橘 将臣の秘密。

庵慈莉仁

文字の大きさ
上 下
1 / 1

橘 将臣の秘密。

しおりを挟む
「は?」
「は? じゃ無いよ。これは決定事項だ」
「ッ……、兄さ」
「ここでは社長と言いなさい」
「ッ……」
 俺、橘将臣は目の前にいる自分の兄、橘恭司からたった今言われた事に異を唱えるが、兄はニコニコと笑顔を崩さず俺の言葉をはね退ける。
「前のは役立たずだったからね。今度は私がちゃんと選んだから問題は無いはずだ」
「だから、前から言ってるように俺には……」
「決定事項だと言っただろう?」
 必要無い。と言いたかった言葉は、兄の台詞によって口の中で消えた。
 兄は机の上にある電話で内線ボタンを押すと
「入ってもらって」
 扉の外にある秘書室に内線でそう告げると、すぐに社長室の扉がノックされる。
「どうぞ」
 机の奥で座ったまま兄は良く通る声でそう言うと、ゆっくりと扉が開き社長付きの秘書が扉を開けお辞儀をしながら入室する。その後から一人の男が一緒に入って来て……。
 俺は後ろを振り返り入室してくる二人をジトッとした視線で眺めていると
「将臣、紹介しよう」
 嬉しそうな声音で秘書の後から入って来た男を俺に紹介しようと、兄が椅子から立ち上がり
「今日からお前のボディーガード兼運転手の……」
 それがDomの家村大雅との出会いだった。


          ◇


 胡散臭い笑顔がどうも嫌いだ。
 兄の恭司から紹介された家村と言う男は、出会った時から物腰の柔らかい男だった。俺よりも三つ年下の二十五歳。同じ位の身長に、体躯。切れ長の奥二重は一見鋭い目付きに見えるものの、神経質そうな眼鏡のおかげで幾分か誤魔化されている。俺とは違う顔の造形。俺はどちらかといえばくっきり二重に少し垂れ目なので、見た目は優男という感じ……。出来れば家村みたいな切れ長の目になりたかったが、遺伝とは恐ろしいものでこの垂れ目は兄妹全員がそうだ。鼻筋も俺のは鷲鼻で唇も普通よりはポテッとしている。対して奴の鼻筋は綺麗にシュッと通っており、唇もどちらかといえば薄め。見た感じはきつめの美人と言ったところだ。ハイブランド物では無いスーツも、スラッとした奴が着ると見え方が違うんだなと思える程には清潔に着こなしているし、喋り方もゆっくりと柔らかく喋るので、俺以外の社員には好評だ。
 以前俺のボディーガードをしていた奴は、つい先日兄が勝手に解雇している。その原因が、何度かプレイで手合わせした女のSubが遊びじゃ無く俺に本気になってしまいストーカーになってしまった事だった。
 俺にしてみれば女のSubはプレイの道具であり、決して本気にはならない人種。だが、相手からしてみればその辺にいるDomよりもフェロモンが強い俺の支配下は心地良かったのだろう。会社まで押しかけバッグに忍ばせたナイフで俺を切りつけようと飛びかかってきた。一歩出足が遅かった為に頭と顔を防御した腕を怪我してしまうという事があったばかりだ。その経緯で兄はそのボディーガードを即刻クビにし、次の人選は自分がするからと譲らなかった。
 昔から護衛でボディーガードはいた。幼い頃は誘拐目的を危惧して付いていたが、成長するにつれそれは窮屈と言う二文字の何ものでも無い感が否めない。
 俺としてはDomの自分が知らないDomに守ってもらうという事に多少なりとも違和感があり、これを機に止めて欲しかったのが本音だが、如何せん問題を起こしたばかりの俺の言葉は兄には届かなかった。
 で、新しく着任してきたのがこの家村と言うワケだ。兄や周りからの評価は高く、一瞬きつそうな感じの顔をしているが喋り易くて腰が低い。物腰の柔らかい雰囲気に笑顔が素敵なんて言われてるらしいが、俺に笑いかけてくる目が、俺は気に入らない。
 Dom特有の相手を支配下に置きたいという目が。
 基本的にDomを警護する人間はDomだと相場が決まっている。それは相対する人間もDomが多いからだ。フェロモンやGlareというDom特有の圧がより強い方が相手のDomを支配下に置きやすく、無駄な争いになる事が少ない。一応、何かしら格闘技をしている奴や有段者を採用する事が多いが、それらをしていなくても先程言ったみたいにフェロモンやGlareが強いDomも優先的に採用される。
 両親を筆頭に兄の恭司や俺、妹の護衛をしているDomは、採用されれば二週間専門の施設に行ってミッチリ訓練や所作を学ぶ。そうして晴れて護衛の仕事につけるのだが、その時に雇い主に対してフェロモンやglareを出さないようにと習うはずだ。たが、家村は隠しいるつもりでも俺は敏感に奴のそれらを感じ取ってしまう。
 その点では前の奴の方がまだ扱いやすかった。それは、俺の方がフェロモンやGlareが強かったから……。今回のこの男は兄が見つけて来ただけの事はあるのか、当然俺よりもフェロモンやGlareが強く、それも俺からしてみれば気に入らない一つだ。
「専務、到着致しました」
 落ち着きのある低めの音声で車はゆっくり停車すると、運転席からそう声がかかり俺は見ていた書類から視線を上げる。バックミラー越しに目が合った家村はニコリと俺に微笑み掛けるが、俺はフイと視線を外して無言のままでいると、奴は車から降りて俺が座っている後部座席のドアを開ける。
「どうぞ」
 開いたドアを持ち上部に手を添えて俺の頭が天井に打つからないようにし、俺が車から出ると静かに車のドアを閉め、後ろを歩いて付いて来る。
 俺は見ていた書類を、俺と同じように車から出て隣を歩いている秘書に手渡しながら
「次の予定は?」
 と、質問すれば
「十四時から東堂建設の方と打ち合わせです」
 スラスラと次の予定を言ってくる秘書に一度チラリと目配せして
「それまで誰も部屋に通すな。東堂建設の専務が来たら知らせろ」
 言いながら俺は目の前にそびえ立つ自社ビルへと入って行く。
 真っ直ぐ自分の役員室に入り正面奥にある大きな机と椅子へは座らず、手前にある応接セットのソファーにドカリと腰を下ろし、背もたれに首を預け
 はぁ~……。
 大きな溜め息を一つ吐き出し目を閉じる。
 この世界には男女性の他にダイナミクスと言われる特殊な性が存在する。種類としてDom、Sub、Switchの三種類で、平たく言ってしまえばDomはSubを自分の支配下に置き、虐めたい、守りたい、信頼が欲しい等の独特の感情を持つ。SubもまたDomに虐められたい、構って欲しい、褒めて欲しい。等の感情を持ち、傍から見ればSMのような関係を築く性だ。そして、Switchはそのどちらの性も合わせ持っている稀な性になる。
 人口比率としては少なく、世間一般的には出会う事も難しいとされているが、俺がいるところではそう難しくも無い。それは俺の置かれている環境が関係する。
 橘と言う名前は、Dom、Subのダイナミクス性界隈では有名だ。
 Dom至上主義の家系。代々Dom同士の婚姻でDomしか生まれないようにしてきた家だ。家族は全員がDom。稀にノーマルやSubが生まれる事もあったらしいが、そうなれば分家の家に養子に出されていたらしい。
 生まれ落ちた時からDomとはこう有るべきだと教育され、人の上に立つのが当たり前。いかに周りの人間を自分の支配下に置き、駒のように動かし利益を生むかを考えて行動する事を良しとしている。
 物心がつく頃には、金で雇われたSubが周りにいる環境に置かれ、より実務的に人の上に立つ事を教わる。それを俺や弟妹に教えていたのが兄の恭司だ。
 仕事で忙しい両親に変わり、俺達の面倒をみてきた兄。俺にとっては両親よりも親らしい存在。
 兄は家族や周りのDomよりもフェロモンやGlareが強い。
 俺はゴソッとジャケットの内ポケットを弄り錠剤を取り出すと、テーブルの上にある水の入ったガラス瓶とそれに被せてあるグラスを取り錠剤を嚥下する。
「……、疲れた……」
 ボソリと呟いた台詞は、誰に聞かれる事も無く勝手に空中分解していく。
 ブブッ。
 錠剤と一緒に入れていたスマホがラインを告げてバイブする。俺はスマホを取り出し画面を確認すると、送り主は美鈴からだ。
 瀬尾美鈴、二十八歳のDomで俺の幼馴染み。世間から言わせれば俺の妻。
『来週私の両親が会いたいそうです。本宅へお帰りになりますよう宜しくお願い致します』
 ラインの内容に『了解』とだけ打ち返して、また一つ溜め息。
 美鈴と結婚して三年。本当は生涯誰とも結婚する気が無かった俺が、三年前兄の恭司と美鈴に結婚話が持ち上がり、成り行きでこうなってしまった。
 それは、美鈴が結婚するなら恭司よりも俺と結婚すると聞かなかったからだ。その話を美鈴から聞いた時、まぁ、そうなるだろうな……と納得した自分がいる。
 俺と美鈴は同い年の幼馴染み。そしてお互いに性嗜好が一致している。それは、恋愛対象が同性にしか興味を持てないという事だ。中学の時から互いにその事は知っていたし、高校からは互いの恋愛遍歴も把握する程度には親しい。
『私、もし結婚するなら将臣とします。そうなればお互いに楽ですし、上手くいくと思いません?』
 高校卒業間近の時、美鈴から言われたその一言は、互いにとってメリットしか無い響きに聞こえた。小さい時から美鈴は俺の家の誰かと結婚させると親同士で約束が交わされていて、美鈴は俺の性嗜好を知った中学の時から俺と結婚すると決めていたらしい。
 美鈴は兄との縁談を蹴って俺と結婚する事になったが、兄は兄ですぐにどこぞの令嬢と婚約し俺と美鈴がそうなる前に式を上げ結婚した。そうして俺達は兄の数ヶ月後に挙式を上げている。
 美鈴は大学在学中に生涯のパートナーを見付け、今ではその彼女とタワマンで暮らしている。彼女は勿論Sub。一般家庭に生まれ極々普通の女にしか見えないが、美鈴にとってはとても魅力的に映るらしい。たまに二人一緒のところを目にする機会があるが、互いに信頼し合えるパートナーだと雰囲気が物語っている。俺が望んでも手に出来ないモノを手にして幸せそうな二人を見れば、羨ましいという言葉が素直に出てくる位に。
 一応、都内に一軒家も建てているが、お互いにタワマンで暮らしている。今回みたいにどちらかの親族が訪ねて来る時に本宅の一軒家に帰って仮面夫婦を演じるのだ。
 後は会社のパーティーがある時等、夫婦で出席しないといけない集りには、仲の良い夫婦を演じる。
 ……………。演じるは大袈裟か。美鈴と俺は元々仲は良い方だ。でなければこんな嘘みたいな夫婦関係を築く事も出来なかっただろう。
 世間一般的には歪な関係かもしれないが、俺達にとってはとても居心地の良い関係だ。夫婦であるべき時にはそうして、それ以外は互いに全く干渉し合わない。
 子供の事も互いに望んではいない為、何の問題も無い。
 コンコンコンコン。
 突然扉がノックされ俺は音のした方へと顔を向けると、ソファーから立ち上がり
「どうぞ」
 一声掛けると秘書が扉を開け
「専務、お時間です」
「東堂建設の方は?」
「来られてます」
「通してくれ」
 その一言に秘書は一度お辞儀して部屋から出て行く。
 俺はジャケットの襟元をクイッと下に引っ張り、くつろげていたボタンを留めて一歩を踏み出す。


          ◇


「お前はもう上がっていい。家村、この後もう一件送ってくれ」
 本日の業務が終わり、部屋で明日のスケジュールを秘書から聞いた後、俺はそう二人に声を掛ける。
 秘書は俺に一礼すると『お疲れ様でした』と言い部屋を出て行く。
「どちらまで?」
 俺から残業を言い渡された家村だったが、嫌な顔一つせずにニコリと目的地を聞いてくる。
「〇〇ホテル」
「〇〇ホテル? 今からそこで仕事ですか?」
「……………、黙って連れて行けば良いんだよ」
 突っ込んで聞いてくる家村に、俺は嫌そうな顔を向けながら答えると、途端にニヘッと口角を上げながら
「了解です。すぐに車を回して来ます」
 俺に一瞥すると奴はすぐに部屋から出て行く。
 俺も持ち帰れる仕事の資料を鞄へ入れ込み部屋を後にして下へ向かうと、数分会社の入口で足を止めていれば、車止めのところに黒塗りの車が一台俺の前に停まった。
 運転席から出てきた家村は、俺のために後部座席のドアを開けて天井をいつものように手で押さえ、俺は開けられたドアからシートに滑るように乗り込みジャケットからスマホを取り出す。
『これから出ます』
 たった一言、相手にラインすると俺は車の窓に額をあて流れ出した外の景色を見る事も無く目で追う。
 〇〇ホテルは会社の系列店舗だ。
 橘は代々ホテル経営で財を成してきた。初代橘は貿易から始めたらしいが、今ではホテル業で飯を食っている。
 全国各地、果ては世界へと手を伸ばし外資系並みの高級ホテルから、ビジネスホテル、海外では旅館的な雰囲気のホテルまで。近年では弱かった国内のインバウンド需要が高まった事に加え、値段以上のサービスやイベント事が売りとなり年々国内の業績は黒字に転じている。
 今日は月に何回かある兄とのミーティング。兄の都合が良い時に、ホテル指定と時間が俺のスマホに入ってくる。業務が終わり兄が指定してきたホテルへと向かい、二時間程ミーティングをするのだ。
 車は目的地のホテルへと入って行き、車寄せに停まると駐車係が素早く近付いて来て後部座席のドアを開けてくれる。それと同時に家村も車のエンジンを切ろうとするので
「お前は付いて来なくていい」
 後ろからそう声を掛けると、戸惑う視線がバックミラーに映る。
「え? でも……業務ですし……」
 毎月何度か場所も時間も決まっていないホテルに行く俺を、これから会うのが兄とは知らない家村は、俺がどこかのDomと仕事で会うと思っている。ならばボディーガードとして付いて来るのはコイツの仕事だ。それを拒否られているのだ。戸惑って当たり前か……。
「問題無い。いつものように二時間程どこかで時間を潰して、またここで待機していろ」
「え? ……チョッ、専務!?」
 それだけ言って俺は開いているドアからさっさと車を降り、背中に家村の声を聞きながらホテルの中へと入って行く。
 俺はフロントを突っ切ってラインに入ってきていた部屋まで向かう。エレベーターに乗り込み最上階付近のボタンを押して上がって行く箱の中でスマホを取り出すと
『もうすぐ着きます』
 とだけ文字を打ち、すぐにスマホをしまう。
 ポーン。と軽い音をたてながらエレベーターが止まり、俺は指定されている部屋まで向かうと
 コンコンコン。
 ノックして暫くドアの前で立っていると、カチャッと鍵が開く音と共にドアが手前に引かれ兄の姿が目に飛び込んでくる。
「どうぞ」
 俺がドアの前で立っている事を認識して、笑顔でドアを大きく開き兄が俺を招き入れる。俺は無言で部屋の中へと入って行き、何度か来た事のあるジュニアスイートの部屋を無意識にキョロキョロと見渡していると
「家村君は? また放っといて来たのかい?」
 なんて、意地悪なのか面白がって言っているのか解らない感じで兄が聞いてくるから
「置いてきましたよ、当然。ここに来ても意味が無い……」
 至極当たり前の事を返すと、兄は肩を竦めながら
「彼も私と同じ位のDomだから、お前にとっては好都合だと思うが?」
 兄の言い方で、意地悪でも面白がってもいない事を解ってしまうと、俺は大きく溜め息を吐き出して
「好都合だとしても、彼には頼みませんよ」
 着ているジャケットを脱ぎながら言い捨てた俺に、兄は苦笑いを浮かべながら
「まぁ、その話は追々するとして……そろそろ始めようか?」
 脱いだジャケットをソファーへ投げ置いた俺を見て、兄は俺から真正面の一人がけカウチソファーに座りこちらに笑顔で手を差し出すと
「Switch」
 と、呟く。


         ◇


「まずはこちらに来なさい。Come」
 兄のコマンド、そして『Switch』と言われた事により普段感じる事の無いDomのフェロモンに支配され、俺はゆっくりと兄の方へと近付いて行く。
「Goodboy。フ……ン、パンツが皺になるな。Strip」
 フラリと近付いた俺を褒めて、次に『脱げ』のコマンド。
 俺は言われた通りに着ているものを自分の肌から離していく。そうしてボクサーパンツだけ残し、全て脱ぎ捨てると
「良い子だ将臣。では、Kneelだ」
 一人がけのカウチソファーにゆったりと座った兄の足元に、俺は膝を着いて『お座り』する。
 兄のコマンドに対して素直に言う事を聞いた俺の顎をクイと掴んで自分の方へと顔を向かせれば、満足そうな笑みで俺を見下ろしている兄の表情がある。そのまま顎下を指先で撫でられながら
「Goodboy」
 と褒められ、俺は視線の端にある兄の腕に首を傾けて頬を擦り付ける。
 ……そう、俺はSwitchだ。
 SwitchとはDomにもSubにもなれるダイナミクスの中でも稀な部類に入る性だ。ダイナミクスってだけでも数は少ないのだが、Switchになればそれよりも更に数が少なくなる。俺も自分以外のSwitchとは出会った事が無い。
 自分がそうだと判ったのは中学の時。家から雇われている女のSubを相手にプレイしてもスッキリせず苛々が募る事が多くなった時期がある。当初は精通を終えホルモンの変化により誰かを組み敷きたい欲求がそうさせているのだと思っていた俺は、その日あてがわれていた女のSubを支配下に置き、自分の好きなように弄んだ。だが、自分の屹立を女の中へ入れた途端プレイで興奮して勃ち上がったモノは勢いを無くし、それと同時に違和感を覚えてそのSubを放ったらかして部屋を出たのを覚えている。
 それ以来プレイの延長線上で抱く事にしているのは男のSubだ。
 当初感じた違和感は男のSubを組み敷いた事で消え、それと同時に自分の性的嗜好を認識する事となる。一時は男のSubを抱く事で苛々も緩和されていたが、ある日体調を崩した。頭痛が酷く、熱があるのに寒気が止まらない。風邪をひいたんだと思いその日は学校も休んで家で大人しくしていた。
 自室で寝ていた俺は酷く喉が渇いた感覚に目を覚まし、ベッドの側にあるチェストへと視線を向けたが水が入っていた容器は既に何も無く、熱っぽい溜め息を吐き出し起き上がるとキッチンに向かった。
 そこまで行けばお手伝いの人や、料理人のスタッフ達がいると知っていたからだ。裸足のままで長い廊下を歩いていると、階段の奥に兄の部屋がある。五つ年上の兄は大学受験の為、高校の授業が終わっても予備校に行っているはずなのだが部屋の中から声が聞こえ、俺は嬉しくて挨拶だけでもと思い兄の部屋まで行ってしまった。
 スリッパを履かずに裸足だった為廊下を歩く足音は無音で……、俺が近付いていると気付かなかった兄の部屋のドアは声が聞こえる程度に少しだけ開いていた。
 部屋の中では兄が女のSubに向けてコマンドを言っているところで……。
『Kneel』
 -----ドクンッ。
 俺に言っているワケでは無いのに、兄のコマンドに体の力は抜け俺はその場に崩れ落ちる。その時に壁に体が当たりガタッと音を立ててしまった。
『誰だッ?』
 物音でプレイを中断した少し不機嫌そうな兄の声に、ビクリと肩が揺れる。早く立ち上がってその場から去りたいのに、体は自分の言う事を聞かずにその場にしゃがみ込んだまま。
 キィ……。
 かすかに開いていたドアが更に開いて、俺の視線の先には兄の足が映る。
『将臣……?』
 戸惑うような兄の声に名前を呼ばれてゆっくりと顔を上げれば、俺を見下ろしているDomの表情で兄がそこにいた。
『兄、さ……ッ』
 まさか目の前でプレイしている女のSubと同じ姿勢で実の弟がいるとは思っていなかった兄は、少し動揺しながらも俺がお座りの格好でいる事に酷く興奮している様子で……。
『何……してる?』
『わ、かんな……』
 自分でも何故お座りをしているのか解らず絞り出した声は掠れているが、兄から言われたコマンドに従っている体は喜びに打ち震え、安心感さえも感じるようで……。その感覚に自分が一番驚き、戸惑い、そして早く褒めて欲しいという欲が体の奥から湧き上がっていて……。
 その後の兄の行動は早かった。プレイしていたSubを早々に帰し、両親には内緒でダイナミクス性専門の医療機関を一緒に受診。そこで俺はSwitchだと診断された。
 Dom至上主義の家系。Subやノーマルがもし生まれれば否応無しに分家へと養子に出される。その事が脳裏を過ぎり、Switchだと診断された俺はサァと体中から血の気が引いた。だが
『二人だけの秘密だ。良いね?』
 そうして俺と兄だけの秘密ができ、こうして共有している。
 SwitchはDomからSubに切り替わる時に対象のDom相手から『Switch』と言われないと切り替えが出来ない。一番最初の、俺に向けられていない兄のコマンドに反応したのは、サブドロップしかけた体と精神が早く楽になりたいと防衛本能から反応したのだろうと医者から言われている。
 Switchだと判明してから俺はSub用の抑制剤も飲むようになった。普段はDomとして生活しているが、抑制剤を飲まなければ体調や精神面でSub側に引きずられる事が多くなるし、万が一Subのフェロモンが出て問題になるとまずいからだ。
 それにもう一つ、Domのフェロモンがそこら辺の奴等に比べて強い俺は自分よりも強いDomにしかSubの本能が上手く反応しない。だからこうやって兄とプレイするしかSub性を安定する事ができない。兄とのプレイは義務的に淡々と行われる。コマンドに対して従い、上手く出来れば褒められる。それによって心が満たされ安定するのだが、昔はそれにプラスして褒められる喜びに体が反応していた。何度兄の前で痴態を見られた事か……。思い出すだけで死にたくなるが、兄は本能なのだから。と淡々とプレイをしてくれていた。今では兄の前で痴態を晒す事も無くなり、大分コントロール出来るようになったと思う。
 兄とのプレイで俺はサブスペースに入った事は無い。
 ………そうだな兄との行為は言うなれば安定剤とでも言えば良いのだろうか? 薬を飲んで状態が安定するに留まる。それ以上もそれ以下も無い。だが、俺にとってはそれが一番良い。
 なまじDom性も併せ持つ俺にとっては、そのDomという性が一番邪魔をする。そしてSub性という弱さを兄の前で完全に曝け出す事も出来ない。それは、全てを兄に依存してしまえば後々互いにとって悪い結末しか迎えない事を理解しているからだ。
 兄は結婚してから再三俺に他のDomとのプレイを提案してくるようになった。兄の知り合いで口が硬く、信用出来る俺よりもDom性が強い奴を……。素直にその条件を飲めば、誰に迷惑をかける事無く丸く収まるのだろうけど、俺の気持ちやプライドが他のDomにコマンドを言わせるって事に拒否反応が出てくる。それに、DomとSubにはある程度の信頼関係が無ければプレイ自体も上手くいかない事が多い。
 まぁ、俺達が日々欲を発散させる為に金で買っているプロのSub達は、そうなるようにしっかりと訓練されている上質な奴等だ。だが、プロでは無い素人とのプレイは信頼関係が重要になってくる。相手にどこまで心が開けて、受け止める事が出来るのか……。
 俺が一番苦手とする事を、兄以外に出来るとは考え辛い。それにプロのDomでも兄以上に強い奴を俺は知らない……。
「Switch」
 俺の頭を撫でながら兄が一言言葉を発する。俺はそう言われてSubからDomへと切り替わる感覚に少し重くなった瞼を閉じた。
「今日はあまり集中出来なかった?」
 脱いだ服を着ている俺の背中に、少し心配そうな兄の声が飛んでくる。
「そう……ですか?」
 ギクリとしたが、そんな事はおくびにも表情には出さずクルリと兄の方を向くと
「体調は? 気分は良くなったかい?」
 と、ゆったりと腰掛けて遊ばせている脚を組直している兄に
「お陰様で、いつも通り良くなってます」
「そうか……」
 俺の台詞に安心したのか、一度背もたれに背中を付けてフゥ。と短く溜め息を吐き出すと
「ところで東堂建設の話はどうなった?」
 途端に経営者の顔付きで仕事の話を振られ、俺は服を整え兄の近くのソファーへ腰掛け
「兄さんの言われたように話は進めてますが、コスト面で少し渋られましたね」
「ハハッ、だろうね。前回に比べて削れるところは削ったから驚いてたんじゃ無いか?」
「まぁ……。けど呑んでもらわなきゃ他を探すまでですし」
「納期もキッチリするように頼めたか?」
「問題無く」
「そうか。もし、面倒臭い事になったら逐一知らせてくれ」
「解りました」
 何度か一緒に仕事をしている相手だが、すんなりと事を運べた記憶はあまり無い。安いコストで最上のモノを……と望んでも、相手も食っていかなきゃならないのだ。度々ぶつかる事も少なくない。兄に言えばスムーズに事が収まるなんてのは百も承知だ。だが、そうすれば俺の手腕が疑問視される。出来るだけ兄のところまではいかないようにしなければ。
「ところで、まだ家村君の事は認めて無いらしいね?」
 フッと少し面白そうに喋り始めた兄の顔を見詰めて
「………必要ですか?」
 思った事を口にした俺に、兄は一瞬キョトンとした顔で俺を見詰め返したが次いではすぐに肩を竦めて
「一応、命を預かって貰ってるからね。大事だと思うよ? 信頼関係は……」
「……互いに自分の仕事をするだけだと思うんですがね……」
「自分で選べなかった事を怒ってるのかい?」
「そんな事はッ……」
 無い。とは果たして言い切れるだろうか? 
 押し黙った俺に再度兄は楽しそうに鼻から息を短く出すと
「お前は自分よりDomのフェロモンが弱い奴を選ぶだろ? それでは意味が無い事はもう理解出来ているだろう?」
 前回の事を引き合いに出され、正論過ぎて俯いて言葉を無くしている俺に
「時には誰かに委ねる事も大切だよ。将臣」
 思いの外優しい声音で言われ、再び兄の方へ視線を泳がすと、少し寂しそうな顔付きで微笑んでいる表情とぶつかる。
 兄がそんな顔をする時は決まって俺の双子の弟、英臣の事を思い出している時だと理解している。英臣が家を出て一番寂しそうだったのが兄だからだ。まぁ、仕事だ飼っているSubの世話だと忙しい両親に変わって俺達弟妹の面倒を見てきたのは兄だったのだから、その感情は理解できる。
 二卵性双生児で生まれた俺と英臣は双子だがそこまでソックリなワケじゃ無い。だが兄だけは昔から俺達が良く似ていると言っていた。時たま兄は俺を見ながらもその後ろで英臣を見ている時がある。俺達は幼い時は一方が泣けば離れていた一方も泣くみたいな不思議な事はままあったらしいが、大きくなるにつれそんな不思議な事も無くなった。考え方も、好みも、癖も全く違う俺達は、互いが大学生の時に英臣が起業し家を出た時から疎遠だ。
 英臣はDom至上主義の家の考え方に反発。両親が決めた結婚相手のDomとは絶対に結婚しないと言い切り、自分で好きになったDomでは無くSubやノーマルと恋愛すると言って家を出た。今まで散々家が用意したSubを使ってプレイして楽しんでいたり、多頭飼育までしていたのに、大学に入り長谷川と言う奴と出会ってからより考え方が変わったのだ。
 呼び付けていたSubを呼び付けなくなり、飼育していたSubをあっさりと手放してSubやノーマルの奴等に対しても同等の態度で接するようになった。そんな英臣に両親は早々に見切りを付けて無い者としているが、兄だけは未だに英臣に対して連絡を取っている。それは弟に対して何も出来なかった自分を悔やんでしているかどうなのかは解らないが、それでも何かしてやりたいと思っての事なのだろう。だが、それを俺に知られれば俺が不機嫌になる事を知っているから隠しているつもりのようだが、俺は知っている。出て行った英臣の近況が知りたくてわざわざSubを英臣の所まで様子を見に行かせている事を。
 ……それに既にアイツはもう心に決めた自分のSubを手に入れていたようだった。以前新規事業の件で英臣と家が揉めた事があり、文句を言いに英臣のマンションまで行った事がある。その時に俺がアイツのSubにコマンドを発した時のアイツの顔……。大切なものを奪われたく無い。傷付ける奴は許さない。といった表情で……。実家にいた時には常に無表情で誰にも感情を読ませなかったアイツの激情を目の当たりにして俺は驚き、そのまま帰って来た記憶がある。
 変わったアイツを見て美鈴とパートナーの幸せそうな姿が過ぎり、英臣と相手に対しても自分は羨ましいと思うのかと……。だが自分自身は今更生き方を変える事なんて出来ないと、自虐的に笑ってそれでおしまいにした。
「さぁ、そろそろ帰りなさい。明日の業務に響くだろう?」
 黙ったままの俺に兄はそう言ってニコリと笑い、座っているカウチソファーから立ち上がる。俺もそれにつられるように立ち上がると、ソファーへ投げていたジャケットを持ちドアの方へと歩き出した。
「お休み将臣。ゆっくり寝なさい」
「はい、お休みなさい」
 ドアまで見送りに来た兄を一度振り返り、いつものように挨拶を交わして俺は部屋を後にし、ホテルの車寄せへ向かうと出てすぐ出入り口の正面に見慣れた黒塗りの車があり、一歩近付くと家村が運転席から出て来て後部座席のドアを開ける。
「お帰りなさいませ」
「ン……」
 後部座席へと乗り込むと静かにドアが閉められ、数秒後にゆっくりと車が進み出す。
「……あの、もしかして近くにSubがいましたか?」
 突然の家村の台詞に、俺はピクリと指先が跳ねバックミラーへ視線を移すと、奴もまた俺を鏡越しに見ていて……。
「イヤ……居なかったが?」
「そう……ですか」
 たったそれだけの会話のやり取りだが、俺はドキドキと不整脈になるのでは? と思う程心拍数が上がり動揺している。今まで家村からこういう事を聞かれた事は無い。兄にはちゃんと『Switch』と言ってもらいSubからDomへと切り替わっているはずだ。ならば……何故?
 集中出来なかった自分と何か関係があるのだろうか?
 -------あ、プレイが終わって俺は抑制剤を飲んだか?
 プレイが終わってからの自分の行動を思い返し、抑制剤を飲んでいない事実を思い出した俺は心の中で舌打ちしながら不自然にならないようにフイと視線を外し、いつものように窓へと顔を向ける。
「……………。誰かに委ねる……か」
 兄に言われた台詞を思い出し呟くが、それは誰にも知られる事なく、車の音に掻き消される。


