アフタヌーンの秘薬

秋葉なな

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【揉捻】回転する想い

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「そう思うまでに時間はかかったけどね。いざ決心して戻ったら見合い話でうんざりだよ」

聡次郎さんは心底嫌そうな顔をした。偽者の婚約者を立てるほどお見合いが嫌なのだろう。

「俺が好きになるほどのお茶を淹れてよ」

「え?」

「お茶が嫌いなんて思わなくなるくらい、俺のために最高のお茶を淹れてみろよ」

挑戦的な言葉に嫌悪するどころか不思議とやる気が出てきた。このお茶嫌いなお茶屋専務を満足させて美味しいと言わせられたら、この上ない優越感に浸れそうだ。

「絶対に言わせてみせるから」

私の野望に満ちた笑顔に聡次郎さんは何も言わないけれど、ハンバーグを噛む口元はにやけていた。





「ハンバーグ作りすぎちゃったので明日も食べてくださいね」

残ったハンバーグのお皿にラップをかけて冷蔵庫に入れた。

「ありがとう」

食器を洗っている聡次郎さんはまたしてもお礼を言ってくれた。
嫌な人だと思っていたけれど少しだけ緊張しなくなった気がした。

「聡次郎さん、このジュースって何?」

冷蔵庫の奥に入っている数本のビンに入ったジュースが気になった。

「ああ、それはお茶の葉を栽培している農家が作った梅のサイダー」

「お茶農家が梅を?」

「取引のあるお茶農家の親戚が梅農家で、梅サイダーを試作したんだって。飲んでもいいよ」

「やったー。飲んでみたい!」

グラスに梅サイダーを注いだ。

「思ってる以上にすっぱいよ」

聡次郎さんはそう言うけれど、梅酒のように少しは甘いのだろうと期待して1口飲んだ。

「すっぱい!」

思わず大きな声が出た。甘みも感じるけれど梅の酸っぱさが強く、ゴクゴクと飲めるものではなかった。

「だから言っただろう。農家もまだ試作段階のものなんだ。俺も飲めないから残ってるんだよ」

眉間にしわを寄せて口の中のすっぱさに耐える私に聡次郎さんは笑った。

「梅なのに全然爽やかじゃない……」

そう言ってからアイディアが閃いた。

「聡次郎さん、急須借ります」

洗ったばかりの急須を食器カゴの中から取り、龍清軒のお茶の葉を入れた。

「何するの?」

「ちょっとアレンジしてみます」

同じく洗ったばかりのマグカップにお茶を半分ほど注ぎ、氷を入れた。その中に梅サイダーを注いだ。

「おいおい!」

聡次郎さんは慌てたけれど私は確信があった。

「日本茶と混ぜたら梅の酸味が残りつつ、口当たりのいい梅茶サイダーになると思うんです」

完成した梅のお茶サイダーを飲んでみた。
酸っぱさが中和されてまろやかになった梅の風味にお茶の渋みが加わって微炭酸のドリンクになった。

「ねえ聡次郎さん、悪くないよ? 龍清軒で作ったけどもっと濃い深蒸し煎茶でも試してみなきゃ。梅の味が強いから粉茶も……かぶせ茶も試したい!」

1人で盛り上がっている私の手からカップを取り、聡次郎さんも1口飲んだ。

「どう?」

「……微妙」

本当に微妙な顔をする聡次郎さんにがっかりした。この人にお茶を美味しいと言わせる道のりは遠い。

「でも悪くないな……」

「ほんと?」

「お茶の炭酸飲料は以前に企画としてあったんだ。開発途中で中止になったけど、これならまた試してみてもいい」

聡次郎さんはもう1口飲みながら真剣に考え込んでいるようだ。私は内心ガッツポーズだ。

「よく考えついたな」

「カフェとかファーストフード店でもメニューの考案をやってましたから」

大衆向けのレシピを考えるのは苦手じゃない。甘いものは好きだから採用されてメニューに載るのは自信に繋がった。

「梨香さ、俺の分の弁当を作ってよ」

