った。ドアの影から母が心配して様子を見にきた気配がした。
「実弥はお父さんに従っていればいいんだ」
父は静かに言った。
「嫌なら自分の力で生きてみろ。誰がここまでお前を育てたと思っているんだ」
「だから家を出るんだって。私はもう子供じゃないから。自分のことは自分で決める」」
冷たい声で吐き捨てる。でも父は無言で新聞を読み始めた。返事を期待したわけではないから私はそのままリビングを離れ2階に上がった。
こんな時に会いたい、声が聞きたいと思える人は一人しかいない。スマートフォンを操作してシバケンに電話をかけた。数秒間待つとブツっと音がしたかと思うと留守電に切り替わってしまった。今日彼は非番の日だから電話に出ないということは寝てしまっているのだろう。
徹夜で仕事をすることもあるという彼は非番の日は寝て終わってしまうそうだ。それならば寝かせてあげた方がいいかもしれない。今夜シバケンに連絡を取ることは諦めた。
けれど諦めたら一層寂しさを感じた。一人ぼっちだという事実が胸を締め付ける。「自分の力で生きてみろ」と言った父から逃げてきたのに、一人は嫌だとシバケンに頼ろうとした自分が情けない。
ここ最近の変化は私にとってはかなりの進歩だった。ようやく本気で仕事をし、自分の力で生活してみたいと思うようになってきたのに、会社を辞めろなんて言われるとは思わなかった。会社は私がいなくてもいいなんて、そんなことを父にだけは言われたくなかったのに。
今の私は仕事も、恋愛すら親に干渉される。それが情けなく恥ずかしかった。
きっと私自身や環境はシバケンとは不釣り合いかもしれない。そう思ってしまうことが辛い。
シバケンに会いたいな……。
スマートフォンから着信を知らせる音が鳴る。画面を見るとシバケンからの着信だ。起きて着信に気づいて折り返しかけてきてくれたのだろうと応答した。
「もしもし、ごめん電話出れなくて」
シバケンの声は背景の音に妨害されて聞き取りにくい。どこか外にいるようだ。
「あれ、今家じゃないの?」
「ああ、実はまだ仕事中なんだ。今やっと休憩」
「そうだったんだ……お疲れ様」
そういえば警察関係者は今通り魔事件の捜査で忙しいはず。てっきり家で寝ているのかと思っていた。
「電話してくるなんて何かあった?」
「ううん……声が聞きたくなっただけ」
一瞬の沈黙の後に「それは嬉しいね」と電話の向こうの彼が笑ったのがわかった。
「実弥」
「何?」
「会いたいね」
この言葉に涙が出そうになる。シバケンの声はどこまでも優しくて私を安心させる。
「私も会いたい……」
精一杯の思いを込めて呟いた。シバケンに鼻をすする音が聞こえないように気を付けた。
「もう切らなきゃ。また連絡するね」
「うん。お仕事頑張って」
プツリと通話が切れた。その途端涙も出ないほどの虚しさが心を支配した。シバケンの声が聞けても今私の横にシバケンはいてくれない。寂しさでいっぱいになる。
「ふぅ……」
思わずため息をついた。
父に突き放されては私だって意地になる。今はそれほど嫌いではない仕事を手放すのは惜しいけれど、父の力で入った会社を辞めて転職だってしてやる。
けれど準備の時間が足りない。まずは住む家を確保して、転職活動を始めなければ。
自立する覚悟はできたけれどけれど、現実はすぐには自立できないのだ。
◇◇◇◇◇
転職するには何から始めたらいいのだろう。きっと面接を受けたりするよりも、先に会社に退職願を提出するのが先だろうか。通勤時間にスマートフォンで求人を検索し、退職願の書き方を調べていた。
部屋の契約はいつにしよう。候補の部屋はまだ私以外に入居を希望する人がいないから待ってもらっている状態だ。会社を辞めるとなると部屋を契約するのも難しくなる。
自立するにはまず自力で新しい仕事を見つけて安定した収入を得られるようにならなければ。道のりは遠く感じる。
定時を既に1時間過ぎた今、フロアを見渡すと総務部の社員の半分が退社している。締め日を過ぎた今日は残業する理由がない。私だって他部署の社員が書類を出し忘れたりしなければ定時で上がれていたのだ。
けれど総務課に異動してから数ヶ月、恐れていたほど雑用の押し付けもなくなった。前任者の北川さんがそうであったように、うまくかわして効率の良い動き方がわかれば面倒だと思うことも少ない。
経理課の頃からさすがに締め日は無理でも普段残業することはあまりなかった。お給料も身の丈にあっている。気づくのが遅すぎたけれど私には良い条件の職場だ。それが自分の力ではなく父に決められた環境であることが悔しい。
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