          ◇


 ここ最近、すこぶる体調が悪い。
 日々は普通に過ぎていっているのに、俺だけが取り残されたように徐々に弱ってきているようだ。
 理由は明白。
 それは先日兄とプレイした後からSubとして全くプレイが出来なくなったからだ。理由は兄の奥さんが妊娠したから。前々から兄には自分以外のDomとのプレイを勧められていたが、俺がそれを拒否していた為ズルズルと兄とプレイをするという関係が断てていなかった。だが兄の奥さんが妊娠した今、兄からは『私も出来る限りのサポートしてやりたいと思っている』と言われれば俺の都合だけで兄の時間を縛る事も出来なくなった。
 さんざ兄から『信用出来るDomを紹介する』と言われていたが、俺は首を縦に振らなかった。
 自業自得と言えばそれまで。今のこの状況を作り出しているのも全て自分のした事なのだが、だからといって『はい、解りました』と他人のDomを受け入れられる程器用でも無い。
 Subのフェロモンや精神面でSub性に引っ張られない為に安易な考えで薬の量が増えた。
 俺が服用しているSub用の抑制剤は通常よりも強いものだ。それは他人に自分がSubだと解ってしまうかもという恐怖心から一番強いものを選んでいるのだが、強い薬は効能に対して副作用も強い。俺が飲んでいるものは倦怠感や睡眠障害があり、Sub用の抑制剤をここ最近通常よりも多く服用している為、睡眠不足にプラスして本当に頭痛が激しくもっと酷い時には吐き気までもよおす始末だ。
 ……………、良い加減誰でもいいからプレイしないとな………。
 金さえ払えば自分よりも力の弱いDomにプレイはしてもらえる。ただ、それで自分が上手くSub性に切り替わるのか、またコマンドが効くのかは不明だ。
「多分……無理だと思うがな」
 前に一度だけ試した事のある行為は、俺にとって苦痛なだけだった。上手く切り替わる事も出来なければ、効きもしないコマンドに不快感だけが肌をなぞるようで……。
 あの時の記憶が蘇りそうになり、俺はブルリと身震いすると傍らにあったグラスを手に持ち、中の水を一気に飲み干す。
 コンコンコンコン。
 役員室のドアをノックされ、溜め息を吐き出しながら応答すると、秘書が中へと入って来て
「専務、そろそろお時間です」
 と、最後の業務連絡を伝えてくる。
「解った。お前はもう上がって構わない、車は?」
「はい、既に表に用意出来ております」
 俺はその言葉に椅子から立ち上がり、部屋を出て行く。
 今から商談と言う名の会食だ。今度安く買い上げたワンルームマンションを改装してビジネスホテルにするために新しく手を組む事になった企業との交流の場を、あちら側から提案してきた。会食などと良い言い方をしているが、言ってしまえば接待だ。これから一緒に仕事をする相手との会食を、体調が悪いからと無下に断れない。
 家村が開けている後部座席に滑り込むように入り、秘書からあらかじめ目的地を聞いていたのであろう、奴はスムーズに車を出す。
 しばらく車を走らせて到着した店で車を降りた俺の後ろには、家村も一緒に付いて来ている。
「一時間半位に体よく切り上げさせろ」
 後ろに付いて来ている家村を振り返らずに、俺はそう言うと
「……、解りました」
 しばらく黙ったままだった家村がそう呟き返し、ゴソゴソと後ろで何かしている。
 店に入ると正面に、予約客をさばくスタッフがカウンターに立っており、俺達を見てペコリと深くお辞儀する。
「いらっしゃいませ、橘様」
 事前に俺の事を知っていたスタッフはニコリと挨拶してカウンターから出て来ると「こちらです」と一言い、俺達を席へと案内する。ゴージャス過ぎない内装は、シンプルだが品良くまとめられており、明る過ぎ無い照明が落ち着いた雰囲気によくマッチしている。俺達は左手にその中で食事を楽しんでいる人達を見ながら、カウンター奥の階段を上がって行く。きっと二階が個室になっているのだろう。
 階段から毛足の長い絨毯が敷かれており、靴音はそれに吸収される。二階に着けば廊下を挟んで扉が二つ。スタッフはそのうちの一つに近付くと軽やかにノックをして中からの返事を待っている。
 「何だ?」かその辺の答える声が中から聞こえ「橘様がお見えになりました」と、スタッフが返せば「通せ」とまた返事が返ってきて、その台詞にスタッフは一度俺を振り返りニコリと笑ってドアを手前に引く。
 開かれたドアから顔を覗かせれば
「橘さん、お待ちしていましたよ」
 と、先程の武尊な言い方は鳴りをひそめニヤついた顔で席を立つ取り引き先の奴等が出迎えてくれる。
「遅れてすみません、少し道が渋滞していたもので」
 だが俺もそんな事はおくびにも出さず、貼り付けた笑顔で勧められた席へと座るとタイミング良く室内に入って来た給仕がテーブル横にセッティングしてあったバケツ型のワインクーラーからグラスにワインを注ぐ。
「イヤイヤ、お忙しい中お時間を作って頂きありがとうございます」
 相手のグラスにもワインが注がれ、グラスを互いに持ち上げる事で乾杯の意とする。
「料理を持って来てくれ」
「かしこまりました」
 給仕はそう言われ軽く会釈すると部屋を出て行く。入って来た時から何となく力関係を見ていると、俺の正面に座っている相手側の専務が一番偉そうで采配をしている。まぁ、相手側で一番Dom性が強いのがコイツだ。次は俺の隣に座っている部長。一応Domなのだろうがそこまで強いワケじゃない。そうして専務の隣に座ってる平社員みたいなのが唯一ノーマルってところか。
 Domの奴は自分のダイナミクス性を抑える事をしない奴がほとんどだ。一応Dom用の抑制剤もあるが、飲んでいる奴に俺はほとんど出会った事が無い。俺はSub用の抑制剤を飲んでいるから、併用してDom用は飲めない。
 こいつ等も自分達の背後に二人、Domのボディーガードを配置しているが、俺や家村よりも力は強く無さそうだ。
「本日はより楽しんで頂けるようにしましたので、満喫して帰って下さい」
「……………、ありがとうございます」
 少し含みを持たせた物言いが気になったが、俺は微かに笑いながら答える。すると部屋のドアがノックされ、給仕が料理を運んで来た。
「入りたまえ」
 楽しそうに向こうの専務がそう言うと、ドアが開きカラカラとワゴンを押して入ってきたのは若い女のSub達だ。
「ッ……」
 明らかに給仕では無い雰囲気に俺と家村は緊張するが、そんな俺達に気が付いたのか
「そんなに構えないで下さい、ただの給仕として雇ったSubです。何なりと申し付けて下さって大丈夫ですよ」
 ニヤニヤと下衆な顔付きで専務がそう言い、オードブルの盛り合わせが乗った皿を静かにテーブルへ置くSubの尻を突然鷲掴むと
「気に入った子がいれば、どうぞコマンドで好きにして頂いても構いません」
 そのまま鷲掴かんだ手を厭らしく動かしているが、掴まれているSubは嫌な素振りを見せるどころか、どこかもっとして欲しそうな表情で相手を見詰めている。
 ……………、何だ?
 その雰囲気に違和感を覚えた俺は注意深くSubを見ていたが、俺の目の前に皿を置いたSubの匂いが香って全てを把握する。
 この女達、抑制剤を飲んでいない……。むしろ誘発剤を飲まされているのか?
 近付いたSubからフェロモンが強烈に匂って、俺は眉間に皺を寄せてしまう。
 こういう会食にSubを雇う事はままある事だ。だが、安全を確保する為Subが抑制剤を使用している事が多く、それによってDomも暴走する事無く楽しむ場が提供される。
 体調が良ければ軽くかわせるのだが……。
 テーブルに乗った皿へフォークを滑らせて、何事も無いような素振りで料理を口に運びワインを飲む。隣に立ったSubを極力見ないようにし、世話を焼きたがる行動を制して気の無い事をアピールしているが、それをどう取ったのか相手側の専務は俺の言動に少し不満顔を向けながら
「お気に召しませんでしたか? それとも従順なSubはお嫌いかな?」
 自分が言った発言にガハハッと汚く笑う相手を冷やかに見詰めながらも、俺も口角を上げて笑い
「Subとのプレイは飽きる程やってますからね。逆に私よりも力の弱いDomを服従させたら面白いかもしれません」
 嫌味を込めて言った俺の発言に一瞬にして場の空気が凍る。それはそうだろう。俺よりも強いDom性を持っているのはこの場で家村位しか居ないのだから。もし、俺がここでGlareを使えば簡単に家村以外の全員が服従するだろう。
「ハッ……、ハハハッ! 流石橘さん、冗談がお上手ですね」
 顔を引き攣らせながらそう言うしか無い台詞を吐いて、側にいるSubに俺のグラスにワインを注がせる。俺も事を荒立てる事は無いと静かにワインを注がせるが……。
 如何せんSub達のフェロモンが強く、鼻よりも口で息をしないと持っていかれそうだ。
 俺が呟いた一言で暫くは仕事の話をしながら食事をしていたが、一向にSubに手を出さない俺に痺れを切らしたのか、周りが苛々している事が肌で解る。きっと俺がこの中のSubに一言でもコマンドを言えば、自分達が優位にでもなれると勘違いしているのだ。
 ………………、次は無いな。
 自分達の技量で仕事を取らない奴等と、次回一緒に仕事をするつもりは無い。今回の件が終れば兄に報告して終わりだ。
 ………Subの使い方が悪かったな。
 デザートを待つ間、相手側の専務が焦りと苛ついた表情を最早酒で隠す事も出来なくなったのか、唐突に隣にいたSubに対し
「Kneel」
 と、コマンドを発した瞬間。
 グニャリと俺の視界は歪み、咄嗟に掴んだテーブルクロスを手前に引いてしまった為に、ワイングラスがバランスを崩して床へと滑り落ちる。
 ガシャンッ!!
 大きい音を立てて床の上でグラスが割れて、ワインが広がり血溜まりみたいになっているが、そこへ視線を移す前にコマンドを言われたSubの嬉しそうな表情が視界に入り、俺はゾワリと項が粟立つ。
 強引に誘発剤を飲んでいるSubの女は、我慢していたコマンドを言って貰えてウットリと恍惚の表情を浮かべながら、その場にお座りしている。
「GoodGirl」
 グラスが割れているというのに、コマンドに従ったSubを褒める言葉に、褒められた女は更に嬉しそうに褒めた相手の太腿に自分の頬を擦り寄せて、もっと言ってくれと次のコマンドを催促するよう上目遣いで相手を見ていて……。
 俺はワイングラスからそのSubヘ再び視線を泳がせ、目が離せなくなってしまう。それは、自分がコマンドを言いたい衝動に駆られたからじゃ無い。自分がコマンドを言って欲しいと思ってしまったからだ。
 Domの支配下に入って、気持ち良さそうにしているSubが羨ましく、自分も誰かにコマンドを言ってもらいたいと言う欲が湧き上がる。
「ぁ……………ッ」
 歪んだ視界が赤く染まり、さっきまで飲んでいたはずなのに喉が酷く渇いて持っていかれそうになった俺の耳に
 プッ、プルルルルルルッ、プルルル……。
 俺の背後で電話の着信音が鳴り、ハッと我に返って後ろを振り返れば、家村が自分の内ポケットからスマホを取り出し、一度俺の顔を見て電話に出る。
「家村です。……はい、今は会食中でして……、はい、はい……。かしこまりました、伝えます。失礼致します」
 小声で応対して電話を切った家村は一歩俺に近付き耳元に口を近付けると
「社長から、〇〇の資料が早急に見たいとの事です」
 と、告げる。
 基本仕事の資料は全て会社の役員室の金庫へ保管している。早急に見たいならば一旦会社へ戻らなければ……。
「すみません、急遽急ぎの用が出来ましたので、この辺で切り上げさせて頂きます」
 俺は膝に置いてあるナプキンで口元を拭いながらそう言うと、相手は困惑気味に
「きゅ、急ですな。後はデザートだけですので、食べて行かれては?」
 何としてでも俺を引き留めたい相手は、俺の隣にいるSubに目配せすると、そのSubが俺の肩に手を伸ばそうとする。
「触るな」
 先程まで持っていかれそうになっていた自分に対しての苛つきで、威嚇の覇気を上手く隠せない俺は、低く暗い物言いをSubへと発してしまう。
 言われたSubは伸ばしていた手を瞬時に引っ込め、すぅっと血の気が引いた顔で俺を凝視し固まると、カチカチと奥歯を鳴らし始め周りにいた者達も一瞬で固まり、息を呑んでいる。
 俺はガタッと椅子を引いて立ち上がり
「お先に失礼致します」
 一度ニコリと微笑んで、クルリと踵を返す。
 部屋を出て階段をユックリと降り、行きしなに確認していた階段奥のレストルームへと歩いて行く。
「専務?」
 家村は突然歩く方向を変えた俺に驚きながらも後を付いて来る。俺はレストルームへ入ると足早に扉に近付いてドアを閉める余裕も無く便座の蓋を開け、両膝から崩れ落ちた瞬間。
「ぅ゛………ッ、ゲエ゛、ェ゛……ッ」
 先程まで食べていた料理が胃から食道を通って口から吐き出される。
「専務ッ!?」
 後ろにいた家村は突然吐き出した俺に驚いた声を上げるが、すぐに俺の背中を擦りに近付き
「大丈夫ですか?」
「……ッ、ぅ゛……ハァッ……、は、ぁ゛、エ゛ェ……ゲ、ェ゛ッ」
 家村の問いかけに答える余裕無く、俺は吐き続ける。
 …………………。限界が近い。
 ここ最近Sub用の抑制剤でまともに睡眠が出来ず、誤魔化す為にDom性を発散させプレイしていたが、コマンドを言われた時のSubの表情ばかりに目がいってしまう自分が嫌で、最近は一時に比べSubとのプレイも自重していた。それに一番は兄と『プレイが出来ない』事で……。自分のSub性が満たされずギリギリの状態での今日だ。
 普段なら決して思わないのに、最後にコマンドを言われたSubが自分なら良いのにとDomの時に思ってしまう程の羨望と嫌悪。
 あらかた胃の中のモノを吐き出した俺は、ハァッ、ハァッと荒い息を吐き出し便座に腕を置くとその上に額を乗せる。が、すぐに背中を擦っていた手によって顎を持たれグイっと後ろに引かれると、口元をペーパーで拭かれてザァッと水が流れる音。
「立てますか?」
 家村は心配そうな声を出しながら俺の両脇に腕を差し込み持ち上げ、そのまま手洗い場まで移動する。もつれる足を動かして俺も歩き手洗い場の所へある椅子へ座ると、そこにあったグラスに水を入れて奴は俺の前へ差し出した。
「口、気持ち悪いですよね? ゆすいで下さい」
 カタカタと微かに震える指先でグラスを受け取り、口の中をゆすいで吐き出す。そうして傍らに置いてあるナプキンで口を拭いて
「行くぞ……」
 フラリと立ち上がった俺の側へ来て、背中に手を回そうとする家村に俺は
「大丈夫だ、先に行って車を回して来い」
「イヤ、でも……」
「いいから行け」
「ッ……」
 一歩も引かない俺に、家村は一瞬躊躇するが少しズレた眼鏡をクイッと押し上げそのまま立ち上がり、足早にレストルームを出て行く。
「……ックソ」
 俺は一度そう呟き、目の前にある鏡に視線を上げれば、目は充血し真っ青な顔色の自分と目が合って口元を歪める。
「なんて顔してる……」
 とりあえず何事も無かったようにここを出て車に乗らないと……。
 取り引き先の奴等がここに来ないとも限らないし、スタッフにさえ弱ったところを見られたく無い。もし万が一ここのスタッフと取り引き先が繋がっていれば、弱味を握られた事になる。それだけは回避しなければ。
 Domの奴等は容赦が無い。少しでも自分が相手より優位に立てる事柄があれば、それをネタに好きなように振る舞ってくる。自分よりも弱いDomにそんな事……。
 俺は何度か深呼吸を繰り返し息を整えると、足にグッと力を込めて一歩を踏み出す。
「橘様、もうお帰りですか?」
 出入り口付近、俺を個室まで案内した予約係がそう声をかけてきたので
「あぁ……、急に仕事が入ってね」
「そうですか……。当店の料理は楽しんで頂けましたでしょうか?」
「あぁ、悪く無かった。今度は妻と一緒に来よう」
「お待ちしております」
 他愛無い会話を交わし、予約係が出て行く俺の為にドアを開ける。その正面には家村が車の後部座席のドアを開けて待ち構えていた。
 俺は何事も無かったかのように車に乗り込み、家村がドアを閉めると深く背もたれに沈み込む。ドアの外ではスタッフが深々とお辞儀をしていて、車はユックリと走り出した。
「ご自宅まで向かいます」
 バックミラー越しに家村が俺を見ながらそう言うので
「社長が見たい資料があるんだろう? 会社へ戻ってくれ」
 シュルリと締めていたネクタイを緩めながら答えた俺に
「あの電話はフェイクです。専務に言われた通り一時間半で鳴るように設定していたアラームですので……」
「…………………ハッ。……そうか」
 時間指定していた俺の言い付け通りに、ゴソゴソしていたのはアラームの設定? 意外に頭が回るじゃ無いかと少し可笑しくて笑ったが、その直後に俺は安心して気が抜けてしまいドロップアウトしてしまう。



          ◇



『誰かに委ねる事も大切だよ』
 心地良い微睡みの中で、兄の言葉が俺に語りかける。
 生まれてこの方兄以外に自分の事を委ねた事は無い。なので言葉の意味は理解出来るが、具体的にどうすれば良いのかまでは解らない。しかも血縁関係にある兄では無く、全くの他人に委ねる事なんて果たして俺に出来るのか甚だ疑問だ。
「……ぅ、ン……」
 先程まで指先が震えるほど冷たかった感覚が今は全く無く、逆に心地良い温もりに体中がリラックスし弛緩している。
 こんな感覚はいつ振りだろうか?
 ……………、先程まで……?
 何か忘れている事を思い出そうと、微睡んでいた脳が徐々に覚醒してくる。そうして先程まで? と覚えた違和感を辿れば、バチリと両目を開けた俺の目と鼻の先に見慣れた顔が横たわっている。
「ッ……!」
 予想していなかった事態に俺は息を呑んで、状況を把握しようとムクリと起き上がった。
 自宅では無い。……ホテルでも、無い。
 見渡した室内は見覚えの無いもので、だがキチンと整頓され清潔感があるその空間は隣で寝ている男の部屋だとすぐに解る。
「……………は?」
 何故自分が家村の自宅にいるのか解らず、無意識に出た疑問に答える男は寝ていて、答えを聞き出す事は出来ない。
 ハッとして視線を落とし自分の姿を見れば、スーツでは無くTシャツとスウェットのパンツを履いている。そして、あれだけ気分の悪かった体調が嘘のように良くなっていると解る。
 ……………、どういう事だ?
 車に乗ったところまでは記憶がある。家村の機転であの会食の場から解放された事も……。だが、その後の事が思い出せずに俺は眉間に皺を寄せてしまう。
 グイッ。
「……ぁ?」
 突然、隣から手首を掴まれ引き寄せられた俺は、バランスを崩して再び上体をベッドヘ沈めると、すかさず伸びてきた腕に抱き締められ
「もぅ、少し………」
 「寝て……」と耳元で囁かれ、その甘さを含んだ声音にブワッと顔が赤くなる感覚に戸惑う。
 コイツ……、誰と間違えて……!
 グルッ……、グキュゥ~~……。
 ギュッと抱き締められた直後に、俺の腹の虫が鳴って沈黙が流れ
「プッ……クククッ」
 堪らずといった感じで家村の体が震え、吹き出した声が漏れ聞こえて俺は抱き締められた腕から逃れようとしたが、更にキツく腕に力が入って逃れられない。
「オ……」
「飯でも食べます?」
 オイッ! と言う間も無く家村が俺にそう尋ねてくると、閉じていた目を開き俺を見詰めてくる。近い距離で見詰められた俺は、可笑しそうに笑って口角を上げている奴の目の奥が、俺を逃さない。と言っているようでゾワリとみぞおち辺りが浮き上がる感じに目が逸らせなくなる。だが、それも一瞬後には柔らかく緩められ、キツく抱き締められていた腕が離れて
「好き嫌いあります?」
「イヤ……」
「すぐ作りますんで……。ユックリおいで」
 ベッドから出る際に家村は指先で俺の頬を撫で、ドアへと歩きながら伸びをして部屋を出て行く。
 ………………ッ、はぁ!?
 俺は撫でられた頬に手の平をパチンとあて、奴が出て行ったドアを体を起こして凝視しする。
 何だよ……あの馴れ馴れしい態度は……。何が、「ユックリおいで」だ。俺は上司だぞッ!?
 家村の態度に動揺しながらも、部屋の中は薄暗い。キョロキョロと辺りを見渡しベッド横のチェストにライトのリモコンを見付けピッと部屋を明るくする。見えにくかった部屋が明るくなりリモコンを再びチェストへ置くと置き時計が目に入り、時間を確認すれば明け方の五時過ぎ。
 確か会食が始まったのが八時頃からで、家村がセットしたスマホのアラームが鳴ったのが一時間半後。十時頃には自分の記憶が無く、約七時間後に目を覚ましたのか……。
「寝れたって事か……?」
 キツイSub用の抑制剤は副作用で睡眠障害がある。割と最近は多く服用していた為によく寝れて三時間程。気を失っていたとしても、そのままこれだけ寝ていられるのは驚きだ。
「何、で……」
 呟いた俺は、ハタと停止する。
 会食でギリギリの精神状態だった俺は、もう少しでサブドロップしかけていた。抑制剤を飲む余裕も無いまま気を失って……。けど、今はすこぶる体調も良くなっている。
「まさか……」
 いきついた答えに全身の毛穴がブワリと開いて、俺は誰もいなくなった隣に視線を移す。
 俺の横にいたのはアイツだ。そしてアイツは兄と同じ位のDomの強さがある。そんな奴に抱き締められて寝ていたという事は、俺は……アイツのDom性に反応して、安心したという事か? なによりアイツに俺がSwitchだとバレた……?
 すぅっと血の気が引いていく感覚に、俺は暫く動けなくなる。
 ………ッ、どう、すれば……?
 コンコンコン。ガチャ。
「そろそろ出来るぞ? 来ないのか?」
 部屋から出て来ない俺を心配してなのか家村がドアを開けて顔を覗かせる。俺は、ビクリッと肩を揺らしてゆっくりとそちらの方へ視線を泳がし奴を見詰めれば、どうしたのか? と少し首を傾け俺を見ている。
「イヤ……行く」
 ギシリとベッドを鳴らし、俺は床に足を着けて立ち上がるとそのままドアへと歩を進めて行く。そんな俺に家村は
「コーヒーで良いよな?」
 なんて言いながらドアから離れ、リビングの方へと歩いて行くので、俺も奴の後を追って歩く。部屋から出て右側にリビングへと続くドアを入ると俺と似たような、男の一人暮らしって感じの物が無い部屋が広がっている。
「好きなトコ座ってて」
 部屋に入ってすぐ家村は左側へと体を向けるが、そこは対面式のキッチンになっていてカウンターには皿が置かれ、その上にホットサンドとサラダが盛り付けられており、脇に置いてあるマグからは湯気が立ち上っていて、匂いからしてスープなのだと解る。
 俺は促されるままに奥のソファーへと近付いて座ると、目の前のローテーブルに皿とマグが置かれる。
「じゃ、食べよう」
 家村は自分の分もテーブルに置くと、ソファーでは無く隣のラグが敷いてある床に座り、両手を合わせて食べ始めた。その行動が意外で俺は家村を凝視する。
 普通Domならば自分よりも弱い奴の下には座らない。俺の隣に座れるスペースは十分あるはずなのに、迷わず床に座った。
 ……………、仕事の延長だと思ってるって事か?
「食べないのか? あんなに腹鳴らしといて」
 微かに笑いながら言う家村の言葉に、俺はジトリと奴を睨み付けながら半分に切られたホットサンドを掴み口に運ぶ。
 サクッと心地良い歯触りの次は、バターの風味が口に広がるとすぐさま具材の旨味が押し寄せてくる。
 会食で食べたものはほとんど吐いてしまったから、空きっ腹にこの旨さは……。
 ガツガツとまではいかないが無言で食べる俺を見詰めながら、家村が嬉しそうに目を細めて
「美味いか?」
 と、尋ねるものだから俺は瞬間ピタリと動きを止め、気不味くて何も言えないままかたわらのマグを手に持ちスープを啜る。家村はそんな俺を見ながらハハッ。と軽く笑うと、自分も食べ始めた。
 朝食には早過ぎるが互いに食べ終わり、家村はもう一度食後にコーヒーを淹れてくれているところだ。俺は点いているテレビから視線を逸して部屋の中を見渡す。寝室同様物は必用最低限しか置いておらずキッチリと整頓されている為広く見える。テレビ台の横に小さいながらも棚があって、そこにはズラリと小説があり何を見ているのかと近付くと、写真立てが二つ倒して置いてあった。
 見られたくなくてか、本人が見たくないのか解らないが、俺はその二つをカタリと立たせれば何の繋がりがあるのか、全く違った家族写真がそこにはある。
 ン? イヤ……、両方に同じ男の人が写っている……。眼鏡を掛けて優しそうに微笑んでいるその男性は、一方は少し若い時に、もう一方はそれから何十年か経った後っぽい顔付きだ。
「家族写真だ」
 突然後ろから家村の声が聞こえ、俺はハッとして後ろを振り返れば、何とも言えない表情で写真を眺めている顔がある。だが、家村が言ったように家族写真だとしても意味が解らず黙って見詰めている俺に
「これが俺。で、こっちが後妻とその子供」
 写真をツッと指先で撫でながら家村が説明してくれる。若い時の男性が写っている方の子供が家村で、もう一枚は父親と後妻とその子供だと言う。言われてみれば男性と家村は面影が似ているような……。
「良い……家族写真だな……」
 俺のところに比べれば何倍も良い写真に思える。すました顔では無く全員が自然な笑顔。かしこまった場所や服装でも無く全てが自然体だ。俺の家でも妹が十八になるまでは毎年兄の誕生日に写真館で家族写真を撮っていた。両親に揃って会える日はその日だけだったし、俺や弟妹が両親に話しかけても無視される事が多かったように思う。それは、あの人達の興味は兄でしかなかったからだ。橘家の跡取り息子。俺を含めて兄妹の中で一番Dom性が強いのが兄だったから……。寂しくなかったと言えば嘘になるが、それでも兄や家にいるスタッフ達のおかけでそれなりに楽しく過ごして来れたのも事実だ。
 ただ……、全員がこんなにも楽しそうな笑顔でいた事は無いが……。
「……………そうでも無いよ」
 指先で撫でていた写真を掴み家村はポツポツと喋り始め
「楽しそうに笑ってるケド母親はこん時位から浮気してたし、後数年で俺と親父を捨てて家を出る」
「……え?」
 思いの外暗い話が家村の口から溢れて、俺は言葉に詰まり、そんな俺を微かに笑い奴は話を続ける。
「恥ずかしい話両親の離婚で荒れてた時期に、今度は親父がお腹の大きくなった後妻を連れてきてね」
 コトリと掴んでいた写真を棚に戻し、次いではその横にある写真を撫で
「それから俺のDom性が出て、親父を含め後妻も俺を腫れ物を扱うみたいになった……。まぁ、ノーマルの二人からしたら突然Domだと解った俺は怖いだろうな……」
「……、親族にDomがいたのか?」
 普通はノーマルの両親からDomは生まれない。だからきっと親族の中にDomがいて隔世遺伝で出たという事だ。
「多分母親側の誰かにいたんだと思う。調べたけど親父側にはいなかったからな」
「そうか……」
 自分以外の周りがノーマルである環境も、Domにとっては生きにくいだろう。それは本能的に出てしまうモノを理解してもらうのが難しいからだ。しかもDom性が強ければノーマル相手でも支配下に置く事が出来る為、ノーマルの人達にとっても理解するよりもまず恐怖が勝る事が多い。
 家村のDom性は強い。故に家族の中で孤立していたと安易に想像できてしまう。
「ケド、腹違いの弟妹達はこんな俺にも懐いてくれてるんだ」
 スリリと自分が写っていない写真を撫で、どこか寂しそうに口元を緩める家村から目が離せない。
「皆、健在なのか?」
 ポツリと無意識に出た台詞。少しでも明るい話題で終わればと何の気無しに出た言葉に、奴は一瞬俺の顔を見てからスッとその場から離れると
「親父は、俺が二十歳になる前に他界した」
「………ッ、すまない……」
 さらなる暗い話題が出てきてしまい、俺が小さく呟くと後ろで家村はハハッ。と軽く笑い
「別に謝る事じゃ無い。ホラ、折角淹れたコーヒーが冷めるぞ?」
 言いながら今度はソファーに腰掛けて、ポンポンと自分の隣を叩いている。俺は少し警戒しながらも家村の隣に落ち着き、置いてあったコーヒーに口を付けると
「それよりアンタ、Switchなのか?」
 単刀直入にズバリと聞かれ、俺は飲み込むはずだったコーヒーを気管に詰まらせる。
「グッ……、ゲッホ、ゲッホ。……ケホッ」
「当たりみたいだな」
 やはり家村に俺がSwitchだとバレている。そして今更取り繕っても無駄だろう。俺はコーヒーの入ったマグをテーブルに戻し
「だったら? なんだっていうんだ?」
 何度か小さく咳き込みながらも、俺は開き直ったように家村に対して聞き返せば
「提案がある」
 家村は俺の台詞に楽しそうに笑顔を向けそう言うと俺を見詰めるが、その目はDomそのものだった。