「え、なんで?」

突然のお願いに驚いた。

「なんでって、恋人だから?」

今までの話の流れからどうしてそういうことになるのだろう。この梅茶サイダーの商品化に協力するのならわかるのだけど。

「私、聡次郎さんの恋人じゃありませんけど」

少しだけ低い声で訂正した。

「恋人のふりはしてもらわなきゃ。食費と手間賃は給料に反映させるから」

「でも……なんでいきなりお弁当?」

「お願い」

私の目を見て珍しく真剣に頼んでくる。

「龍峯が休みの日は無理だよ?」

「わかってる」

「龍峯に出勤の日でも作れない日はあるからね」

「それもわかってる」

穏やかに笑う聡次郎さんは、私が何を言ってもどう抵抗しても自分の願いを押し通す。短い付き合いの中でそういう人だと理解している。

「どうしてそこまで私に恋人役をさせたいの?」

聡次郎さんのこれはいきすぎだ。恋人関係の強要。いい加減うんざりする。

「俺も人生かかってるんだよ」

シンクに寄りかかった聡次郎さんは真っ直ぐ私を見据えた。

「好きでもない仕事をして、親の決めた好きでもない女と結婚なんてしたくない。仕事は自分で妥協して選んだ。けど結婚相手は自分で選びたい。全力で見合いなんてしない。そのためならどんなことだってする」

怖いほどの力強い目で私から視線を逸らさない。

「頼むから、梨香にも協力してほしい」

聡次郎さんの声音は家族の問題以上に根深いものを感じた。お弁当を作らせるのも私と仲の良さをアピールする目的でもあるのだろう。

「わかりましたよ。ちゃんとお給料はもらうからね」

「明人に言っとくよ」

再び笑顔になった聡次郎さんは残りの梅茶サイダーを飲み干した。

「聡次郎さん、ずっとその方がいいよ?」

「何が?」

「むかつく態度じゃなくて、そうやって笑ってた方が付き合いやすい」

聡次郎さんはぽかんと口を開けたまま固まってしまった。

「聡次郎さん? 聞いてる?」

首をかしげ聡次郎さんの顔を見たとき、キッチンカウンターにカップを置いた聡次郎さんは私を抱きしめた。

「ちょっと……」

突然のことに頭が真っ白になった。

「聡次郎さん?」

名を呼んでも聡次郎さんは私を解放つもりはなさそうだ。

「どうしたんですか?」

「このまま恋人ごっこさせて」

「え?」

恋人ごっこって……誰も見ていない今こんなことをする必要なないのに……。

私の頭に頬を擦りつける聡次郎さんに戸惑う。けれどそれは不思議と嫌じゃない。今までの私なら聡次郎さんを拒否してケンカ腰になるのに。

「梨香」

耳元で囁かれて耳から首筋にかけてゾクゾクする。
聡次郎さんが顔を離すと抱きしめられたまま至近距離で見つめ合った。

あれ……この雰囲気、何?

聡次郎さんの顔が近づいてくる。

「聡次郎さん……待って……」

そう言っても聡次郎さんは止まらない。顔を背けることができないまま聡次郎さんに唇を塞がれた。抵抗する間もなく頭の後ろを手で押さえられ逃げられなくなる。

「んー!」

肩を押しても聡次郎さんはキスをやめない。
混乱して全身から力が抜ける。倒れそうなのに聡次郎さんに抱きしめられているから離れることができない。

力が入らない手で精一杯押しのけようとすると舌が強引に私の口に侵入する。

「んっ……やっ……」

声にならない声で抵抗すると聡次郎さんの唇は離れた。

「梨香……」

「聡次郎さん、どういうつもりですか?」

戸惑いながらも睨みつける。効果があったのか聡次郎さんは顔を真っ赤にした。

「こんな恋人ごっこは困ります。誰も見てないんだからふりなんてしなくても……」

「梨香は俺に気持ちがないことが態度に出すぎだ」

「え?」

「こんなんじゃすぐにバレる。もっと本気になれ」

「本気って……」

これ以上何をすればいいのだ。龍峯で楽しく働いている。休日はデートもした。他に何を求めているの?