          ◇


 昨日の会食の件を兄に報告する為、社長室のソファーに向かい合って座り話をしている。
「ふ……ン、そうか。解った」
 一通り話を聞き終えた兄は、乗り出していた上半身を背もたれの方へと倒して数秒何か考えている。
 Subの給仕をあちら側が用意した事はサラリと話して仕事の話を主に喋ったが、給仕がSubだと言った時点で兄は嫌そうに眉をひそめた。
「では、そのまま進めてくれて構わない。……が、次回は無いな……」
 ゆったりと腰掛けている兄は、脚を組み直しながらそう呟く。
「……………解った。じゃぁそのまま進める」
 兄は俺がSwitchという事もあり、昔から会食やパーティーでSubが給仕する事を嫌う。世間一般的にみればSubを給仕に使う企業は多い。それはその場にいる役員や重要なポストにいる人達がDomの場合が多いからだ。企業側からすれば軽いおもてなし精神で支配下に置きやすいSubをこぞって給仕に採用するし、気に入ったSubがいればそのまま好きにできるメリットが双方にある。だが兄は自分の能力で勝負する企業や人が好きだし、俺がSwitchだという事でその辺は割と潔癖だと感じる。
 今回の話を聞いて、会食した企業に次は無いと思っていたがどうやらその通りになりそうだ。
 兄がそういう事が嫌いだと知らない企業はいないが、まさか俺までそうだと思っていなかったのだろう。今まで取り引きした企業は、兄同様俺もそうだと思って会食の際はノーマルの給仕が主だったが、今回のところは他と差別化したかったのだと思う。
 話は終わったと、俺はソファーから立ち上がろうと膝に手を着いたところで兄から
「で? お前は何があったんだ?」
 と、ニコリと笑顔で尋ねられる。
「は? 何、が……」
「誤魔化しは通用しないよ将臣。数日前に比べて格段に顔色が良い」
 テーブルからコーヒーの入ったカップを手に持ち、一口啜りながら兄は笑顔を崩さない。俺はその顔に小さく溜め息を吐き出し
「……プレイをしたので、調子が戻りました」
 Domと。とも、誰と。なんて事を言わない俺だったが、兄は驚きもせず
「家村とか? 良い事だね」
 ズバリと確信を言われ、押し黙った俺に
「不本意って顔付きだね」
「………まぁ……」
 言いにくそうに口の中でモゴモゴと喋る俺に、兄は面白そうに
「何が引っ掛かってる? 自分よりも家村が強いDomって事か? それともボディーガードにさせてるって事?」
 ……………全部です。とは言えずに再び黙ってしまった俺を見て、兄は軽く肩を上下させると
「家村に決まった相手がいないのなら問題は無いだろう? そんなに嫌ならやはり私が誰か紹介しようか?」
「イエ……、それは」
「お前より強いDomだと、女性ではなかなか見つからない。肉体関係抜きにプレイするだけなら家村で十分だと思うが?」
 兄は一度そこで喋る事を止め、俺に視線を合わせ
「それとも家村とでは仕事に支障が出る?」
「それは……無いです」
「ならば一度試してみるのも手だと思うが……あぁ、試して体調は良くなったんだよね?」
「まぁ……」
「では、それが答えでは?」
 簡単に兄に言い負かされ、俺は反論する事が出来なくなってしまった。そうして兄はことさら真剣な表情を俺に向け
「将臣、お前のそのSwitch性は切っても切れない個性だ。Sub性を甘くみて何度も危険な状態になった事があるだろう?」
「………解ってます」
「イイヤ、お前は解ってないよ。Sub性を甘くみていると最悪死ぬっていう事をお前は解ってない」
 脅しにも似た兄の言葉に俺はビクリと肩が震える。
「SwitchはDomやSubよりも繊細だ。それは解っているだろう? 一つのダイナミクスを持って生まれても持て余している奴が多い中で、お前は二つ。危険性が高くなる可能性も他の者より格段にある」
 兄の言葉に、昨日の家村との事を思い出す。
『提案がある』
 笑いながらだが、口元とは全然違う目に俺は少しだけたじろいていた。
『……、何だ?』
 先程出されたコーヒーを飲んでいたばかりなのに、吐き出された返事はカスカスで喉が張り付いている感覚。
『俺と、パートナーにならないか?』
 家村が提案してきた言葉に俺は驚き、目を見開く。だってそうだろう? プレイの提案なら何と無く予測は出来ていたが、それを飛び越えての話しだったからだ。
『パートナー……だと?』
 家村の意図が解らず呟いた俺に奴は
『決まった相手はいないんだろ? それにそれだけ強いDom性じゃ相手も中々見つからないんじゃ無いのか?』
 今の兄と同じ事を言われ、俺は家村を見詰めたまま黙る。
『お互いにとって悪い提案じゃ無いはずだ。違うか?』
 俺の方に首を少し傾けながらそう言う奴は、スルリとソファーに置いていた自分の手を俺の手の上に重ねてきた。その行動に俺はビクリと体を揺らし重ねた手を引っ込めようとしたが、グッとそのまま握られてしまう。じんわりとそこから家村の熱が伝わり心臓が早鐘を打ち出す。
『……ッ、離して……くれないか?』
 絞り出すように呟いた俺に、強く握った癖にすぐにパッと奴は手を離しクスッと笑うと
『すぐに返事は無理か……。まぁ、よく考えてくれ』
 そう言ってまたコーヒーを飲むと立ち上がり
『ソロソロ送ろうか』
 と、俺に背を向けた。
「……臣、将臣?」
 昨日の事を思い出していた俺は、兄の呼びかけにハッとして視線を上げる。兄は少し訝しげに俺を見ていたが次いでは
「家村との事は最終的にはお前が決めれば良い。けれど、家村以外にするのならば早急に尚且つ信用できる相手を見付けなさい。良いね?」
「……解りました」
 最もな事を言われ俺は軽く頷ずくと、重い腰を上げ社長室を後にする。



          ◇


 あらかた仕事の目処がついたとフト視線を机の上にある時計にやれば、もうすぐ十時がこようとしていた。秘書は先に上がらせ、家村には二時間程休憩を取らせているのでどこかで夕飯は済ませているだろう。自分もソロソロ帰って軽く食べ、すぐに寝てしまおうとスマホで家村に連絡をとる。
 今日はもう仕事を持ち帰らまいと立ち上がり、ビルの外へ出ると家村が車の前で待ち構えていた。いつものように車に乗り込みシートに腰を下ろして溜め息を吐き出せば
「自宅で?」
 バックミラー越しに尋ねられ
「あぁ……」
 とだけ答えた俺に、車がユックリと動き出す。
 二人きりになったこの時に昨日の話題を出されるのでは? と少しだけ危惧していたが、家村は無言でハンドルを握っている。
 兄にも、家村からも最終的に決めるのは俺だと言われずっと考えている。だが考えれば考えるほど行き着くところは同じ。自分のプライドを抜きにしてしまえば、家村からの提案に乗った方が良い。という答えだ。
 パートナーになる事には些か抵抗がある。何を思って家村がそう言ったのかは解らないが、出来るならプレイだけの関係の方が良い。後腐れなく、深く踏み込まれない軽い関係。
 そんな事を考えていると、車は俺が住んでいるマンションの地下駐車場へと到着する。車が止まり俺は家村が車から出てドアを開けるのを待っていたが、奴が車から降りる気配は無い。数秒そのまま待っているが動かない家村に俺は眉間に皺が寄ると
「オイ、ドアを……」
「で? 良く考えてくれました?」
 俺の言葉を遮り、家村が上体を捻って俺の方へ振り返りながらそう尋ねてきた。俺は、今言うのか。と寄った皺が深くなる。
「え? 何その顔……。無理って事?」
 俺の険しい表情を見てそう思ったのか、自分が思っていた返答と違う顔になっていて意外だと言うニュアンスで言われ、そうだと心の中で思っていたのに
「……、プレイだけ……なら」
 なんて、思っていた事とは違う言葉が口から零れ落ち、言ってしまった直後俺は固く口を結ぶ。
「……………プレイだけ……ね」
 家村はオウム返しで呟き、何事か考えて暫く黙った後
「じゃ、専務の部屋へ行こう」
 と、俺の返答を待たずに車から降りる。俺はというと奴が何て言ったのか頭の中で繰り返しているうちに後部座席のドアが開き
「ホラ、早く出て」
 上体を屈めて顔を覗かせた奴は、俺を見てニコリと笑いかける。一拍出遅れた俺はニコリと微笑む家村に向かって
「何故お前が俺の部屋に……」
「まぁ、色々決めないとな?」
「決める?」
「ルールは大切だろ? 別に今ここで話し合っても良いが、誰か通って聞かれて不味いのは専務じゃ無いか?」
「お前……ッ」
 奴には聞こえないように口の中で呟き、俺は無言で車から出る。そうして部屋へと行く為に地下から直通で行けるエレベーターに乗り込こんだ。
 乗ってすぐにジャケットの内ポケットからカードキーを出し、エレベーターの中にある差込口へと入れれば階を押さずに扉が開くと玄関になっている。
「最上階?」
「…………、あぁ」
 不服そうに答えた俺は、エレベーターの壁に背中を預け目を閉じる。自宅に親族以外の奴を招き入れた事は無い。今までだってそうだ。学友でさえも自宅に来る事を拒んでいたのに、一番俺の中ではあり得ない奴を今から入れる事になるとは……。
 幼い時からさんざ両親には付き合う相手は選べと言われ育ってきた。他人に弱さを晒す事は悪だと教わった為に、広く浅い友人しか俺の周りにはいない。それも後々自分のメリットになる人間かと考えて付き合いをしている奴等ばかりだ。
 それなのに……。
 ポーン。
 軽い音が鳴ってエレベーターが止まり俺は目を開ける。そうして扉が開くと見慣れた玄関が広がっており俺は一歩を踏み出し部屋へと入ると、俺の後ろを家村が付いて来る。
「ヘ~、流石にでかいな」
 後ろでキョロキョロと辺りを見渡しながら楽しそうに家村が呟くが、俺は無視してリビングの方へと歩く。そうしてリビングのソファーに腰を下ろし奴の方へ視線を向け
「お前も座れ、話をするんだろう?」
 顎で自分の左側にあるソファーを指しながら言う俺に、家村はニコリと笑いかけ
「アンタ、飯は?」
 と、これからの話に全く関係無い事を聞かれ、俺は再度眉間に皺を寄せ
「あ?」
 不機嫌を隠さずに返した俺の態度に、家村は一度肩を上下させながらソファーに座ると
「だから、飯食ったのかって聞いてんの」
「……まだだが……今、関係……」
「じゃぁ、風呂に入って来たら? その間に俺が何か作っとくし?」
「は、ぁ?」
 話とは関係無い事を聞かれ、俺の返事を最後まで聞かず、ワケの解らない事を言う始末。家村が何をしたいのか理解出来ずに、一層眉間の皺が深くなる。
「腹減ってるから険しい表情になってるんだろう?」
「違ッ」
「違わね~から。ホラ立って、風呂入ってサッパリして来なよ」
 一度ソファーに落ち着いたのに、奴は立ち上がり俺の腕を掴んでソファーから引き剥がすとグイグイと背中を押してくる。
「オイッ、話をしたらそれで終わりだろうがッ!?」
 家村の力に負けて一歩づつ押されている俺は、首を後ろに向けて怒鳴るが
「落ち着いて話し出来る感じじゃねーだろ?」
 それはお前が、そうさせないだけだろうがッ!! と、次いで文句を言う為に息を吸い込もうとしたが、後ろに回した視線が家村の目を捉え俺はヒュッと喉が鳴る。
 そこには強いDomの視線がジッと俺を見据えていたからだ。その目に絡め取られ、ゾワリと全身の毛穴が粟立つ感覚に喉から出かかった文句は引っ込んでしまう。
 俺は体を捩り背中にあてられた家村の手から逃れると、短くチッ。と舌打ちしてバスルームへと向かう。
 バタンッと勢い良くバスルームの扉を閉め、ズルズルと扉に背を預けたままその場にしゃがみ込むと
「ッ……、クソ」
 悪態を一言吐いて片手で髪の毛をガシガシと掻き毟る。
 見詰められただけだ。たったそれだけの事で一瞬で体が竦み動けなくなった。それに……俺の中にあるSubが無意識にでもアイツの言う事に従いたい。と言っているようで……。
 しゃがみ込んでいた俺は深く大きい溜め息を吐き出して立ち上がり、シャワーを浴びようと服を脱いでいく。
 暫く頭からぬるま湯を浴び続け気持ちを落ち着かせる。ここから出れば今度は奴とプレイについて話し合わなければならないのだ。その前に俺が呑まれてどうする。
 ブンブンと頭を振って気持ちを切り替えようとし、俺は何事も無いようにいつもの手順で体を洗っていく。
 シャワーを浴び終わり、髪を乾かして一度寝室へと行く。パジャマ代わりにしているスウェットを着込んでリビングへと向かうとドアを開けた途端にいい匂いが部屋を包んでいる。
「タイミング良いな、今出来たトコだ」
 リビングに併設してある対面式のシステムキッチンからヒョコリと顔を出して家村が俺にそう声をかけてきた。俺はキッチンのカウンターに並んでいる椅子を一つ引いて腰掛けると、目の前に炒飯と卵スープがコトリと置かれる。
 ……………。美味そうだ。
「アンタのところ変わってんな。食材は色々あるのに、フライパンと鍋が一つづつしか無いとか不便じゃ無いのか?」
 出されたものを目の前にして両手を合わせ食べ始めた俺に、その鍋を洗いながら目の前で楽しそうに言う奴を無視して俺は食べすすめる。
 食材は頼んでいるハウスキーパーが週に一度大量に買い込んで来る為、冷蔵庫の中はいつも充実している。それに何日分かの作り置きもしているので、週始めはそれを食べている。調理器具に関しては、自分で料理をしないからハウスキーパーがどうやって料理しているのかは解らない。もしかしたら器具を持参して作っているのかもしれない。
 料理、洗濯、掃除。今までそれらを自分でやった事は無い。実家では常にお手伝いのスタッフがしていたし、一人暮らしを始めてもハウスキーパーがいる暮らしで必要無かったからだ。自宅で自分がする事と言えば、ワインのコルクを開ける事やチーズを切る事位だろうか?
 今日だって家村が来なければ、ワインとチーズで簡単に済ませて寝るはずだったが……。
「美味いか?」
 洗い終わりそのままの位置から俺に聞いてくる家村の顔をチラリと見ながら、前回から気になっていた事をボソリと呟く。
「お前……眼鏡が無くても見えるのか?」
 そう、昨日コイツの部屋で目が覚めてから奴は眼鏡を掛けていなかった。なのに普通に今みたいに料理や写真を見ていて……、そこまで目が悪く無いのか?
「あ~~~……まぁ、普通に見える、な」
 気不味そうに呟いた奴は、リビングのソファーに掛けてある自分のジャケットまで近付き、内ポケットへ入れていた眼鏡を出すと再び俺の方へ来てカタッと小さい音を立てカウンターに眼鏡を置く。
 置かれた眼鏡を手に取り閉じられているつる部分を開いて摘むと、自分の目の位置に持っていきレンズを覗き込む。
「………度が入って無いんだが?」
「まぁ……必要無い程度には、目が良いからな」
 目の前で何度かレンズをずらして確かめるが、やはり眼鏡に度は入っていないようだ。目が良いのに何の意味があるのか? と奴の顔を見れば、俺の表情で言いたい事が解ったのか家村は苦笑いを浮かべて
「あ~……俺ってさ、こんな顔だろ?」
 ……………顔と眼鏡は関係ないだろう?
 そう思いながら更に無言のまま奴の次の発言を待っていると
「だから……眼鏡掛けたら、少しは顔付きも和らぐかなって……」
「……………は? そんな理由で……?」
 家村からの意外過ぎる答えに、俺はポカンと奴の顔を見詰める。俺の台詞に家村は頬を搔きながら
「昔から顔付きで怖がられてたし……、研修先でも教官からそうしたほうが良いって言われて……」
「ハッ……、ハハハッ! 何だその理由は。ボディーガードなら多少顔が厳つい方が良いだろうに」
 会社の人達から物腰が柔らかく笑顔が素敵と言われているコイツの意外過ぎる理由に俺が声を上げて笑っていると、家村が驚いたように目を見開き俺を凝視しているので、それに気が付いた俺はハタと笑うのを止めて
「…………何だ?」
 と、瞬時に眉間に皺を寄せて家村に尋ねれば、奴はハッと我に返ったように
「ぁ……、イヤ……アンタでも笑うんだと、思って……」
 なんて、些か失礼な事をボソリと呟く。
「お前……。フン、面白ければ笑うのは普通だろうが」
「イヤ、だって俺、アンタが笑ったの初めて見たし……」
「……そうそう面白い事がそんなにあるワケ無いだろうが……」
「え……、そうか?」
 まるで日常に笑えるエピソードが沢山転がっているみたいな物言いに、俺は奴をジトッと睨み付けながら次いではすぐにもう一つ気になっていた事を口にする。
「それにお前、俺に対しての言葉使いもなってないんじゃないのか?」
 俺の台詞に家村は一瞬ビクリと肩を動かしたものの
「え? もぅ業務外だから良いだろう?」
 と、まるで当たり前のようにそう呟く。
「業務外でも、俺はお前より年上だが?」
 至極真っ当な事を言い返した俺に、家村は肩を竦めながら
「そんな事いちいち気にするなんて、器が小さいと思いません?」
「なッ……!」
 コイツ……、生意気に……ッ。
「まぁ、専務がどうしても気になるようでしたら善処致しますが?」
 嫌味のようにニコリと敬語で言われ俺は眉間の皺を深くするが、ここでそうしろと言ってしまえば当然コイツの中で俺は器の小さい奴になってしまう。
「~~~~~、好きにしろッ」
 だから、こう言うしか無くなるのだ。まんまと奴に乗せられた感が否めず腹立たしいのに、どこか小気味いいやり取りに俺の口角は少し持ち上がっていた。
 家村が作った夕飯を食べ終わり、奴が食器を洗っている間に歯を磨いて再びリビングへと戻ると、ソファーに座ってスマホを弄っている奴が俺に気付く。
「コーヒー飲むだろ?」
 テーブルには二人分のコーヒーが湯気を立てている。
 俺は無言で家村の右側あるソファーに座り、置かれているコーヒーに手を付けて一口飲むと
「プレイに関して幾つか決めよう」
 コトリと自分のスマホをテーブルに置いて、そう言いながら俺を見る奴に
「一つ言わせて貰うが……一回のプレイにつき五万支払う」
「……………は?」
 俺からの提案に家村は途端に声音を低くし険しい顔付きになる。
 この提案は昨日から考えていた事だ。何も無くただ家村とプレイをする事に抵抗がある俺は、それならば金を払ってしまえばまだ気持ち的にも楽だろうと考えに至った。
 見返りも無く家村から与えられるだけの関係は、後々自分が駄目になってしまいそうで……。ならば最初から割り切った関係でいた方が良い。後腐れなくどちらかが嫌になれば簡単に終われる。そんな関係が俺的にはベターだ。
「その条件が呑めないなら、この話は無しだ」
 心持ち早口で呟いた俺の台詞に、奴は暫く口を閉じて考えている。
 何故、家村が俺に対してプレイでは無く最初からパートナーが良かったのか未だに疑問だが、その理由を聞いてしまえば尚の事浅い関係は築き辛くなるだろう。
 数分重い空気が二人を包んでいたが、隣から深く長い溜め息が聞こえ
「アンタは……本当にそれで良いのか?」
 と、家村が呟くので俺はハッ。と乾いた笑いを吐き出しながら
「何を言ってる……。提案しているのは俺だぞ?」
 呆れたようにそう言って奴の顔を見れば、どことなく傷付いた表情で俺を見ている顔とぶつかり息を呑む。
 ……………ッ、なんで、そんな顔……。
 自分が思っていた表情とは違う家村に、フイと視線を外した俺に奴は
「まぁ……、アンタがそれで良いなら……」
 不本意だという言葉が歯に引っかかっている物言いで奴が呟くが、俺はその一言に幾分か安堵して
「それが良いんだよ、早く他決めるぞ……」
 と、早く次の話に移りたくて再び早口で喋ってしまう。そんな俺の素振りに家村はもう一度溜め息を吐き出してクシャリと自分の前髪をかき混ぜ
「で……? 他の要望は?」
 不服そうに呟き掻き上げた髪と指の間からギラリとした目が俺を捉え、ピリッと項が引き攣る感覚。俺はその目から視線が逸せなくなりながら、ハクと唇を動かして
「仕事や、他の奴等に……俺達の事はバレ無いようにしたい……」
「ン、了解。他は?」
「俺がSwitchだと他の者に勘付かれる行為や匂わせも禁止だ」
「ン」
「……プレイ場所はこの家以外は駄目だ」
「解った……」
 その後奴は無言のまま目だけで他は? と俺に聞いてくる。
 プレイ場所もこの家以外の所でNGを出したのは、どこで誰に見られる可能性があるか解らないからだ。兄とはミーティングという名目でホテルを使うのは不自然では無いとしても、家村とでは不自然になってしまう。取り引き先もいないのに、毎回俺がボディーガードを引き連れてホテルに入るのはリスクが高い。だからといって家村の自宅では防音効果が無い為心許ない。消去法でいけば俺の自宅が一番安心と言えるだろう。
 他の要望を聞く為無言で俺の言葉を待ってくれているが、それ以外はこれと言って無い。だから
「お前は? 何か無いのか?」
 逆に聞き返した俺に、家村は
「俺が決めておきたいのは……、セーフワードくらいだ」
 セーフワード。DomとSubが安全にプレイを行う為に必ず必要になってくる言葉。プレイ中に行為を盛り上げる為Subは『イヤ』や『止めて』などのワードを好んで使う。その為そういうワードとは全く関係ない言葉を使うのがベターになってくる。
 Domの行為を受け止める側のSubが限界を超えてしまわないようにする為のワードで、Domの中にはSubを滅茶苦茶に虐めたいと思っている奴も少なくない。プレイの中でDomは自分のリミットを少しづつ外しながらSubがどこまで自分の行為を受け止めてくれるのか見極めながら行為に及ばなければならないのだが、中にはそれを無視して自分本位にプレイをする奴がいる。
 受け止める側のSubがその行為に限界を感じた時に、自分を守る為に使う言葉がセーフワード。ワードを使えばDomはいついかなる時でもプレイを中断しなくてはならない。
「一般的なもので良いと思うが?」
「yellowとRedで良いって事か?」
「あぁ……それで問題無い」
 ワードはプレイをする二人が話し合って決める場合もあるが、一般的によく使われているのがyellowとRedだ。
 yellowは少しキツイが責めを弱くしてプレイを続行して欲しい時に。Redは直ちに中断して欲しい時に使う。
 兄とのプレイでもセーフワードはこれだったし、特段このワードでなくては駄目だと言うものも無い。それに今までセーフワードを使った事が無い為、必要とも感じた事が無いのだ。だからよく使われているもので構わない。
「そうか……、じゃぁ試してみるか」
 他に決める事はもう無いはずだ。まぁ出てくれば追々決めていけば良い。話は終わったと少し安堵してコーヒーを飲む為に伸ばした手を奴の台詞で停止する。
「は? ……なに、を……」
 言っている? と視線を戻して奴を見れば、あの眼差しはそのままに口元だけが楽しそうに釣り上がっている。そうして俺が言葉を言おうと息を吸って吐く前に
「Switch」
 奴が呟いた途端、俺の中でのDomとSubが入れ替わるのを感じる。ゾワリと全身に鳥肌が立ち、自分よりも強いDom性を間近に感じて一瞬身動きが出来ない。
「ぁ……ッ」
 やはり自分よりも強いDom性にならすんなりとDomからSubに切り替わる事が出来る。そして気持ち悪くもならないらしい。むしろ兄同様に早く支配下に置いて欲しいと思う感情と、不思議と安心感が自分を包んで戸惑ってしまう。
「本当にSubに切り替わるんだな……」
「……ッる、さい」
 知っている筈なのに本当にそうなのか試す為に言った家村をギッと睨み付ける。
「Subの時までそう睨むなよ」
「もう解っただろッ、早くDomに戻せ」
 兄とは違うフェロモンや圧に俺の心臓はドキドキと早鐘を打ち出す。
「イヤ……もう少し確かめさせてくれ」
 静かに家村は言って座っていた場所から俺の側までくると、片手を俺の方へ伸ばし指先がスリッと頬を撫で上げる。不意に頬へ触れられた瞬間、ゾワリと甘い疼きが背中を駆け上がるその感覚に俺が戸惑っていると
「Kneel」
 家村から発せられた『お座り』のコマンド。俺は座っていたソファーから立ち上がると、半歩前に出てカクリと両膝が床へと落ちる。座っている奴から一段低い位置に膝を着けている俺を家村は上から見詰めフワリと嬉しそうに目を細めて再び片手を伸ばして俺の頭へと着地させ、感触を確かめるようにクシャリと髪を掻き混ぜたかと思うと
「GoodBoy」
 優しい顔付きでそう呟かれた途端、シビビビッと甘い疼きが全身を駆け巡りそれと同時に得も言われぬ嬉しい感情が俺を支配した。
 …………………、何だ、コレは!? 兄とプレイをしたってこんな気持ち良い感覚になった事は無い。いつもコマンドに応えて得られる感覚は安心感と出来た事への充足感。これでまた自分のSub性を隠して日常を送れる位にしか感じなかった行為なのに、相手が変わっただけでこんなにも感じ方が変わるのか?
 兄とのプレイの違いに俺は戸惑いを隠せない。初めて他人から与えられる心地良さに無意識に口角が薄っすらと持ち上がっている事を自覚する。
 だがすぐに家村のコマンドに応えて嬉しいと思う自分を見せたくなくて、俺は顔を下に向ける。自分が今どんな表情をしているのか見せたくないのだ。
「……顔、見せてくれません?」
 たった今奴に見せたくないと思っていたところなのに、奴は少し上半身を屈めて俺の顔を覗き込むように言ってくるから、咄嗟に俺はフイと首を横に流す。
「嫌か……。ケド、表情見ながらじゃ無いと危険だって解ってるだろ?」
 家村の言いたい事は解る。プレイ中はDomの欲をこちらがどこまで受け入れられるのか見極めながらしないと、こちらがサブドロップに落ちてしまう危険性がある。だから奴が言っている事は至極真っ当な事を言ってはいるが……俺の感情がまだついていかない。
 顔を下に向けたままお座りの姿勢で固まっている俺に対して上から溜め息が聞こえ、俺はビクリと肩を震わせる。家村の支配下にいる今、その中で奴の一挙一動に敏感に反応してしまうのだ。
 上手く奴の思う通りに出来ない自分を本能が責めるが、感情や理性は肯定していて色々なものがない混ぜになり固まってしまった自分に戸惑う。するとヌッと伸びてきた奴の両腕が俺の脇下に入ってきたかと思うと、そのまま上へグイッと持ち上げられ上半身が伸びて視線が上がる。
「Look」
 自分の視線の先が奴の胸で止まった途端『見ろ』とコマンドされ、俺は止まっていた視線を本能のままソロリと上へ移動させる。喉元、顎、唇、鼻と順に辿って行き着いた奴の目。バチリと俺と目が合って、捉えた奴の表情は今まで見てきた胡散臭い笑い顔では無く、柔らかく優しい笑顔で……。
「そう。言う事聞けて偉いな?」
「……………ッ、ぁ」
 たった一言褒められただけで先程と同じくビリビリと甘い疼きが走り、体から力が抜けてしまう。だが脇を抱えられている俺は下へ落ちる事は無く家村と見詰め合ったまま。
「こっちに引き寄せるよ?」
 笑顔のまま奴はそう言ってグイッと更に俺の体を持ち上げながら自分の方へと俺を引き寄せ
「なッ……あ……」
 同じ位の体躯の俺をいとも簡単に抱き寄せる家村に、俺は上手く言葉を発せる事が出来ず奴の膝の上へと尻を着ける形になる。至近距離からでも目を逸らせないコマンドの縛りで、俺は微かにハクッと唇を動かすと
「Hug」
 俺が何か言うよりも先に次のコマンドを言われ、俺はソロリと下げていた腕を上げていく。自然に腕が奴の首に回ると、自分から距離を詰めて家村を抱き締める。すると耳元で奴が嬉しそうにハッ。と微かに笑いながら片手を俺の後頭部に差し込みもう片方を背中へと回すとグッと力を入れ
「いい子だ……」
 先程よりも密着した状態。しかも息使いがすぐ近くにあり甘く感じる声音を耳にすれば、ゾクゾクと腰から這い上がってくる電流に俺は身を捩る。奴はそのまま俺を離さず背中に回した手のひらが上下に動いているが、その感触までも今の俺には過度な快感を引き出す術だ。
 自分の口から甘い吐息が漏れそうになるのを唇を噛んでやり過ごしギュッと目を瞑ると、褒め終えた家村が少し俺から距離をとって顔を覗き込むような仕草をしているのが解る。
「あ~……ホラ、Look」
 再び見ろと言われ、微かに下がってしまった首を持ち上げ瞑っていた目を恐る恐る開けば、鼻先がくっつきそうな程至近距離に家村の顔があり目の焦点が合わない。それでも俺が目を開いた事実に奴は満足そうに口を歪めて後頭部に置いている手を動かし
「GoodBoy」
 スリリと頭を撫でられゾワリと頭皮に鳥肌が立つ感覚。その感覚に首を捩りまた目を閉じそうになるがそれをグッと堪えると首に回した手に力を込める。
「そうそう、いい子だな」
 目を逸らさなかった俺を褒める家村は、一度少しだけ上体を後へとのけ反らせ上から下へと視線を下ろしていく。と、下ろした視線がピクリと止まり微かにクスリと笑った。俺は何か変なのかと首に回しているピンと伸びた腕が、恥ずかしさに少し震えるが奴はそれさえも楽しそうに背中に回していた手をスススと滑らせて俺の体の中心に伸ばし
「エレクトしてる。気持ち良かった?」
 言いながら勃ち上がっている俺のモノをスウェットの上から手の甲でスリスリと上下に撫で付けて……。
「ぇ、あ?」
 兄とのプレイでコントロールは出来ていた筈だ。コマンドに従う喜びや褒められて嬉しいという感情に甘い気持ち良さが混じってもこれまでは体にこうやって表面化する事はほぼ無かった。それは自分自身で律してきたからだ……。なのに兄では無く家村に相手が変わった途端、無意識に体は快感を拾って素直に反応している……。
 カアァッと一瞬で首まで赤くなっていると自分でも解る感覚に、自身でいたたまれなくなり家村から視線を逸らした俺に
「ナニ、恥ずかしいの?」
 楽しそうにそう呟かれ俺は相手をギッと睨み付ける。すると家村の顔付きが変わり、面白そうに歪められた口元はそのままに更に眼光は鋭く獰猛な獣のようになり、Domの圧がきつくなっていく。
 ……………あ、ヤバいな。
 と思った次の瞬間には
「Kiss」
 とコマンドが発せられ、俺は動揺に瞳が揺れる。
 ………口付け、だと? そんなコマンドは今までされた事……。
 初めてのコマンドに俺は完全に固まり家村の顔を凝視するが、奴は俺のリミットを探るように揺れる瞳を覗き込み無言で俺がどう出るのか観察している。
 Redと言ってしまおうか? そうすればここでプレイは中断だ。…………、だが先程よりも強い圧に俺のSub性は呑まれ従いたいという感情が自分を支配しているのも解る。Redと言わなくてもこなせるコマンドに、恐る恐るピンと張った腕を折り奴との距離を縮め顔を近付け、家村の唇の端に自分の唇を軽く押し付ける。
 キスというには余りにもチープなものに、俺はユックリと奴の唇の端から自分の口を離すと、俺の唇を追って家村が顔を動かす。
「な、に……ッ」
 家村が動いた事にギクリとし、何をしているんだと言う前に俺の後頭部に回っていた手がガチリと俺の頭を固定して、追い付いた奴の唇が俺の口を塞ぐ。
「ッ……、ン、ム……」
 それほど他人と口付けを交わした事の無い俺は、家村のなすがままだ。兄とのプレイでは勿論口付けなどしない。男のSubとプレイ中に興奮して何度かした位の経験しか無くましてや相手から仕掛けられるなんて事も無かった。
 何をしていると言いかけて口を塞がれたものだから、ヌルリとすぐに家村の舌が俺の口腔内へと侵入してきて奴の舌先が俺の舌へと絡まり、逃げようとしても執拗に追いかけて絡み付いてくる。暫く舌先同士を絡ませた後軽く舌を吸われ解放されると思っていたのに、今度は縦横無尽に動き出し頬の内側や歯列をなぞると上顎のザラザラとした箇所を舌先で舐め上げる。
「フゥ、ゥ………ッ」
 他人から与えられる快感もそれ程多く無い。常に自分が与える側。Subとのプレイでも興奮はするが、相手から快感を引き出された事は無い。それに常に相手よりも上位の立場にいた自分だ。こんな風に誰かの支配下にある状態で快感を与えられた事など……。
 初めての事に俺は首に回していた手を家村の肩口にずらしギュッと奴のYシャツを握り締める。
 舌が絡んできたと同時に開いていた瞼をギュッと閉じてしまっていた俺は、奴がどんな顔をして俺にこんな事をしているのか気になり薄っすらと瞼を持ち上げる。家村はジッと目を開いて俺を見ていた。あの獣のような眼光はそのままに……。
 その目に射ぬられ脳が焼き切れそうなほどの甘い波が俺の体に纏わり付く。
「ぁ……、ハァッ……」
 微かに離れた唇の間から、自分でも聞いた事の無い矯声が飛び出しカッと首まで熱を感じていると
「もぅ、イキそうだね……?」
 甘い声音で家村が呟き、それと同時に手の甲で撫で上げていた手をスウェットの中へと入れ込むと、直接勃ち上がっている俺のモノを掴み強弱の圧をかけながら扱き上げる。
「ンぁッ……ア、止めッ……」
「ン? 好きな時にイって良いよ?」
 離れた唇が耳元でそう呟き、俺の顔を覗き込む為に傾げた表情は柔らかいもので……。俺はその顔にゾゾゾと這い上がってくる波に攫われまいと再び瞼をギュッと閉じ唇を噛み締めるが、噛み締めた唇にベロリと生暖かい感触がしたと思うと
「口、開けて」
 次いでは家村の唇の感触と息遣いが自分の唇に触れ、ブルリと微かに震えながら俺は言われた通りに噛み締めた唇から緊張を解いて微かに唇を開く。
「良い子」
 奴の唇は何度かハミハミと俺の下唇を食んでクイと遊ぶようにさらに下へ引っ張ったかと思うと、今度は舌先が下の歯と歯茎の間をツツツと舐めユックリ俺の舌へ絡んだ。その間ずっと追い上げるように亀頭の部分を重点的に扱き上げられ息が上がってくる。
 Subとのプレイやセックスでもここまで興奮した事は無い。ちゃんと自分の快楽はコントロール出来ていたはずなのに、ここまで他人から与えられる気持ち良さに溺れた事が無かった俺は、無意識に絡んだ家村の舌を甘く噛んでしまう。
 すると奴も自分が与えている快感に素直に反応する俺が好ましいのか、薄く笑いながら噛んだ俺の歯から器用に舌を引き抜き、反対に俺の舌を甘噛みしたかと思うと次いではジュゥッと吸い上げ、唇で舌を扱き始めた。
「ンンッ……、~~~ッ、フゥ、ン、ン……」
 ジンッと頭の芯が溶けるような感覚に、扱かれている俺のモノも限界が近い。だが、どうしてか最後の決定打に欠け射精する事が出来ない。
 ジリジリと俺を追い詰める快感に、扱かれているモノからは止めどなく先走りが溢れ、それによってぬるついた家村の手が更に快感を引き出しているのに……。イキたい衝動に自然に腰が揺れ、気持ち良さにわけも分からず自分からも積極的に舌を絡めている。
 だが、イケ無い。
 苦しさに眉間に皺が寄り、握っている奴のYシャツにも更に力が入った頃、家村がチュルリと俺の口腔内から舌を出すと
「……ッ、アンタ本当……可愛いな……」
 興奮に掠れた声が呟き鋭い眼光はそのままに、だがその奥に愛しさの色が見て取れる。そうしてフッと目元を緩め
「コマンドじゃ無いとイケないとか……」
「……アッ、……な、に……?」
 家村が言っている事を理解しようと、ボウッとした頭で考えようとした刹那。
「Cum」
 奴の口がユックリと『イケ』とコマンドを発した次の瞬間。
 ビリビリと爪先から脳天まで強い電流が流れ俺の体は小刻みに痙攣すると、溜まった熱を放出するように精液が尿道を通って家村の手の平へと勢い良く放たれる。
 今まで経験した事が無いほどの快楽に、俺は背中をしならせ喉を仰け反らせると射精の瞬間にピンッと体が静止して、ユックリと弛緩していく。
「~~~ッ! ……ぁ、ハ、ァ……ッ、ぁ……」
 体から力が抜け、快感の余韻に再びブルルッと小刻みに痙攣しながら俺は寄り掛かるように家村の方へと体を倒した。
「偉いな。上手にイケて」
 ゴソゴソとスウェットから手を出し、後頭部にあったもう片方を俺の背中へと滑らすと、ポンポンとなだめるように軽く叩かれる。俺は返事すら返せなく荒い息を吐き出しているだけ。すると
「結構出てんな。もしかして抜いてなかった?」
 なんて、茶目っ気混じりに呟かれ俺は何を言ってるんだと肩口に埋めた顔を上げ、奴の方へと視線を投げる。すると俺の白濁を受け止めた手の平を開いてマジマジと見詰めると、舌を伸ばしてチュルリとそれを舐め取り嚥下する家村とバチリと視線がかち合ってしまう。
「なッ……、何してッ!」
「………まッず」
 手の平に残っている液も舌で掬い終わると、一言眉間に皺を寄せ奴が呟く。その台詞に俺はボッと全身が熱くなるのを感じながら
「お、お前ッ! お前ッ、何を……ッ」
 余韻に浸っていた俺は、バッと家村から離れ乗っている膝の上から下りようとしたが、それよりも早く背中に回っていた手が今度は腰に落ちてガッチリと腕を回し俺を膝から下ろさないようにしている。
「は、離せッ!」
 俺は腰に回った腕を掴み引き剥がそうとするがビクともしない。
 クソッ……俺と同じ位の体格の癖に……。
 家村の膝の上に乗って解った事だが、コイツは着痩せするタイプなのか服越しにあたる体は筋肉質で体幹もしっかりしていて……、俺が乗っていてもブレてぐらついたりしなかった。
「Stay」
 奴の上でモダモダと動く俺に『待て』のコマンドを放たれ、俺はギクリと体の動きを止められる。
「……ッ、終わった……だろ?」
 俺がイっただけでは終わらない。まだ続きがあるのだと言われているようで、俺は訝しげに奴を見詰めて呟く。すると俺の表情で言いたい事が解ったのか家村は微かに笑い
「アフターケア、させてくれない?」
 俺が思っていた台詞とは違う言葉に一瞬呆気に取られるが、次いでは
「そんな、事ッ……兄さんとでも……ッ」
 プレイが終わればそれで良いはずだ。今までアフターケアなんてした事が無い。
 まだ経験した事が無い事柄に、言葉の意味を深く考えず咄嗟に呟いてしまい黙った俺に対して
「……………、社長?」
 どうして今社長の名前が出てくるのか? と解らない表情をしていた家村だが、その言葉に俺が小さく、あっ。と漏らした事で全てを理解し
「え、何? 今までプレイしてたのって……」
 動揺して揺れる目を見られたくなくてフイと顔を逸らした俺の行動は、家村の疑問に答えた形になった。だが、それ以上何も言わなくなった俺に家村は
「あ~~……、まぁアンタより強いDomなんて早々見付からないし、しょうが無いっちゃしょうが無いのか……」
 そう呟くがそれはまるで俺に言っている風では無く自分に言い聞かせているようで、俺はその台詞にソロリと視線を上げる。すると家村はずっと俺を見詰めていて、その視線にドキリとしてしまうが
「あ~、のさ。……社長とはこんなプレイして無いよな?」
 なんて……。言いにくそうだがハッキリと訳の分からない事を呟くので俺はギッと奴を睨み付け
「するワケ無いだろッ! 兄妹だぞッ」
 声を荒げながら言う俺に、家村は少しだけ安堵の表情を浮かべたかと思うと
「もしかして今まで一度もアフターケアされた事無い?」
 首を傾げ優しい表情のまま聞かれて、俺は一瞬口をつぐんでしまうが
「………ッそんなもの、必要……無い、だろ」
 グイッと掴んでいたYシャツの手を伸ばし出来るだけ家村と距離を取る俺に、奴は微かに呆れたような溜め息を吐き出して
「じゃぁ、サブスペースも入った事無いか……」
 サブスペースとは、プレイ後やお仕置き後にDomからのアフターケアで褒められたり甘やかされたりする事で相手の支配下に入り、Subが多幸感に包まれる事をいう。これもDomの力量とどれだけSubとの信頼関係があるかによって入るタイミングや深さが違うらしい。より信頼関係が結べた相手ならばプレイ中でもサブスペースに入るSubもいる。だからこそ早く信頼関係を築く為にアフターケアを重要視するDomは多い。
 だが、俺には今までそんなもの必要無かった。Domの時の自分自身でさえ相手のSubに対しそんな丁寧にプレイやお仕置きをした事は無い。
「そうか……。ケドこれから俺とプレイをするなら、俺のやり方に慣れてもらうから」
 な? と俺を見据えて呟いた家村は腰に回した腕にグッと力を入れ、自分の方へ俺を再度引き寄せる。
「ぁ……ッ」
 俺はまだコイツから逃れなれないのだと、小さく悲鳴にも似た声が口から漏れ出た。


          ◇


「今日、なんか食いたいモンある?」
 いつものようにマンションの地下駐車場へと車を停めた家村が振り返り、俺にそう声をかける。
「………、なんでもいい」
 毎回聞かれる質問にこちらも同じ返答を返すと、少し不服そうな顔が無言で俺を見詰めてくるが俺はフイとそれを無視して
「早く開けろ」
 と、溜め息混じりに呟く。
 あれから数ヶ月、家村との関係は続いている。
 互いに決めたワケでは無いが、毎週末俺を送り届ける時に家村も一緒に俺の自宅に上がり、一緒に飯を食ってプレイをして泊まっていくという流れがもう自然になってしまった。
 兄との時は月に何回かだったものが毎週末になり、ともすれば金曜日から日曜日の夜までと時間的にも増え、Sub性が格段に落ち着ついた事でSub用の抑制剤が重いものから軽いものへと変わり、それによって睡眠障害や体調不良が減ってすこぶる体の調子が良い。
 今まで週末はSub性で満たされなかったものを、余り意味は無いと解っていてもDomで消化しようと金で買ったSub相手に発散させていたが、今ではその頻度が逆になり平日の時間が空いた時にDom性を発散させ週末は家村と……。の構図が出来上がってしまっている。勿論プレイ後は家村に提示した金額を払っているワケだが……、毎回金を出す度に嫌な顔をされてしまう。
「なんでもいいが、一番困る答えなんだけど……」
 ブツブツ文句を言いながら奴は後部座席のドアを開け視線で、やっぱ食べたいモノ無いのか? と言ってくるので
「食事に関してこだわりが無いのに、答えられるワケ無いだろう?」
 今までの食生活が乱れ過ぎていた俺にとっては、週末コイツが作る料理に対して文句は言えない。しかも毎回冷蔵庫にあるもので手早く作れる奴に、少なからず凄いと思っている自分も……。
 ……………まぁ、コイツには絶対に言わないと心に誓っているが……。
「はぁ。また晴子さんにでもレシピ教えて貰おうかな」
 一緒にエレベーターへと乗り込み上がっていっていると、家村がスマホを見ながら呟いている。奴が晴子さんと言っているのは俺のところに来ているハウスキーパーの名前だ。毎週末部屋の掃除と週始めのおかずを作り置きしている年配の女性だが、家村と関係が始まってから朝起きると何やら二人で楽しそうに話しているのをしょっちゅう目にする。
 家村曰く簡単で美味しいレシピを教わっているそうで、楽しそうに会話している二人はさながら若い娘がキャッキャッウフフしているようだ。今までは週末に起きても静かに家事を黙々とこなしている女性。でしか無かったが、家村がいる事で俺に対する表情を始め、良く話し掛けられるようにもなった。
 それに、家村は俺が知っているどのDomとも違う。
 俺が知っているDomは、Subは勿論だがノーマルに対しても自分から話し掛けたり歩み寄ったりはしない。その場を支配し命令するのみだ。しかも誰かに対して献身的に尽くす事もしない。まぁ、中には自分のSubに対して尽くしたいや着飾りたいと思っているDomがいる事は承知しているが、基本的に尽くす側はSubだと相場が決まっている。それにDomがSubを着飾りたいと思う心理は、周りのDomに自分の財力を見せつける為。アクセサリー感覚に近い。美鈴と結婚する前は俺もパーティーに何人ものSubを引き連れて参加していたものだ。
 だが家村は尽くしたいDomなのか、甲斐甲斐しく俺の面倒をみたがる。週末に俺の自宅へと来れば料理は作るし、休みの日にはハウスキーパーが来る前に部屋の掃除を簡単にしてくれている。前に一度料理が面倒ならしなくていいと言った事があるが、奴は『弟妹達ので慣れてるからな』とやめた事が無い。
 父親が亡くなり専業主婦だった後妻が働きに行くようになって、荒れた時期を脱した家村は一人暮らしの自宅から暫く実家に通って家事を手伝っていたそうだ。その時奴も建設作業員として働いていたらしいが、仕事が終わり夕飯の買い出しをして実家に戻り弟妹達に夕飯を作っていたらしい。
『弟妹達はお前に怯えなかったのか?』
 その時気になった事を素直に聞いた俺に対して家村は
『アイツ等は生まれた時から俺がDomだったからな。慣れだよ、慣れ』
 と、面白そうに笑っていた。
 そんなものか? と思ったが、言われればそうかもと思い当たる節がある。俺の弟、英臣の友人、長谷川という男が確かそうだった。長谷川は英臣と一緒の大学に通っていた奴で、大学時に長谷川が起業し英臣を誘った経緯がある。今は起業した会社で英臣の右腕的存在の男だ。確か長谷川の家もDom同士の婚姻で奴以外は全員Domだと記憶している。当の本人はノーマルながら生まれた時から周りにDomがいる環境が普通だった為、Domに対して怖がったり媚る事は無い。奴との出会いで英臣は更に考え方が変わり、自分の道を見付けた……。
『ケド、結局は母親がやっぱり俺の事怖がったから……長くは続けられなかったけどな』
 家村は少しだけ寂しそうに口元を歪めて呟いていた。後妻だけは家村の事を受け入れられなかったようだ。それから実家に足は遠のいたものの、自分が働いて得た給料の幾らかは振り込みで実家に入れているらしい。   
『そこまでする必要があるのか?』
 と尋ねた俺に、奴はニカリと笑って
『弟妹どっちも大学には通わせてやりたいじゃん?』
 なんて……。半分しか血が繋がっていない弟妹と、自分の事を愛してはくれない後妻の為に笑顔で頑張れる家村から目が離せなかったのを覚えている。
 ポーン。と高い音と共にエレベーターのドアが開いて、見慣れた玄関が現れる。俺はスタスタとエレベーターを降りて部屋へと入ると、家村ももう慣れたもので俺の後を付いて来ていつものようにすぐにキッチンに向かい、俺はバスルームだ。
 俺が風呂に入っている間に二人分の飯を家村が作る。食べ終わるとアイツが風呂に入り、プレイをするか映画を見て寝るか……。それが最近のルーティーンになっている。
 風呂から上がり自室に戻って部屋着に着替えてからリビングへ行くとタイミング良く夕飯が準備されており、俺は定位置になっているソファーに腰を下ろす。奴はテーブルに夕飯を置くと
「よし、食べるか」
 と、俺の左側にあるソファーに座って両手を合わせると箸を手に持ち食べ始めた。俺も奴と同じ動作をして夕飯に口を付ける。
 意外にも夕飯時は会話が弾む。まぁ、殆どは家村が喋り俺が相槌を打つ形になっているが、それでも会話のラリーは不思議と途絶えた事が無い。奴が話す内容は俺が知らない事ばかりだからだ。最近の流行りだとか、お笑い芸人の話。今までほとんどが仕事中心だった俺にとって、家村が話す内容は新鮮だ。奴も俺が知らない話を喋るのは楽しいのか、俺の反応を見ながら面白可笑しく時には大袈裟に身振り手振りを交えて話す。
「はぁ~、風呂サンキュ」
 夕飯を食べ終え、家村が風呂からリビングへと入って来る。奴は髪を乾かさないのか毎回バスタオルでガシガシとタオルドライしながら俺の側へと近付く。
 俺は家村が食後に淹れたコーヒーを飲みながら、テレビから流れるニュースを見ている。奴と週末を過ごしだしてから俺はあれ程飲んでいた酒を飲まなくなった。それは奴が酒を飲まない質だからだ。酒に強そうな顔をしている癖に酒に弱く、一度一緒に自宅で飲んだ事があるが家村はすぐに酔っ払って寝てしまった事がある。それからは一緒に飲む事が無くなり、それにともなって俺の酒を飲む量も自然に減った。
 まぁ、Sub用の抑制剤と酒の併用は元々医者から余り良くないと言われてはいたが、仕事の関係上飲みの席が多い俺にとっては回避できない事だと無視して今まで一緒に摂取してきた。それが週末だけだとしても併用する事が無くなり休肝日ができた事は自分の体にとってはかなり良い事だと認識している。
 Sub用の抑制剤、酒、食事、睡眠共に家村と関わりを持ちだして健康に近付いていく自分の体。精神的にもプレイをする事でSub性に引きずられる事も無くなり安定しはじめ、俺にとって家村との関係はプラスでしかなくなっていく。
「今日はどうする? プレイするか、しないか」
 先程同様ソファーに座り俺の方へと視線を投げながら髪を乾かす家村に
「どちらでも……まぁ、体調は良いが……」
 奴からこういう風にプレイをするのか? と聞かれた事が無かった俺は、少し詰まりながら言いにくそうに答える。いつもならサラリと家村から寝室に誘われそのままプレイに雪崩れ込むパターンなのだが……。
「体調は、良い……ね」
 俺の言葉尻をオウム返しして、バスタオルを肩へと落とし視線を上げた家村の表情は、ニッコリと口元の口角を上げ笑っているはずなのに、目はDom特有のもので……。俺はその目にゾワリとなり点いたままのテレビに視線を戻す。
 俺よりも奴の方がプレイをしたいんじゃ無いかと思わせる目に、俺の鼓動は早鐘を打ち出す。未だかつてダイナミクス性でこんなにも人から欲された事が無い。大体はDomの自分が捕食する側で、買ったSubを好きに出来る構図が当たり前。過去、何人かと付き合った事もあるがDomの自分もSubの相手からもこんなにも欲を纏った目で見た事も見られた事も無い。
「……………お前は、どうなんだ?」
 テレビに視線を向けながら呟くが、コーヒーを飲んでいたのにも関わらず俺の声は掠れている。それは自分自身が戸惑ってそうなっているのか……、はたまた家村の欲にあてられた形なのか……。
 俺の問い掛けにしばしの沈黙が流れたが、奴が動いたと同時に布ズレの音が微かに聞こえ、俺はピクリと肩を震わせる。だが、体は動かないまま。
 カタリと音を立て家村がテレビのリモコンを掴んだのが解り、このままチャンネルを変えるのかと思った矢先、見ていた画面が真っ暗になると
「じゃぁ、寝室に行こうか」
 と、家村は気持ちを言わなくても行動で示してきて……、俺はコクリと微かに喉を鳴らした。
 不自然にならないように注意を払ってユックリと奴の方へ視線を泳がせる前に、伸びてきた手によって手首を掴まれグイッと上に引き上げられる。その体になって俺は奴と視線が絡み息を呑む。それは無言で何も言わなかった俺が家村の行動に同意したと思ったのか、Domの圧を隠しもせずに奴が強くしたからだ。チリッと項が焼かれる感覚に俺は目を細め、そのまま寝室へと連れて行かれる。
 寝室のドアが開き、俺の後ろでドアがユックリと静かに閉じ、そのままベッドの前まで連れて行かれ手首を離されると、トッと軽く肩口を押されて俺はベッドの上へ尻を落とす。
「Switch」
 家村の口がユックリとそう動き、先程よりも体がより強く奴のDom性を感じてブルリと震えた。
「ハッ……、良い顔……」
 震えた俺を見て嬉しそうにそう呟きながら奴は俺の顎下に指先をあて、スリリと撫で付ける。止めろ。と言いたかったが口を開けば言葉よりも変な声が出そうで、俺は唇をキュッと噛み締めた。そんな俺を上から見詰めていた奴が、スッと顎下から指を外し
「Strip」
 と呟く。『お座り』では無くいきなり『脱げ』のコマンドに、俺は本気か? と家村の顔を見上げるが、奴は試すように俺を見ていて……。
 何度か家村とプレイをする度に、俺がコマンドに対してどこまで受け入れられるのか家村は徐々に試すようになってきていた。それに兄とは違い奴とのプレイは……、互いの高揚した熱を発散させる事も含まれている。頭では駄目だと毎回警鐘が鳴るが、Sub性で受け止める快感は今まで経験してきたどれとも違い、甘美だ。
 それに………、毎回俺を優先して大切に扱われていると解るプレイ行為は……ハッキリ言って悪い気はしない。それどころかむしろ……。
「聞こえなかった? Stripだ」
 コマンドを言われてもその場で動けなくなっていた俺に、家村は微かに首を傾げてもう一度命令する。俺はその台詞にハッとなり、着ているスウェットを掴むとグイッと上へと引き上げる。俺の腹筋が露わになりそのまま裾を持ち上げて首から脱ごうと腕を肩まで上げたところで
「Look」
 スウェットを掴んでいた手に奴の手が重なり、俺の動作を止めると『見ろ』とコマンドが飛び俺は視線を奴へと泳がす。
 視線が絡んだ家村の表情は探るように俺を見ていて
「集中してないね……。もしかして乗り気じゃ無かった?」
「……イヤ……」
 奴との行為を思い出していた俺は気不味さに目を逸したかったが、コマンドがそれを阻み見詰め合った家村の目は、俺の感情の奥まで見透かすみたいにジッと覗き込んでくる。俺は緊張からコクリと喉を鳴らすと、途端に奴はフワリと表情を和らげ
「GoodBoy」
 重なっていた手が俺の頬へと移り、スリリと指先が頬を撫でる。そのくすぐったさに目を細めれば
「プレイは続行しても?」
 家村に対して注意力が散漫していた俺に、今度は大丈夫かと聞いてきた奴に、俺は小さく首を上下に動かすと
「ン。じゃぁ、Strip」
 先程と同じコマンドを言われ、俺は掴んでいたスウェットを自分の首から引き抜きパサリとベッドヘ置く。そうして今度はパンツを脱ごうとウエスト部分に指を滑らせ尻を浮かせるとスルリと脚からも生地を離す。上のスウェット同様ベッドへとパンツも置きボクサーパンツだけになった俺を家村は上から見詰めていて……。
「言う事聞けて偉いな」
 満足そうに口元を緩め、コマンドを聞けた俺の頭に手を置くとクシャクシャッと髪を掻き混ぜながら奴が褒める。俺はその心地良さに一瞬目を閉じて少しだけ顎を上げもっと撫でろと意思表示すれば、フッと奴が微かに笑う気配とそのまま指先が頭から顎下へ移動しスリスリと撫でられ、薄っすらと閉じた目を開く。すると目の前に愛おしそうに俺を見下ろす家村の顔とぶつかり、俺はドキリと鼓動が跳ね上がる。
 最近の自分は変だ。あれ程嫌がっていた家村とのプレイを受け入れてしまえば、面白い程に心地良いという感情しか無い。それに家村本人の人となりを垣間見れば、当初思っていたものとは違う感情が自分の中にある事も自覚していた。駄目だ。と、自身に言い聞かせ深みに嵌れば後戻りなど出来ないともう一人の俺が強く歯止めをかけている。
 ……………、金を払っていて良かった……。その事実だけが俺と家村との距離を正しく保っていると言っているようで、少しだけ安心している自分がいる。俺が出会ってきたどのDomとも違う奴に、少なからず好感を抱いている事を悟られないようにしなければ……。
 今まで他人に対してこういった感情を抱いた事は無い。DomだろうがSubだろうがノーマルだろうが等しく相手に対しては、弱さを見せず支配下に置き、自分が優位なのだと解らせるだけだった。だが家村の前でそれらは全て無意味になる。Domという自分は不要で、ただただ弱いSub性を曝け出し家村の支配下に置かれるのだ。
『他人に委ねる事も必要だよ』
 以前兄から言われた言葉を奴とプレイをする度に思い出す。
 あの時はこうなる事など考えられないと思っていたのに……。
 今の現状を見れば、あの時の自分は驚くだろう。こうして家村に自分を任せれば、張り詰めていたものがボロボロと自身から剥がれ落ちていく感覚。
 素直にこのまま全ての欲に流されたいと思う感情と、駄目だと律する理性。その狭間で上手く泳げない俺は、いつか溺れてしまうだろうか?
「Come」
 いつの間にか家村はベッドへと上がり、ベッドヘッドを背もたれにして座っている。後ろから『おいで』とコマンドをかけられた俺は、ベッドへと上がると奴の方へ四つん這いの体勢で近付いて広げられた両脚の間に体を収める。
「いい子だな。次は、Hug」
 言いながら両手を広げる奴に、俺も腕を伸ばし首に腕を絡ませると背中に家村の手の平の感触があたって、フゥ。と小さく息が漏れる。回された手が褒めるように上下に撫でられ緩くピリピリと這い上がってくる気持ち良さに先程とは違う種類の息が口から零れると
「ホラ、こっち」
 少しだけ俺と距離を取った家村は片方の手を背中から外し自分の唇へ伸ばすと、指先でトントンと合図を出す。『kiss』のコマンドだ。
 家村が離れた事によって俺が奴の首に回していた腕が伸びていたが、再び肘を曲げながら片方は後頭部に、もう片方はそのまま首に回したままで距離を詰め、俺は自分の唇を軽く奴の唇にあてた。フニッとした感触が触れ、俺は顎を引いて唇を離そうとすれば俺の背中に回った家村の手がグイッと自分の方へと引き寄せる。
「ンッ……ムゥ……」
 離れそうになった唇が強く押し返されたと思う間もなくすぐに奴の舌先が俺の唇を割いて侵入してくる。迎え入れた舌は何度か俺の舌と絡み、弱い上顎に移動するとスリスリと擦り付けるように愛撫し始め、俺は後頭部にあてた手に力を入れギュッと髪を掴むと、チュルリと名残惜しそうに唇が離れ家村がジッと伺うように俺の顔を眺めがら
「Good、気持ち良いか?」
 わざわざ聞かなくても……。と微かに眉間に皺を寄せると、クスリと奴が笑い
「言わなくても……体は正直だな?」
 と、楽しそうに呟き背中に回っていない手を俺の中心へと持っていき、キスで反応したモノを指先でくすぐる。
「………ッ」
 くすぐっている指先が絡むようにボクサーの上から厭らしく動くとそれに呼応するようにビクビクとモノが揺れて、素直に反応してしまう自分が恥ずかしく『見ろ』とコマンドされているが微かにフイと視線を泳がせば
「Lookって、言ってたよな? それとも酷くされたくてわざとしてる?」
 ニコリと口元を歪めながらも見詰めてくる目は酷く猟奇的だ。自分のDom性のリミットを外し、俺に対して滅茶苦茶にしたいと本能が言っている。その欲を間近に目の当たりにすれば、それに引き摺られるように俺のSub性も反応しゾクゾクと甘い疼きが背筋を駆け上がる。
「ぁ……、ちが………ッ」
 家村の台詞が甘く耳へと届き、俺は逸していた視線をユックリと戻しながら否定の言葉を呟く。だが家村の表情は変わらずに
「それも邪魔だな……Strip」
 俺のモノを握っていた指先がボクサーのゴムを緩く引っ張りながらそうコマンドする。いつもならプレイでグズグズになったところを奴がいつの間にか脱がしているのに、今回は俺の意識がハッキリしている時にそのコマンドを言うのかと狼狽えてしまう。
「ン? どうした、聞こえなかった?」
 ニコニコと笑顔は崩さないが、目だけは拒否は無いと言っている。俺はソロリと回していた腕を奴から外して、ボクサーのウエスト部分に指を引っ掛けると一度大きく息を吸い込む。
 羞恥心が自身を襲う。部屋も明るく全てを家村に見られてしまうという事実は酷く自分を躊躇わせる。いつもならプレイで昂ぶった互いの熱を発散させる時は、奴が俺の体を触りながら照明を落とすのに……。
 どこまで俺が奴のコマンドを受け入れられるのか試す行為に、俺は細く吸い上げた息を吐き出しながらユックリと両手を下へとさげていく。勿論、家村と視線は絡んだまま。
 キスと軽い愛撫で反応していた俺のモノは、一度ボクサーのウエスト部分のゴムに引っ掛かりブルンッと勢い良く出ると、外気に晒されビクビクと震える。家村は俺と視線を合わせつつ時折視線を下へと向け、俺のモノがどう反応しているのか見詰める。それによって俺がどう感じているのかと俺の表情を注意深く凝視するのだ。
 下げていく手とは反対に片方づつ膝を上げてボクサーを脚から引き抜いていく。そうして脱いだものを傍らにパサリと放って、はぁ、ぁ……。と熱く溜め息を吐き出すと
「ヨシヨシ」
 再び頭に家村の手が伸び優しく撫でられた俺はコマンドが聞けた嬉しさに目を細めると、頭にあった手が今度は肩口を掴んで
「じゃぁそっち向きになって」
 言いながら俺を自分から反対側に向かせたいらしい。グイッと回すように肩口を押され俺は言われるがまま奴の胴体を背もたれにするように向きを変えて落ち着く。
 背中に家村の体温を感じていると、脇の下から腕が伸びてきて後ろからギュッと抱き締められる。
「………ッ」
 初めての態勢と、初めて奴からきつく抱き締められた事で俺は息を呑む。と、伸びてきた腕が緩み両手が俺の胸へあてがわれると中央ヘ寄せたり揉んだりし始め俺は下唇を軽く噛む。そうしなければ甘い吐息が口から漏れそうだからだ。
 そんな俺を見透かしてか、奴は好きなだけ胸を揉みしだくと不意に指先で立ち上がった乳首をピンッと弾いた。
「アッ、~~~~~!」
 突然弱いか所を弾かれ声が漏れてしまうが、一瞬後には先程よりも強く唇を噛み締めてやり過ごす。そんな俺をどう思ったのか、家村は弾く事を止め今度は潰すように指先を乳首へと押し付けてグリグリと左右ヘ動かし始めるから、俺はその快感に喉を仰け反らせた。
「ホラ声、我慢するなよ」
 仰け反らせた事で奴の顔の近くに俺の耳があたり、耳元で甘く囁かれる。その声でさえもズンッと重く腰に響き、俺はむずがるように体をくねらせると内腿は小さく痙攣してしまう。それでも声をあげない俺に家村は一瞬無言になるが次いでは
「Gasping」
 再び耳元で『喘げ』とコマンドされ、耳から脳へビリビリと電流が流れる。
「んぅっ……、ぁ、ハァッ」
 きつく噛んでいた唇が解け俺の口から気持ち良さそうな声音が零れ落ちる。それを聞いて満足そうに息を吐き出した家村は
「偉いぞ……」
 と囁きピチャリと舌で俺の耳を愛撫し始めた。
「……ッ、やァ……ンンッ、ア、アぅ……ン」
 ピチャピチャと舌と音で犯され舐められている耳の方へ顔を傾けると、それを許さないと押し潰されている乳首を軽く捻られ引っ張られる。
「アッ! ~~~ッ……、止めッ」
「ン~? 止めて欲しいって……そんなに腰上げながら言っても説得力無いよ?」
 家村の台詞に何を言っているんだと視線を下へと向ければ、自身の腰を持ち上げユルユルと上下に動いている光景が目に飛び込んで俺はカアァッと息を呑み首筋まで熱を持つのを感じる。
「ハッ……無意識とか……」
 俺の反応に家村は楽しそうに呟き、チュッ、チュッと赤くなった首筋にキスをしながら乳首を弄っていた片方の手を離し先程からの愛撫で気持ち良さに先走りを流している屹立を掴むと、先端を重点的に扱き始め
「……ッ、気持ち良さそ」
 自分の与えている快感によって乱れる俺に、ハァッ。と熱い溜め息を漏らしながらたまらずといった様子でそう耳元で呟く。
「イ……ァ、だ……めだッ……」
「何が、駄目?」
 先走りが奴の手に絡みクチュクチュと厭らしい音を立てる。俺は扱かれている手を止めようと自分の手を伸ばすが、そうする事が解っていたかのように
「Stay」
 とコマンドで動きを止められる。
「ン、いい子……」
「………ッ、フゥ……ゥン」
 家村に曝け出している羞恥心から奴の行動を止めたいのに、コマンドに従うと褒められその喜びにもっとと本能が叫ぶ。それにこの数ヶ月奴はプレイ後に必ずアフターケアを施し、普段でも俺との信頼関係を築いてきた。その賜物と言うべきか兄とのプレイ以上にコマンドは効きやすく、得られる喜びや気持ち良さも格段に上がっている。
 家村によって、俺が作り変えられている。
 こんなにも他人に自分を曝け出す事も無かったのに……。
「コッチも可愛がろうか……」
 俺のモノを扱き上げる手と同じリズムでカリカリと乳首を弄っていた手を離し、奴はベッドの側にあるチェストへと腕を伸ばす。カタリと引き出しを開ける音を聞いて、ビクリと浅ましく屹立が震え家村は楽しそうにフフッ。と耳元で笑うと
「何? 期待してる?」
 言いながら俺の顔を見ようとして首を傾ける気配に、俺はフイと顔を伏いて見られないようにしたが
「ケド、期待で震えてるね?」
「アッ……ゥンッ……」
 握られた屹立を先程よりも圧を強くして上下に動かされ俺は簡単に喘いでしまう。そんな俺を楽しそうに後ろから眺めながら家村はチェストから取り出したジェルの蓋をパコッと開け、扱いているモノの上からトロトロとかけ始めた。
 かけたジェルが屹立から玉、会陰と流れそうして孔まで垂れるとジェルの蓋を閉じて一度俺の腰をグイッと自分の方へと更に引き寄せる。
「………ッぁ」
 引き寄せられた腰に昂ぶった家村のモノがあたってゾワリとした感覚が這い上がってくる。俺の痴態を見て素直に興奮しているのだと解り、得も言われぬ感情が俺を支配してモジリと両膝を合わせようとすれば、引き寄せた腕が俺よりも早くその両膝の下へと入り込み
「よっ……と」
 奴の掛け声と共に膝が上へと持ち上がるとそれに連動して尻がベッドから離れ、腰にあたっていた家村の怒張も背中に移動したと感じた次には、そのまま膝裏にあった腕が引き抜かれ手で両膝を開かれる。
「ッ! ……お前ッ、こんな……」
「ン? だってこっちの方が弄りやすいし」
 あられもない姿を晒していると自覚し奴を睨み付けながら言葉を発するが、家村は涼しい顔をして俺の言葉に返事を返しながら開いた脚の中心に指を伸ばす。
「ンぁッ! ……、~~~ッ」
「ホラ、声詰めるなって」
 流れ伝ったジェルでクチュリと水音が鳴ったと思うと、家村の指先が孔の周りを指先で撫で上げ慎重に一本中へと侵入してくる。
「ぁ゛……ッ、ゥ~……止め……」
 孔へ入れられた違和感に小さく呻くと、家村は最近慣れてソコでも感じるようになった俺の弱いか所を的確に指先で押し上げ、執拗に愛撫し始める。
「ンぁ゛、ア~~……ッ止めッ……ソコ、触ッ、るな゛……ッ」
 割と早い段階から家村には後ろを弄られていたように思う。欲を発散させる行為としてごく自然に侵入され、余り嫌悪感を抱く事も無かった。ただ、人に触られた経験の無いか所を弄られ、それでもここで快感が拾えるのだと教え込まれれば面白い程簡単に俺の体は順応した。