「それが聡次郎さんとキスすること?」

「それ以上だ。もっと俺のことを考えろ」

「はい?」

目を逸らさず真顔で言い切った聡次郎さんに今きっと間抜けな顔を見せているだろう。

「形だけじゃない、恋人らしいことをしろ。本気で俺のことを好きになれ」

「っ……」

驚いて言葉が出ない。聡次郎さんを好きになれ?

「それは……契約としてですか?」

聡次郎さんの瞳が揺れた。

「本気で好きになんて、難しいです……聡次郎さんは私にどこまで求めているんですか? 婚約を破談にするまでですか? 奥様に勘当されるまでですか?」

「俺は……」

何かを言いかけて聡次郎さんは黙ってしまった。

「私が本気で聡次郎さんを好きになったとして、契約が終わればその気持ちはどうしたらいいですか?」

もう滅茶苦茶だ。この人が何を考えているのか分からないから苦しい。

「強引にキスまでして……こんなのおかしいですよ……」

勘違いしてしまうじゃないか。だって聡次郎さんを好きになったら、契約が終わった後に残された気持ちは消化できない。そんなの辛すぎる。

辛すぎる? 私、聡次郎さんを好きになることが辛いの?

「もともとこんな契約は現実的じゃないですね。月島さんの言う通りです」

月島さんの名前を出した途端、聡次郎さんは不機嫌な顔になった。

「あいつのことは今関係ないだろ」

低い声に怯えて僅かに体が震えた。聡次郎さんが怒っている理由が分からないけど、私だって怒りたい。

そのとき玄関のチャイムが鳴った。でも聡次郎さんは私を抱いたまま動かない。

「誰か来ましたよ」

「どうせ家の誰かだ。出なくていい」

「だめです……」

聡次郎さんから離れたくて再び肩を押すと、渋々私を解放した。
玄関に行ってドアを開けると目の前には月島さんが立っていた。

「お疲れ様です」

「あ、お疲れ様です……」

「明人? 何しに来たんだよ?」

後ろにいる聡次郎さんは月島さんを見た途端不機嫌な声を隠そうともしない。

「三宅さんがいるって聞いたから。僕はもう帰るから車で送っていこうと思って」

「え、そんな、申し訳ないです」

「実は僕と三宅さんの家は近いんですよ。今日は車なので乗っていきませんか?」

「じゃあお願いします」

「いいよ、俺が送っていくから」

私と月島さんの会話に聡次郎さんが割って入ってきた。

「でも聡次郎は送ってからまた戻ってこなきゃいけないだろ?」

「そうだよ。二度手間になっちゃう」

最後まで聡次郎さんと一緒よりも月島さんに送ってもらえた方が嬉しい。今の気まずい雰囲気のままでいたくない。
2人から遠慮されてしまい聡次郎さんは不機嫌になったようだ。先ほどの笑顔は消えて口はへの字になっている。

「勝手にしろよ」

そう吐き捨てた聡次郎さんはソファーに座ってマンガの続きを読み出した。

「まったく……」

月島さんは呆れた声を出すと「行きましょう」と私に声をかけて玄関に向かった。

「聡次郎さん」

私は声をかけたけれど聡次郎さんは何も言わずマンガに視線を向けたままだ。

「今日はありがとうございました」

「………」

「楽しかったです」

これは本音半分お世辞半分だ。買い物をしてドライブは楽しかった。けれどとても疲れた。
今の会話の意味を考えると頭がくらくらする。

「お邪魔しました」

玄関で靴を履いても聡次郎さんは見送ってくれることはなく、一言も声が返ってこなかった。



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