「止めて欲しそうな反応じゃ無いんだけど……」
 俺の発した台詞に反論するように奴が呟き、もう一本指を増やされる。
「ン゛ッ……ク……ハァッ、ぁ……」
「気持ち良いだろう?」
「………ッ、やぁ……ア、アッ……」
「嫌じゃ無いだろ? 自分で擦り付けてるの解ってない?」
 家村の声に誘導されるように視線を自分の下半身へと向ければ、奴が言っている通り気持ち良さに腰が上がりヘコヘコと無意識に振っている光景が目に飛び込んでくる。恥ずかしさに動きが鈍ると意地悪く中に入っている二本の指がコリコリと前立腺を挟んで腹側に押し付けてきて、俺は奴の腕に咄嗟に掴まり喉を仰け反らせる。
「ン゛~~~ッ! ァ、ア゛……」
「気持ち良さそうだな? ン?」
 首を下げて俺の表情を見ながら家村が呟く。俺は過度な快感にハクハクと空気を食んで快感を逃がそうとするが、奴は自分の質問に返事を返さない俺に対し
「Say」
 呟いた家村の声に意識せず視線を上げれば目と目が絡み、コマンドで『言え』と言われればビリビリと全身に気持ち良い波が襲う。俺はブルリと身を震わせると荒い息を吐き出しながら
「……ッ持ち、良い゛……、な゛、か……気持ち……ッい゛、い……」
「ン、素直に言えて偉いな……」
 褒める言葉と一緒に扱いていた屹立の鈴口を親指の爪先でグリグリと弄られ、押し付けていた前立腺を挟んだまま小刻みに左右に振られ俺は大きくビクンッと体が跳ねた。
「ヒ、ィ゛……ッ、ァア゛~~……」
 大きな快感に包まれ体が跳ねた直後中に入っている指をギュウゥッと締め付けてしまうが、決定的な瞬間は訪れない。俺はイケ無い苦しさに眉根を寄せて縋るように掴んだ奴の腕にきつく力を入れると、家村は殊更優しい表情で
「イキたい?」
 と呟くから……。
 俺はコクコクと首を上下に動かしイカせてくれと懇願する。だが、奴はそれでけは不満な様子で
「Sayだ。どうされたい?」
 俺の行動よりも言葉で言えと呟かれ、俺は震える唇を動かし
「フゥ、ン……ッイ、きたい……ッ。イカせ、で……」
 喘ぎに混じりながら掠れた声で呟いた途端、家村は上げた口角を更に引き伸ばしチラリと歯を覗かせ
「Cum」
 『イケ』と望んだ言葉を言ってもらい大きい波がくると期待していた体はブルブルと小刻みに震え出し、次いではそれがガクガクと大きい痙攣になった刹那、ピンッと全身張り詰めた俺は鈴口から白濁の液体が勢い良く放たれ、それと同時に中でもキュンキュンと奴の指を食い締め達してしまう。
 家村のコマンドでイケた俺を奴は褒める為、上体を屈めて俺の唇を奪い舌を絡める。そうしてイキ終わって体が弛緩するとユックリと唇を離し
「上手にイケて偉かったな……。じゃぁ次はコッチで気持ち良くなろう……」
 と、俺の喉をスリリと指先で愛撫した。
 俺は家村のその行為にゴクリと喉を鳴らし、背中にあたっている奴の怒張を意識してしまう。


         ◇


 本日、ホテルの新店舗がオープンするにあたり、レセプションパーティーが開催される。外資系ホテルに引けを取らないラグジュアリーさを売りに、海外セレブや国内のセレブ層をターゲットに建てたものだ。海外に比べ外資系以外で日本でこういったラグジュアリーさを強く押し出したホテルは少ない為、そこに目を付け一般的なホテルとは一線を画し、より贅沢さを極めたものを作った。
 一般的な部屋も通常の価格帯に比べれば高いものにはなるが、ユッタリと寛げる空間にはこだわった家具や調度品をシンプルながらも重厚に見える形で配置し、スイートルームについては部屋の中にジムを併設し、希望すればパーソナルトレーナーが付いて指導も行ってくれるサービスがある。ある程度のクラスの部屋からはアメニティに関してもオーガニックで質の良いものを四種類取り揃え、その日の気分で好きなものを選べるようにしているし、眺望にもこだわり部屋によっては東京タワーとスカイツリーが一度に楽しめ、尚且つ外でユックリと出来るようにバルコニーも申し分無い程広く設計されている。
 レセプションパーティーには多くの著名人や政治家、企業のトップを招待しマスコミ関係者も多く招いて大々的に宣伝してもらえるよう手筈は万全だ。
 いつもより早目に仕事を切り上げ、パーティー用にジャケットとネクタイを変え胸ポケットにチーフを差し込み新店舗のホテルへと入って行く。着いてすぐにホテルの支配人と共にパーティー会場へと行き、流れを司会者と確認。次いでは立食のテーブル配置と料理、飲み物の確認を終え、支配人に配膳スタッフの身なりと動きについて確認を取ってもらっている間、警備担当者と警備員の配置についても確認を済ませると、一旦軽く軽食を取る。
 パーティー中は主に名刺交換と会話に終始する為、食べる事よりも飲む方が多くなる。なので先に何かしら腹に入れていた方が良いのだ。俺の隣でも家村が早目の夕食を食べている。
「ユックリ食べろ。まだ時間はある」
 隣で食べている奴にそう声をかけるが、こればかりは職業病なのかもう殆んど食べ終えている家村は
「解ってはいるんですけどね……」
 と、伊達眼鏡を押し上げ少し苦笑いしながら答える。
 残り少ない食事を口へと運ぶ奴の姿に、先週末のプレイを思い出して微かに指先が震えた。
 先に一度達した俺の中から指を引き抜き、家村の手と自分の腹を汚した白濁を拭くためチェスト上にあるティッシュを何枚か引き抜いて、奴が綺麗に拭っていく。その間俺は荒い息を吐き出しながら、強い快感の余韻に浸っていたが
『ホラ、Upして。今度はコッチ』
 と、後ろから肩口を掴まれグイッと上半身を前へと起こされ、俺はそのまま一度フラリとベッドへ上体を倒したが、次いでは家村の方へと体を回され向かい合う体勢になると、奴は穿いていたスウェットとボクサーを一緒くたに下へとずりおろし俺の痴態に興奮して勃起した怒張を露わにする。
『前に教えたように出来るか?』
 Domのフェロモンが一層濃くなり、家村が自分のリミットを外して俺が受け入れられるのか探るように見詰めてくる。俺はその視線に射抜かれもう一度喉を鳴らすとそれが合図になったのか
『Crawl』
 『四つん這いになれ』とコマンドされて、俺はユックリと上体を倒し変わりに腰を上げる。
『GoodBoy』
 素直に応じた俺の背中に、奴の褒める言葉と手が伸びてスリスリと撫でられ、俺は溜め息を漏らす。そうして以前家村に教わったやり方で俺は目の前の怒張へ顔を近付ける。
 鼻先まで勃起したモノが近付くと熱い吐息が漏れ出て、その息がモノへかかると目の前でビクリと震える。たったそれだけの事でも興奮しているのだと俺も奴の反応に煽られスンスンと匂いを嗅ぎながら唇を竿へ這わしチロリと唇から舌を覗かせると、そのまま竿を舌で上下に舐め始めた。
『……ッ、ㇰ……』
 上下に舐めただけで奴の口から気持ち良さ気な吐息が漏れ、舌にビクビクと怒張が小刻みに震える感覚が伝わり俺も舐めながら興奮してしまう。舌を這わせながら片手で竿を掴み、もう片方は陰囊を揉みしだく。
『ハッ……気持ち、良いよ……』
 素直に言葉に出して俺の頭を撫でる家村が、どんな顔で言っているのか気になり俺は視線をチラリと上へ向けると、快感に眉根を寄せ我慢している表情だが目だけは鋭く俺を見ている。頭に置かれた奴の手が頬へと落ち、スリスリと撫で俺に咥えろと示唆する。
 俺は舐めていた舌を先端へ移動させ鈴口から漏れている先走りを舐め取ると、そのまま口を大きく開き亀頭をツルリと口へ含む。途端に咥えたモノがヒクンと跳ねて上顎にあたり、ゾクッと腰に鈍い感覚が広がった。
『ッ……、そのまま奥まで……』
 頬を撫でていた手は俺の耳へと伸びて、もう片方も同じようにすると家村の手で耳を塞がれる。俺は言われた通りズ、ズズッと喉を開いて奥まで奴のモノを飲み込むと、嘔吐そうになる手前で頭を動かし喉から引き抜いていく。
 ズチュッ、グチュッ。と鈍く厭らしい音が耳を塞がれた事によって頭に響き、より自分の口が物のように使われているみたいだと感じ、ゾゾゾッと甘い波が腰から背中へと這い上がってくる。嘔吐そうになる手前で喉奥から引き抜いていても苦しさに涙が溢れ雫が頬を濡らし、溢れた唾液は拭う事も出来ずに口の端から垂れる。
『ン゛ッ……グゥ~……、グ、ギュッ……』
 喘ぎと喉が鳴る音が響き、耳を塞いでいる手に力が入って家村が俺の頭を無遠慮に動かし始めた。
 …………………、きっと限界が近い。
 そう解った俺は舌を上顎へ付けるようにする。すると喉が締まりギュッと圧をかけられた怒張はビクビクと痙攣した直後グワリと更に嵩を増す。
『……ッ、Look』
 イク寸前、家村は俺に『見ろ』とコマンドする。俺は下げていた瞼を持ち上げ奴と視線を合わせた刹那、喉奥で奴のモノは弾け青臭い体液がドクドクと流れ落ちて、俺は自然にそれを嚥下していた。
「……務? 専務」
 ボ~っと自分を見ている俺を訝しげに見つめ返しながら家村が俺を呼んでいる。俺は奴の声にハッとし
「……な、んだ?」
 と、急に現実に引き戻され冷静になれば、今まで何を思い出していた……? と俺を見詰めている奴と目が合い急に気不味くなって顔を逸らす。
 それをどう取ったのか家村は俺の肩口に手を置いて
「大丈夫ですか? 気分でも悪くなりました?」
 と、次いでは心配するように聞いてきたので更に俺は居た堪れなくなり顔を奴の方へ向けずに
「何でも無い。食べたか? ソロソロ社長が到着するかもな……」
 チラリと腕時計を見ながら椅子から立ちレストランの出入り口へ進んで行く。家村も席を立って俺の後を付いて来ながら
「本当に大丈夫ですか?」
 後ろから俺の隣に並んで俺を見ようと上半身を少し屈めてくるが、俺は並ばないように更に足早に歩いて会場ヘ向かう。だが、それもエレベーターヘ乗ってしまえば狭い空間に二人という状況で……。俺よりも前に立って階数のボタンを押した奴はクルリと振り返り
「顔色は悪く無いようですけど……」
 言いながらズイと俺との距離を縮めくる奴に
「だから、何も問題無い」
 まさか数日前のプレイを思い出していたなんて言える訳も無く俺は素知らぬ振りを通す。だが家村は手を伸ばして不意に俺の頬へ触れると
「俺の事見てたから……もしかして何か思い出してた?」
 ズバリ言われ、俺は一瞬息を呑む。その反応に家村は確信したのかニコリと笑顔を作り
「何を思い出したんです?」
 なんて、突っ込んで聞いてくる。俺は奴に嫌そうな顔を向けて
「何も思い出してなどいない」
 ピシャリとそう言い放つが、一向に納得しない奴は頬を撫でていた指先を顎下へと滑らせクイと俺の顔を持ち上げ
「強引に聞き出しても良いけど……」
 と、言いながら顔を近付けてくるから、俺はギョッとして一歩後退る。だが、すぐに壁にぶつかり逃げ場が無くなるが、家村はそんな事気にしない素振りで更に近付いてくると奴の息が唇にあたって俺はギュッと目を閉じてしまう。
 ポーン。
 軽い音の後にエレベーターが止まり、俺はその機械音にバチリと両目を開ければ、両手を肩まで上げ降参のポーズをとっている家村が、口元を歪めて
「残念」
 とだけ呟いてエレベーターのドアを閉まらないように手で押さえる。俺はカァッと顔に血が上る感覚を覚えながら奴の前を通り過ぎる間際に思い切り奴の靴を踏んで出てやる。
「~~~~~ッ!」
 まさか俺がそんな事をするとは思っていなかった奴は暫くその場で悶えていたが、俺が無視してスタスタと会場に行ってしまうので慌てて後を追って来る。
 それから数十分後招待したゲストが会場で談笑する中、司会者の進行によってレセプションパーティーが開催された。まずは司会者の挨拶。次いで兄が紹介され社長挨拶が終わり、一同シャンパンで乾杯。続いてゲストに長きにわたりうちのホテルを贔屓にして頂いている著名人の挨拶が終わって、立食パーティーが始まる。俺は兄とは離れてそれぞれお得意様の挨拶回りや企業トップとの名刺交換等をしていると、離れた場所から兄が俺にアイコンタクトを投げかけてきたので近づいて行くと
「美鈴はどうした? まだ来ていないのかい?」
「あ~……まだ商談に時間がかかっているようで……」
「そうか……来れないワケじゃ無いんだね?」
「えぇ、それは勿論」
 苦笑いで兄に返事を返しているが、少し焦りは感じている。こういったパーティーでは夫婦同伴やパートナーと一緒が基本的にはセオリーだ。一応美鈴には数週間前に知らせてはいたが、今日になって少し遅れると連絡があったばかりだ。理由は美鈴のパートナーが体調不良になったとの事。了解。だけで返事を済ませるワケにはいかず、妻としての自覚は持ってくれ。と一言添えたが、パートナーを病院に連れて行ってからこちらに向かうとの事で、なんとか周りには仕事の商談がうまく切り上がらず遅れていると伝えている。
 兄の奥さんは以前に比べれば大分マシにはなったらしいが、まだ妊娠中の悪阻があるらしく大事を取って本日は欠席している為、兄も俺の妻がいない事に少なからずヤキモキしているようだ。と、俺の後ろに視線を泳がせていた兄の表情が途端ににこやかになる。俺はつられるように兄の視線を追って体ごと後ろを振り返れば、会場の出入り口から上品なロングドレスを着た美鈴がこちらに歩いて来るところだった。
「もう一度美鈴を連れて挨拶に回りなさい」
「解りました」
 兄は俺に耳打ちすると先に美鈴の方へと歩いて行き、二、三言葉を交わして人の波間へと消えて行く。
「将臣さん、遅れてごめんなさい」
 俺に近付きながら美鈴が謝るが、どこか疲労の色がいつもより濃く出ていて
「イヤこちらは大丈夫だったが……そっちは大丈夫だったのか?」
 と、美鈴の相手がそんなにも体調不良だったのかと聞き返せば
「急性虫垂炎で……炎症が酷く緊急手術でしたの……」
「は? 大丈夫なのか?」
 盲腸と聞いて薬で散らせるだろうと思っていたが、予想を裏切り手術だと聞き驚く俺に
「えぇ……手術も無事終わりました。暫く入院ですが、問題はありません」
「そうか……。着いて早々悪いが、挨拶回りだけ一緒にしてもらったらすぐに帰ると良い」
 パートナーが心配だろう。遅くまで付き合わせるのも気が引ける……。俺がそう言うと美鈴は柔らかく笑い
「ありがとうございます……申し訳無いですが、甘えさせて頂きますね」
 そう言って俺の腕に手を絡めてくると、後ろにいる家村に視線が向き
「あら、将臣さん。警護の方変わられたんですの?」
 と、途端によそ行きの表情を作ると下から上まで値踏みするように美鈴は家村を見詰め、そうして自分よりもDom性が強いと解るとすぐに興味を無くしたのか俺の方へと視線を戻す。これは美鈴の悪い癖だ。昔から相手がDomだろうがSubだろうが関係無く全ての男に対して自分より弱い奴を支配下に置きたいという欲求が美鈴にはあると思う。直接本人に確認をとった事は無いが、相手が女なら誰に対しても優しく振る舞うのに、男限定でこの癖が出てきてしまうのだ。まぁ、美鈴の家もDom至上主義の家、俺の家と近い教育がなされているはずだし、それに美鈴のところは二人姉妹。男に舐められるなと教育されれば……こういう態度になってもおかしくは無いのかも知れない。
「初めまして、家村大雅と申します」
 家村は頭を深く下げ挨拶をする。そんな家村を見て、自分よりもDom性が強い相手が丁寧に挨拶をするものだから美鈴は嬉しそうに口元を綻ばせ
「ご丁寧に……。私は将臣さんの妻の美鈴と申します」
「……え?」
 美鈴の台詞に家村が固まる。その態度に俺も美鈴も訝しげに奴を見るが、すぐに家村はハッとなって
「……何でも、ありません」
 と、言いながら美鈴に苦笑いを向ける。彼女も奴につられながら笑顔を作り俺に再び視線を向けながら
「では将臣さん、参りましょう」
 クイと絡めた腕を引かれ俺は一歩を踏み出すが、不意に後へ顔を向ければ家村は見た事も無いような表情で俺達を見詰めていた。
 もう一度美鈴を連れて挨拶に回る。彼女がDomだったとしても、女性を連れて回れば俺が一人で回っていた時よりも格段に話しがし易い。それに美鈴にとってもメリットだ。彼女は彼女で自分よりもDom性が弱い相手に対して巧みにフェロモンを使い支配下に置いて話をしている。そうする事で彼女が欲しい言葉を相手に言わせているのだ。彼女も一応自分で事業をしている。美容関係の会社で成分にこだわった商品は、安くは無いが質が良いと評判でこういったパーティーでの人脈作りはどこで何があるか解らない為、名刺交換をするにはうってつけだろう。
 ある程度挨拶を済ませ美鈴を見送る為にホテルを出る。車止めの所には何台かのタクシーが停まっておりその一つのドアを開けてやると
「ありがとうございます。また連絡致しますね」
「あぁ、相手にも宜しく言っておいてくれ。また何か持って行く」
「解りました、伝えておきます。家村さん、将臣さんの事頼みましたね」
 彼女はタクシーに乗り込むと窓を開けて後ろの家村にそう言う。奴も声をかけられ一歩近付き
「解りました」
 とだけ呟き深々とお辞儀した。
 タクシーはユックリと発進し俺は踵を返すと
「行くぞ」
 家村の前を通り過ぎる間際にそう呟き、スタスタと再び会場へと向かう。
「え~、皆様歓談中に失礼致します。そろそろ会場の時間も迫って参りましたのでこの辺りで閉めさせて頂きます……」
 司会者が時間通りに壇上へと上がり、お開きの時間だと伝えている。兄が再びマイクを握りお礼の挨拶を言っている中、俺はホテルの支配人に最後の指示を出して会場の出入り口に立つと兄の挨拶が終わり、兄もまた俺の隣に来て会場を後にする客達に挨拶し手土産を持たせる。
 最後の客を見送って隣にいる兄へ視線を向ければ、兄もまた俺を見ていて
「疲れただろう? 後の事は大丈夫だから先に上がりなさい」
 優しく微笑みながら言う兄へ
「イエ、最後までいます」
 と返せば兄の指が俺の頬ヘ伸び、触るか触らないかのタッチで指先が頬を掠め
「顔が真っ赤だ。相当飲んだだろう? 部屋は取ってある行きなさい」
 言いながらジャケットの内ポケットからカードキーを取り出し俺に差し出してくるので、俺は自分の頬に手の甲をあて
「酔ってはいません……」
 家村と過ごすようになって酒を飲む量は確かに減ったが、だからといって前後不覚になるほど意識は混濁していない。久し振りにいつもより飲んだことで顔は赤くなっているかもだが……。
「家村、将臣を部屋まで連れて行ってくれ」
「かしこまりました」
 自分の言う事を聞かない俺を無視して、兄は後ろにいる家村ヘ指示を出す。家村もまた素直にその言葉に反応して軽く会釈すると、兄が差し出しているカードキーを受け取り
「専務、こちらへ」
 と、片腕を伸ばし俺を誘導するような体勢になる。
「ユックリ休みなさい」
「解りました……。お先に失礼します」
 ここまでされてしまえば俺が言っていい台詞はこれだけだ。俺は兄に向かってそう言いながら会釈し、家村が腕を伸ばしている方向へと歩き始める。
 部屋までは家村がスムーズに誘導してくれ、兄が取っていたエグゼクティブスイートの部屋ヘ入る。スイートルームに比べ少しだけ質は劣るが、今日招待した何名かがスイートとジュニアスイートに泊まる為この部屋しか空いて無かったのだ。
 一度部屋の前で待たされ、家村が一人で先に部屋へと入り異常が無いか確認した後俺を招き入れる。問題は無いと解っているが、必ずそうしろと教わっている奴は教科書通りに仕事をしているだけ。悪い事では無い。
 部屋のソファーへドカリと沈み込むと深く大きな溜め息を吐き出しながら、ネクタイを緩め傍らに立っている家村に
「お前は何も飲んでないだろう? 弱いが一杯だけでも何か飲むか?」
 と声をかけソファーから立ち上がり、部屋の中にあるバーカウンターへと足を向ける。
「イエ……、そろそろ戻ります」
 後ろから家村の硬い声が聞こえ、俺は奴を振り返る。そうして奴の表情を見れば、美鈴と一緒にいた時に見た何とも言えない顔付きで立っていて……。
 俺は小さく溜め息を吐き出しながらソファーへ戻り
「お前も泊まればいい。明日は休みだろう?」
 久し振りに多く飲酒して気が大きくなっていた俺は、酒の力を借りて珍しくこちらから誘う台詞を言えば、その一言に奴は眉間に皺を寄せる。それを見て俺はその意図が解らず
「何だ? 何か言いたい事があるのか?」
 と、尋ねれば一度唇を噛み締め、次いで
「……結婚、されてたんですね……」
 暗く静かに家村が呟く。その言葉に俺は一瞬呆気に取られたが、すぐにクスッと笑うと
「それが何だ? 独身だとでも思ってたのか?」
 ソファーの背もたれに体重をかけて、解いたネクタイをシュルリと引き抜き傍らに置く。そうしてYシャツのボタンを幾つか外してジャケットを脱いでいれば、俺の台詞に黙ったままだった家村がボソリと
「奥さんは指輪……してましたが、専務はしてないし……アンタの家だってそんな気配……」
 言葉の端々にまるで俺を責めるような棘が見え隠れして、俺はフンと鼻を鳴らす。
「今時指輪をするほうが珍しいんじゃ無いか? それに一緒には住んでいないからな気配は無くて当たり前だ」
 美鈴と結婚した時に一応形式として指輪は購入していた。だが俺は最初から着けるつもりも無かったし、彼女はパートナーとお揃いの指輪を嵌めている。そもそも美鈴とは結婚していると言っても互いに対して恋愛対象では無いのだ。しかもあちらは長年交際しているパートナーが既にいて、同棲している。そんな特殊な関係をいちいち家村に説明して理解してもらえるとも思えず、奴には言っていなかった。それにこれはごく個人的なプライベートな問題だ、言わなかった事に何か問題があるのだろうか?
 この数ヶ月である程度家村とは信頼関係が築けている。奴との関係で挿入までには至ってはいないが体の関係込みでのプレイまでしているし、俺にとっては初めて身体的にも精神的にも預けていいと思えた相手が家村だ。
 ………ただ、今まで出会った人達とは違い、初めて俺の中で恋愛対象として強く意識した相手でもある。このまま深入りして自分が自分でなくなってしまいそうな……、周りが見えなくなる事への不安からいつでも逃げ出せるように金を払っているという事実がある。卑怯だと言われてしまえばそれまでだが、俺の中でそれは保険みたいなもので……。もし何かあって駄目になったとしても、金で買った相手だと思えるように……。
「……………結婚されているのであれば……俺は不要では?」
「は?」
 予想しなかった台詞が家村から飛び出し、俺は奴を凝視する。
 本気でそんな事を言っているのかと暫く黙って相手の出方を見るが、無言のまま俺を見詰め返す奴の態度にそうなのだと悟り俺は口元を歪めて
「で? プレイする関係をやめるか?」
 言いながらも急激に血の気が引いていく感覚を覚える。奴は何を言っている? 俺との関係を終わらせたい?
 動揺していると悟られないようにユックリと喋る俺の台詞に、家村は一度視線を落として口を噤む。そうして暫く何事かを考えていたようだが、次に視線を上げればその目には何かの決意が見て取れ
「既婚者とは……プレイ出来ない」
 家村もまたユックリと言葉を選びながら俺に向かって言葉を紡ぐ。その決定的な台詞に俺は冷水を浴びせられたようなショックを受けるが、グッとソファーに置いている手で拳を作り
「……金は、払っているが?」
「尚の事無理だろ……? どっちにしろ奥さんを裏切ってる事に変わりは無いんだから……それに俺の家庭環境を聞いていた貴方なら、俺がそういう事に対して敏感な事位理解出来るだろう?」
 家村の台詞に俺は息を呑む。奴の母親は浮気して奴と父親を捨てた経緯がある。それに、家村が知らないうちに父親が後妻と子供を作っていた事も……。奴の立場になれば、俺との関係も自分の親がしてきた一番嫌な事をしているのと同じだろう。………だが、俺は……
「風俗と……同じだろう?」
 そうだ。やっている事はそれと同じ。買った相手に対してプレイを要求しているだけだ。それの何が悪いと言うのか?
 先程まで金で買った相手と思えばいいと思った頭で、それで関係が引き伸ばせるならと真逆の事を考えている。けれど俺の言葉に家村は更に眉間の皺を深くすると
「俺はプロじゃ無い……し、金以上に気持ちの問題だろう?」
 -------ドクンッ。
 奴の一言に俺の鼓動が跳ねる。
 『気持ちの問題』
 ……………ッ、そんな事……お前に言われなくてもッ! とっくに……。
 ギリィ……と奥歯を噛み締め、手の平が真っ白になりそうな程拳に力を入れる。
 美鈴との関係をここで暴露してしまえば奴も考え直してくれるだろうか? だが、俺の一存で軽く言える事でも無い。言ってしまって美鈴に迷惑がかからないとどうして確信出来る? だがきっと家村の事だ、俺と美鈴の事を聞いても誰かに漏らす事は無いだろうと一方の自分は言っている。けれど、本当に百パーセント信じ切っても良いのか? と、もう一方の自分が言うのだ。
 最後の最後で、長年Domとして生きてきた橘将臣の思考が邪魔して結局は……
「そうか……、ならば好きにするといい……。やめたいならどうぞ?」
 と、一度発言すれば取り消せない事も解っているのに、口からはそう言葉が滑り落ちていく。
 家村もまた俺の台詞に唇を噛むが、ユックリと俺に向かってお辞儀すると
「帰ります……」
 そう言い残し部屋を出て行く。
 ガチャリと無機質に扉が閉まる音が部屋に響くと俺はソファーから立ち上がりバーカウンターへ足早に近付く。
「………クソッ」


         ◇


 家村との一件以来仕事をこなす事に終始している。極力絡まず二人きりになる事も避けて事務的に接してはいるものの、それでも空気感は悪い。いい大人が……とは思うが、正直これが互いに限界なのだろう。
 俺に関しては前よりもプライベートが酷い事になっている。食事も摂ったり摂らなかったりしているし、酒の量が以前に比べ増え連日二日酔いによる気持ち悪さと頭痛に耐えながら仕事をしている状態だ。だが奴の前で弱っている自分を晒す事は考えられず、前以上に家村に対しては気を張って完璧に振る舞っている。
 クンッ。
 乗っていた車が停まった反動で体が微かに前後する。自宅マンションの地下駐車場に着いたのかと仕事の資料から目を離し、上げた視線でバックミラーを見ても家村はさっさと運転席から降りると、俺が座っている後部座席のドアを開け上部に手を添えて頭がぶつからないようにしているが、顔は正面を見据えこちらには向いていない。俺は小さく息を吐き出し車から降り一歩を踏み出した所で、奴は深く腰を折って
「お疲れ様でした。週明け、いつも通り迎えに上がります」
 とだけ言い、俺が歩いてマンションへと入って行くまで顔を上げない。
「ッ……」
 家村はあの日から徹底して自分の視界に俺を入れなくなった。もし視線が交ってもすぐにフイと逸らされてしまう。その度に俺は息苦しくなり胸がギュウッと締め付けられる感覚を味わう。その苦しさから早く開放されたくて今も無言で足早にマンションへと入って行く。
 自分の部屋へと帰って来てスーツを無造作に脱ぐとシャワーを浴びて自室へ、スウェットを着てキッチンへ向いグラスと新しい酒瓶を持ってリビングのソファーへ座る。最近Sub用の抑制剤も元のキツイものへと戻した事で、また睡眠障害が再発し余り眠れてもいない。このまま目の前のテーブルに置いてある酒瓶がほぼ空になるまで今日も飲んでしまうのだろう。
 酒を飲んでグルグルと考えている事を止めたい。あの日に終わった関係をもう一度修復するためにはどうしたら……。なんて、今までの俺なら考えられ無かった事をいつまでもループのように考えてしまう。それにこの部屋ではそこかしこに奴の事を思い出してしまう場面が多過ぎる……。
 胡散臭い笑い方ではなく年相応に屈託なく笑う顔や、キッチンで俺の為に料理をしている姿。リビングで一緒に食事を摂っている時に大袈裟に身振り手振りで話す奴の声に、映画を見ている時重なった手の感触。そのどれもが鮮明で、そして今の俺には苦痛だ。寝室に至ってはプレイを思い出してしまいそこで寝る事さえ出来ない。
 コマンドを発する時の目、褒める時の優しい表情、けれど時に意地悪で俺を翻弄したかと思えば、こちらがグズグズになるまで優しくされ……。
「………ッ」
 ゾクリと湧き上がる欲や感情を忘れたくて、俺はグラスに入れた酒を一気に煽った。
 考えたく無い。忘れてしまいたい。こんな感情を味わう位なら最初から家村との関係を止めておけば良かったと何度も思って、そうしてまた振り出しに戻る。
 みるみる酒瓶からアルコールが減り、やっと明け方近くに気を失うようにしてリビングのソファーで眠りに就く。
 シャッ、シャッー……。
「橘さん、大丈夫ですか? またこちらで寝られたんですか?」
 カーテンが引かれ部屋中に光が差し込み、それと同時に声をかけられて俺は薄っすらと目を開ける。そこには心配そうに俺を見下ろしているハウスキーパーの佐藤さんの顔がある。
「ぁ……さ?」
 アルコールで水分が飛んだ喉はガラガラで、俺の声に少しだけ眉毛を寄せた彼女は
「お水、飲まれますか?」
 と、俺から離れキッチンの冷蔵庫の方へ近付く。そしてバコッと扉を開き数秒そこで止まると
「また、召し上がって無い……」
 ため息混じりに呟いた声が聞こえてきて俺は、ぁ~……。と小さく漏らしながらガシガシと髪を掻く。
 佐藤晴子は俺がここに越して来てからずっとハウスキーパーとして来てもらっている年配の女性だ。彼女の事を知ったのは兄から。Dom専用のハウスキーパーを紹介しているところがあると聞き派遣してもらった。彼女はノーマルだが、しっかり訓練を受けているのか、長年この仕事をしていて慣れているのか、当初から俺に怯える事は無く働いてくれている。土日の週末どちらか朝から夕方まで部屋に来て、掃除、洗濯、週初めの作り置き等をして帰って行く。当初は寡黙で黙々と仕事をする印象が強かったが、家村が毎週末来るようになって二人で話し込んでいるのを度々見かけていた。それから俺とも話をするようになっていたが……、家村が来なくなり俺の生活が荒れ、俺自身誰とも話したく無いというオーラが出ていてそれが伝わったのかソッと見守る事をしてくれている。だが、折角作ってくれている作り置きをほとんど手を付けずに冷蔵庫に放置している俺に呆れたのか、グラスに水を入れ戻って来ると
「まだ何も召し上がらないつもりですか? このままだとお体壊しますよ!」
「………、少しは食べてる」
「あの量は食べてるなんて言いません! 今日は朝食、食べて頂きますからね!」
 グラスをテーブルに置きながらそう言われ、彼女はキッチンに戻って行く。それから間もなく何かを作っている音に、俺はテーブルに手を伸ばして水が入っているグラスを通り過ぎ酒が入っているグラスを……
「橘さんッ! お酒はもう飲まないで下さい!」
 対面式になっているキッチンのせいで、料理を作りながら俺が何をしようとしているのか解った彼女は、声を荒げながらそう言ってくるので俺は渋々水が入ったグラスを掴んでコクコクと喉を潤す。傍らにある酒瓶は三分の二が無くなっていた。
 グラスの水を飲み干し、何もする気力がおきずにボ~っと首をうだれて床のフローリングを見ている。どのくらいそうしていたのだろうか、突然ポンと肩を叩かれビクリッと肩が上がり叩かれた方へと首を動かせば
「橘さん大丈夫ですか? お食事出来ましたが……食べられます?」
「あぁ……」
 ユックリと立ち上がりキッチンのカウンターへと足を向け、椅子に座ると目の前に粥が置かれる。そうして小鉢に粥に合わせる様々な具材が置かれ最後はお茶。
「胃に優しいものなら召し上がれますよね?」
 作り置きも胃に優しいものにしますので。と言いながら、使用した料理器具をカウンター越しに洗い始める。
 俺はモソモソと粥を口に運んで食べているが、美味しいとは感じなかった。これは家村との事が終わってからどれを食べても味を感じなくなったから。一人で食べても美味しく無いのなら別に食べなくてもいい……と、食事も疎かになってしまった。
 料理器具を洗い終え手を拭きながら佐藤さんが心配そうに、一点を見て食べている俺を見詰め
「家村さんと喧嘩でもなさったんですか?」
 プライベートな事は極力聞かないと会社の規定にもあるだろうに、俺のここ最近の現状を見てつい口から漏れた言葉だと解り俺は薄く笑う。
「……喧嘩か……だったら、良かったのかもな……」
 ボソボソと呟いた俺の台詞に
「……お別れ、されたんです……?」
 詰まりながらもまさかと意外そうに返され、俺は彼女の方に視線を向け
「別れた……とも違うか……。始まってもなかったが……」
 自虐的に軽く笑っていた俺に、口元に手をあてて
「そう……なんですか? 私はてっきりお付き合いされてるとばかり。家村さん、あんなに橘さんの事を楽しそうに話されていたので……」
 喋っていた彼女は、俺がジッと見ている事に気付き喋り過ぎたかと口を噤む。
「楽しそうに俺の事を……?」
 だが俺が気にせず反対に聞き返した事で許されたと判断した彼女は
「えぇ……。まだパートナーにはなれてないけど、いずれは……と仰っていたので……」
 パートナー……。家村が一番最初に俺に提案してきた関係。何故俺とパートナーになろうとしたのかその理由を聞く事は最後まで無かった。もし、聞いていたら何かが変わっていたのだろうか……?
 そう考えが浮かぶが、すぐに否定する。アイツは既婚者の俺とは関係を作れないと言ったのだ。ならばどうしたって結果は今と同じじゃ無いのか?
「そうか……」
 それでも奴がそう考えてくれていた事を知り、俺の口元は綻んでいた。


          ◇


 そろそろ限界が近い。
 睡眠不足に加え、酒と薬の併用で効きが悪くなっているのか、体が悲鳴を上げていると自分でも解る。
 仕事中は外に出る度に空気が張り詰め、それがジワジワと自分を蝕む。
 嫌だが兄に言って誰でも良いからDomを紹介してもらうか……。家村で無いなら誰でも同じ事だ。
 役員室のソファーに座りそんな事を考えていると、内ポケットに入れていたスマホがラインを告げ俺はスマホを取り出す。画面を確認すれば兄からで会社近くのビジネスホテルにいるから一人で来いとの事だ。
 ビジネスホテル? 何の用だ?それに一人で来い。とは……。
 ワケが解らないままだが、俺は解りました。と返信し役員室を出ると、出てすぐの空間が秘書室になっている。部屋から俺が出て来た事で、俺の秘書が椅子から立ち上がり
「どちらへ? 何かお約束がありましたでしょうか?」
 と、少し困惑気味に聞いてくる。
 俺は片手を上げ近付いて来ようとする秘書を止めて
「イヤ、何も無い。しばらく出るが問題は無いだろう?」
 この後、特に予定は入っていなかったよな? と考えながら言う俺に
「え、えぇ……。特にございませんが、出るのであれば家村に車の用意を……」
「問題無い、近場に行くだけだ。何かあれば携帯を鳴らせ」
「解、りました……」
 車も出さずに近場に出ると、イレギュラーな行動をする俺に、秘書は詰まりながらも返事を返す。俺はスタスタと秘書室を出て会社を後にする。
 会社を出て兄にその旨を連絡すれば、すぐに部屋番号だけ送られてくる。俺はそれに了解。と返事をして指定されたビジネスホテルまで歩く。このビジネスホテルも系列店になる。会社の近くにある為、ほぼ自社の社員が使用する事が多いと昔秘書が言っていた。残業で帰れなくなった者や出張で使用したりと会社に近い事もあるが、どうやら社員には割引券も配布していて気軽に利用出来るようにしているとか。ビジネス街にある立地で社員以外にも需要はありそうだ。
 歩いて十五分位で目的地に着き、指定された部屋まで向かう。昼過ぎの時間帯もあり、客は少なそうで清掃員が部屋を回っていた。
 コンコンコン。
 ドアをノックしてしばらくすると、ガチャリと鍵が開く音と共にドアが開く。
「入りなさい」
 出迎えてくれた兄に軽く会釈しながら部屋へと入り、座るところが無く取り敢えず立っていると
「ベッドへ」
 後から入って来た兄が俺にベッドに座るように促す。俺は二つ並んであるベッドの一つに腰掛けると、兄はテレビが置かれているカウンターに付属している椅子に座る。そうして俺の真正面で脚を組みながら
「どういう事だろう将臣。説明してくれないか?」
 と、無表情で静かに言い放つ。その兄の態度に俺はゾワリと項に鳥肌が立つ。
「何……をですか?」
 理由は解らないが兄は俺に怒っているようだ……。こういう時の兄には逆らわない方が良い事をよく知っている。だが、何に対して怒っているのか理解出来ない俺は、説明のしようがないと聞き返してしまう。
 俺の返答に兄は鼻から大きく息を吐き出すと
「何度も私はお前に言っているね? SwitchはDomやSubより命のリスクが上がると」
「えぇ……聞いてます」
「なら何故、今のお前はそんな状態なんだろうか?」
 言いながらニコリと微笑まれ、俺はヒュッと息を吸い込む。
「レセプションパーティーの時は大丈夫そうだったじゃ無いか。それなのに今はその有様だ」
 どういう事なのか説明しろと笑っていない目で問われ、俺はハク……と唇を動かし空気を噛む。
 すぐに答えられない俺に対して、兄は苛立ちが募ったのか再び溜め息を漏らすと
「今はお前と私だけ。会社では出来ない話しだし、かと言って車を出せば家村に疑われる。最善だと思ってお前をここに呼んだ私は対応が間違っていただろうか?」
「イエ……そんな事は……」
「ふ……む、言い方を変えよう。家村と何があった?」
「ッ………」
 単刀直入にズバリと言われ、俺は兄と合わせていた視線を外し
「……プレイする事を、止め……ました」
 ボソボソと呟いた台詞に兄はしばらく黙っていたが、長い脚を組み替え
「仕事に支障は?」
「……ありません」
 それは嘘ではない。いくらここ最近プライベートが糞でも、仕事だけはキッチリとやり遂げている。それは奴の前で弱さを見せたくないという想いからだ。関係が終わって女々しく引きずっている自分を見せるなど俺のプライドが許さない。
「そうか……」
 俺の答えに納得したのかどうか解らない返事に、次の言葉を待っていると
「ジャケットを脱ぎなさい」
「……………え?」
 突然、そんな事を言われ俺は固まり兄を凝視するが、兄は思いの外真剣な顔付きで
「何もしないまま今以上に苦しむか、今少しでも私とプレイするか……。馬鹿でも解るだろう?」
 呟く兄の目の奥は、まだ俺に対して怒りの色が見えている。それに俺には拒否する理由も無くて……。
 素直にスルリと肩からジャケットを落とす俺を兄はジッと見ていたが
「Switch」
 と兄は静かに呟く。


          ◇


 兄とのプレイが終わった後
『知り合いの連絡先だ。プレイする相手が見つからなければ連絡してみるといい』
 と言われ渡された名刺。
 名前を見れば何度か兄と一緒に会った事のあるDomだ。確か外資系のバンカーだったはず。仕事が忙し過ぎて未婚、独身貴族を謳歌していると聞いたような……。
 役員室のデスクに座り、取り出した名刺を眺め俺は溜め息を吐き出す。きっと相手はこちらが頼めば快く快諾してくれるだろう。それに兄の友人だ、人に漏らす事も無いはず。 
 だが……。
 先程までの兄とのプレイを思い出して、俺はギッと鈍い音を出しながら椅子の背もたれに体重をかける。
 俺を心配して行ってくれたプレイ。いつも通りの事だと俺も受け入れた行為だ。これで少しでも体調が良くなれば……と。けれど蓋を開けてみれば兄のコマンドに対して感じたのは不快感だった。自分よりも強いDom性の兄にプレイをしてもらっているはずなのに、それは一度金で買った自分よりもDom性が劣る奴にプレイをしてもらった時のような……。
 兄はすぐに俺の変化に気付いてプレイを中断してくれたが、俺は兄のコマンドを受け入れない自分に戸惑い、そうして泣きたくなる程おかしくなった。
 家村との関係はたかだか数ヶ月の出来事だ。なのに何十年もプレイしてきた兄を受け入れられない程俺の中に入り込んでいたという事実に笑えてくる。このまま家村と今の状態なら、俺は確実に……。
 最悪の文字が頭に浮かんで再び名刺に視線を落とす。
 兄以外のDomとプレイをして自分が受け入れられなかったら……。本当に駄目という事だ。だが、違う相手に家村の事を塗り替えられる人がいれば……。
「賭けになるのか……」
 首を天井に向けて鼻から息を出し、両目を閉じる。と
 コンコンコンコン。
 ドアをノックされ、ハッと目を見開き返事を返す。するとガチャリとドアが開き秘書が入って来るとお辞儀して
「本日の業務は終了致しましたが、専務はいかがなさいますか?」
 と、残業するのか? の聞いてくる。俺はしばし無言で優先順位の高い仕事を思い出し時間の振り分けを頭の中で行った後
「イヤ、……今日はもう帰ろう」
 そう言いながらデスクの上に出していた名刺を引き出しの中へとしまい、立ち上がる。
 秘書とは会社を出て別れ、視線を上げれば車の後部座席を開けて待っている家村が目に入る。俺は無言のまま車に乗り込みドアが閉まるとすぐに窓へと視線を移す。ユックリと走り出した車内はいつものように緊張を纏っていて、俺は体調の悪さと車内の雰囲気の悪さにネクタイを少し緩めた。
 視線を外に向けていても、意識は車内の家村に向いている。俺がネクタイを緩めた辺りからバックミラー越しにチラチラと奴が俺を見ている気配が伝わり、変に緊張感が増す。
 いつもならミラー越しでも見ない奴が、何が気になるのか……。見られていると意識してしまえば、ゾクリと淡い感覚が俺の体に纏い微かに期待してしまう。
 信号で車が停まったタイミングで、俺は小さくコクリと喉を鳴らし口を開く。
「何か、言いたい事でもあるのか?」
 至って平静を装い俺も一瞬ミラーへと視線を泳がすと家村と視線が絡んでドクンッと鼓動が跳ねる。
「…………、アンタからアンタじゃないDomの匂いが……」
 ボソボソと呟いた奴の台詞を聞き、兄のフェロモンがそんなに強く付いたのだろうか? と気付かれないようにスンと空気を吸い込む。だが自分では匂わず無言でいると
「良い相手が見付かりました? それとも俺と同じで金でどうにかしたんですか?」
 家村の冷たく言い放つ言葉に、俺は眉間に皺を寄せミラーをもう一度睨み付けるように見ると、奴もまた眉根を寄せて俺を見ている。
「……………ッ、関係無いだろう」
 久し振りにした会話だったが俺が期待していた言葉では無い発言に、急激に指先が冷たくなるのを感じて俺はギュッと手を握る。
 信号は赤から青に変わって、奴はミラーから視線を正面に戻すが俺の台詞に苛立ちを隠す事をせず
「女ですか? それとも男? ……てかプレイだけで満足出来ましたか?」
「何が、言いたい?」
 煽るように言う奴に、俺の声音も低くなる。
「奥さんいるのに俺とあんなプレイしてたんじゃ、女は抱けないですよね? じゃぁ相手はやっぱり男ですか?」
 俺を傷付けたいと解る物言い。奴の台詞にドクドクと心臓が早鐘を打ち出し、俺は奥歯を噛み締めるが次いでは
「オイ、車を停めろ」
 と、静かに懇願する。
「は? ……無理に決まってるでしょ。それに言い返さないって事は、図星で……」
「停めろ。と言っている」
 家村の言葉を最後まで待たずもう一度静かに言った俺に、奴はユックリと車を側道に付けて停まる。俺は車が停まった途端、自分で後部座席のドアを開けて車から降りると、ガードレールを跨いで歩道へと入りスタスタと車から離れるように歩き出す。
 突然俺が車から降りると思って無かったのか、奴は慌てたように運転席から降りて
「ちょっ……と! 何処行くんですかッ!」
 後ろから大声で叫ばれ周りで歩いていた人達がザワついているが、俺は奴を無視して歩き続ける。だが、車のドアが閉まる音がして家村が後を付いて来るのが解ると振り返り
「付いて来るなッ!」
 一言だけ叫び返し再び奴から踵を返すと俺は歩き始める。少しフラつきながら歩いているとすれ違う何人かと体がぶつかり、俺は弾き出されるようにガードレール側に追いやられる。俺は立ち止まり冷たく微かに震える指先でガードレールに手を付き、そこに持たれるように腰を押し付けて立つと顔を下に向け細く長い息を吐き出す。
 何が期待して……だ。他のDomの匂いに嫉妬して何かアクションがあるかと都合の良いように解釈してしまった自分が恥ずかしい。家村から感じた嫌悪とその言葉にギリギリだったものが溢れ、あれ以上は受け止めきれなかった。ともすればすぐにでもサブドロップして倒れてしまいそうな体を落ち着かせようと深呼吸するが、下手をすれば過呼吸になってしまいそうだ。
 俺はギュッと両目を瞑り、片手をもう一方の腕に回して自分自身を抱き締めるようにする。何度も心の中で落ち着けと言い聞かせ下に向けていた顔を上げて目を開けば、視線の先には楽しそうに寄り添い笑い合っているカップルが飛び込んでくる。無意識にその二人を目で追っているのに気付き、ハッ。と自虐的に笑って再び視線を下にさげ、おかしさに肩が微かに震えた。
 昔からそうだ。誰一人俺を見てくれる人はいなかった。両親も幼い時から兄だけ。兄も愛してはくれたが結局は大切な人を見付けた……。美鈴も、弟の英臣も……。皆、自分の大切な人を見付ける。俺は……、俺だけがずっと一人。Switchというダイナミクス性で、DomもSubもノーマルでさえ上手く相手を見付けられない。Domの時はSubが必要で、Subの時はDomが必要だ。どちらか一方ならば間口は狭く受け入れてくれる人もいたかもしれない。何人かのSubと付き合った事があるが、Domも必要な俺は一人に絞る事が出来ない。それになまじDom性も強く、自分より強いDomを探さなければならなかったし、見付けられなければ兄とのプレイで欲求を消化してきた。付き合った相手からしてみれば、兄との関係性を知らないとはいえ依存している俺に対していい気はしなかっただろうし、浮気を疑われたり嫉妬に狂った相手と上手くいった試しがない。しかも性嗜好がゲイの為更に間口は狭くなる。全てに疲れて今の形に落ち着いた。Subは適当に相手を買って、兄に自分のSub性を満たしてもらう。それが一番楽で、相手も自分自身も傷付かない方法だったからだ。
 だが、家村と出会ってしまった。
 奴は俺を何故だが解らないがパートナーにしたいと言って、俺自身を見てくれた。
 俺の家柄や地位じゃ無く、橘将臣という一人の男として見て、大切にしてくれていたと思う。俺も奴には言っていなかったが家村とプレイを始めてから金で買ってプレイするSubは女だけにしていた。
「……結局は上手くいかなかったケドな……」
 既婚者だと黙っていたし、プレイを金で買っていた。ゲイだとも言わず結局最初から全て自分を守る為に奴を傷付けていたのだ。それが今全部自分に返ってきている……
「お兄~さん、どうしたの? 何か気分悪そうだね、大丈夫?」
 後ろから声をかけられるが、相手にする気にもなれないし状況でも無く俺は無視を決め込む。
「聞こえてる~? 無視はやめようよ」
 だが相手は無視している俺にしつこく言葉を投げかけてくる。
「お兄さん、気分悪いなら介抱してあげるけ……」
「うるさい、放っといてくれないかッ!」
 俺は苛つきながら後ろを振り返り相手に文句を言って顔を見ようと顔を上げれば、ガードレール越しに立っている男が一人、ニヤニヤと俺を見ている。そして男の後ろにはバンが停まっているがその後部座席のドアは開いていて……。
「放っておけないンだよね」
 ニヤついた口からそう言った途端、開いているドアからもう一人男が降りてくると、ガードレールを越えて俺の真正面に立つ。
「何だ、お前達……」
 ヤバイ雰囲気に俺はガードレールに付けていた腰を離し、真正面にいる男の脇からすり抜けようと足を一歩出すと、ズイと男が近付き突然しゃがむと俺の足に手をかけ持ち上げる。
「オイッ! 何し………ッ」
 バランスを崩して後ろに引っくり返りそうになりながら声を出すと、後ろにいた男が俺の口を塞ぎ上半身を支えている。
 ヤバイッ! 拐われる!?
 こんなに人が行き交う中で堂々と俺を持ち上げバンの中へ入れ込もうとするが、俺も最後の抵抗と言わんばかりに空いている手で開けられたドアに手を付いて体が入らないようにするが、車の中にもう一人いたのかヌッと伸びてきた手が入らまいと力を入れている俺の手首を握りグッと力を入れて中へと引きずる。
『え? 何、ヤバくない?』
『喧嘩か?』
『何だ?』
 周りにいた人達もただならぬ雰囲気にざわついて人だかりが出来るが、だからといって止めに入ろうと思う人間はいないらしい。俺はそのまま車の中へと吸い込まれるように入れられると、足を持っていた男がバンの中へ入りドアを閉めてしまう。
「オイッ、この男で合ってんのか!?」
 俺に声をかけてきた一人が、運転席では無く助手席に座っている奴に声を荒らげながら聞くと、恐る恐ると言った感じで声をかけられた奴がこちらに振り返る。
 …………………。コイツ、どこかで……。
 気弱そうな奴は俺と目が合うとすぐに視線を逸らし
「そうです、間違いありません」
 と、声を震えさせながら答えた。
「本当にこの男で間違い無いんだなッ? それにコイツがそうなんだろうな?」
 ……そう。とはどういう事だ? 何を確かめている?
 コイツ等の意図が解ら無いが、口を塞がれている為喋る事も出来ない。そう思っているとバンのドアを閉めた奴が長い布を俺の顔へと近付け素早い動きで手から布へ口を塞ぐのを変えると、俺の手首を持ってバンへと引きずり込んだもう一人が俺の両手首を結束バンドで縛ってしまう。
「そ、それは……確かではありません。その可能性が高いってだけで、確証は……」
「あぁ!? そうだって聞いたからコッチは手を貸してやってんだろッ!」
「ヒ、ヒィ……」
「オイ、止めろ。確かめれば済む話だろ?」
「そ~そ~」
 男達のやり取りを聞きながら頭をフル回転させ、俺は助手席の男を思い出そうとしてハッとする。コイツは確か何ヶ月か前に会食で会ったノーマルの……。
 会食と言う名の接待で確か個室のレストランで会ったはずだ。相手の専務が気を利かせたつもりでSubの給仕を用意した……。
 その時俺は今と同じように体調が悪く、相手の専務が給仕のSubにコマンドを発して俺も引き摺られそうに……。
 その瞬間、相手が俺の何を確かめたいのか理解し、全身にゾワリと気持ち悪い感覚が纏った。
「Switch」
 俺の口を布で塞いだ奴が俺に対してそう言葉を放った刹那、ブワッと全身の毛穴が開き次いでは鳥肌が立つ。このバンに乗って俺を拘束した奴等は全員がDomだが、俺よりもDom性が弱い為気持ち悪さが先に立つ。だからといってSubになれないワケじゃ無い。Domに言われれば俺は等しくSubに切り替わってしまう。
「グッ……エ゛ェ……」
 何度か気持ち悪さに空嘔吐を繰り返した後、胃に何も入っていなかった俺は胃液を吐き出してしまう。
「オイ、俺の車を汚すなよッ」
 運転席に座っていた奴が嫌そうに言っているが、誰も返事をしていない。それどころか俺がDomからSubに切り替わった事を察した男達が
「本当にSwitchだったぞ……」
「早く動画撮れッ」
「わ、解ってますよ」
 助手席の奴が慌てながら俺にスマホを向けてくる。俺がSwitchである事を証拠として動画に納めるつもりだ。隠してきた弱味を握って、後にどれほど汚い使い方をするのか想像出来てゾッとする。抵抗したいが弱っている今の自分にその力は無い。自分よりも弱いDomの支配下に気持ち悪さと徐々に体温が下がっていく感覚を覚える。
「何でもいい、コマンド……」
「オイ、撮ってるよな?」
「よし……、Dow……」
 ガラッ。
 Domの一人が俺に対して『Down』とコマンドを言いかけた時、不意にバンのドアが開く。
「何やってる?」
 全員がドアへと視線を向ければ、そこに立っていたのは家村だった。
「あ? 何だお前ッ!」
 男の一人がそう家村に威嚇するが奴は真っ直ぐ俺を目で捉え、そうして俺の現状を理解するとすぐにGlare状態になる。
 GlareはDomが相手を威嚇する為に使う圧みたいなものだ。Dom同士であればどちらが上の立場か測るために、Subやノーマルであれば強制的に支配下に置き跪かせる為だ。
 家村のGlareは圧倒的で、周りにいる全員が動きを止め狼狽えている。俺も例外無く初めて感じる奴の重すぎる圧に、問答無用で首が下を向き項を晒す格好を取ってしまう。
「な、何だよコイツ……ッ」
「オイッ、誰だお前ッ!」
 俺の周りにいる弱いDomが怯えながらも虚勢を張るように強がって吠えているが、家村には全く脅威にはなっておらず、反対に奴がGlareはそのままに手前にいた男の胸ぐらを掴む。すると掴まれた男は家村の圧によって恐怖でパニックになり、パンツのポケットに入れていた折り畳みのナイフを取り出し家村目掛けて振り上げる。だが家村は落ち着いていて、無言で相手の顎目掛けて拳を振るう。
「ガッァ……ッ」
 家村の拳は綺麗に相手の顎にヒットし、相手は濁った音を出してそのままその場に倒れる。
「テメェッ!」
 俺の奥にいたもう一人の男が、俺を押し退けて家村に向かって行く。一度相手は大きく拳を振り回したが家村はそれを上手く避けて車から離れると、先程家村によってダウンした奴が握っていたナイフを掴み車から出て行くと、外で喧嘩が始まってしまう。通行人は突然始まった喧嘩に「キャーッ!」や「警察ッ!」等と口走っており、その場が騒然とし始めるがもう一人後ろにいた男も仲間を助けようと車から降りる。と、二対一の構図が出来上がってしまい、二人がかりで家村に向かって行っている。
 俺は口の布を取ろうと、力が入らず震える指先でどうにか布を引っ掛けDefenceに陥っている家村を止めようと、口から声を絞り出そうとする。
 Defenceは自分のSubが他のDomによって危害を加えられた時に、そのSubを保護しようと過剰になり、周囲に暴力的になってしまう行為だ。行き過ぎてしまうとこちらも傷害罪になってしまう恐れがある……。
「家村……ッ、止めろッ!」
 絞り出した声は家村に届かず、俺は絶望する。意識が朦朧とする中で遠くから警察官が吹く警笛が聞こえ、俺はそこでドロップアウトしてしまった。
 次に俺が目覚めたのは病院の個室のベッドの上だった。何がどうなったのか最後まで見届けられて無い俺は目が覚めた途端、状況把握よりも先に上半身を起こしてベッドから抜け出ようとしたが、俺の隣で家村が寝息を立てて横たわっており、一瞬にして体の力が抜けてしまう。
 俺は再度ベッドへ横になると、家村の方へ体ごと向きを変えて視線を部屋へと移し、ここが病院だと悟る。俺の手の甲には点滴が刺さっているし、病院独特の匂いが部屋中に漂っているから。横にいる家村の顔を久し振りにマジマジと見詰めれば、口の端が切れてそこから広がるように痣があり俺は泣きたい気持ちになってしまう。
 全て俺の我儘で関係が始まった。それに家村に対して俺は真摯に向き合う事もしていなかった。大切な事は隠して自分の良いようにコイツを利用しただけなのに……。それなのに家村は関係無いと突っぱねた俺の後を追ってあの場から助けてくれたのだ。それにサブドロップした俺が意識を戻せたのも家村のおかげだろう。気分が落ち着き、吐き気や目眩も無い。きっと、ずっと側にいてアフターケアをしてくれていたはずだ。
 なによりあの時家村がDefenceしてくれた事が、俺には一番嬉しかった事だ。それはまだ家村の中で俺がコイツのSubだと言われているようだったから……。
 ジッと見詰めていた奴の瞼がピクピクと震えたのを見て、俺は咄嗟に目を閉じる。
「ぅ……ン」
 低く掠れた吐息が家村の口から漏れて俺はドキリとするが、そのまま寝たふりを決め込む。すると近くで奴が溜め息を吐き出した後、俺の前髪を梳くように指を絡め
「……いい子だ、好きだよ。……俺を一人にしないでくれ……」
 と、囁き俺の額にチュッ、チュッと音を立てて何度かキスを落とすと自分の腕を俺の首の下へと差し入れ、そのまま抱き締めるような体勢になる。俺の体の上に回された手が後頭部へ回ると、優しく頭を撫でられ
「将臣、好きだよ……」
 額を合わせて家村が愛おしそうにそう呟く。
 俺はその言葉を聞いて、鼻の奥が痺れるようにツンとする。
 ……もう、いいか。家村だけには全て言ってしまっても……。美鈴との関係や、兄との事、そしてDomとして育った橘という家を……。俺にとって……ひいては橘の弱味になってしまう事を、家村だけにはちゃんと説明して理解して欲しい。たとえ今奴が言っている事が俺を目覚めさせる嘘だったとしても、今度は俺が全力でお前を振り向かせれば良いって事だろう?
 薄っすらと目を開ければ溜まった涙が溢れたが、それでもまだ目はぼやけていて俺は瞼を何度かパチパチと瞬かせる。
 瞼を瞬かせた微かな音が聞こえたのか、目を閉じていた家村もまたユックリと瞼を開いた。
「………ッ」
 まさか俺が本当に目を開いていると思わなかったのか、家村は俺の顔を見て息を呑んでいる。そんな奴の頬に指先をあて俺は微かに笑うと
「俺も……好きだ……」
 掠れた呟きは聞き取り難いものだったが、俺の台詞に家村は目を見開き、次いで噛み付くように俺の唇を奪う。


         ◇


 病院で意識を戻した俺は、あの後もう一日入院。精密検査をして問題無いとのお墨付きをもらって退院した。意識を戻してすぐは、息もつけない程の家村からの口付けに溺れたが、タイミング悪く兄が病室のドアをノックした為、途中で止める羽目になってしまった。
 兄からは俺を襲った犯人の事を聞けば、やはり以前会食をした企業の奴が関係しているとの事だ。俺を襲った理由だが、俺から会食の件を聞いた兄が相手側にクレームを入れた事で今回の事へと発展したらしい。兄は相手側に媚を売る前に正攻法で仕事をしろと……、それが無理なら次の契約は無い旨を伝えていたとか。その事で相手側が会食時に俺の態度が変だった事に勘づき、弱味を握ろうと動いて事件になったという理由だ。当初警察が来た時に相手側は白を切っていたみたいだが、俺を助けようとバンを開けた家村が助手席に座っていたノーマルの奴がスマホを俺に向けていた事に違和感を覚え、スマホの提出を求めたところ、撮っていた録画が証拠になり問題が発覚。家村も相手に対し強硬手段に出ていたものの雇い主を守ろうとしたボディーガードとしての職務を果たしたとの事で正当防衛が適応され罪には問われなかった。
 まぁ、相手はナイフを出していたし……な。
 俺が意識を無くしている間に兄が色々と処理を行ってくれていたお陰で、俺は後日事情聴取の為に警察署へ行く位で済んだ。
 意識が無かったのは五日間。その間家村はずっと俺の側にいてくれて……。そして、事態を兄から聞いて病室に来た美鈴と話もしていた。
 美鈴はこの件で俺がSwitchだという事実を知り、家村は俺と美鈴が互いの有益の為に偽装結婚している事を知る。
「疲れましたか?」
 自宅マンションへ戻って来た俺は、リビングのソファーにドカリと腰を落とし、フゥと一息吐き出した。俺を自宅まで送って来た家村が俺の顔を覗き込みながらそう聞いてきて、俺はクスリと笑ってしまう。仕事では無いのに奴は俺に対して敬語だ。という事は少なからず緊張しているのだろう。俺が笑ってしまった事で、訝しげに俺を見詰める奴に
「まぁ、そうだな。ケド気分は良い」
「そうですか……、じゃぁ入院してた荷物片付けたら帰るので、ユックリ休んで下さい」
 言いながら家村は入院時に必要だった諸々の荷物を詰めたバッグを手に取ると、バスルームの方へ足を向けるので
「は? ……帰るのか?」
 と、尋ねる。
 兄からは退院したばかりだから、明日一杯休みをもらっていて、当然俺は二人で過ごすつもりだった……。それに、家村に聞きたい事もある。
「まぁ……病み上がりですし……」
「……………、無理だぞ」
「……え?」
「……少し、話さないか?」
「………ッ」
 互いに薄々、何の話しなのかは理解している。家村は俺の言葉に掴んでいたバッグから手を離して、俺同様ソファーへと腰を落ち着かせると
「何ですか?」
 と、聞いてきてくれるが、膝の上で握られている手には力が入っていると解る。
「……、美鈴から俺達の事は聞いていると思うが……」
「ハイ。美鈴さんにはパートナーがいて、専務とは偽装結婚だとお聞きしました」
「そうか。……俺自身の事は、何か聞いているか?」
「専務自身の事……ですか? イヤ……それは特に、聞いてませんが……」
 入院する前奴と車内で言い争った場面で、家村は俺が女も抱けるみたいな発言をしていた……。と言う事は奴の中で俺はどちらもイケるのだと思われているという事だ。まぁ、言われてみれば自分の性嗜好の話をした事は互いに一度も無かったワケで……。
 俺の意識が無い時に美鈴と家村が話していた事は後日美鈴から聞いたのだが、一体彼女がどこまでどう説明したのか詳しくは聞いていなかった。
「俺と彼女……美鈴は、性嗜好が同じで……互いに同性にしかそういう欲求は無いんだ……」
「そう……なんですか?」
 そう呟いた家村の反応は、今初めて知ったという感じだ。俺はその返しにコクリと頷きながら
「当初美鈴は兄の婚約者だったが……」
 と、俺は事細かに美鈴と結婚した経緯を家村に説明する。その途中、途中で橘という家がどういう家なのか、俺がどう育ったのかという事を話していく。その間、家村はずっと黙って俺の話を聞いてくれていた。
 一通り話し終わり下げていた目線を家村の方へとずらすと、奴はずっと俺を見詰めていたのか俺と目が合うと
「……………じゃぁ病室で、俺に言ってくれた事は本心って思って、良いって事……?」
 オズオズと言った感じで確認を取ってくる奴に、俺はフッと微かに笑う。意識が戻った時、家村は俺を抱き締めながら好きだと言ってくれた。その言葉で俺も腹を括れたのだ。だから俺の気持ちも言葉として言えたし、今だって全て家村に理解して欲しいから、自分にとって不利になるような事も喋れた。
「お前も言ってくれたからな……、それで俺も言える事ができた……」
 一度そこで言葉を区切り、今度は俺は自分の両手をギュッと握り締める。そうして細く息を吸い込むと真っ直ぐに家村を見据えて
「たとえお前がサブドロップに落ちた俺を浮上させる為に言ってくれた事だとしても、俺が言った事は本心だ……」
「ッ! 俺だって、アンタに言った事は嘘じゃ無いッ!」
 俺の台詞に家村は少しムキになって答える。その反応に俺は内心安堵して瞼を閉じ、次いで
「それと、ずっと不思議だった事がある」
 ユックリと閉じた瞼を開きながら、俺は家村に言う。
「最初にお前がプレイじゃ無く、俺にパートナーを提案したのはどうしてだ?」
 そう、俺の中でずっと不思議だった事。プレイよりもワンステップ上の関係を最初から俺に提案してきたのは何故だったのか、ずっと疑問だった。
 すると家村は俺の問いに一瞬キョトンとした表情を見せて
「……………、アンタ本当に覚えて無いんだな……」
 と、呟く。
 家村のその反応と台詞に、俺は眉根を寄せ
「何の話だ?」
 と聞き返せば、奴は溜め息と共に髪をガシガシと掻き乱し
「アンタが一番最初にサブドロップした時の事、全く覚えてない?」
 俺が奴の前で最初にサブドロップしたのは……
「会食の……時……」
「そう、ンで俺の家に連れ帰った時にアンタが……」
 そう言って家村は照れ隠しなのかジトッとした感じで俺を一度睨み付け
「アンタが俺に、パートナー提案したンだけど……」
「………ッ、え?」
 思いもしなかった台詞に俺が固まっていると、家村は、ハァッ~と大きく一つ溜め息を吐く。いつの間にか敬語も消えている。
「まぁ……サブドロップしてて朦朧としてたし……起きてからの態度見てたら覚えてないなって確信してたけど……」
「本当に、俺から……?」
 全く覚えてない自分の言動に狼狽えながら聞き返すと、家村は少しだけ唇をとがせて
「そこで嘘ついてもだろ? それに……俺はアンタが覚えて無くても嬉しかったから」
「……………」
 言いながら家村の表情が柔らかくなり、俺は目が離せなくなる。
 どういう意味で奴がそう言っているのか、続きが気になり何も言わない俺に家村は言葉を続けた。
「ホラ俺の家庭事情さ、前に話した事あっただろ?」
 家村の家にあった二組の写真立て。そして、Dom性が遅く発現した事による周りからの反応。
 俺は奴の言葉にコクリとだけ首を上下すると、そのまま奴は話し始める。
「弟妹以外俺に対しては恐怖心が強くて、血が繋がってる親父でさえもそんな感じでさ……それで親父も亡くなったら余計俺の居場所は無くなってすぐに実家を出たんだけど……」
 後妻は最後まで家村に対して歩み寄ってくれようとしなかったと、以前の会話の端々に それが取って見えてはいた。
「まぁ、家族だけじゃ無くて周りにいた友達とか、そういう人全てが……俺がDomだと解った時点で皆同じ反応で、結構自分的には参ってて……」
 周りがノーマルであればそれは素直な反応だが、家村にとっては最悪な環境だっただろう。
「あれだけ距離が近かった奴等全員が、ある日を堺に俺を遠巻きにしてきて……、そこから結構俺の中で割り切るまで時間がかかった……」
「……そうだろうな」
 互いにダイナミクスがどういうものなのか教育されていなければ難しい問題だと思う。俺は幸いそこだけは良い意味でも、悪い意味でもこういうものだと教育されてきた。家村の場合はまっさらな状態で放り出されたようなものだ。キツかったに違い無い。
「それに、なまじ自分のDom性が強いせいで同じDomの奴と会っても相手を怯えさせてしまうしな……。ケド、社長とアンタだけは違った」
 家村は言いながら俺に対して更に優しい表情を向けると
「最初から怯えもせず対等に接してくれて……、他の社員さんには怖がられないように丁寧に接してたのに、アンタに関しては当初から俺にスゲー突っかかってきてさ」
 自分よりも強いDom性を持っているコイツが、裏のありそうなにこやかな笑顔で接してくるのだ。警戒して当たり前だろう。家村は言いながら当時を思い出しているのか可笑しそうに笑っている。だが
「ケド俺にはそれが本当、久し振りに普通な感じがして……気付いたらアンタの事目で追ってたんだよな」
 奴の台詞に当時を当て嵌めれば、次々に点と点が線になっていく。家村の胡散臭いと思っていた笑顔の理由も、良く目が合っていた事も……。
「だからアンタがSwitchって解った時は、スゲー興奮した。もしかしたら俺のモノに出来るかもって」
 柔らかく喋る家村の瞳の奥に欲を宿した雄が映り、俺の項が一瞬ゾワリと粟立つ。
「アンタがサブドロップした時、熱に浮かされたように何度も俺にどこにも行くなって……俺だけ、愛して欲しいって……」
 その言葉を聞いて、途端に俺は家村の顔を見れなくなり下を向いてしまう。そんな俺を見て奴はクスリと微かに笑い
「俺だけのDomになって欲しいって言ってたから……」
「わ、解ったッ! それ以上は言わなくて良いッ!!」
 恥ずかしさに居た堪れなくなった俺は、片手を奴の方へと突き出しそれ以上喋らせないようにする。全く記憶に無い事をスラスラと喋られ、まるで無意識に家村を求めていたような……………。
 そうか。と、突然ストンと俺に落ちてきた納得。
 俺は無意識にでも家村を求めていたのか……。
 自分はDomにもSubにもなれるが、どちらかにはなれない。だから今まで決まった相手を探す事も難しく、結局は一生一人でいるのだと思っていた。だが心の奥では自分だけを愛してくれる人が欲しくて堪らなかったのだ。俺以外の人と同じように……。
「ハッ……、ハハハッ!」
 俺の中ではあの時から、本能的に家村が良いと解っていたのか……。
 笑い出した俺を訝しげに見詰めていた家村が、フゥ。と鼻から一息吐き出すと
「解ってくれたみたいだから、俺はそろそろ……」
 腰を落としたソファーから奴が立ち上がるので、俺もすぐにソファーから尻を離して
「帰る事は、無理だと言ったはずだ」
 言いながらズイッと家村に近付き咄嗟に奴の手首を掴む。
「イヤ……話して納得してくれたんだろ? だったら休んだほうが……」
「期待……しているのは、俺だけか?」 
 俺の台詞にゴクリと喉を鳴らす家村の目が先程よりも欲を纏うのを見て、ゾクリと甘い痺れが全身を駆け巡りクラリと目眩を覚える。奴は掴まれた手首の上から自分の手を重ねて
「体……大丈夫なんで……」
「全部、……お前に全部、奪って欲しい」
 奴が言い終わらないうちに言葉を重ねた俺に、一瞬グッと奥歯を噛んだ家村はそのまま無言で重ねて置いた手に力を込めると、俺の掴んでいた手を引き離して反対に握り直しクルリと踵を返す。
 どこに行くのかなんて、そんなの解かりきってる。


          ◇


 いつもより少し乱暴に寝室のドアを開けベッドの側まで俺を連れて来ると、背中を向けていた家村が俺を振り返る。その表情は、もう我慢しなくて良いのだと言っているかのように欲情が強く出ていて、興奮しているのか少し息が上がっていて……。
 そんな雄の顔を目のあたりにし、掴まれている手からゾゾゾと寒気にも似た快感が走りブワリと鳥肌が立つ感覚。
「Switch」
 掠れた低い声で囁かれた途端、今までに無いほど脳が蕩けてしまうような切り替わり方に、俺はハクッと空気を食む。
 ……………ッ、ヤバイかも知れないな……。と思った瞬間に
「Kneel」
 『お座り』のコマンドに、俺は腰が砕けたようにガクンッと下へと落ちる。
 手首は持たれた状態だった為、片手を上げた姿勢で家村の足元に跪いた俺を見て
「Goodboy」
 と俺を褒める言葉が聞こえただで、俺は背中を捩らせ全身に纏う快感にブルブルと震えた。
「ン゛ッ……ㇰゥ……」
 過度な快感を逃そうと呼吸を早く浅く繰り返している俺に、家村はベッドへ腰を下ろすと
「Look」
 次に『見ろ』と俺にコマンドを発し、家村は頬へと指先を滑らせスリリと小さく撫でる。俺は一度くすぐったさに目を閉じたが、顎を上げ奴の目を真っ直ぐに捉えれば
「ハッ……、なんて顔してんの……」
 と、欲情を隠そうと笑って呟くが失敗し眉根を寄せた表情を見て、その顔をさせているのが自分だと理解すれば、ギュウッと胸が締め付けられる。嬉しそうに言う家村に今自分がどんな顔をしているなんて考える余裕すらない。
 褒める代りにスリスリと指先で頬を撫でられ、俺は無意識にその指へと自分から頬を押し付け返せば、奴が息を呑むのが解り一瞬閉じていた目を見開いて視線を上げる。顔まで辿るようにユックリと目を移動していると、ベッドへ座った家村の中心が既に勃ち上がっているのに気付く。
 そこで視線を固めていると、俺の顔を見詰めていた家村がソッと隠すように空いたもう片方の手を中心に伸ばし
「こ……れは、その……」
 気不味そうに口の中でモゴモゴと言葉を紡ぐ姿が、いつもより年相応に見え俺はクスリと笑ってしまう。そうして奴の両膝に手を置き、上半身をクンッと伸ばしコマンドを言われるよりも先に、俺から家村へキスをする。
 奴がいつも俺にキスするように、最初は優しく押し付け下唇を食み、そうして伺うようにチロリと舌を唇の間に差し込んで歯列を割くように舌を動かす。家村は自分のやり方を真似ている俺の仕方に興奮したのか手首を掴んでいる手を離し、後頭部へと移動させるとグッと力を込めて逃さないようにしてから、キスに応えるように舌を伸ばしてきた。
 クチュ、クチュと厭らしい水音に荒い吐息が部屋中に響く。
「ハァッ……、ン、ン……」
 口の中で互いの舌を絡め、唇を離して舌先だけでチロチロと愛撫した後再び深くキスすると、家村の舌が上顎を刺激してくるので膝の上に乗せていた俺の腕は気持ち良さに力が入らず小刻みに震え始める。頭の芯が快感にボゥッとしてきた頃、家村の唇が名残惜しそうに離れて
「Strip」
 『脱げ』とコマンドしながら奴の手が俺の服へと伸びて脱がせようとする。その性急な動作に煽られ、俺も我慢出来ず少し乱暴に自分の服を体から離していく。ボクサーパンツだけになった俺を見て、家村も荒い息を吐きながら自分の衣類を脱ごうとするので、俺も奴のパンツに手をあてボタンとジッパーを外していくと、窮屈そうにボクサーに収まっている奴の怒張が顕になってゴクリと喉が鳴った。
「いい子だね、ありがとう」
 自分の服を脱いだ事と、奴の服を脱がすのを手伝った事で貰えた褒め言葉に、パンツの上から頬を押し付けると目の前にある家村の勃ち上がったモノがビクッと揺れる。俺は無意識にモノへと鼻先を擦り寄せて匂いを嗅ぐとボクサーの上から舌を伸ばして上下に舐め上げる。
「……ッ!」
 まさか俺がそんな事をするとは思っていなかったのか、家村は息を呑むと俺の頭に手を置きスリスリと撫でながら
「Lick」
 興奮に掠れた声で『舐めろ』と言われ、布越しでは無く直接そうしろと理解しボクサーとパンツを一緒くたに掴みずり下げようと一瞬家村に視線を向ける。奴は俺がどうして欲しいのか言わなくても解っていて、腰を上げて下げやすいようにしてくれる。
 ブルンッと勢い良く飛び出したモノは、既に先走りで滑ついていて、俺は一度先端に唇を押し付けヂュッと音を立てて吸い付き、舌に唾液を絡めて見せ付けるように亀頭を愛撫する。
「………ッㇰ」
 重点的に亀頭を愛撫しながら竿へと指先を絡め上下に扱き上げると、堪らずといった感じで奴が吐息を漏らし俺の頭を撫でていた手に力が入って少し押されれば、そのタイミングで俺は口を開いて奴のモノを深く迎え入れると亀頭に舌を絡めながら唇で竿の半分位まで扱く。
 何度か竿を扱き、今度は亀頭部分に唇を滑らせ先程よりも唇に力を込め、鈴口を舌で舐めねぶりながら顔を上下に振る。
「……ハッ……気持ち、良いよ……」
 濡れたその声に視線を上げると、奴は少し上半身を屈めて俺を見ている。その欲にまみれ獰猛な目とバチリと視線が絡みゾクゾクと突き上げるように快感が登ってモジッと床に着けている尻を揺らせば
「ン、堪んない? 奥まで……」
 と、もう片方の手が俺の頬から喉に伸びてスリリと指の背で喉を撫で付ける。俺は一度口からモノを出して息を整えると、今度は喉奥まで咥えるよう口を大きく開きユックリと奴のモノを口腔内へと迎え入れる。奴の切っ先が喉ちんこにコツンとあたりグゥッと空気が迫り上がってくる苦しさに耐えると喉が収縮してキュウッとモノを締め付ける。だが、締め付ければ先程よりも強い嘔吐感が襲って、俺はズルリと喉奥からモノを引き抜き先端を舌で愛撫出来るところまで戻す。
「ン゛ッェ゛……ッ、グギュ……」
 嘔吐そうになる度、生理的に溢れてくる涙や鼻水を拭う事もせず溢れた唾液を潤滑油代りに何度も喉奥で家村のモノを扱くと、限界が近いのか喉で締める度にビクビクとモノが跳ねて質量が増す。その度に俺の喉から独特の音が聞こえる。
 苦しいと気持ち良いが同時に自分の中に混在していて、けれどこれをやり切れば奴が褒めてくれるから……。と、夢中でしゃぶっていると先程よりもより上体を倒した家村の両手の指先が器用に俺の邪魔をしないように伸びてきて、ピンと立ち上がった両乳首にあたったかと思うと指先で弾くように遊び始める。
「ン゛ン゛ッ……ングゥ……アッ、止め゛……」
 咥えていた屹立を離し止めるように訴えるが、見上げた奴の表情は楽しそうに口角が持ち上がっていて
「ン~? そんな顔してやめて欲しいとか、冗談だよな? ホラ、気持ち良いって……」
 含み笑いで言いながら倒した上体で首を伸ばして俺の頭にチュッとキスを落とすと
「Gasping」
 『喘げ』のコマンドに、ビリビリと体中に電流が走る。
 ……クソッ、今まで……こんな、事……ッ。
 何度も家村とプレイをしてきたが、触れられる事やコマンドにこんなにも敏感になった事は無かった。なのに……。
 俺は自分の変化に戸惑いながらも、コマンドされて素直にそれに応える。もう一度奴のモノを喉奥まで咥えて首を振りながら、奴が俺の乳首を爪で搔いたり、潰したり、抓る度に鼻から甘い矯声が漏れてしまう。
「フ……ン゛ン゛ッ……ングッ、……」
「上手に出来てるね……」
「ン゛、ン゛……♡」
 耳元で家村に褒められ、嬉しさに喉が震えて無意識に絞り上げるように喉が閉じると
「………ッ、クゥッ」
 家村の腹が力を込めるようにブルリと震えた直後、乳首を弄っていた指先に力が入ってギュウッと抓り上げた瞬間、ビュルルッ、と奴のモノから勢い良く白濁が俺の喉へと注ぎ込まれる。
 同時に俺も腰を揺らしてボクサーの中で果ててしまった……。
 嚥下するしか出来ない白濁に、喉を鳴らして飲み込んでいるとそれもまた奴のモノを締め付ける刺激になっているのか、ユルユルと最後まで出し切るように家村の腰が動く。
「……ちゃんと飲めたか、見せて?」
 ハァッ。と一度溜め息を吐き出し、再び俺の耳元で囁く奴の台詞に俺はズルリと口からモノを出し、大きく口を開いたまま家村に見せると
「ン、ちゃんと飲めて偉いな」
 と、乳首から両手を離して頭に移動させると、奴にワシャワシャと髪を揉みくちゃにされる。たったそれだけの事なのに、俺の中に広がった多幸感は凄まじく、俺はむずがるように背中をくねらせ額を家村の太腿にくっつける。
 ヤバイ……、コイツから与えられるモノ全てが気持ち良い……。
 太腿に額をくっつけて熱い息を吐き出し快感を逃がそうとするが、次々に湧き上がってくる気持ち良さにどうする事も出来ない。
「ホラ、Look」
 『見ろ』とコマンドが落ちてきて、これに応えればまた褒められる……。そうなれば俺は……。
 次の快感が想像できてゾクゾクと背筋を震わせながら俺は額を太腿から離し、奴の顔を見上げると
「ハッ……、可愛い顔になってる……」
 嬉しそうに呟く家村の目の奥に、獰猛さがチラチラと透けて見える。優しく俺に接しながらも酷くしたいと本能が言っていて、達してしまった俺のモノはそれに反応するようにピクリと芯を持ってしまい……。
「言う事聞けて偉いな。今度はこっちおいで? Come」
 言いながら家村は両手を広げて俺を呼ぶ。俺はその動作にフラリと立ち上がり奴の太腿を跨いでベッドへと上がると、膝立ちになり家村と向かい合う体勢になった。
「そうそう、いい子だね」
 ニコリと俺に笑いかけながら、奴は脱ぎ捨てた自分の服を手に取りイラマチオでグチャグチャになった俺の顔を綺麗に拭うと、項に手をかけグイッと自分の方へ引き寄せてキスをしてくれる。そうして
「全部、貰って良いんだよね?」
 と、最後の確認を俺に聞いてくる。
 俺は奴の目を見詰めながらコクコクと小さく頷けば、優しい笑みを向けて再度俺の唇を奪う。
 キスを交わしながら合間に「Hug」と囁かれ、俺は家村に抱きつくと項にある指先がヨシヨシと上下に揺れて、嬉しさに奴の舌を軽く吸ってしまう。
「舌……出して……」
 顔を後ろに引いて俺の唇から舌を抜き、家村が楽しそうに呟く。俺は奴の言う通りにオズオズと口から舌を出せば、奴もまたユックリと舌を出しながら俺に近付いて……。舌先が合わさるとチロチロと俺の舌先を愛撫する家村に合わせ、俺もまた舌を動かす。レルレルと互いのを絡ませ、唇を合わせて深く口付けしてまた舌先を遊ばせていれば、もう片方の奴の手が俺の太腿からスススと上へ滑りボクサーの中へと差し込まれる。そうしてそのまま尻へと移動して臀部を揉みしだかれ徐々に指先が中心の孔へと近付く。
 ニチャ……ッ。
 孔の襞へ指先が触れれば、先程達してしまった精液がモノを辿って孔まで伝っており
「俺の咥えてイッたの?」
 キスを止め離れた唇からツッと糸を引き家村に尋ねられ、俺は恥ずかしさに目を泳がす。それが肯定と解った家村は広角を上げて
「気持ち良かった? Say」
 と、意地悪く聞いてくる。コマンドで『言え』と命令されてしまえば、俺に選択肢は無いワケで……。
「………ッ、ち…………かった……」
「ン? 聞こえないよ」
「~~~ッ、気持ち、良かったッ」
「ハハッ、ちゃんと言えて偉いね」
 と、言い終わらないうちに濡れた襞をスリスリと撫でていた指がグチュリと内壁へと侵入してくる。
「ア゛ッ……、~~~♡ ハァ、ァ゛……」
 意外にもすんなりと中へと入ってきた指は、キツさを確かめるように蠢くと次いではすぐに二本目が挿入される。
「ア、アッ……、ンゥッ……持ち、良い……ッ」
「ン? 気持ち良い?」
「良い……♡ 気持、ち……良いッ」
「Goodboy」
 GaspingやSayのコマンドで、俺は素直に喘ぐしかなくなる。それでも家村は俺の反応を注意深く見ているのだろう。その証拠に中で蠢く指は、久し振りに受け止める俺の事を想って、優しいほど丁寧な愛撫だ。
 俺の方が焦れて乱暴に自分で腰を振ってしまいそうになるほどに……。
「……ッ、こうされたかった? 久し振りなのに、柔らかいね……」
「言う………ッな、ァ……」
 快感を煽るような言葉にフルッと緩く首を振る。奴は俺の態度にクスリと笑って内壁に入れた指で探っていた前立腺を見付けると、指先で上に掻くようにコリュ、コリュッと動かす。
「ァ゛ッ! ア~~……♡♡♡ ゃだッ」
「嫌? 何が嫌?」
 潤滑油代りの自分の精液を塗り付けるようにしていた指が、徐々に動きを早くして強く押し付けるように愛撫してくる。俺は過度な快感に呑み込まれる事が怖くて、ギュッと奴の肩に縋るように手を伸ばして掴むと
「き……持ち゛ッ、良いから……怖い゛ッ」
 素直な気持ちを吐露すれば、良い子だと言わんばかりに前立腺を押していた指がソコをギュッと摘んで左右に振動するような動きに変わり、俺は喉を仰け反らせて舌を突き出す。
「~~~~~♡♡♡ カハッ……ァぅん゛ッ」
 快感に耐えられず家村の頭を抱きかかえるようになった俺に、奴は近付いて目の前にきた乳首に舌を這わせる。
「ヒ、ィ゛ッ……♡♡ 止めッ……ア、ァ゛ッ……」
 這わせた舌を先端をすぼめて細くし、先程愛撫されて赤く熟れた乳首をピンピンと舌先で舐めねぶってくる。かと思えば口に含んで吸い上げるとチュバッと下品な音を立て離し、次いではもう一度含んで前歯で甘噛みすると、先端を舌で転がす。そうしていても内壁に入っている指はずっと前立腺を執拗に愛撫していて……。
「あ゛、ァ……、ックる゛ッ♡♡ ……キち゛ゃ……ッ♡♡♡」
 大きい波に飲まれそうになり少しの恐怖に奥歯がカチカチと鳴ると、項に回っていた奴の手が俺の口に入り舌を挟んで扱く。それだけの事でも気持ち良さはプラスされ、内壁はキュンキュンと痙攣しだしそれに合わせて臀部が上へと持ち上がる。
 もうッ……♡ もう、駄目だ……ッ♡♡♡
 家村の指を内壁がギュウッと絞った瞬間、俺の状態を見極めていた家村がチュルリと乳首から唇を離し
「Cum」
 『イケ』と言われた途端、下から上へと突き抜ける波にガクガクと全身を震わせて、俺は中でイッてしまう。
「あ゛、ア゛ァ~~~♡♡♡」
 キツイ波が引いて余韻にビクビクとしながら、力が入っていた体から徐々に固さが抜けると、俺はクタリと家村に体重をかける。
「上手にイケたね」
 言いながら頭にチュッとキスされ内壁からユックリと指を抜かれる。そうしてそのまま後ろにズルズルと尻をずらして移動した奴は、俺を横に押し倒しベッドの上へと着地させた。
「ア~……、もしかしてサブスペース入ってる? ………イイ顔してる……」
 俺の顔を上から見詰め嬉しそうにそう呟く奴に、どんな顔だよ。と心の中で突っ込みを入れながらも、イッた余韻で瞼が重く息も荒い。力の入らない俺の体から家村は器用にボクサーを脚から外し、ベッド横のチェストへと手を伸ばす。
 中にはジェルとゴムが入っていて、案の定それらを取り出した奴は、ジェルの蓋をパコッと開け自分の手の平ヘ落とすと何度かにぎにぎと握り温めた後、再び俺の孔へとジェルを塗り付けるようにする。
「フゥ……ンッ、……ァッ、ァ……」
 中でイッた余韻で敏感になっているのに、ジュポ、ジュポッと厭らしい水音と共に広げるように指を三本に増やして内壁を愛撫され、俺は堪らず背中を捩る。
 それが合図になったように指が抜き取られると、俺の痴態を見て再度張り詰めた怒張が中途半端にずらしたせいで窮屈そうにパンツの中に収まっていたが、家村は再度下着ごとずり下ろして傍らにあるゴムを手にすると、パッケージを破ってクルクルと素早くゴムを装着する。そうしてジェルを自身の怒張へ流すと、俺に見せ付けるみたいに濡れた片手で掴んで扱く。
「イイ?」
「………ッ聞く……なよ……ッ」
 こんなにも俺の体はお前を受け入れる準備ができているというのに……。そこで最後に確認を取ってくるのは卑怯だろ? と微かに眉間を寄せれば、フゥ。と小さく溜め息を吐き出した奴が俺の頬に自分の頬を擦り付けながら
「入れるね?」
 呟いて俺の唇に軽くキスを落とすと家村は名残惜しそうに上体を起こす。
 ヌルヌルとぬるついた先端を孔へと擦り付け、先端が襞を押し上げるようにユックリと俺の中へと入ってくる。
「ア……ッ、ハァッ……♡」
 張り出したカリ首が入口を通り過ぎれば、幾分かスムーズに奴のモノは俺の中へと呑み込まれていく。と、先程まで指で押し潰されていた前立腺にカリが引っ掛かりあたった瞬間、ビリビリと重い刺激が走りそれは背筋を伝って脳まで響く。
「~~~ッ♡♡♡ ア゛ッ、ハァ……♡」
「気持ち良いトコ、あたった?」
 尋ねられ、強い刺激にコクコクと首を上下に振る事しか出来ない俺は、強烈な快感を逃がそうと咄嗟に枕の端を掴んで荒く吐息を吐き出す。
「Sayって、コマンドしたよな?」
 少し声のトーンを落として言った家村に、言う事が聞けなかった事で不機嫌にしてしまったと思った俺は、快感に閉じていた目を開くと、目正面に獰猛な雄の顔を目の辺りにしてゾゾゾッと寒気にも似た悦楽を拾ってしまい、腹の奥がゾワリと収縮する。そうしてハクハクと何度か唇を動かし空気を噛んだ後
「………ッすって……、中、擦って……♡♡ 気持ち、良ぐ……して……♡」
 言い終わった直後に引っ掛かった切っ先がドチュンッと奥まで刺さり、俺はヒュッと息を吸い込む。
「ア♡ ぎもぢ、良い゛ッ……♡♡ ~~~♡♡♡ 中、……気持ぢ、良い゛よぉッ」
「………ックソ、可愛い過ぎだろ……」
 張り出したカリが、家村が腰を振る度に前立腺に引っ掛かり押し付けられ俺は矯声を止める事が出来なくなる。
「フ、ウぅ゛~~ッ、イイ゛ッ……♡ 怖い゛ッ……、~~~♡♡♡」
 与えられた事の無い中での快感は、強過ぎて恐怖をも感じてしまう。それにプラスして家村から与えられるプレイの多幸感にサブスペースに入っている俺は、経験した事の無い感覚に涙が溢れる。けれど決して『Red』では無い。
「良い子だ……ホラ俺に掴まって」
 家村は初めての過度な快楽に混乱している俺の腕を自身の首へと導き、頭にあった枕を取って俺の体を横にすると、両膝の裏に腕を差し込み腰を浮かせて枕を腰の下に差し込む。そうして浮き上がった臀部に腰を打ち付けた。
「ア゛ッ、~~~♡♡♡」
 先程よりも更に奥へと家村のモノが入ってきて、俺は喉を仰け反らせて息を止める。ピンッと爪先に力が入って足の指が開いたが、次いではユックリと息を吸い込む為に丸まり、腹が小刻みに痙攣する。
「~~~~~ッ」
 奥まで迎え入れた家村のモノを痙攣の波に合わせて強弱をつけながら内壁がギュウッとしゃぶる。その気持ち良さに奴も息を詰めて快感に耐えると、再び腰を動かし始めた。
「アッ、も、もぅッ♡ 無理ッ……む、り゛ッ♡♡♡」
「ン、もぅ少し、我慢して……」
「ヤッ……、イ゛ヤだ……♡ お゛かしぐ、なるッ♡♡」
「大丈夫だから……ッ、気持ち良いだけ……」
「ンぅ゛ッ♡ ……ぎ持ぢ、良い゛~♡♡」
「そう、気持ち良いな……」
「イギた……ッ、もぅ、イギたイィ゛ッ♡」
「もう少し我慢な、……滅茶苦茶気持ち良くイコうな?」
「ハァッ……、大雅……♡♡ た、いがぁ♡」
「………ッ、クソッ」
 家村に『イケ』とコマンドして貰わないと上手くイケない俺は、快感に朦朧としながら自分が何を口走っているのかよく解らない。だが、俺の台詞で俺の中にある奴のモノはグアッと嵩を増しビクビクと震える。
 その振動に俺は奴の首に回した手を保っていられず太腿へと移動させ微かに爪を立てると、家村は俺の両膝に入れていた腕を解いて片方の俺の脚を自分の肩に担ぐ。担いだ手を脚から離し外側から俺の下腹部へと手をあててグッと力を込め、もう片方の手で先走りによってグショグショになっている俺のモノを掴むと大きく上下に扱き上げてきた。
「イ゛ッ、ァ゛……、無理ッ……も、ムリ゛ッ! ……たのむ……」
 頭の中はもうイク事しか考えられない。
「ン、どうして欲しい……? Say」
「イ~~~ッ、ぎた……ィ゛♡ イカ、せて……下……さい゛♡♡♡」
「ン、上手に言えて偉いな……」
 甘い声音で囁く家村がいつ『イケ』と言っても良いように俺は奴の顔を見詰めると、ユックリと唇が動き
「Cum」
 と発した刹那、ビリビリと俺は大きな電流に打たれたような衝撃に頭が真っ白になって背中を仰け反らせると、勢い良く自分のモノから精液が飛び家村のモノを食い締めたまま臀部が痙攣する。長い快感の波に攫われジ…ンと頭の芯が痺れる頃、家村の唇の感触に息が止まっていたのだと解り空気を吸い込む。
「Goodboy」
 上手にイケた事への褒め言葉に、俺は嬉しさに酔いながら意識を手放す。


          ◇


 目を開けば隣で寝ている家村の顔が飛び込んできて俺は一瞬ハッとするが、すぐに落ち着き奴の寝顔を見詰める。
 まだサブスペースにでも入っているような感覚に、俺は額を奴の肩口に擦り寄せて長く細い溜め息を吐き出す。すると眠りが浅かったのか家村がこちらに寝返りをうちながら目を開き
「目、覚めました?」
 と、聞いてくるので俺は無言のまま奴の鎖骨付近にキスをする。
「体、辛く無いです?」
「……ン、多分な……」
 言い返した自分の声が思いの外ガサガサで、俺は先程までの事を思い出して居た堪れなくなり目を伏せる。だが、家村がそれを許してくれるはずもなく……
「声……結構出してたもんね。水、持ってこようか?」
 そっと頬に触れる手は温かく、少しカサついている。
 俺は首を左右に振ってしばし無言になった後
「……新しくルールを決め直すか?」
 と、家村に聞いてみた。
 これは入院中に考えていた事だ。互いの気持ちが解りパートナーになった事で、以前のルールではコイツはどうなのだろうか? と思っていた。あれは結局俺に都合の良いルールでしかなかったから……。
「一つだけ……良い?」
 俺の問いかけに家村が静かに答える。
 俺は伏せていた目を持ち上げ奴の顔を見詰めると、家村は少し苦笑いに近い笑みで
「アンタがDomの時に相手にするのは、女のSubだけにして欲しい……。駄目、かな?」
 家村からのその提案に、俺は微かに口角を上げてしまう。それはDomの時の俺も独占したいと言われているからだ。
 Domの時であれば俺は男のSubを抱けるのだが、それさえも禁止して自分だけに縛り付けたいと、家村の欲に笑みが溢れる。
 ……………だが、既に俺はもうDomの時に相手に男を選んでいない。家村との関係が始まってしばらくしてから、不思議とそういう欲が無くなってしまったのだ。
 それは多分、満たされていたから……。
「返事……くれないの?」
 何も言わない俺に痺れを切らしたのか、家村が少し拗ねた感じで聞いてくるので、俺はクスリと笑って
「言わせるのは得意だろ?」
 まだ『Switch』だと言われていない俺は家村にとってのSubだ。
 俺の返事に家村も微かに笑うと一度俺にキスをして
「アンタが俺をそうさせるんだけどね……」
 と呟いて、俺に言わせる為耳元に唇を寄せる。




おしまい。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

あいか
2023.05.12 あいか

面白かったです!!このシリーズ大好きなのです。応援しております!

庵慈莉仁
2023.05.12 庵慈莉仁

あいかさん、とっても嬉しいコメントありがとうございます♡♡♡滅茶苦茶励みになります!
頑張ります♡

解除

あなたにおすすめの小説

ノンケの光一くん〜ノンケだけどお金が欲しいからお尻を開発する話〜

あしまる
BL
朝日光一、20歳。 毎週のように合コンや飲み会で遊びまくる元気で明るい大学生。 金欠で遊ぶ金が無くなり、小遣い欲しさにゲイ向けのAVに出演しようとゲイで親友の佐々島駿に相談する。 駿は反対しつつも本当にやる気ならちゃんと尻で感じられるように開発しろと告げる。 ノンケの光一はお尻の開発方法が分からず悩んでいると駿からとある人を紹介され……。 ノンケ大学生がお尻を開発されて快楽堕ちする話です。 並行して光一と駿の高校生編(こちらはエロなし)も投稿してます。 ハッピーエンドで明るいエロを目指します!

【R18】お嫁さんスライム娘が、ショタお婿さんといちゃらぶ子作りする話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 前話 【R18】通りかかったショタ冒険者に襲い掛かったスライム娘が、敗北して繁殖させられる話 https://www.alphapolis.co.jp/novel/902071521/384412801 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

【完結】運命の番じゃないけど大好きなので頑張りました

十海 碧
BL
拙作『恋愛経験ゼロ、モテ要素もないので恋愛はあきらめていたオメガ男性が運命の番に出会う話』のスピンオフです。 東拓哉23歳アルファ男性が出会ったのは林怜太19歳オメガ男性。 運命の番ではないのですが一目惚れしてしまいました。アタックしますが林怜太は運命の番に憧れています。ところが、出会えた運命の番は妹のさやかの友人の女子高生、細川葵でした。葵は自分の将来のためアルファと結婚することを望んでおり、怜太とは付き合えないと言います。ショックを受けた怜太は拓哉の元に行くのでした。

壁の花令嬢の最高の結婚

晴 菜葉
恋愛
 壁の花とは、舞踏会で誰にも声を掛けてもらえず壁に立っている適齢期の女性を示す。  社交デビューして五年、一向に声を掛けられないヴィンセント伯爵の実妹であるアメリアは、兄ハリー・レノワーズの悪友であるブランシェット子爵エデュアルト・パウエルの心ない言葉に傷ついていた。  ある日、アメリアに縁談話がくる。相手は三十歳上の財産家で、妻に暴力を働いてこれまでに三回離縁を繰り返していると噂の男だった。  アメリアは自棄になって家出を決行する。  行く当てもなく彷徨いていると、たまたま賭博場に行く途中のエデュアルトに出会した。  そんなとき、彼が暴漢に襲われてしまう。  助けたアメリアは、背中に消えない傷を負ってしまった。  乙女に一生の傷を背負わせてしまったエデュアルトは、心底反省しているようだ。 「俺が出来ることなら何だってする」  そこでアメリアは考える。  暴力を振るう亭主より、女にだらしない放蕩者の方がずっとマシ。 「では、私と契約結婚してください」 R18には※をしています。    

悪意か、善意か、破滅か

野村にれ
恋愛
婚約者が別の令嬢に恋をして、婚約を破棄されたエルム・フォンターナ伯爵令嬢。 婚約者とその想い人が自殺を図ったことで、美談とされて、 悪意に晒されたエルムと、家族も一緒に爵位を返上してアジェル王国を去った。 その後、アジェル王国では、徐々に異変が起こり始める。

【R18】溺愛される公爵令嬢は鈍すぎて王子の腹黒に気づかない

かぐや
恋愛
公爵令嬢シャルロットは、まだデビューしていないにも関わらず社交界で噂になる程美しいと評判の娘であった。それは子供の頃からで、本人にはその自覚は全く無いうえ、純真過ぎて幾度も簡単に拐われかけていた。幼少期からの婚約者である幼なじみのマリウス王子を始め、周りの者が シャルロットを護る為いろいろと奮闘する。そんなお話になる予定です。溺愛系えろラブコメです。 女性が少なく子を増やす為、性に寛容で一妻多夫など婚姻の形は多様。女性大事の世界で、体も中身もかなり早熟の為13歳でも16.7歳くらいの感じで、主人公以外の女子がイケイケです。全くもってえっちでけしからん世界です。 設定ゆるいです。 出来るだけ深く考えず気軽〜に読んで頂けたら助かります。コメディなんです。 ちょいR18には※を付けます。 本番R18には☆つけます。 ※直接的な表現や、ちょこっとお下品な時もあります。あとガッツリ近親相姦や、複数プレイがあります。この世界では家族でも親以外は結婚も何でもありなのです。ツッコミ禁止でお願いします。 苦手な方はお戻りください。 基本、溺愛えろコメディなので主人公が辛い事はしません。

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

【R-18】踊り狂えその身朽ちるまで

あっきコタロウ
恋愛
投稿小説&漫画「そしてふたりでワルツを(http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/630048599/)」のR-18外伝集。 連作のつもりだけどエロだから好きな所だけおつまみしてってください。 ニッチなものが含まれるのでまえがきにてシチュ明記。苦手な回は避けてどうぞ。 IF(7話)は本編からの派生。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。